奥手淫魔と世話好き魔法使いが両想いになるまでの話

山吹花月

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6 変化、戸惑い

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 街でイザベラと会った日以降、ノエルは夜に家を空けることが多くなった。
 夜明けには帰宅し仮眠を取っているようで、家事やティーアの仕事の手伝いは滞りなく、食卓はふたりで囲んでいる。
「おはようございます、ティーアさん。今日はなにやりましょうか?」
 ノエルが食後のお茶を運んでくる。
 当初は居候の身だという遠慮から無理をしているかと心配していたが、たまに鼻歌交じりに作業するノエルを見かけ、元来家事や細々した作業が好きなようで楽しんでやっている様子だ。
 夜は外出、日中は家事や仕事の手伝い。休めていないのではと気がかりではあるが、仕事を申し出てくれるのにそれを拒否して無駄に不安にさせたくない。
「そうね、今日は書斎の本棚整頓しようかな」
「書斎があるんですね」
「うん、ノエルの部屋の隣だよ。見習いだった頃の教材とか小説とか押し込んであるんだけど……散らかってるからって引かないでね」
「大丈夫ですよ。整頓、手伝わせてください」

 書斎は倉庫に比べて半分ほどの広さではあるが、天井まで高さのある本棚が壁一面に並べられ、それいっぱいにぎっしりと本が詰め込まれている。
「上の方はひとりじゃ難しくって」
 台に上りながら埃を払いつつ、本を数冊取り出していく。あまり安定感がいいとは言えないティーアの足元に、慌ててノエルが支えに入る。
「わっ……僕代わりましょうか?」
「大丈夫大丈夫。ちょっとだけ押さえて……ぅわぷっ!」
 最上段から本を取り出した拍子に埃が顔へ降る。思わず目を閉じたティーアの体幹が揺らぐ。
 このままでは倒れる。そう思い身構えたが想像していた衝撃が来ない。
 代わりに背中から温かさに包まれ、ほんのりと花のような甘い香りがする。一瞬呆けた後にノエルが抱き留めてくれたことに気付く。後ろから両手を腹に回されしっかりと受け止められている。足が床についていないので、全体重をノエルに預けていることになる。
「わっノエル! ごめん大丈夫?」
 ノエルが長身だとはいえ、上から落ちてくる人間を受け止めたとなると、かなり衝撃があっただろう。
「いえ、大丈……っ!」
 様子を窺おうと振り返った時、急に体が解放された。
 ティーアを離したノエルは二歩三歩とよろめき後退る。
 手で顔を覆い、眉間には深い皺が刻まれている。心なしか目が潤み頬と耳が赤く色付いている。
「ノエル大丈夫? やっぱりさっき怪我を?」
 苦しげな表情をしている。取り急ぎ自己修復力強化の魔法をかけようと杖を取り出す。
「っ……」
 距離を詰めるティーアを拒絶するようにノエルが離れる。
「すい、ま、せん……。埃、吸い込んだみたい、で……。洗ってきます」
「えっ? ちょ……」
 ティーアの言葉を待たずにノエルは走り去る。あからさまにティーアを避ける、これまでに見たことがないノエルの反応にとまどった。
「どうしたんだろ。動けてはいたから怪我はないのかな。……もしかして重かった、とか。それとも、私、臭かった?」
 顔というか鼻や口元を中心に押さえていたような気もする。
 それ以外の理由が思い当たらず、腕を嗅いでみるが埃っぽい匂いがしただけだった。



「……ノエル?」
 彼の部屋の扉に向かって声を掛ける。
 埃を洗うと書斎を出てから数時間、ノエルの姿を見ていない。風呂から出てずっと部屋にこもっている。
 何度か様子を見に来たが、体調が良くないとしか返答がない。看病を申し出るが寝ていれば治るの一点張り。ここまで頑ななノエルの姿は初めてだ。
「夕食準備できたよ?」
 わずかに衣擦れの音がした後、ノエルの掠れた声がする。
「ぁ、ごめんなさい……夕飯、準備……」
 だるそうな言葉が痛々しい。体調は芳しくないようだ。
「いいの、気にしないで。それより体調は? 食事、出来そう?」
「……今日は、いい……です。折角作ってくれたのに、すみません……」
 くぐもった声が聞こえた。
「大丈夫よ。もしお腹空いたら食べてね。キッチンに置いておくから」
「は、い……ありがとう、ございます」
「なにかしてほしいこと、ある?」
「い、いえ。今日はもう、寝ます。おやすみなさい」
 心配ではあるが本人が望まない以上無理強いはできない。
 キッチンには夕食と果実水、体調が悪くても食べられそうないくつかのフルーツ、解熱剤と栄養剤をテーブルに並べて置き、自室に引き上げた。

