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風が強まり、雲の流れが次第に速くなっていた。ベルーラは手で髪を押さえながら遠くへ視線を向けると、薄暗い雨雲がこちらへ向かってくるのが見えた。キリウは、ひとまず庭園内にあるガゼボへ向かうことにし、ベルーラの手を引いて歩き出した。
「当たり前だが、旧伯爵邸へ足を運ばなくなったことで王家との関係も途絶えた。それと同時に、私と会うことで過去の記憶が呼び起こされる恐れも考慮され、当面の間、ベルとの面会は見送られ婚約も一旦保留となった。もっとも形式上は保留だが、実質的には白紙に近い判断だった・・・まあ、ベルのことを思えば、当たり前の結論だったと思う」
歩きながら深く重い出来事を聞かされながらも、記憶を失っているベルーラにとって、それはどこか物語を読み聞かされているかのように現実味のないものだった。
「ベルは気づいていなかったが、私は一度だけ会いに行ったことがあるんだ。以前と変わらず元気にはしゃぐ姿を見られて安堵した一方で・・・自分の存在を忘れてしまったベルを目にするのは、やはり辛かったな」
「キリウ様・・・」
過去の出来事が脳裏をよぎったのか、苦笑を浮かべたキリウの表情は、どこか哀しげだった。
ベルーラは、言葉をかけることへの躊躇いを見せながらも、胸に残っていた疑問を口にした。
「あの・・・白紙状態だったのに、どうして再び正式に婚約を結ぶことになったんですか?」
ベルーラの問いかけに、キリウはわずかに目を伏せた。再び困ったような笑みを浮かべ、ぽつりと呟いた。
「幼いながらも、ベルを手放したくなかった・・・それが私の本心だ。だからこそ二度と同じ悲劇を繰り返さぬよう強くなり、ベルを護れる男になると誓って両家に懇願した」
当初は慎重な姿勢を崩さなかったモーリス子爵も、キリウの切実な願いに耳を傾け、ある条件を提示した上で最終的に承諾した。
「すぐに、というわけにはいかないが・・・二人を改めて会わせた時、ベルがフラッシュバックを起こさず、初対面として接することができれば婚約を戻す――そう約束してくれたんだ。もちろん、過去の出来事に触れたり、ベルに不信感を抱かせるような言動は慎むこと・・・婚約が決まった後もそれが条件として加えられた」
「それが、あのキリウ様のお誕生日会だったんですね」
ベルーラの脳裏に、あの日の記憶が蘇る。初対面だと思い込んでいた相手は、かつて交流のあった少年だった。
(そっか、だから私はキリウ様と初めてお会いした時から・・・)
「ふふ・・・」
「ベル?」
思わず微笑んだベルーラに対し、キリウは不思議そうな視線を向けた。
「キリウ様が私に対して距離を置いていらした理由が、理解できました。以前と同じ態度で接することで、私の記憶が戻る可能性を恐れていらしたんですね」
久しぶりに目にしたベルーラの自然な微笑みに、キリウは思わず頬が熱くなるのを感じた。気恥ずかしさを誤魔化すように軽く咳払いをし、そっと視線を逸らした。
「・・・あの頃の私は、あれが精一杯だった。ベルが過去を思い出してしまうのが怖かったし、かといって婚約を失う覚悟もなかった。どうすればいいのか分からず、付かず離れずの距離に逃げ続けた結果・・・ベルから婚約解消を告げられた」
ベルから告げられたあの日の言葉、好きな男性ができた・・・その瞬間、キリウはまるで死刑を宣告されたかのように、深い絶望の底へ叩き落とされた。
「頭が真っ白になった。ベルの気持ちを考えれば・・・解消してあげた方がいいのはわかっていた」
ベルーラの気持ちを尊重しなければならないと思う一方で、それを阻みたいという感情も捨てきれず、キリウはその狭間で悩み続けた。その苦悩は不眠となって表れ、心身の疲労からあの落馬事故へと繋がってしまった。
「偶発的とはいえ、あの事故のおかげで返事を先送りすることができた。それでも状況が変わるわけでもなく焦った私は・・・」
ベルーラの気持ちを少しでも自分に向けてもらうため、キリウは卑怯だと自覚しながらも、記憶障害を装うことを思いつき、これまでとは正反対の態度で接することにした。
