婚約破棄された公爵令嬢は、偽りの魔王を討ち果たす ―クズ王子に転生した俺、世界を騙して君を救う―

ぱすた屋さん

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第17回:野犬の攻撃力を九十パーセントカットしてみた

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 聖女ミリアが俺の肩に頭を乗せ、機嫌良さそうに鼻歌を歌っている。
 王宮のサンルーム。降り注ぐ午後の陽光は暖かく穏やかだ。

 だが、俺の精神状態は、極寒の北限で裸で立たされているような緊張感に包まれていた。

「ねえ、ヴィンセント様。あの方が今、どこでどんな無様な顔をしているか、私、気になって夜も眠れませんの」

 ミリアの甘ったるい声。
 彼女の影から伸びた黒い触手が、俺の足元でトカゲのように蠢いている。

「……ふん、あんな女、今頃はどこかの野犬に喉笛でも食い破られているだろう。せいぜい、死に際の苦しみがミリアの糧になればいいんだがな」

 俺の口が、クズの極みのような言葉を吐き出す。
 その裏側で、俺の網膜には俺だけにしか見えない青いウィンドウが火花を散らしていた。

(……笑わせるな、このバケモノが。エリザベートは今、俺がハックした最強のブーツでしっかりと雪山を踏破しているんだよ。お前の望むような絶望なんて一滴も零させてたまるか!)

 デバッグアイ、遠隔同期完了。
 視界の端に映し出されたのは、吹雪の中を歩くエリザベートの姿だった。

 彼女は今、北の国境を越え、魔物が徘徊する『嘆きの平原』へと差し掛かっている。
 そこへ、吹雪の向こうから、燃えるような赤い目をした獣の一団が姿を現した。

【エネミー名:ブラッド・ウルフ(野犬種)】
【レベル:12】
【個体数:8】
【状態:飢餓、興奮】

(……げっ。よりによってブラッド・ウルフかよ。数が多い上に、連携攻撃を得意とする厄介な連中だ)

 エリザベートは、俺が送った軍用ブーツのおかげで足元は安定しているが、装備しているのは護身用の小さな短剣一本だけだ。
 対するブラッド・ウルフは、集団で獲物を囲み、同時に飛びかかってくる。
 いくら彼女が公爵令嬢として最低限の武芸を嗜んでいるとはいえ、八頭の連携を捌き切るのは不可能だ。

 画面の中のエリザベートが、短剣を構えて身を低くする。
 その額に、冷や汗が流れる。

『……くっ、こんなところで……』

 彼女の掠れた声が聞こえる。
 ブラッド・ウルフのリーダーが、咆哮を上げた。
 それを合図に、三頭の狼が同時に彼女へ向かって跳躍した。

(させない……! 俺の推しに傷一つ付けさせてたまるか! デバッグアイ、ハック開始!)

 俺はミリアに抱きつかれながら、思考を加速させる。
 システム・ディレイ、零コンマ零五秒。
 俺の意志が、世界の理(システム)を書き換えるための唯一の隙間。

(ターゲット:エリア内の全ブラッド・ウルフ。項目:物理攻撃力。……書き換えろ! 現在値の『マイナス九十パーセント』に固定!)

 脳を焼くような熱い衝撃が走る。
 視界に赤い警告が点滅するが、強引にエンターキーを叩くイメージで入力を完了させる。

【警告:エネミーデータの不自然な変動を確認】
【判定:第一王子の『破壊衝動』による魔力の乱れとして処理。適用します】

(……はぁ!? 俺の破壊衝動!? まあいい、理由なんてなんだっていい! 通れば勝ちだ!)

 画面の中。
 エリザベートの肩に、一頭の狼が鋭い牙を突き立てた。

 しかし。

『……え?』

 エリザベートが、呆然とした声を漏らす。
 狼の牙は、彼女の肌を裂くどころか、まるで甘噛みでもされたかのようにポフッと弾かれた。

 他の狼たちが次々と彼女に飛びかかり、喉笛や腕を狙って噛みつく。
 だが、どれだけ噛まれても、どれだけ鋭い爪で引き裂かれても、エリザベートのドレスには傷一つ付かない。

 それどころか、狼たちが必死に噛みつけば噛みつくほど、なんだかエリザベートが擽ったそうに身を捩っているようにさえ見える。

(よし! 攻撃力九十パーセントカット……。今の狼たちは、ただの『少し勢いのある大型犬』だ。エリザベート、今だ! あいつらを蹴散らせ!)

 状況が理解できず混乱していたエリザベートだったが、自分にダメージがないと分かると、即座に反撃に転じた。

 彼女は短剣を振るい、怯んだ狼の首筋を的確に突く。
 攻撃力を奪われた狼たちは、自慢の俊敏さも生かせず、次々と雪原に沈んでいった。

『……不思議。どうして、私……。……この子たちの牙、まるで力がこもっていないみたい』

 最後の狼が逃げ出していくのを見送り、エリザベートは自分の手を見つめた。

【対象:エリザベート】
【状態:生存、無傷、混乱】
【獲得経験値:大幅上昇】
【レベルアップ:Lv.11→Lv.13】

(よっしゃあああ! レベルアップおめでとう! 無傷の勝利だ!)

 俺は心の中でガッツポーズをした。
 鼻からツゥ、と熱い液体が垂れるのを感じたが、それはいつもの代償だ。

「ヴィンセント様? どうしたのですか? なんだか……とっても楽しそうなお顔をして」

 ミリアが、不審そうに俺の顔を覗き込んできた。
 俺は慌てて鼻血を手の甲で拭い、冷酷な笑みを貼り付けた。

「ああ、何でもない。……ただ、あの女が今頃、無残に食い殺されているシーンを想像して、あまりの快感に鼻血が出てしまっただけだよ。……ミリア、君の愛が深すぎて、俺の興奮も抑えきれないようだ」

「まあ、ヴィンセント様ったら! 本当に変態さん。……でも、そういう素直なところ、嫌いじゃありませんわよ」

 ミリアが俺の頬を舐めるようにして笑う。
 その冷たい感触に、俺は全身が泡立つような嫌悪感を感じた。

 だが、俺の視界の端では、レベルアップしたエリザベートが、吹雪の中をさらに力強く歩き出している。

(……これでいい。俺はいくらでも変態扱いされてやる。お前が強くなって、俺を殺しに来るその日まで……この世界の難易度(イージーモード)は、俺が管理し続けてやるからな)

 俺は鼻血を拭った手でミリアの腰を強く抱き寄せた。
 
 鼻を焼くような魔力の残滓。
 脳内を直接弄られるような不快感。
 それでも、俺は笑い続ける。

 孤独なデバッガーの戦いは、まだ始まったばかりなのだ。


【デバッグアイの経験値を獲得】
【レベルアップまで残り:四百】
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