宙(そら)に散る。

星野そら

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4 ジムにて

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 コスモ・サンダー本部に付属するスポーツジム。

「こんにちは」

 扉がスッと開いて、男がひとり入ってきた。白いTシャツにラインの入った黒のトレーニングパンツ。手にはスポーツタオルが無造作に握られている。
 見ほれるほどの美貌で当たり前すぎる挨拶を口にした男は、返事が返ってこないのをいぶかしんで、ん?と首を傾けた。ぽかんと見詰めている受付兼トレーナーの若者に、苦笑しながら声をかける。

「こんにちは。身体を動かしたいんだけど、いいかな?」
「はい……」

 上の空で応えた若者は、はっと自分の仕事を思い出す。改めて男を確認すると問いかけた。

「あの~。ここは養成所の生徒と艦隊メンバー専用のジムです…。失礼ですが、どちらの所属ですか」

 その男は規定のウェアを着ていなかった。養成所の生徒にしては年を食いすぎているし教官でもない。艦隊の戦闘員にしては目の前の男は華奢すぎる。このジムに通うキャプテンやリーダークラスの顔はほとんど覚えているし、いま、本部に寄港している宇宙艦はない。
 普通の男ならまだしも、こんな美貌の持ち主なら、事務官だってウワサになっているはずだと若者は考えたのだ。

「俺の所属? う~ん、いま、中途半端な身分なんだけど…。所属が分からないと使わせてもらえないの?」

 思わぬところで足止めを食った男は、美しい眉間にしわを寄せてジムを見回した。と言っても、目の届く範囲にあるのはマシーン・ルームだけで、トラックやプール、体育館、射撃場などは屋外や別のブースになっている。
 美貌の男は、興味津々で見ているトレーナーやトレーニング中の戦闘員たちの中に知った顔をひとりも見つけることができなかったようだ。

 ずいぶん長い間、コスモ・サンダーを離れていたからな。マリオンに連絡を入れさせればよかったか。

 男がここに通ったのは、もう10年以上前である。メンバーが様変わりしていても驚くには当たらない。
 それとも、いまは日中だから、養成所の生徒や非番のものは別にして、勤務中の戦闘員たちが来られる時間帯ではないだけ?

「長いこと、ご無沙汰だったしな…」

 う~ん、と考え込んだ男は、ポンと手を打った。

「そうだ! ハワード・ジム長は? まだいる?」
「はい。ハワードをご存じなんですか」
「うん、彼は俺を知ってる。身元を保証してくれるよ」
「いま、休憩中で…」
「悪いけど、呼んでくれない?」

 やさしい口調なのに有無を言わさぬ響きがあった。
 同じくらいの年齢のはずだが、知らぬ間に敬語で応対していることに気づいてビリーは驚いた。しかも、いつもなら単に身元を確認するためだけにジム長を呼び出すことなどしないのだが(ジム長はプライベートタイムを大切にしている)、通話器に手を伸ばして連絡を取っているではないか。
 通話器の向こうからぶっきらぼうな言葉が返ってきた。

「なんだ、ビリー。やっかいごとでも起きたのか?」
「そうではないですが…、ちょっと」
「なんだ、はっきり言え!」

 ジム長の雷が落ちた。あいまいなことが嫌いなのである。

「はいっ! ジム長に確認していただきたい方がいます。受付に来てもらえますか」


 ほどなく、壮年の男がトレーニングルームに入ってきた。
 ジム長は堂々とした男だった。頭に白いものが混じっているが、広い肩幅、鍛え込まれたがっしりした体躯はさすがである。気の荒い海賊たちが通うジムだから、メンバー同士のもめ事も多い。もめ事が起こった時も若い者に任せたりせずに、自ら仲裁(制裁か?)を買って出る腕っ節の強さ、剛胆な気質はコスモ・サンダーでは広く知られていた。
 まっすぐに受付に向かってきたハワードの足が止まる。その目が受付カウンターに寄りかかっている男に釘付けになった。
 見詰めること数秒。

