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第二幕 ー呪怨の首飾りー
二、千珠の変化
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二人は光政の元へ参上する前に、井戸のある城の裏手へと進んだ。そこは普段、下働きをする男や女たちが家事に勤しむ生活の場であり、いつも人々の活気で溢れている。
しかし今はもう昼過ぎであるため、洗濯をしている女たちもおらず、井戸端には白い姿がひとつ見えるだけであった。
「おったおった、おい千珠」
舜海の声に、千珠は振り返る。
まだ水を含んでいる長い銀髪を片方の肩口に一纏めにした千珠は、淡水色の着流し姿で手ぬぐいを首に掛け、桶を手に立っていた。
「なんだ?」
少しばかり低くなった声で返事をすると、千珠は舜海と同様、物珍しげに留衣の姿を眺め回す。
「誰かと思ったら、留衣か。今日はずいぶん女らしいな」
「放っておけ。兄上が今日の件でお呼びだぞ」
「あぁ、紗代様のことか」
千珠は一年で少し背丈が伸び、留衣とは同じくらいの背丈になっていた。今も痩身ではあるが、しっかりと引き締まった筋肉も備わりつつあり、瑞々しく若い身体は尚一層輝きを増すようである。
高飛車な猫のようにやや吊り気味の大きな目は琥珀色で、人間よりも縦に長い瞳孔をしており、その双眸は長い銀色の睫毛に囲まれている。
一年前に比べると、ほんの少しすっきりした頬や鼻筋は涼しげに整い、今でもまるで白粉を塗ったように白くつややかな肌だ。両耳を飾る紅い耳飾りを揺らすと、千珠は髪の毛を緩く結い上げた。
「こんな格好でいいかな」
と、千珠は至って寛いだ格好でそう言いながら、二人とともに城に入る。
「いいんちゃう? 殿だけやろ?」
「いや、義姉上も一緒だと思うぞ」
「え、そうなのか。じゃあ着替えたほうがいいかな」
千珠はちょっと罰の悪そうな顔をして、ゆったりと開いた胸元を隠す。
「もういいやろ、あんまり待たせるほうが嫌われるで」
「それもそうだな……」
そうこう言っているうちに、三人は光政と奥方の待つ部屋に着いてしまう。
「兄上、舜海と千珠を連れて参りました」
留衣が三人を代表して入室の許しを求めると、「おう、入ってこい。そんな堅苦しい挨拶はよい」と、光政の気軽な返事が聞こえてきた。
❀
この国の棟梁・大江光政は、齢二十三という若さで先の大戦を勝利へと導いた勇将として、その名を国々に轟かせることとなった男である。
それはひとえに、人の世にあって最強の戦闘種族たる白珞族の生き残り、千珠をその手にしていたからということでもあった。鬼を従え、帝を守った勇壮なる武将として、青葉の大江光政の名を知らぬ者は今はいない。
はっきりとした目鼻立ち、逞しく芯のある佇まい。そんな男らしく華やかな容姿もさることながら、武芸にも秀でる光政は、非の打ち所のないような男である。国の長としての政も上手く、青葉の民にも愛されているのだから尚更だ。
千珠をその配下に加えるにあたり、戦において裏切りを防ぐ為の"血の盟約"を結んでいる二人の間には、命のやり取りが存在する。
千珠は光政の生命を贄として、戦にて鬼の力を振るうこと。そして千珠が死ぬ時、それは光政の死を意味するということ。
その盟約のもと、千珠は数百数千とも言われる敵をその手にかけた。本来ならば、勝利をもたらした見返りとして光政の生命を奪うのが掟であったが、千珠はそれをしなかった。
一族を滅ぼされ、ひとりぼっちだった千珠を青葉に引き留め、居場所を与えたのは光政である。そして迷い迷った結果、千珠はここに残ることを決めたからだ
❀ ❀
「ずいぶん薄着だな、千珠」
光政は千珠の着流し姿を見てそう言った。千珠は着物の合わせ目を正すと、せめて姿勢を正しておきたいのか、きちんと膝を揃えて正座をした。