「もしかしたらそのせいで記憶が蘇り、ベルを苦しませるかもしれない・・・そう頭では過ぎりながらも、私は己の欲を優先してしまった。ベルの気持ちをそっちのけにして・・・だからバチが当たったんだろうな」
ベルーラから二度目の婚約解消を告げられたキリウは、今度こそ腹を括り承諾しようとしていた矢先、ベルーラが再び暴漢に襲われてしまった。
「あんなに護ると誓ったのに・・・この有様だ。情けないやら腹立たしいやらで・・・」
「そんな、あれはキリウ様のせいではありません。それに小さい頃の事件だって」
ベルーラの言葉に力なく微笑を浮かべるキリウの姿を前に、自身の気持ちを整えるように軽く深呼吸した。
「私は、幼い頃からキリウ様にとってこの婚約は義務としての価値しかないのだと思っていました。他に想う女性がいらっしゃっても、弊害のせいで報われることが出来ない。貴方は真面目な方だから・・・だから私はキリウ様が解放され、少しでも前に進んで笑顔でいられるよう嘘をつきました」
「嘘?」
「はい、好きな人がいるから解消して欲しいと。そう言えば貴方は、義務という重しから解放してあげられるのではないか・・・これで障害もなくなり、晴れて王女様と幸せになれるんだと思ったのです」
初めはベルーラの言葉に耳を傾けていたキリウだったが、最後の一言に思わず目を見開き、言葉を失った。
「ちょ、ちょっ、待ってくれ。何故、私があの方と!?」
ベルーラは、晩餐会で起きた出来事──あの日、決定打となった瞬間をキリウに告げた。
「私はあの現場を見て、そう確信したんです・・・って思っていたんですが、えっとー・・・先ほどの流れだとマーヴェル様って・・・」
混乱気味のベルーラを尻目にキリウもまた頭を抱え、互いに盛大なため息をついた。
「・・・成長したベルと再会するのは、殿下にとってあの事件以来だったんだ。忘れられているのは分かっていたはずなのに、ベルの初対面のような振る舞いには、ショックが大きかったみたいなんだ。殿下が、私の前であんなふうに取り乱すお姿を見せるなんて正直、驚いたよ」
マーヴェル自身も長い間、距離を保ったままベルーラを見守り続けていたのだと明かされた。
「・・・それなのに私はやっぱり思い出せない。薄情ですよね」
「そんなことはない。きっとベルの中で心が壊れないよう防衛しているんだよ。無理に思い出す必要はない」
キリウはベルーラを自身へ引き寄せると、まるで壊れモノに触れるかのように優しく抱き締めた。
「嘘をついて、すまなかった。私の行動が、どれほどベルを傷つけていたかも気づかず、自分のことしか見えていなかった。それでも・・・それでも私は、ベルを手放したくない。これから先も・・・ずっと一緒にいたいんだ」
キリウの体温が、じんわりとベルーラに伝わってきた。時折、小さく震えるのを感じ、彼が泣いているのだと分かった。ベルーラは両手をそっとキリウの背に添えると赤ん坊をあやすように、軽く背中を撫でた。
「私の方こそ、キリウ様をこんなにも追い詰めていたなんて考えもしなかった・・・ごめんなさい。私たちはお互いの想いを言わなすぎましたね」
少し鼻先を赤くし、目に涙を浮かべたベルーラは、キリウに気づかれぬよう彼の胸元に顔を埋めた。キリウの本心に触れたことで、ベルーラは自身の胸に渦巻いていた蟠りが、静かに溶けていくのを感じた。
そんな、穏やかで甘い余韻にベルーラが余韻を噛みしめている一方で、キリウの表情にはほんの少しどこか影が残っていた。
「・・・ベル、一つ確認なんだが」
「なんですか?」
キリウは抱き締めていた手を緩め、ベルーラを自身からそっと離すと彼女に視線を落とした。
「先ほどの話に戻るが・・・、その・・・す、好きな男ができた、という話は・・・本当に、う、嘘なんだよな・・・?」
どこか不安げな表情で視線を彷徨わせ、躊躇いながら恐る恐るベルーラに尋ねた。キリウのその姿にベルーラは、気づかれぬよう思わず口元を緩めた。
「さあ・・・どうでしょうか。“嘘”とは申しましたが、キリウ様はこれまでずっと素っ気なかったですし、過去にお慕いしていた方がいたとしても、不思議ではありませんわよね・・・って、えッ!?あっ、ち、違います! じょ、冗談ですっ! 冗談ですからっ!!」