「おまえ、さんはっ…」

 言葉が途切れ、ハワードの顔に驚愕の表情が浮かんだ。
 ビリーはこんな茫然自失のジム長を見るのは初めてだった。恐る恐る声をかける。

「こちらの方が、ジム長を呼んでくれとおっしゃって…」

 その声にかぶって、にこやかな笑みと明るい声が飛んできた。

「ハワード・ジム長! 懐かしいな、元気そうだね」

 ハワードはその笑顔に、まさかと目を凝らす。

「どうしたの? ジム長にも俺が分からない?」

 いや、とハワードはかぶりを振る。

「戻ってきたという噂は聞いたが…」

 そのひとりごとを聞きとがめた男がきっちり訂正する。

「ちがうよ。戻ってきたんじゃなくて、有無を言わさず連れ戻されたってのが、ほんと」
「しかし…、おまえさん。いまどこに…」
「上の階に閉じこめられてる」
「えっ…それなら!」
「言わないでくれる。ぞっとするよ。そうでなくても、毎日あれを覚えろ、これをやれってスケジュールがきつくてさ。
 たまたま空いたから、身体を動かしたくて来たんだけど…。
 この受付くんが、所属が分からないからって使わせてくれないんだ。所属っていっても…、俺は中途半端な身分だし、見知った顔がなくて…、休憩中に呼び出したりしてごめんね」

「ごめんね」

 という言葉に、ハワードは違和感を感じる。
 冷たくて近寄りがたかったあの頃とは大違いだった。昔なら「文句を吐かずに使わせろ!」と叱りとばしただろう。そうすれば、ビリーなどに逆らえはしない。なのに、この男が謝っている?
 冷たく命令を下し、誰もが従うのが当然だという態度しか見たことがなかった。
 いや、その前に幼くてかわいい時期もあったのだが、もう誰もそんな昔のことなど覚えていはしない。

 ふと、ビリーが足止めしたことに気づきハワードは青くなった。こんな過ちを、いや失礼をか? この男が黙って見過ごしてくれるのだろうか。

「おまえっ、何てことを! 待たせて申し訳ありませんでした。どうぞ、どこでも自由に使ってください。他の人間が邪魔なら部屋を空けさせます」

 最初の一喝はビリーに。後の方は男にだ。

「ありがと。特別扱いしてくれなくて、いいよ。アップしてくるからトレーニングメニューつくっておいて。
 それから、……ねえ、ジム長。その若者、叱らないでやってね。自分の仕事をしただけなんだから」

 処罰しろと言われなかったことにハワードは安堵の息をついた。それにしても、目の前にいるのは、自分が知っているのと同じ男だろうか?

「わかりました。トラックではランニングシューズに履き替えて…」

 癖になっている注意を口にすると、

「覚えてるよ。あれだけ毎日入り浸ってたんだから」
「そうでした。ところで、メニューはどのくらいの時間で、どの程度に?」
「2~3時間はあると思う。あの頃より身体はできてるから、手加減なしのメニューでいいよ。宇宙では体力がいるって身にしみたから、ちゃんと鍛えてる」

 偉いでしょ、と胸を反らす姿をほほえましいと思ってしまい、再び愕然としたハワードである。

「格闘トレーニングは? いまならソードがいますよ」
「へえ~、あいつまだいたんだ。ソードを痛めつけるってのも魅力だけど、今日は格闘系はパス。かわりに射撃を入れといて。しばらく撃ってないから、腕がなまりそうなんだ」
「ソードはいまチーフです。手強くなりましたよ」

 男の目がいたずらっぽく輝いた。

「ん、俺も手強くなってるから、おあいこ! じゃあ、よろしく」

 ひらひらっと手を振りながら、その姿がトラックへ消えるのを見てビリーが聞く。

「チーフと格闘トレーニングですか? 相手にならないんじゃ…」
「確かに、自信ありそうだったな。ソードじゃ相手にならんかもしらん。もう少し若かったら手合わせといきたいが…」
「……」
「余裕を持って2時間で組むか」

