一人旅日記

赤羽律紀

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2002年 金沢市、高岡市

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 2002年3月、上越新幹線とほくほく線経由の特急で金沢へ向かった。
 当時、北陸へ向かうには上越新幹線で越後湯沢経由で行くケースが多かった。今でこそ北陸新幹線で直接行けるが、当時はその方が手っ取り早かった。
 1日目の3月9日、とんでもないしくじりをおかしてしまう。それは行きの切符を紛失してしまったことだ。結果としてはお土産を買うお金を減らす羽目になった。その失敗を教訓に、切符を無くさないよう心がけるようになった。
 そんなこんなで、東京から越後湯沢まで新幹線、越後湯沢から金沢までほくほく線経由の「はくたか号」で向かった。ただ、このはくたか号は途中で単線があったり、北陸本線では風が吹くと大変だった。
 金沢駅に着いたのは午後1時過ぎ。その後に市内を巡る金沢ふらっとバスで兼六園へ向かった。兼六園は水戸の偕楽園、岡山の後楽園と並ぶ日本三名園の一つで、百万石を誇る前田家の造園として作られた。季節の移ろいを醸し出す兼六園だが、特徴的なのが灯籠だ。すでに冬景色が終わっていて、テレビや旅のガイドブックにもこの写真が掲載されている。
 その後、金沢城公園へ。外観は鉛瓦と白いなまこ塀が特徴の外観と共に、金沢城址全体が公園になっている。加賀藩前田家の居城だった城内をじっくり眺めたあとに犀川にかかる梅ノ橋や長町武家屋敷などを巡った。その後、近江町市場にも足を伸ばした。
 夕食は、金沢の料理屋で済ませた。鱧の鍋をいただいたのだが、何も知らずに醤油をかけてしまい、店主から叱られてしまった。後になってこんなことをしてしまったと後悔するしかなかった。
 2日目の3月10日。金沢を後にして高岡市へ。私は1991年に父が高岡に出張した時に、地元の北日本新聞の投書欄に高岡へ行きたいという思いを書いていた。高岡は金沢、富山と並んで前田家が切り開いた町。その文化を一つ一つ巡ってきた。その中心を巡るのは万葉線に乗って高岡大仏や金屋町を巡ってきた。新聞で書いた通り、高岡市は素晴らしい町だった。
 金沢と高岡。それぞれのいいとこ取りの城下町をめぐることができて、私の心は満たされた。いつかどちらにもまた行きたいと願いつつも、金沢に戻り特急や新幹線で地元に帰った。
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