「…………ん、……?」
 深夜、かすかな物音にティーアは目が覚めた。キッチンからのようだ。ノエルだろうと思いつつも、具合が心配なので様子を見に行くことにした。
 一階に降りるとキッチンの扉が開いている。覗くと隙間から彼の背中が見えた。勢いよく飲み物を煽っていたところだ。
「っはぁ、く……は、ぁ」
 彼の肩が不自然に上下している。シンクの縁に両腕をつき、ひどく苦しそうに見える。
「……ノエル? 大丈夫?」
 びくりと彼の肩が跳ねた。
「あ、ごめん、驚かせ……」
「近付かないで!」
 ティーアの言葉を最後まで聞くことなく強い声が飛んでくる。
「っ……すみません、大きな声出して」
 あきらかに様子がおかしい。
 強い語気とは裏腹に、どこか怯えたように視線をさまよわせティーアから距離を取ろうとしている。
「……ぁ、の……今は、僕に近寄らないでほしいんです」
「どういうこと?」
 唐突な彼の言葉は意味が分からなかった。風邪など他者に空気感染する可能性のある病気ということだろうか。
「落ち着いたら、説明、しますから……」
 どんどん声色に余裕がなくなっていく。
「今は、もう部屋に戻っ……ぅっ」
 ノエルの体が傾いた。
「ノエル!」
 考えるより先に体が動いていた。横から抱き留め彼を支える。
「っ! ティーアさんっ……離れ、て……」
「なに言ってるのこんな時に! ほら、支えるから……っん!」
 突如体を強く拘束される。抵抗する間もなく唇に柔らかい感触が押し付けられた。
「んッ……!?」
 状況が飲み込めず思考が一時止まる。
 ティーアの口を覆うように熱を持ったノエルの唇が重なっている。自身の状況を理解し距離を取ろうとするが、すでに腰と後頭部に回された手に拘束されていて身動きが取れない。
「ふ、ぁ……」
 呼吸もままならないほど深く貪られる。
 唇を擦り合わせるだけでは飽きたらず、分厚い舌が押し込まれ口内がねぶられる。
 くまなく這いずる彼の肉厚から唾液が滴った。それは徐々に甘さを増し蜂蜜のような香りを放っている。濃い花の香りが鼻腔を支配し、脳の中心から蕩けていく。抵抗していた体から少しずつ力が抜けていった。限界を迎え、ティーアの膝が脱力したところでノエルの動きは止まり唇が解放される。
「っ! ……ぅ、ぁ、ごめ、ん。ティーアさ……僕、こんな……」
 ノエルはティーアの体を解放しようと腕を緩めるが、まだ力の入らない足のせいで自力では体が支えられない。
「っあ……」
 離れかけた彼の腕がもう一度ティーアの背後に回る。掌から彼の熱が伝わってきた。
「ティーアさん、椅子へ」
 彼に支えられなんとか腰掛ける。背もたれに身を預け乱れた息を整える。
「ごめんなさい、ティーアさん……」
 ティーアが無事座ったことを確認すると、ノエルは距離を取りその場から去ろうとする。
 咄嗟に腕を掴み引き止める。
「待って、ノエル」
 呼び止める声に彼の肩がびくりと反応する。広い背中が怯えたように縮こまっている。
「謝らなくていいから。事情、あるんでしょ?」
 ノエルの様子はあきらかに普段とは異なっていた。それに、突然不躾に迫るような配慮のない人柄ではない。そのことから、なにか理由があるのだろうとは思った。
 彼の拳は、強く握りすぎてわずかに震えている。両手で包むと冷えていた。握り締めゆっくり引き、振り向くよう促す。恐る恐るこちらに体を向けた彼の瞳には、溢れそうなほどの涙が蓄えられていた。
「ぁ、だめ……僕に触らないで……」
「一体どういう、っ!」
 立ち上がろうとしたがティーアの足はまだ本調子ではなかった。ふらつきノエルの胸へ飛び込む形で倒れ込んでしまう。
