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第3回:デバッグアイが捉えた、隣の美少女の「中身」
しおりを挟む結局、一睡もできなかった。
豪華な天蓋付きのベッドに横たわってはみたものの、目を閉じればエリザベートの絶望に満ちた顔が浮かび、目を開ければデバッグ画面の膨大な数値が網膜を焼きに来る。
俺は一晩中、彼女の現在地を示す座標と、その周囲のエンカウント率、さらには天候データまでをも監視し続けた。
(……ふふ、ふふふ。国境付近の天候、『晴れ』に固定完了。これで彼女が雨に濡れて風邪を引く心配はない。さらに、道中の野生の猪の攻撃力を『マイナス九十パーセント』に書き換えておいた。もはや今の猪は、突進してきてもちょっと強めのマッサージをしてくれるだけの毛玉だ)
目の下にクマを作り、虚空を見つめながら不敵に笑う王子。
端から見れば、婚約者を追い出して狂ったサイコパスにしか見えないだろう。
だが、俺の心は充実感に満ちていた。これがオタクの、そしてデバッガーの愛の形だ。
たとえ直接会えなくても、俺は世界の理を捻じ曲げて彼女を甘やかす。
そんな俺の「自由時間」を告げる鐘が鳴り、部屋の扉がノックされた。
「ヴィンセント様、お早うございます。ミリアがお迎えに上がりましたよ」
その声を聞いた瞬間、俺の身体がバネ仕掛けの人形のように跳ね起きた。
心拍数が跳ね上がり、顔の筋肉が勝手に「恋に落ちた男の顔」へと成形されていく。
(来た。化け物……いや、この世界の自称メインヒロイン、聖女様だ)
扉が開き、朝日を背負ってミリアが入ってきた。
昨晩の夜会とは打って変わって、清楚な白を基調とした神殿の法衣に身を包んでいる。
揺れる金髪、潤んだ瞳、そして慈愛に満ちた微笑み。
本来のゲームなら、プレイヤーが「守りたい、この笑顔」と呟くべき決定的な瞬間だ。
「おはよう、ミリア。朝から君に会えるなんて、今日は素晴らしい一日になりそうだ」
俺の口が、デロデロに甘い言葉を吐き出す。
ミリアは頬を染め、恥ずかしそうに俯いた。
……が、俺の「デバッグアイ」は、その可憐な仕草の裏側にある「真実」を無慈悲に暴き出す。
(さて、昨日はパニックで見逃した部分も多い。じっくり見せてもらおうか、お前の「中身」ってやつをな……)
俺は微笑みを絶やさぬまま、網膜に浮かぶウィンドウの解像度を上げた。
【名称:ミリア(精神寄生体・幼体)】
【レベル:999(偽装:10)】
【属性:虚無・侵食】
【状態:擬態、捕食モード】
まずレベルがおかしい。カンストしてやがる。
聖女の皮を被った魔王どころの話じゃない。世界を滅ぼすラスボスが初期村に遊びに来たレベルの絶望感だ。
さらに視線を彼女の「肉体」に集中させる。
普通の人間には、彼女は白く透き通るような肌を持った美少女に見えるだろう。
だが、デバッグアイを通した俺の視界では、彼女の輪郭は絶えず波打ち、黒いヘドロのような液体が人の形を保とうと必死に蠢いているのが見える。
心臓があるべき位置には、真っ赤な眼球が一つ、キョロキョロと不気味に周囲を伺っていた。
(うわ……。心臓の代わりに目玉。センス悪すぎだろ。どんなデザイナーが設定したんだよ)
さらに驚愕すべきは、彼女の「影」だった。
窓から差し込む朝日によって、彼女の影が床に伸びている。
だが、その影は少女の形をしていない。
無数の触手がうねり、いくつもの「口」が並んだ、巨大な蜘蛛かイソギンチャクのような異形の影。
その触手の一部は、いまだに俺の首筋に、そして部屋の隅に控える侍女たちの足元へと、神経系のように細く長く伸びていた。
「ヴィンセント様? どうかなさいましたか? そんなにミリアを見つめて……。恥ずかしいです」
ミリアが可愛らしく小首を傾げる。
だが、その「目」の奥で、彼女の影にある「口」が、グチャリと唾液のようなものを垂らしたのが見えた。
彼女は俺を愛しているのではない。
俺という「高エネルギーの餌」が、どれだけ脂が乗っているかを査定しているだけだ。
「……いや、あまりの美しさに、時を忘れて見惚れてしまったよ。君は、太陽よりも眩しい」
俺のセリフ、座布団一枚。
心の中では「化け物の腹の中が見えて食欲が失せました」と言いたいが、今はまだ我慢だ。
ミリアは嬉しそうに俺の腕に抱きついてきた。
その瞬間、首筋の触手がピリリと熱を帯び、俺の精神力が吸い取られていくのがステータスバーで可視化される。
【警告:MPが継続的に減少しています。侵食率上昇中】
(おいおい、朝の挨拶だけでこれかよ。ブラック企業の残業より過酷だぞ)