ほんの出来心で揶揄うつもりで、ベルーラはニヤリと笑いながら、ちらりとキリウの顔を見上げた・・・が、そこには想像以上に絶望と悲愴感に染まった表情があり、すぐさま慌てて否定した。
その言葉に安堵の表情を浮かべたかと思うと、何か思いついたのか、今度はキリウの方が少し意地悪な笑みを見せた。
「あぁ、酷いな。ベルが私の心を傷つけ、弄ぶような令嬢だったなんて」
「か、揶揄ったのは謝ります。ですから、そんな顔をなさらないでください」
キリウの子どものように少し拗ねた表情に、ベルーラは宥めるように改めて否定した。
困ったように慌てる彼女を見つめ、キリウはふっと小さく息をついた。次の瞬間、口角に微かな笑みを浮かべ、無言のまま静かに距離を詰めてきた。風で少し冷えたベルーラの両頬に手を挟むように添えると、視線を外されぬよう、そっと包み込んだ。
「え? キ、キリウさ──」
言葉を最後まで言わせることなく、綺麗な顔が近づいたと同時にベルーラの唇が塞がれた。
「ン・・・んん」
キリウの少し薄めの柔らかい唇が優しく啄み、次第に熱を帯びてゆく。キリウの舌先がべルーラの咥内へ熱を注ぎ、深く甘い余韻が身体中を駆け巡る。
ベルーラが離れようとするものなら、キリウは片手でベルーラの後頭部を押さえると動きを阻んだ。
「ん、キリ・・・待っ・・・・・・んー」
苦しげに揺れるベルーラの息遣いに気づいたキリウは、そっと力を緩め動きを止めた。
「ごめん・・・・・でも」
名残を惜しむように、キリウの唇がそっとベルーラから離れた。そのまま嬉しそうに表情を緩め、彼女の耳元へと口元を寄せた。
「これは、私を揶揄った罰だよ」
キリウは、耳元で艶のある低い声色で囁いた。ゆっくりとベルーラへ視線を向けた刹那、彼女は頬から耳元まで一気に熱が広がり、顔全体が朱に染まっていた。
「ベル・・・?」
ベルーラは口をぱくぱくさせるだけで言葉にならず、次の瞬間、ふにゃりと力を失った身体が前のめりに崩れた。
「わっ!ベルっ、大丈夫か!?」
キリウは慌てて抱きとめ、声をかけた。だが、ベルーラの意識は頭の中が真っ白になる感覚とともに、ゆっくりと遠のいていった。
しかし、その表情はとても幸せそうで、それはまるで甘い夢の続きを見ているかのようだった。
「当たり前だが、旧伯爵邸へ足を運ばなくなったことで王家との関係も途絶えた。それと同時に、私と会うことで過去の記憶が呼び起こされる恐れも考慮され、当面の間、ベルとの面会は見送られ婚約も一旦保留となった。もっとも形式上は保留だが、実質的には白紙に近い判断だった・・・まあ、ベルのことを思えば、当たり前の結論だったと思う」
歩きながら深く重い出来事を聞かされながらも、記憶を失っているベルーラにとって、それはどこか物語を読み聞かされているかのように現実味のないものだった。
「ベルは気づいていなかったが、私は一度だけ会いに行ったことがあるんだ。以前と変わらず元気にはしゃぐ姿を見られて安堵した一方で・・・自分の存在を忘れてしまったベルを目にするのは、やはり辛かったな」
「キリウ様・・・」
過去の出来事が脳裏をよぎったのか、苦笑を浮かべたキリウの表情は、どこか哀しげだった。
ベルーラは、言葉をかけることへの躊躇いを見せながらも、胸に残っていた疑問を口にした。
「あの・・・白紙状態だったのに、どうして再び正式に婚約を結ぶことになったんですか?」
ベルーラの問いかけに、キリウはわずかに目を伏せた。再び困ったような笑みを浮かべ、ぽつりと呟いた。
「幼いながらも、ベルを手放したくなかった・・・それが私の本心だ。だからこそ二度と同じ悲劇を繰り返さぬよう強くなり、ベルを護れる男になると誓って両家に懇願した」
当初は慎重な姿勢を崩さなかったモーリス子爵も、キリウの切実な願いに耳を傾け、ある条件を提示した上で最終的に承諾した。
「すぐに、というわけにはいかないが・・・二人を改めて会わせた時、ベルがフラッシュバックを起こさず、初対面として接することができれば婚約を戻す――そう約束してくれたんだ。もちろん、過去の出来事に触れたり、ベルに不信感を抱かせるような言動は慎むこと・・・婚約が決まった後もそれが条件として加えられた」
「それが、あのキリウ様のお誕生日会だったんですね」
