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第1章
【対応記録:第06回】
しおりを挟む練馬区立・桜ヶ丘公園。かつては週末ともなれば家族連れの笑い声が絶えなかったその場所は、今や幾重にも張り巡らされた黄色い立ち入り禁止テープと、物々しいバリケードによって封鎖されていた。
広場の中央、樹齢数十年はあろうかという大きな欅の木の傍らに、それは鎮座していた。
「……あれが、お客様ですか」
久我は、ギルドから支給された安物の腕章をスーツの袖に付け直し、バリケードの外側からその巨体を見上げた。
スタチュー・ボア。全長五メートルを超える巨大な猪の魔物だ。鋼のような質感の毛並み、左右に突き出した巨大な牙は、ダンプカーをも容易に紙屑に変えるだろう。
何より特徴的なのは、その名の通り、彫像(スタチュー)のように微動だにしないその姿勢だった。
「おい、そこ。一般人は立ち入るな!」
背後から鋭い怒鳴り声が飛んだ。振り返ると、そこには最新鋭のタクティカル・ベストに身を包み、大太刀を背負った三人の男女がいた。
「私はギルドの者です。現場の一次対応に参りました」
久我は、慣れた手つきで身分証を提示する。
「現場対応課? ……ああ、あのゴミ溜めの苦情係か。冗談だろ」
リーダー格の男が鼻で笑った。
「俺たちはCランクパーティ『アイアン・フィスト』だ。ギルドから排除要請を受けて三度挑んだが、あいつの防御力は異常だ。こちらの攻撃が当たった瞬間に猛り狂って、公園の半分を更地にしやがった。今は手が付けられん。お前みたいな事務員が来たところで、踏み潰されて終わりだぞ」
「ご助言、痛み入ります。ですが、私の仕事は排除ではなく、あくまでお客様との対話ですので」
久我は、リーダーの制止をさらりと受け流し、バリケードの隙間を抜けて広場へと足を踏み入れた。
背後で「死んでも知らんぞ!」という罵声が聞こえたが、久我の意識はすでに目の前の「お客様」に集中していた。
一歩、近づくごとに、空気が重くなる。
魔物の放つ威圧感は、並の人間であれば足が竦んで一歩も動けなくなるほどだ。だが、久我の脳はそれを「極端に不機嫌なクレーマーが放つ殺気」と同種のエネルギーとして処理していた。
(……来るな。誰も、来るな。動けないんだ。動いたら、全部壊れてしまう。怖い。誰か、助けてくれ)
久我の耳に、震えるような声が届いた。
それは猪の咆哮でも、唸り声でもない。彼の脳内に直接響く、翻訳された「訴え」だった。
猪の瞳は、激しい怒りに燃えているように見えて、その実、極限の恐怖と使命感に濡れていた。
久我は、猪から五メートルほどの距離で立ち止まり、深く、完璧な角度で一礼した。
「失礼いたします。現代ダンジョン管理ギルド、苦情係の久我と申します。本日は、近隣住民の方々からの立ち退き要請、並びにお客様の状況確認のために参りました。……長らく、お辛い姿勢を続けておられるようですね」
猪の巨大な耳が、ピクリと動いた。
(……わかるのか? 俺が、耐えているのが)
「はい。お客様がこの三週間、一度もその場所から動かれなかった理由。……恐らく、その足元にある『不備』のせいかと存じます」
久我はゆっくりと視線を落とした。猪の巨大な前足が、地面を不自然に深く踏みしめている。
久我は膝をつき、猪を刺激しないよう慎重に地面を観察した。
芝生の下、猪の蹄に踏みつけられるようにして埋もれていたのは、無骨な金属製の円筒形オブジェクトだった。
「……魔力集積型の不発弾、ですね」
久我の言葉に、遠巻きに見ていた探索者たちが色めき立った。
「不発弾だと!? なんでそんなものが公園にあるんだ!」
「一ヶ月前、この近辺で大規模な討伐任務がありましたね。その際に使用された魔導爆弾のうちの一発が、信管の不具合で起爆せず、ここに放置されていたようです。……お客様は、偶然これを見つけ、踏んでしまった。そして、自分の重みで信管を抑え込むことで、爆発を防いでいた……。そうですね?」
猪は、小さく「フゴッ」と鼻を鳴らした。
(……これを離したら、ドカンとなる。森が燃える。俺が、守らなきゃいけないんだ)
久我は、胸が締め付けられるような思いがした。
この猪は、近隣を恐怖に陥れる怪物などではなかった。人間が置き忘れた負の遺産を、その身を挺して抑え続けていた、あまりにも律儀な「守護者」だったのだ。
それに対し、人間側は排除の魔法を浴びせ、攻撃を加え、彼を傷つけ続けていた。
「誠に、申し訳ございません」
久我は、再び深く頭を下げた。それは、組織を代表しての謝罪だった。
「我々の管理不足、並びに事後確認の不徹底により、お客様に多大なるご負担を強いてしまいました。そればかりか、恩を仇で返すような暴挙を繰り返しましたこと、慙愧に堪えません。……今、すぐに『適切な処理』を手配いたします」
久我はポケットからスマートフォンを取り出し、佐藤のいるオフィスへと繋いだ。
「……佐藤さん。至急、不発弾処理班と、最高級の治癒ポーション、それから……。はい、特大サイズのサツマイモを三箱、用意してください。最優先案件です。私の権限で使用します」
久我は電話を切ると、猪の巨大な鼻先に手を伸ばした。
猪は一瞬、警戒するように牙を鳴らしたが、久我の手から伝わる「ただの人間」としての温もりと、圧倒的な信頼感に、ゆっくりと眼を閉じた。
「もう、大丈夫です。管理責任は、すべて私共が引き受けます。……お客様は、もう十分に責務を果たされました」
一時間後。
物々しい防護服に身を包んだ不発弾処理班が、慎重に信管を除去した。
猪がゆっくりと、その重い足を地面から離した瞬間、周囲の探索者たちは一斉に身構えたが、暴走は起きなかった。
猪は、久我から差し出されたサツマイモを、三週間ぶりの食事として満足そうに頬張っていた。
久我が治癒ポーションを浸した布で猪の傷ついた足を拭いてやると、巨大な猪は子犬のように、久我のスーツの肩に鼻を擦り寄せてきた。
「……あんた、本気であのボアと、交渉したのか?」
『アイアン・フィスト』のリーダーが、信じられないものを見る目で久我に近づいてきた。
「交渉ではありませんよ。ただの、不備に対するお詫びと対応です」
久我は、猪の毛並みに付いた汚れを払いながら、淡々と答えた。
「管理側がミスをすれば、お客様が怒るのは当然です。それを武力で黙らせようとするのは、組織として三流のすることですから」
久我は、後片付けを始める職員たちを見届けながら、手帳に本日の対応記録を書き込んだ。
公園の立ち退き要請、完了。
原因、ギルド側の遺失物によるトラブル。
対応、謝罪および事後補填。
「さて、佐藤さん。この不発弾の放置ルートを徹底的に洗ってください。……あ、定時を過ぎてますね。この報告書の続きは、明日作成します。お疲れ様でした」
久我は、名残惜しそうに鳴く猪に軽く手を振り、夕闇の迫る公園を後にした。
彼の背中を見送る探索者たちの視線は、もはや「無能な事務員」に向けるものではなくなっていた。
力ではなく、言葉と誠実さ。
それが、どれほど鋭い刃よりも重い意味を持つのかを、彼らは初めて目の当たりにしたのだった。
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