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愛しい
しおりを挟む驚きから真っ白になった頭と上手く動かない体。半開きになった口から漏れ出たか細い声は、なんとか言葉を紡ぎ出した。整わない息は熱い口内を辿ると、舌に残る甘い痺れを意識させる。
「…いま……キス……?」
「あぁ。…嫌だった?」
"いやだった?"青嵐の言葉が頭を反芻する。青嵐からのキス。ならば嫌なはずがない。というかもういろいろと今更な気もしなくもない。
嫌とかそういうのではなくて。まずその真意がよく分からない。そもそもキスって…キスってなんでするんだっけ…?いつするんだっけ?記憶をたどっても、僕はキスをしたこともされたことも無いので辿るだけ無駄であった。ぼんやりと青嵐の唇を見て、考えに耽る。
「緑雨。嫌だったか?」
青嵐の形のいい唇が小さく動く。唇の形まで整っているなんて…。あの唇の奥に隠れる舌はあんなにも濃厚で…なんだかとても…そう。いやらしかった。青嵐の舌の大きさなんて考えたことはなかったけれど、分厚くて、熱を持っていて。繋がった手のひらよりも深く絡まり合っている気がした。
そこまで考えて、あれは果たしてキスなんだろうかとも思う。青嵐は肯定していたし、唇と唇が重なるのがキスであることは然り。ただ僕の知識はそこまでだった。そこから…し、舌が…入ってきて。なんだかとても気持ちよくなって。
…うん。おかしいな。驚きすぎて理性が戻ってきたみたいだ。体は相変わらず動かないし、熱いし、あらぬところが疼くのだけれど。気づくと先ほどまでぼんやりと眺めていた唇を見失って、視界に入ったのは緑色であった。
再度、触れる唇。今度はすぐに離れていく。それがなんだかもどかしくて、縋るように見つめてしまう。少し体が離れると焦点が合ってきて、ぼやけていたものがくっきりと映し出される。輪郭、まつげ、瞳孔…そして真剣なまなざしが僕を射貫く。僕の胸が、高鳴った。なぜならその瞳はまるで…
「愛してる、緑雨」
「…は………」
時が止まったような錯覚。僕と、青嵐。二人だけ世界から切り離されてしまったかのような静寂。息をすることも忘れ、ただ、呆然と見つめる。視線の先の顔は、いつになく真剣で。現実味のない台詞がじわじわと真実味を帯びる。
「…泣くなよ」
泣いている。いったい誰が?疑問に意識を取り戻し、青嵐の手が添えられたのは僕の頬。泣いていたのは、僕だった。青嵐の手の熱が、僕の頬に移る。涙って無意識のうちに流れてくるものなのかと見当違いなことを考える。今日は知らないことを多く知る日でもあるな。しかしそれをすべて忘れる日でもあるということをふと思いだし、慌てて時計を見ると、時刻はすでに0時をまわっていた。
「あれ?…え?」
涙が引っ込むのと同時に視線を戻す。目の前にいるのは、青嵐。今日のことも、今日知ったいろんな顔、今までのこの気持ちを一つも忘れていない。記憶がある。青嵐を、どうしようもなく好きだという記憶が、ある。ぽかんとした僕を見て、青嵐はきれいに笑った。瞳だけは全く笑っていないのだけれど。
「俺を忘れて生きていこうだなんて、思い切ったこと考えるよな」
「な、なんで…それ……」
「あぁ、はじめはお前の親父さんに相談されたんだ。魔法を使うとどうしても魔法の痕が残るだろ?どうやら誓いの魔法を使用したらしいってバレたみたいだな。無理やりかけられたんじゃないかと心配して、お前には秘密裏に調べてくれないかって」
「え…?え?」
「ま、結果は自分で自分にかけたようだけど。内容は成人の日までに俺に…」
「うわぁぁあ!!ちょっと!!どうしてそんなことまで筒抜けなんだ!!」
「お前の魔法の力が進歩してるのと同時に、現代の魔法ももっと進歩してるってことだ」
観念しなと笑われて、なんだか僕も笑えてきた。こんなことってあるだろうか。青嵐が内容まで知っていたということは僕の気持ちも知っていたということで。いつ分かったのか聞こうと思ったけどいたたまれなくなる気しかしなくて僕は口をつぐんだ。
「…まぁでも誓いは実はまだ有効なんだ。無理やりかけられたならまだしも自分に任意でかけた誓いの魔法はそう簡単に無効にはできないからな」
「えっ?!でも、今日はもう…」
「気づかなかったか?この家の時計すべてを1時間進ませたんだ。だから今は23時を過ぎたところだ」
「…どうして、そんなこと…」
「それはもちろん…」
お前に言ってほしいから。と、耳元で今日一番の美しい声で囁かれた。恐ろしいほどに色気を纏った青嵐は僕の唇を親指の腹で優しく撫でて、じっと僕を見つめた。青嵐の意図を理解してしまって、思い出したように動き出す心臓、集まりだす熱。それらは僕の思考をくらませるには十分で、先程までよく動いていた口は縫い付けられたように開かなくなった。青嵐はそれでも僕のことを優しく見つめるだけで自分から何かしようとはしなかった。短いようで長い沈黙は急かすことなくそこにいた。
「青嵐」
思い切って名前を呼ぶ。小さく応える声が聞こえてから、そっと動き出す。力の入らない腕を上げ、青嵐のたくましい腕をつかんだ。いまだ右手は緩く絡まったままなことにふと気づき自然と笑みがこぼれる。少しこちらに引っ張ると、青嵐は気づいてくれたようで、そっと近づいてくれた。近くに見える、大好きな顔。繋がれた右手に無意識に力がこもる。そうすると同じ温度が返される。意を決して僕は、青嵐の口元へ顔を寄せる。触れたのは一瞬。少し顔を離して美しい瞳を間近で見つめる。
「大好き…ずっと」
ようやく言えた言葉にこぼれる雫を堪えることができなかった。どうにか笑顔を作って愛しい彼を見つめる。心なしかほんのり赤くなった顔はすぐに近づいてきて、勢いよく僕の唇を奪い返した。自然と開く口に先程感触を知ったばかりの舌が入ってくる。絡まった手のひらを強く掴み、涙でぼやける視界の中で美しい瞳を必死に見つめ返す。温かな光が僕たちを包み込み、誓いが果たされたことを静かに伝えていた。どれくらいキスをしていたのか、疲弊した口から零れ落ちた唾液が僕の首元へ伝う。小さなリップ音とともに離された唇を名残惜しく思いつつ、幸せに優しく包まれていた。
「緑雨…俺もだ」
青嵐は寝ている僕の隣に静かに倒れこみ、横を向いて向き合って、それからとても嬉しそうに笑った。触れ合うからだは暖かく、壊れたように止まらない涙がシーツを静かに濡らす。痺れる唇でもう一度僕たちはキスをした。絡まった手のひらは離され、僕の体を優しく抱きしめた。少しして僕の涙が止まると、いろいろなことで疲れた僕は夢の世界へ誘われようとしていた。
「緑雨?寝るにはまだ早いぞ」
「んぅ……?」
「とりあえず俺のこと忘れようとしたことと、誓いを破る気満々だったこと。ちゃんと反省しような?」
青嵐の恐ろしい一言で、眠気は一目散に逃げだしたのだった。
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