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第10回:朝食は毒入りか、それとも魅了入りか
しおりを挟む豪華絢爛な食堂。白磁の器に盛られた料理の数々は、どれも芸術品のようだが、俺にとっては地獄のメニュー表にしか見えない。
この国の王族として、朝の公式な食事は欠かせない儀式だ。だが、今の俺にとってこの時間は、聖女ミリアという名の猛毒を「ご馳走」として振る舞われる拷問の時間に等しかった。
「ヴィンセント様、今日は特別に私が調合したハーブスープを用意いたしましたの。お疲れの貴方に、精霊の慈悲が届きますように」
ミリアが、慈愛に満ちた微笑みを浮かべながらスープ皿を差し出す。
金髪を揺らし、無垢な少女のように振る舞うその指先には、俺の「デバッグアイ」が捉えた不気味なノイズが絡みついていた。
(……はい、出ました。本日の『精霊の慈悲』。デバッグアイ、解析開始!)
俺は優雅に椅子に座り、スープの湯気を確認するふりをして網膜にウィンドウを展開した。
【名称:聖女の特製スープ】
【カテゴリー:毒物/呪具】
【主成分:精神寄生体の体液(三パーセント)、麻痺草、幻覚茸の抽出液】
【効果:精神侵食率の上昇(+十五パーセント)、痛覚の遮断、思考の鈍化】
(……うん、知ってた。安定の『毒入り』だ。というか、もはや食事じゃなくて、脳を溶かすための化学兵器だろこれ。体液ってなんだ、体液って。お前の触手から滲み出たヘドロでも混ぜたのか?)
俺の心の中のツッコミは止まらないが、表面上は最高に幸せそうな王子の笑顔を作らなければならない。
隣では、第二王子と第三王子の弟たちが、すでに同じスープを「美味しい、美味しい」と熱狂的な顔で啜っている。彼らの瞳は完全に焦点が合っておらず、口角からは不自然な涎が垂れていた。
「ヴィンセント様? 冷めないうちに召し上がってくださいな。私の愛がたっぷり詰まっているのですよ?」
ミリアの背後の影から、無数の「口」がクスクスと笑う気配がした。
彼女は俺を試している。俺が完全に支配されているなら、この毒スープを何の疑いもなく飲み干し、さらに思考を停止させるはずだ。
もしここで拒絶すれば、「正気に戻りかけている」と判断され、即座に致命的な「修正」が入るだろう。
(やるしかない……! 俺のオタク人生で培った、激辛ラーメン完食の根性を見せてやる!)
俺は震える手でスプーンを取り、澄んだ琥珀色のスープを掬った。
見た目は完璧に美味しそうだ。だが、一口口に含んだ瞬間、脳を直接電気ショックで殴られたような衝撃が走った。
「……っ、ああ、なんて素晴らしい味だ。ミリア、君の愛が身体の芯まで染み渡るようだ。こんなに温かいスープは、生まれて初めてだよ」
俺の口が、デタラメな賛辞を吐き出す。
内側では、凄まじい嘔吐感と戦っていた。スープが食道を通り、胃に落ちた瞬間、そこから毒素が血管を通じて脳へと駆け上がるのがわかる。
【警告:精神侵食の急速な進行を確認。プレイヤー意識の維持が困難になります】
(デバッグアイ! 全権限行使! 成分データの『上書き』を開始しろ! 毒性パラメータを一時的に『刺激物(唐辛子)』に置換、さらに精神への作用を『眠気』としてコメントアウトしろ!)
俺は意識の奥底で、必死にキーボードを叩くようなイメージで数値を弄り回した。
システム・ディレイの零コンマ零五秒。その極小の隙間を縫って、毒の性質を物理的な「辛味」へと強引に変換する。
「ごほっ……! はぁ、はぁ……。少し、刺激が強かったかな。君の情熱が、火を噴くように熱いよ、ミリア」
俺は涙目になりながら、なんとかスープを飲み干した。
実際には毒による麻痺が起きているのだが、俺のデバッグによってそれは「あまりの辛さに悶絶している」という形に偽装された。
「あら、ヴィンセント様ったら。そんなに興奮してくださるなんて。ふふ、貴方のそんな顔、大好きだわ」
ミリアが満足げに俺の頬を撫でる。その指から伝わる冷気が、スープの熱さを無理やり中和しようとして、俺の脳内は熱帯と極地が交互に来るような地獄絵図と化した。
(……耐えた。なんとか、脳を焼かれずに済んだ。だがMPの消費がエグい……。これ一食で、一日分の体力が半分持っていかれるぞ……)
俺はふらつく身体を悟られないように椅子に預け、意識の端でエリザベートの様子をチェックした。
俺が毒を啜っている間も、俺の最推し(婚約者)は生き抜くために戦っているはずだ。
視界の端、北の国境付近。
そこには、俺が「廃棄物」として横流しした高栄養の保存食を、焚き火で温めているエリザベートの姿があった。
彼女は周囲の兵士たちに警戒しながらも、一口、また一口と、俺が贈った「愛の塊(干し肉)」を口に運んでいた。
【対象:エリザベート】
【状態:栄養状態の改善(中)、混乱継続中】
【思考:……この味、王宮の料理長が作っていたものに酷似しているわ。どうして、こんな不法投棄場に……?】
(よし、食ってるな! いいぞエリザベート、しっかり食え! それは本来、俺の朝食に出るはずだった特等級の備蓄品だ。お前の血肉になってくれるなら、俺がここで毒スープを三杯おかわりしたって安いもんだ!)
画面の中のエリザベートが、ふと、空を見上げた。
彼女の視線の先には、俺がいる王都がある。
その瞳には、俺への憎しみと、拭いきれない疑問が混ざり合っていた。
(ごめんな、エリザベート。今はまだ、毒を食らって笑顔を作るしかできないんだ。でも、お前がそこで生き延びて、いつか俺の喉笛に剣を突き立てるその日まで、俺は全力でこのクソゲーをバグらせ続けてやるからな)
ミリアが俺の肩に手を置き、耳元で囁いた。
「ねえ、ヴィンセント様。食後の運動に、一緒にお散歩しましょう? ……あそこなら、誰にも邪魔されずに、貴方の心をゆっくりと『解剖』してあげられますもの」
(……はい、二次災害発生。散歩という名の更なる精神侵食タイムだ。勘弁してくれよ、俺の残りHPはもう真っ赤なんだぞ)
俺は「喜んで、私の女神(ミリア)」と答え、震える足で立ち上がった。
隣で抜け殻のようにスープを飲み干した弟たちの虚ろな視線を背中に受けながら、俺は冷酷な王子の仮面を深く被り直す。
毒だろうが魅了だろうが、持ってこい。
俺がデバッガーである限り、この世界の理は俺の掌の上で弄んでやる。
俺はミリアのエスコート役として、地獄の庭園へと一歩を踏み出した。
その背中で、デバッグアイの経験値バーが、苦痛を糧に音を立てて上昇していった。
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