ベルーラの脳裏に、あの日の記憶が蘇る。初対面だと思い込んでいた相手は、かつて交流のあった少年だった。
(そっか、だから私はキリウ様と初めてお会いした時から・・・)
「ふふ・・・」
「ベル?」
思わず微笑んだベルーラに対し、キリウは不思議そうな視線を向けた。
「キリウ様が私に対して距離を置いていらした理由が、理解できました。以前と同じ態度で接することで、私の記憶が戻る可能性を恐れていらしたんですね」
久しぶりに目にしたベルーラの自然な微笑みに、キリウは思わず頬が熱くなるのを感じた。気恥ずかしさを誤魔化すように軽く咳払いをし、そっと視線を逸らした。
「・・・あの頃の私は、あれが精一杯だった。ベルが過去を思い出してしまうのが怖かったし、かといって婚約を失う覚悟もなかった。どうすればいいのか分からず、付かず離れずの距離に逃げ続けた結果・・・ベルから婚約解消を告げられた」
ベルから告げられたあの日の言葉、好きな男性ができた・・・その瞬間、キリウはまるで死刑を宣告されたかのように、深い絶望の底へ叩き落とされた。
「頭が真っ白になった。ベルの気持ちを考えれば・・・解消してあげた方がいいのはわかっていた」
ベルーラの気持ちを尊重しなければならないと思う一方で、それを阻みたいという感情も捨てきれず、キリウはその狭間で悩み続けた。その苦悩は不眠となって表れ、心身の疲労からあの落馬事故へと繋がってしまった。
「偶発的とはいえ、あの事故のおかげで返事を先送りすることができた。それでも状況が変わるわけでもなく焦った私は・・・」
ベルーラの気持ちを少しでも自分に向けてもらうため、キリウは卑怯だと自覚しながらも、記憶障害を装うことを思いつき、これまでとは正反対の態度で接することにした。
「もしかしたらそのせいで記憶が蘇り、ベルを苦しませるかもしれない・・・そう頭では過ぎりながらも、私は己の欲を優先してしまった。ベルの気持ちをそっちのけにして・・・だからバチが当たったんだろうな」
ベルーラから二度目の婚約解消を告げられたキリウは、今度こそ腹を括り承諾しようとしていた矢先、ベルーラが再び暴漢に襲われてしまった。
「あんなに護ると誓ったのに・・・この有様だ。情けないやら腹立たしいやらで・・・」
「そんな、あれはキリウ様のせいではありません。それに小さい頃の事件だって」
ベルーラの言葉に力なく微笑を浮かべるキリウの姿を前に、自身の気持ちを整えるように軽く深呼吸した。
「私は、幼い頃からキリウ様にとってこの婚約は義務としての価値しかないのだと思っていました。他に想う女性がいらっしゃっても、弊害のせいで報われることが出来ない。貴方は真面目な方だから・・・だから私はキリウ様が解放され、少しでも前に進んで笑顔でいられるよう嘘をつきました」
「嘘?」
「はい、好きな人がいるから解消して欲しいと。そう言えば貴方は、義務という重しから解放してあげられるのではないか・・・これで障害もなくなり、晴れて王女様と幸せになれるんだと思ったのです」
初めはベルーラの言葉に耳を傾けていたキリウだったが、最後の一言に思わず目を見開き、言葉を失った。
「ちょ、ちょっ、待ってくれ。何故、私があの方と!?」
ベルーラは、晩餐会で起きた出来事──あの日、決定打となった瞬間をキリウに告げた。
「私はあの現場を見て、そう確信したんです・・・って思っていたんですが、えっとー・・・先ほどの流れだとマーヴェル様って・・・」
混乱気味のベルーラを尻目にキリウもまた頭を抱え、互いに盛大なため息をついた。
「・・・成長したベルと再会するのは、殿下にとってあの事件以来だったんだ。忘れられているのは分かっていたはずなのに、ベルの初対面のような振る舞いには、ショックが大きかったみたいなんだ。殿下が、私の前であんなふうに取り乱すお姿を見せるなんて正直、驚いたよ」
マーヴェル自身も長い間、距離を保ったままベルーラを見守り続けていたのだと明かされた。
「・・・それなのに私はやっぱり思い出せない。薄情ですよね」
「そんなことはない。きっとベルの中で心が壊れないよう防衛しているんだよ。無理に思い出す必要はない」