「稽古が終わったところでしたゆえ、失礼」
「まぁよいよい、なかなかその着物も似合っているではないか。女物のようだが?」
「渡された着物が、たまたまこれで……」
「そうか、まぁよいさ。さて、本題に入ろうか」
光政は笑顔を収めて三人に向き直る。
「今日は紗代のお父上を始め、親戚の方々がおいでになるのは知っているな? 警護はどのようになっているのか知りたい」
舜海が城の見取り図を懐から取り出し、細かな配置を説明している間、紗代の目は千珠の白い肌に注がれていた。
千珠が人外のものであるということは、光政から聞いていたものの、こんなに近くで目にするのは初めてであった。
紗代は、備後の国を治めている下級貴族の娘であった。冷たく整ったきつい顔立ちと、一度も日に当たったことのないような青白い肌は、美しくはあるがどこか不健康そうにも見える。切れ長の瞳はいかにも知的であり、事実隙のない女であった。
自分がまさかむさ苦しい武家に嫁ぐなど思っても居なかった紗代は、嫁いできた当初は口もきかず、表情も変えず、ただただ硬く己を守っていた。光政も当時はまだ若く、そんな頑なな女には大した興味も示さなかったこともあり、形式だけの夫婦という色合いの濃い二人であった。
しかし嫁いできてすぐに戦が始まり、光政はほとんど不在であったため、長らく紗代は生家に戻っていた。
しかし戦を終わらせた光政の力に、紗代の心は動き始めた。帝を護った武将、勝利を収めた立役者……光政に付随する形容詞はどれもこれも紗代にとっては魅力的で、そんな男に嫁いだ自分を誇らしく思えるようになったという訳だ。
それは、光政自身のことを愛したとは言えないかもしれない。しかし形式から始まった二人の関係は、国を盛りたてるという共通の目標のもとに、次第に夫婦らしくなっていったのであった。
すぐに子宝にも恵まれ、かくして紗代は妻として確固たる地位を得たのである。
戦が終わった折、その伝説的な働きを聞き及び、白珞鬼の千珠とやらはどんなにいかめしいのだろうと想像していた紗代であったが、実際目にしたその姿が、華奢で小柄なほんの子どもであることに驚かされた。
そしてその美しさや、まるで女のような儚げな雰囲気には、僅かながら嫉妬の心まで動かされたものである。光政と千珠の関係について、なんとなく漏れ聞こえてくるものがあったからだ。
加えて、光政の千珠へと注がれる切な気な眼差しを横目に見る度、それが事実だったのだという確証も得ていた。
つまり、紗代が光政に抱かれるということは、鬼を支配している男に抱かれるということをも意味するのだ。それは力を持たない彼女にとって、自らの自尊心を満たす材料の一つでもあった。
久方ぶりに間近で見る千珠の姿は、当時に比べると多少は男らしくなったように映る。それでも妖艶な美しさは変わらず、特にこのような出で立ちのためか、ただならぬ色気を醸し出しているように見えた。
「なるほどな、では任せた。しっかり頼むぞ」
舜海の説明を聞いた光政は、満足気に微笑んだ。そして、留衣がどことなく居心地が悪そうに身体をもぞつかせているのを見ると、「慣れない格好で疲れているのか? 留衣」とからかうように尋ねる。
「まぁな」
留衣は無愛想に答えた。
「そのような口をきかれては、せっかくの美しいお姿が台無しですわよ」
紗代が初めて口を開いた。留衣は紗代の方を見ると、少し不機嫌そうな表情になる。
「致し方ないでしょう。柄にもない」
「今日はお身内のお祝い事ですもの、留衣さまにも一緒にいてくださらなくては」
「分かっております」
「あと、舜海さまと千珠さま。お仕事を増やして申し訳ありませぬが、よろしくお願い致します」
「承知いたしております」
