Honey Ginger

なかな悠桃

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前編

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・・・残りあと5分、刻々と終業時間が迫っていた。

本日の業務を終了させ、会社の時計をチラチラ見ながら斉藤花菜はなは帰り支度を万全にし、あとはパソコンの電源を切るのみという状態となっていた。

(夕飯の準備はもう出来てるし帰ったら速攻でお風呂入って・・・)

脳内シミュレーションをしながらスマートフォンを鞄に入れる。
花菜が現在どハマりしているスマートフォンから配信されている乙女ゲームの新イベントが本日夕方から始まるということで早く家に帰ってやり込もうと気もそぞろでいた。

今回はランキング形式となり、上位者にはレアカードとSSR専用ガチャチケが大量に配布される。そして何よりも推しキャラのイベントストーリーがあるため花菜はこの日を心待ちにしていた。


残り1分・・・30秒・・・・・・5、4、3・・


「斉藤さーん♡」

花菜は、社内の掛け時計と自身のデスクにある卓上タイプのデジタル時計を交互に見ながら、脳内でカウントダウンした。直ぐにでもシャットダウンをクリックできるようマウスの左ボタンに人差し指に力を入れた瞬間、花菜の後ろから間延びした声に呼ばれた。

(・・・最悪だ)
「・・・何でしょうか?」

苛立ちを抑えながら声の主の方に振り向き、花菜は敢えて愛想もなく抑揚のない声で返す。

「急で申し訳ないんだけどー、今日ぉーどーしても外せない用があってぇー。課長に頼まれたT社の資料の見積り代わりパソコンに打ち込んどいて欲しいのぉー」 

噎せそうになるくらいの香りを纏わりつかせ、緩く巻いた髪をクルクルと指で廻しながら同じ課の先輩、山田実和子が矢継ぎ早に言う。

「えっ、・・・いや、今日はちょっと私も用が」

「終わったら課長のデスクに置いといてねぇー♪お願いねぇー♡」

此方の有無をも言う隙を与えずあれよあれよと仕事を押し付け、当の本人はさっさとオフィスを軽い足取りで出て行ってしまった。

(はっ?!いやいや、よりによって何で今日?!私も早く帰りたいんですけどっ!!しかもこの前も押し付けて来てアンタ会社に何しに来てんのよッッ!!)
 
心内で暴言を吐いていたものの相手に聞こえるはずもなく、声は虚しく心の中で木霊し消えてゆく。現実は、彼女が去った姿なきドアを呆然と見つめることしか出来ずがっくりと肩を落とした。

「花菜パイセーン、まーた仕事押し付けられちゃいましたねー」

隣に座る後輩の上坂耀太うえさかようたが呆れ顔で頬杖をつきながら此方を見ていた。

「ちなみにあの人のって合コンらしいっスよ。さっき給湯室で話してるの聞こえたんで間違いないです。何でも今日のメンツは外資系らしくかなり気合い入ってる感じでしたよ」

(なにーーーっ!!そんな天上人アンタみたいな女選ばないっつーの)

花菜は、怒りが込み上げ両手を力一杯握り締めた。

「・・・先輩、そろそろしっかり断るスキル覚えた方がいいっスよ。別の人含め、今月に入って何回目ですか?そんなんだからにされて押し付けられるんスよ」

(うぐっ...)

顔はワンコ系イケメン・・・しかし花菜に対して出てくる言葉は辛辣。ただ言ってることは大抵ご最も発言のため何かにつけて年下後輩にやり込められる日々だった。

二人の出会いは、燿太が新入社員の時に遡る。花菜が彼の教育担当になりそこからの仲になるため、かれこれ三年の付き合いになる。アイドルのような可愛らしい顔立ちにモデルのようなスラリとした長身。性格も人懐っこく、人見知りの花菜をも懐柔してしまう程の高スキルの持ち主。

初めこそ花菜に対しても敬意を持った態度で接していたが、月日が経つにつれ見えてきた花菜の要領の悪さが露呈するとあどけない年下ワンコは、花菜限定で毒舌イケメンワンコ男子へと変貌を遂げていったのだった。

「はあー。とりあえず俺も半分請け負いますからデータ送ってください」

「大丈夫、大丈夫。上坂くんだって最近残業続きだったでしょ?たまには早く帰んなさい」

大きな溜息と共に耀太は掌を返し“よこせ”と言わんばかりにあおぐよう指を曲げた。
毎度仕事を押し付けられ断らない花菜に耀太は、隣で呆れ辛辣な言葉を使えど、こうやって手伝うことも屡々しばしばだった。
今回も同様に申し出てくれたが、耀太が昨日遅くまで会社にいたのを知っている花菜は流石に申し訳ないので遠慮し彼に帰社するよう促した。

暫く押し問答が続くも折れた耀太は暫く自身の事務作業をし、終えると花菜の言う通り帰り支度を始め帰って行った。花菜は少しでも早く帰宅するため気を取り直し急いで作業に取り掛かることにした。