キリウはベルーラを自身へ引き寄せると、まるで壊れモノに触れるかのように優しく抱き締めた。
「嘘をついて、すまなかった。私の行動が、どれほどベルを傷つけていたかも気づかず、自分のことしか見えていなかった。それでも・・・それでも私は、ベルを手放したくない。これから先も・・・ずっと一緒にいたいんだ」
キリウの体温が、じんわりとベルーラに伝わってきた。時折、小さく震えるのを感じ、彼が泣いているのだと分かった。ベルーラは両手をそっとキリウの背に添えると赤ん坊をあやすように、軽く背中を撫でた。
「私の方こそ、キリウ様をこんなにも追い詰めていたなんて考えもしなかった・・・ごめんなさい。私たちはお互いの想いを言わなすぎましたね」
少し鼻先を赤くし、目に涙を浮かべたベルーラは、キリウに気づかれぬよう彼の胸元に顔を埋めた。キリウの本心に触れたことで、ベルーラは自身の胸に渦巻いていた蟠りが、静かに溶けていくのを感じた。
そんな、穏やかで甘い余韻にベルーラが余韻を噛みしめている一方で、キリウの表情にはほんの少しどこか影が残っていた。
「・・・ベル、一つ確認なんだが」
「なんですか?」
キリウは抱き締めていた手を緩め、ベルーラを自身からそっと離すと彼女に視線を落とした。
「先ほどの話に戻るが・・・、その・・・す、好きな男ができた、という話は・・・本当に、う、嘘なんだよな・・・?」
どこか不安げな表情で視線を彷徨わせ、躊躇いながら恐る恐るベルーラに尋ねた。キリウのその姿にベルーラは、気づかれぬよう思わず口元を緩めた。
「さあ・・・どうでしょうか。“嘘”とは申しましたが、キリウ様はこれまでずっと素っ気なかったですし、過去にお慕いしていた方がいたとしても、不思議ではありませんわよね・・・って、えッ!?あっ、ち、違います! じょ、冗談ですっ! 冗談ですからっ!!」
ほんの出来心で揶揄うつもりで、ベルーラはニヤリと笑いながら、ちらりとキリウの顔を見上げた・・・が、そこには想像以上に絶望と悲愴感に染まった表情があり、すぐさま慌てて否定した。
その言葉に安堵の表情を浮かべたかと思うと、何か思いついたのか、今度はキリウの方が少し意地悪な笑みを見せた。
「あぁ、酷いな。ベルが私の心を傷つけ、弄ぶような令嬢だったなんて」
「か、揶揄ったのは謝ります。ですから、そんな顔をなさらないでください」
キリウの子どものように少し拗ねた表情に、ベルーラは宥めるように改めて否定した。
困ったように慌てる彼女を見つめ、キリウはふっと小さく息をついた。次の瞬間、口角に微かな笑みを浮かべ、無言のまま静かに距離を詰めてきた。風で少し冷えたベルーラの両頬に手を挟むように添えると、視線を外されぬよう、そっと包み込んだ。
「え? キ、キリウさ──」
言葉を最後まで言わせることなく、綺麗な顔が近づいたと同時にベルーラの唇が塞がれた。
「ン・・・んん」
キリウの少し薄めの柔らかい唇が優しく啄み、次第に熱を帯びてゆく。キリウの舌先がべルーラの咥内へ熱を注ぎ、深く甘い余韻が身体中を駆け巡る。
ベルーラが離れようとするものなら、キリウは片手でベルーラの後頭部を押さえると動きを阻んだ。
「ん、キリ・・・待っ・・・・・・んー」
苦しげに揺れるベルーラの息遣いに気づいたキリウは、そっと力を緩め動きを止めた。
「ごめん・・・・・でも」
名残を惜しむように、キリウの唇がそっとベルーラから離れた。そのまま嬉しそうに表情を緩め、彼女の耳元へと口元を寄せた。
「これは、私を揶揄った罰だよ」
キリウは、耳元で艶のある低い声色で囁いた。ゆっくりとベルーラへ視線を向けた刹那、彼女は頬から耳元まで一気に熱が広がり、顔全体が朱に染まっていた。
「ベル・・・?」
ベルーラは口をぱくぱくさせるだけで言葉にならず、次の瞬間、ふにゃりと力を失った身体が前のめりに崩れた。
「わっ!ベルっ、大丈夫か!?」
キリウは慌てて抱きとめ、声をかけた。だが、ベルーラの意識は頭の中が真っ白になる感覚とともに、ゆっくりと遠のいていった。
しかし、その表情はとても幸せそうで、それはまるで甘い夢の続きを見ているかのようだった。
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