舜海が頭を垂れるのに従い、千珠も礼をする。結い上げた銀色の長い髪の束が、さらりと肩を滑り落ちる。
「では我々は、支度がありますゆえ、失礼する」
舜海と千珠は立ち上がり、その部屋を後にした。
しかし今はもう昼過ぎであるため、洗濯をしている女たちもおらず、井戸端には白い姿がひとつ見えるだけであった。
「おったおった、おい千珠」
舜海の声に、千珠は振り返る。
まだ水を含んでいる長い銀髪を片方の肩口に一纏めにした千珠は、淡水色の着流し姿で手ぬぐいを首に掛け、桶を手に立っていた。
「なんだ?」
少しばかり低くなった声で返事をすると、千珠は舜海と同様、物珍しげに留衣の姿を眺め回す。
「誰かと思ったら、留衣か。今日はずいぶん女らしいな」
「放っておけ。兄上が今日の件でお呼びだぞ」
「あぁ、紗代様のことか」
千珠は一年で少し背丈が伸び、留衣とは同じくらいの背丈になっていた。今も痩身ではあるが、しっかりと引き締まった筋肉も備わりつつあり、瑞々しく若い身体は尚一層輝きを増すようである。
高飛車な猫のようにやや吊り気味の大きな目は琥珀色で、人間よりも縦に長い瞳孔をしており、その双眸は長い銀色の睫毛に囲まれている。
一年前に比べると、ほんの少しすっきりした頬や鼻筋は涼しげに整い、今でもまるで白粉を塗ったように白くつややかな肌だ。両耳を飾る紅い耳飾りを揺らすと、千珠は髪の毛を緩く結い上げた。
「こんな格好でいいかな」
と、千珠は至って寛いだ格好でそう言いながら、二人とともに城に入る。
「いいんちゃう? 殿だけやろ?」
「いや、義姉上も一緒だと思うぞ」
「え、そうなのか。じゃあ着替えたほうがいいかな」
千珠はちょっと罰の悪そうな顔をして、ゆったりと開いた胸元を隠す。
「もういいやろ、あんまり待たせるほうが嫌われるで」
「それもそうだな……」
そうこう言っているうちに、三人は光政と奥方の待つ部屋に着いてしまう。
「兄上、舜海と千珠を連れて参りました」
留衣が三人を代表して入室の許しを求めると、「おう、入ってこい。そんな堅苦しい挨拶はよい」と、光政の気軽な返事が聞こえてきた。
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この国の棟梁・大江光政は、齢二十三という若さで先の大戦を勝利へと導いた勇将として、その名を国々に轟かせることとなった男である。
それはひとえに、人の世にあって最強の戦闘種族たる白珞族の生き残り、千珠をその手にしていたからということでもあった。鬼を従え、帝を守った勇壮なる武将として、青葉の大江光政の名を知らぬ者は今はいない。
はっきりとした目鼻立ち、逞しく芯のある佇まい。そんな男らしく華やかな容姿もさることながら、武芸にも秀でる光政は、非の打ち所のないような男である。国の長としての政も上手く、青葉の民にも愛されているのだから尚更だ。
千珠をその配下に加えるにあたり、戦において裏切りを防ぐ為の"血の盟約"を結んでいる二人の間には、命のやり取りが存在する。
千珠は光政の生命を贄として、戦にて鬼の力を振るうこと。そして千珠が死ぬ時、それは光政の死を意味するということ。
その盟約のもと、千珠は数百数千とも言われる敵をその手にかけた。本来ならば、勝利をもたらした見返りとして光政の生命を奪うのが掟であったが、千珠はそれをしなかった。
一族を滅ぼされ、ひとりぼっちだった千珠を青葉に引き留め、居場所を与えたのは光政である。そして迷い迷った結果、千珠はここに残ることを決めたからだ
❀ ❀
「ずいぶん薄着だな、千珠」
光政は千珠の着流し姿を見てそう言った。千珠は着物の合わせ目を正すと、せめて姿勢を正しておきたいのか、きちんと膝を揃えて正座をした。
「稽古が終わったところでしたゆえ、失礼」
「まぁよいよい、なかなかその着物も似合っているではないか。女物のようだが?」