 それを受け止めたノエルは一瞬身を強張らせた。が、すぐに両腕がティーアの背をぎゅっと包み込む。隙間もないほど抱きすくめられ、彼の昂ぶりに気が付いた。腹に当たるそれは硬く張り詰め存在を強く主張している。
「ちょっ……ノエル?」
 ティーアは身じろぎさえ許されないほど強く抱きしめられる。
「ごめ……ティーア、さん…………」
 耳元に寄せられたノエルの口から小さく嗚咽が漏れる。耳朶にわずかな刺激が走った。甘噛みされている。
「……今日、書斎で受け止めた時から、急にティーアさんから濃くて甘い、良い匂いがして。…………誰かにこんなに反応したこと……初めてで…………」
 女性とうまく交流できないといった話は聞いていたが、これまで夜出掛けるたびにそういった相手を見付けていたのだとばかり思っていた。
「食事、精力貰わなきゃって思っても、誰にも……こんなにならなかった……」
 悲痛な声は消え入りそうに弱々しい。
「今まで女性から“香り”は感じていたけどそれ以上の興奮はなくて。“食事”をしたいとは思わなかったんです。でも、この前街でティーアさんのお友達とお会いした時……あの時、全く匂いを感じることが出来なかったんです」
 イザベラのことだろう。確かにあの時のノエルは少し様子が違っていた。
「そんなことなかったので驚いて……。偶然かとも思っていたんですが、どの女性の“香り”もわからなくなっていたんです」
 人間でいうと、突然食べ物の匂いがわからなくなったということだろうか。特に好みではない食事であっても、匂いがまったく分からなくなるというのはしんどいことだろう。
「そんな時、ティーアさんの匂いを以前より濃く感じてしまって。今まで感じたことのない、その、欲が、出てきてしまって……」
 抱き締める腕により力が込められる。
「……ティーアさんに、触れたくて」
 耳元で囁かれた言葉にずくりと腰が疼く。誰にも触れなかったのか、と不謹慎だと思いながらも、ノエルがまだ誰にも触れていない事実に心のどこかで安堵してしまう。
「ティーアさんのこと、傷付けたくないのに……」
 首筋に雫が落ちる気配がする。彼の涙だろう。
「……ノエル」
 精一杯の優しい声で名前を呼ぶ。
 背中をゆっくりさすってやると、強張っていた彼の体から少しずつ力が抜けていく。ティーアの体をきつく閉じ込める腕が徐々にゆるみ、拘束が解かれていく。
 俯く彼の頬を包み、顔を上げさせる。涙が溢れ、瞳どころか睫毛まで涙で濡れている。
「ふふっ、顔ぐしゃぐしゃよ」
 親指の腹で頬を拭う。冷えた肌に掌を当てて熱を分けていく。
「私、いいよ」
 わずかに離れた体を彼に寄せる。
「っ! ティーアさんなに言って……」
 逃げようとノエルが身を捩る。彼の腰に腕を回し、さっきの仕返しとばかりに強く抱き寄せる。
「さっきのキス、私は嫌じゃなかったんだけど……ノエル、もしかして不快だった?」
「そんなわけッ……! ……ぁ、の……よかった、です。……すごく」
 みるみる彼の頬が上気する。
「ならいいんじゃない?」
「っ! でも、そこまで迷惑をかけるわけには……」
 昂ぶりは少しも衰えていないのにどこまでも遠慮する彼に、ティーアは痺れを切らした。
「ああもう! いいって言ってるんだから! 男なら素直に据え膳いただいておきなさい!」
「はっはい!」
 ティーアの勢いに押され良い返事が返ってくる。それににっと微笑んで見せた。
「大丈夫。迷惑じゃない。ね?」
 まだ不安げだったノエルの表情がわずかにほころんだ。

 
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