☆☆☆
「あーイベントー・・・今回こそ上位目指そうと思ってたのに出だし遅れたら絶対無理だー」

集中が途切れ、ふとスマートフォンのサイドボタンを押しスリープを解除した。点灯した画面を見ると既に22時を回っていた。一気に疲れが襲い大きな溜息を吐きながらデスクに突っ伏した。

会社から花菜の住むアパートまでは1キロ圏内にあるため交通機関などの心配はない。ただその生活環境が災いし帰り際などにやっかいな仕事を頼まれることも多少なりともあり、今回のように断れず残業パターンになることも無きにしも非ず。

そのほとんどは先程の先輩になるのだが・・・。

花菜は、アプリを起動したい気持ちを抑えながら資料片手にパソコンを見据える。花菜は、自分の中のポリシーとしていくらドハマりしているゲームとはいえ、会社の休憩中であってもやらないことに決めていた。人けのないところでやるとはいえ、冴えない自分が乙女ゲームをニヤけ顔でやっている姿や悶絶発狂してしているところを誰かに見られでもしたら・・・と思うと恐ろしく花菜は自らの醜態を晒さぬようゲームをしていること自体伏せていた。

しかし、現在フロアにいるのは自分ただ一人。気付けば同じく残業していた社員たちもいつの間にか帰社しフロアはパソコンの起動音や外の雑音のみで人の声は全くなかった。
こんな時間に誰か来るわけでもないという思いの中、花菜はデスクに置いたスマートフォンの画面をじっと眺めた。

(んー、今ならオフィスに誰もいないし、でももし誰か来たら・・・いや、ちょっとだけなら・・・大丈夫だよね?)

自身で自問自答しながら念の為辺りを何度も見渡し、誰もいないことを確認すると満を持して花菜はアプリを起動した。


「キャーーーーッ♡♡ユズきゅんーーっ!マジヤバいーッ!嬉しいーっ♡」

起動し早速イベント限定のガチャを回すといきなりのSSRカードが出現し、それだけでも嬉しかったのに推しキャラをゲット出来た花菜は、突如椅子から立ち上がり声を張り上げガッツポーズをきめ大歓喜に震えた。

オフィスにいることすら忘れるほどのテンションで、もしここが家なら軽く小躍りするほどの勢いだった。


「は、な・・・先輩?」

そんな状況下の中、まさかこんな時間にこのタイミングで人が入ってくるなど考えもしなかった。あれだけ辺りを見渡し、何度も人けがないのを確認したにも関わらず・・・しかも背後から名を呼んだ声は、毎日のように話す聞き慣れた人物のものだった。

大歓喜から一転、花菜は両手を上げガッツポーズのまま固まり血圧が一気に下がってしてしまうくらい顔面蒼白となってしまった。身を縮めながら恐る恐る背後にいる人物の方へゆっくり振り向いた。

そこにはオフィスの出入り口付近から唖然とした表情の燿太が某コーヒーショップの紙袋を持って立ち尽くしていた。あまりの衝撃に耀太自身、何度も目をパチパチさせこの状況を何とか正常脳に戻そうと必死だった。

「・・・えっと、さっきまで知り合いと近くで飯食ってて。帰る途中、会社の前通ったらフロアの電気付いてたんでもしかしてと思って・・・。とりあえず腹ごしらえにサンドイッチとコーヒーの差し入れを持って来たんで、よかったら」

にこりと微笑みながら燿太は紙袋を手に持ちゆっくりと花菜の方へと向かって歩いてきた。

花菜はこの状況に居心地悪さでいっぱいになり、小さな声で礼を告げる。正直、一秒でも早くこの場から立ち去りたい一心で一杯になりながらも出来ない状況の中、残りの資料を瀕死寸前になりながらも動揺を隠し何事もなかったかのようにパソコンへと向き直した。

耀太は花菜が鬼気迫る状態でパソコンのキーを打つ隣で自分のデスクに紙袋を置くと、中から購入した商品を取り出していた。

「いくら家近いからってちんたら遅くまでやりすぎですよ。だからさっき手伝うって言ったのに・・・あんまり無理するとほんと身体壊しますよ。はい、どうぞ」

耀太は自席に座り、花菜にサンドイッチとコーヒーを手渡してきた。

「・・・ごもっともです」

花菜は、呆れた表情を浮かべる後輩にばつの悪さから言葉少なめでもらったサンドイッチを小さく一口噛じる。昼以降何も食べていなかったため胃に染み渡るような感覚に襲われ思わずニヤけ美味しそうに頬張っているとそんな花菜を耀太は片肘をつき頬杖しながら嬉しそうに笑みを浮かべ眺めていた。

「あとどれ位ですか?」

耀太が花菜の座ってる席までキャスター付きの椅子を近づけ資料とパソコン画面を見比べていた。

「あー、あとここの入力だけか。残り俺やるんで先輩はそのまま飯食っててください」

申し訳なさから断る花菜に無言のまま耀太は立ち上がり、自分が座っていた椅子に花菜を座らせ、自分は花菜の椅子に腰かけた。耀太はパソコン画面に視線を向き直し、文字と数字を打ち込んでいく。タイピングは花菜よりも数段早いため、あっという間に資料のデータ入力を終わらせてしまった。