俺はミリアにエスコートされながら、朝食の間へと向かう。
歩くたびに、彼女の影が生き物のように壁を這い、廊下に飾られた美術品や花瓶を「舐める」ようにして通り過ぎる。
彼女が通り過ぎた後、それらの品々は目に見えて輝きを失い、生けてあったバラは一瞬で萎れて枯れた。
周囲の侍女たちは魅了されているため、その異常に気づきもしない。
食堂に到着すると、そこにはすでに国王と第二王子、第三王子が席に着いていた。
俺の「弟たち」だ。
ゲームではそれぞれ個性的で魅力的な攻略対象(ターゲット)だったはずの彼ら。
だが、今の彼らの姿を見て、俺は思わず絶句した。
(なんだよ、これ……。地獄絵図かよ)
国王の頭上には、巨大な蜘蛛の巣のような紋様が張り巡らされ、全身が青白くなっている。
第二王子(熱血騎士キャラ)は、食事もせずに一点を見つめ、「ミリア様、ミリア様……」と呪文のように呟いている。
第三王子(インテリ眼鏡キャラ)にいたっては、ミリアが部屋に入ってきた瞬間に椅子から転げ落ち、彼女の靴に口づけをせんばかりの勢いで跪いた。
「おはよう、お父様、弟たち。今日もミリアは美しいね」
俺の声が、狂った空間に溶け込む。
国王は力なく笑い、虚ろな目で頷いた。
「ああ、ヴィンセント。ミリア殿こそが、この国の救い主だ。彼女の言うことは絶対だ。……そうだ、昨日追放したエリザベートの件だが、彼女の生家の資産もすべて、神殿の……いや、ミリア殿の活動資金として寄付させることにしたよ」
(はあ!? 公爵家の資産を全部没収した上にミリアに渡す!? それ、エリザベートへの嫌がらせ以前に、国家予算の私物化だろ! 経済破綻するぞ、この国!)
俺の心の中の理性が叫びを上げるが、口から出るのは「素晴らしい名案ですね、父上」という肯定の言葉だけだ。
ミリアは「まあ、皆様。私、そんなにお金をいただいても困ってしまいますわ」と謙遜してみせるが、その背中の影は歓喜に震え、周囲のエネルギーをさらに激しく吸い込んでいる。
俺はデバッグアイで、彼らのステータスを次々とスキャンした。
【対象:国王、魔法師団長、騎士団長】
【状態:魅了(深度:極大)】
【支配スロット:1、2、3】
第二王子:魅了(軽度) 第三王子:魅了(軽度)
そして、自分のステータスを見る。
【支配スロット:4】
これが、昨日気付いた「魅了スロット」の正体だ。
ミリアが持つ「同時支配枠」は全部で七つ。
現在、この国の主要な権力者のうち四人が、完全に彼女の手中に収まっている。
兄弟達はまだ軽いが全く抵抗できていないようだ。
残りの三枠が埋まった時、おそらくこの国は、物理的な意味でも「完食」されるだろう。
(……なるほどな。こいつは、この世界を『攻略』してるんだ。プレイヤーの俺たちがゲームを楽しむように、この化け物は効率的に、一番美味しいところから国を食い荒らしている)
そして、エリザベートが追放された理由も、より明確になった。
彼女の持つ「不変の魂」は、ミリアにとってこのスロットを埋めることができない「空領域(デッドスペース)」なのだ。
支配できない駒は、盤上から取り除く。
それがこの「ゲーム」のルール。
(なら、俺の役割は決まった)
俺は、運ばれてきたスープを口に運んだ。
味はしない。ミリアに味覚のエネルギーすら奪われているのかもしれない。
それでも、俺は心の中で笑った。
(俺は、このスロットの『四番目』として、こいつの腹の中に居座り続けてやる。魅了されているフリをして、内側からシステムをバグらせ、こいつの『攻略計画』をめちゃくちゃにしてやるんだ)
ミリアが俺の視線に気づき、小首を傾げた。
「ヴィンセント様? 何か、私に言いたいことでもありますか?」
「ああ、もちろんだよ、ミリア。……君とエリザベートを比べたのが間違いだった。あんな女、君の足元にも及ばない。君こそが、俺のすべてだ」
最悪の嘘。
世界で一番大嫌いな奴への、甘い愛の告白。
ミリアは「うれしい!」とはしゃぎ、俺の首筋の触手が満足げに脈動した。
(食えよ。今のうちに好きなだけ、俺の偽りの愛情を食っておけ)
俺は、デバッグ画面の隅で、エリザベートの座標が安全な速度で移動し続けているのを確認した。
彼女を守るためなら、俺は喜んでこの化け物の「お気に入り」でいてやろう。
俺の精神力(MP)が尽きるのが先か、俺がこいつの急所をハックするのが先か。
デバッグ開始から、二日目の朝。
俺は、隣で無邪気に笑うバケモノの喉元に、見えない牙を剥いた。
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