 二の句を告げずにいるビリーの前でハワードは紙にさらさらとトレーニングメニューを組み上げる。

「これを入力して、リストリングにデータが流れるようにしてくれ」
「レギュラー登録しておきますか?」
「そうだな。しておこうか」
「登録名は?」
「う~ん。Pにするか、それとも、Rにしておくか」

 PにR?と思ったが、それ以上の質問を拒むハワードの口調に、ビリーは素直に従った。それでも…、入力を始めようとした手が止まった。

「ジム長。マシーンサーキット各100回ずつになっていますよ。50回くらいじゃないですか。それを7セット…、いくら何でも無茶でしょう。それに、ハイタッチ・ダッシュ、5分も走らされたら1回で倒れますよ…」
「手加減なしでいいと言っとっただろう。まだ余裕があるはずだ」
「うそ…」

 華奢に見えるが、あの男は、筋力こそ劣るかもしれないが、反射神経、体力ともハワードがこれまでに会った中でずば抜けていた…などと、ハワードが感傷に浸っているヒマはなかった。戻ってきた男が渡されたメニューを確認して眉をひそめたのだ。
 ビリーはきつすぎるという文句が出ると思ったのだが、

「ジム長。手加減した? それとも俺のこと見くびってる?」

 問いかけの声は冷え切っていた。ジム長はその人の能力に合わせてメニューを組むことで知られている。それも、能力を限界まで使わせるメニューを組むことで。 
 ハワードはとんでもないと手を振った。

「あなたがやったことのないハイテクマシーンでのトレーニングも組み込んでいますから、それほど楽ではないはずです…」

 男は眉をしかめたまま、

「いつも、泣きそうなくらいキツいメニュー組んでくれたくせに。これじゃあ、ね。それとも、あの頃よりジム長がやさしくなったの?」
「昔、泣きそうなくらいキツかったのは、わたしの組んだメニューを倍にしてやらせていたあなたの教育係のせいです。わたしはいつも個人の能力に見合ったメニューを…」
「うへっ、知らなかった! どおりでほかのやつらはみんな、楽にメニューをこなしてると思った」

 誰に対しても楽なメニューは組まなかったが、倍近いメニューをやらされていたのだから確かにキツかっただろうとハワードは思った。

「あなたにはいつも驚かされましたよ。倒れないのが不思議だった」
「精神力だよ、精神力! ギブアップなんかしたら…、死んだ方がマシだと思うくらいのペナルティーが待ってたからね。
 それより! ジム長の組んだメニューも満足にこなせないのかって叱られてた俺は、何だったんだっ」

 ぶつぶつ言う男にハワードは両手を広げて肩をすくめる。文句はマリオンにとその目が語っている。ハワードをじと目で睨んで、それでもいまさらと思ったのか男が言う。

「わかった。ジム長に文句言っても仕方ないよね。じゃあ、ジム長が組んでくれたメニューに従って、トレーニングをしてくるとするか!」


 男はトレーニングを開始した。
 周囲の目を気にもせずに、黙々とマシーン・メニューをこなしていく。電子音に従い、繰り返される動きには少しの乱れも、遅れもない。しなやかな筋肉の動きは、美しささえ感じさせた。ハードなメニューを楽々とこなす若者に、トレーニングマニアの男たちを見慣れているトレーナーですら驚きの表情を浮かべている。
 頬がほんのり上気して、額にはうっすらと汗が浮かんでいる。

 遠くから眺めていたハワードは、昔ここでトレーニングしていたときは、あの美しい顔にいつも苦しげな表情が浮かんでいたと思い出した。いまは、ストレッチでもしているような軽やかさ。
 あの男はあの頃よりずっと鍛えられているとハワードは確信した。
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