「上坂くん・・・は、早いね」

残りあと僅かだったとはいえ、耀太がやると15分弱で完了してしまった。

そもそも耀太は入社時から要領が良く営業の仕事も卒無くこなす為、社内外からの評価も高い。それにプラスして顔良し性格良しのため年上のお姉さんたちからは可愛がられ、同年代や後輩からも人気があるハイスペック男子だった。

当時、耀太のスキルを目の当たりにしていた花菜は、この飲み込みの早い後輩に教えることは初歩的なことだけであとは教えることはほとんどなかった。
そのため上司と相談しトレーナーを降りることを本人に伝えると何故か『まだまだ教えてもらうことがある』と鬼気迫る表情の耀太に圧倒されそのまま続行することとなった。


「花菜先輩、全部終わりましたよ」

手際良くあっという間に印刷しファイルに纏めた書類を花菜に手渡した。

「上坂くんほんとありがとう。今度差し入れ分と一緒にお礼させてもらうね」

花菜は先程の醜態を晒したことが脳内に過ぎり、パソコンの電源を切り慌てるように帰宅の準備を始めた。その様子に耀太は不敵な笑みを浮かべ花菜に近づく。

「お礼、今してください」

耀太はデスクに両手を付き花菜を挟むように閉じ込め見下ろした。花菜は一瞬何が起こってるか状況が掴めなかったが、急に真剣な眼差しで耀太に見つめられ思わず恥ずかしさが込み上げ視線を耀太から外した。

「冗談は止めて。しかもこんな体勢・・・今日はもう遅いし出来れば別日にしてくれない?」

花菜は冷静な態度を装い腕の隙間から逃げ出そうとしたが、今度は左の肩をグッと掴まれ抱き締めるよう覆い被ってきた。彼のスーツからほのかに香る香水に花菜は鼻腔を擽られドキリと心臓が跳ねた。

「こらっ!ちょっとホントいい加減にしないと本気で怒るわよ!」

「俺ん家に向かう電車、終電早くて今から駅向かっても間に合わないんですよねー。ってことで、先輩ん家に泊めてください♡」

耀太の唇が近づき耳元で囁かれた花菜は思わずビクッと身体が反応してしまった。普段、耀太から性的な雰囲気を絡ますような冗談めいたことは今までされたことがない。花菜自身も耀太は後輩としてしか見たことがなかったが、何故か今、男を感じさせる耀太を目の当たりにしたことで思わず顔がカッと熱くなってしまった。

「むっむっ、無理無理っ!!しかも泊めるなんて!電車が無理ならタクシーとかは?!」

「今、給料日前で金欠です」

「じゃあ貸し(たくても私も同じだった・・・)」

押し問答をしながらも花菜は耀太に離れてもらおうと胸を押し戻そうと抵抗するが、全くビクともしない。見た目華奢に見えていたが、ワイシャツ越しに触れた感触は普段から鍛えているのがわかるくらい引き締まった体つきをしていた。

「先輩のために頑張ったのに・・・じゃあいいです。どっかで野宿します。あー・・・明日午前中に結構大きい商談入ってたけどそんな状態じゃ睡眠もままならなくて難しい結果になるんだろうなー。俺のせいで会社に多大な損害与えちゃって出世街道からも外れちゃうんだろうなー。でも仕方ないです。先輩、お疲れ様でした」

「あ・・・上坂く」

耀太は花菜を解放すると鞄を手に取り溜息をつき踵を返すと、肩を落としながら出入りのドアに向かう。流石に、申し訳なく声を掛けようとした刹那、急にピタっと立ち止まった。耀太は、自分のスマートフォンを弄りながら振り向くと嘲笑うかのような笑みを零し花菜に画面を見せた。

「なっ!?」

画面からは先程花菜がガチャを引き踊躍歓喜の醜態が動画で撮られていた。

「いっ、いつの間にっ?!」

花菜は慌てて耀太の側に行きスーツの裾を引っ張りスマートフォンを取り上げようとするも、腕を上に持ち上げられ奪えないようにされてしまった。身長差もあるため花菜が何度もジャンプするも全く歯が立たなかった。

「いつもは大人しい先輩がこんなに燥いでる姿見たら皆さぞ吃驚びっくりするだろうな。じゃあ、寝る場所探さなきゃいけないんで俺、帰りますね」

「待って!待って!・・・た、確かに上坂くんがいなかったらまだ終わってなかったし、私のせいで帰りの電車も間に合わなくなっちゃったし・・・うっ、うちで良ければ・・・どうぞ」

花菜は引き攣る笑顔で耀太を再び引き止め、それと同時に交換条件で先程の動画の削除して欲しいと訴えた。

「んー・・・どうしようかなー。まぁ、それはあとで考えます♡じゃ、とりあえず先輩ん家行きましょ!ほらほら、早く帰る準備して下さい」

先程の肩を落とし暗い表情とは一転し、悪戯な薄笑いを浮かべ耀太は機嫌よく花菜の荷物を持って先に出て行ってしまった。
更に覇気を失くした花菜は、大きな深い溜息を吐きとぼとぼと重い足取りで後を追った。
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