「渡された着物が、たまたまこれで……」
「そうか、まぁよいさ。さて、本題に入ろうか」
光政は笑顔を収めて三人に向き直る。
「今日は紗代のお父上を始め、親戚の方々がおいでになるのは知っているな? 警護はどのようになっているのか知りたい」
舜海が城の見取り図を懐から取り出し、細かな配置を説明している間、紗代の目は千珠の白い肌に注がれていた。
千珠が人外のものであるということは、光政から聞いていたものの、こんなに近くで目にするのは初めてであった。
紗代は、備後の国を治めている下級貴族の娘であった。冷たく整ったきつい顔立ちと、一度も日に当たったことのないような青白い肌は、美しくはあるがどこか不健康そうにも見える。切れ長の瞳はいかにも知的であり、事実隙のない女であった。
自分がまさかむさ苦しい武家に嫁ぐなど思っても居なかった紗代は、嫁いできた当初は口もきかず、表情も変えず、ただただ硬く己を守っていた。光政も当時はまだ若く、そんな頑なな女には大した興味も示さなかったこともあり、形式だけの夫婦という色合いの濃い二人であった。
しかし嫁いできてすぐに戦が始まり、光政はほとんど不在であったため、長らく紗代は生家に戻っていた。
しかし戦を終わらせた光政の力に、紗代の心は動き始めた。帝を護った武将、勝利を収めた立役者……光政に付随する形容詞はどれもこれも紗代にとっては魅力的で、そんな男に嫁いだ自分を誇らしく思えるようになったという訳だ。
それは、光政自身のことを愛したとは言えないかもしれない。しかし形式から始まった二人の関係は、国を盛りたてるという共通の目標のもとに、次第に夫婦らしくなっていったのであった。
すぐに子宝にも恵まれ、かくして紗代は妻として確固たる地位を得たのである。
戦が終わった折、その伝説的な働きを聞き及び、白珞鬼の千珠とやらはどんなにいかめしいのだろうと想像していた紗代であったが、実際目にしたその姿が、華奢で小柄なほんの子どもであることに驚かされた。
そしてその美しさや、まるで女のような儚げな雰囲気には、僅かながら嫉妬の心まで動かされたものである。光政と千珠の関係について、なんとなく漏れ聞こえてくるものがあったからだ。
加えて、光政の千珠へと注がれる切な気な眼差しを横目に見る度、それが事実だったのだという確証も得ていた。
つまり、紗代が光政に抱かれるということは、鬼を支配している男に抱かれるということをも意味するのだ。それは力を持たない彼女にとって、自らの自尊心を満たす材料の一つでもあった。
久方ぶりに間近で見る千珠の姿は、当時に比べると多少は男らしくなったように映る。それでも妖艶な美しさは変わらず、特にこのような出で立ちのためか、ただならぬ色気を醸し出しているように見えた。
「なるほどな、では任せた。しっかり頼むぞ」
舜海の説明を聞いた光政は、満足気に微笑んだ。そして、留衣がどことなく居心地が悪そうに身体をもぞつかせているのを見ると、「慣れない格好で疲れているのか? 留衣」とからかうように尋ねる。
「まぁな」
留衣は無愛想に答えた。
「そのような口をきかれては、せっかくの美しいお姿が台無しですわよ」
紗代が初めて口を開いた。留衣は紗代の方を見ると、少し不機嫌そうな表情になる。
「致し方ないでしょう。柄にもない」
「今日はお身内のお祝い事ですもの、留衣さまにも一緒にいてくださらなくては」
「分かっております」
「あと、舜海さまと千珠さま。お仕事を増やして申し訳ありませぬが、よろしくお願い致します」
「承知いたしております」
舜海が頭を垂れるのに従い、千珠も礼をする。結い上げた銀色の長い髪の束が、さらりと肩を滑り落ちる。
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