66 / 339
第二幕 ー呪怨の首飾りー
十八、光政の提案
しおりを挟む
次の夜、千珠は光政の部屋に音もなく現れた。
光政は文机に向かって書物を読んでいたが、暗がりに白い影のように現れた千珠に驚く様子もなく、微笑む。
「よく来たな」
千珠は淡い灰色の着物に黒い袴を付け、長い髪をひとつに束ねている。その髪はまだ銀色のままで、行灯の明かりを吸って輝いていた。
千珠は光政の前にゆっくり歩み寄ると、少し離れて座り込む。光政はそんな千珠の姿を見ながら、一年前のことを思い出していた。
まだこの国に来たばかりの千珠。小さな身体で回りを警戒し、ぎらぎらと目を光らせていたあの頃のこと。
その頃と比べると、千珠はずいぶんとすっきりとした男になった。まだ顔立ちに幼さは残るものの、少し背が伸び形よく筋肉のついた身体になった。女たちが騒ぎ立てるのも無理はない。
「何を見ている」
千珠のそんないつもの台詞に、光政は吹き出した。
「ははは、いやな、初めてお前がここへ来たときのことを思い出していた」
千珠は目を瞬かせて光政を見た。
「ずいぶんとすっきりした男になったなぁと思ってな。お父上の血のせいか、雅やかな顔立ちになってきたな」
「まぁな」
千珠は素っ気なくそう言うと、月を見上げた。大きな満月が、空に高々と登っている。もうすぐ、千珠は人間の姿になる。
「話って何だ?」
千珠は外を見たままそう言った。余所余所しく、素っ気無い声だった。
「ああ、そうだったな。お前、留衣のことをどう思う?」
「え? どうって」
千珠は予想していなかった質問の内容に、面食らった顔をした。
「あれももう年頃だからな、そろそろ嫁ぎ先をと考えているのだ」
「ああ……」
「お前の目から見てどうだ、俺の妹は」
千珠は腕組みをすると、畳を見つめて考える。
「忍としては、そろそろ前線で動くのはやめたほうがいいだろうな。どうしても目立つし、以前のような切れがない。情報収集は上手いから、密偵にでも転身したらいいと思う」
「いやいやそうじゃない、女としてだ」
「えっ?」
光政は机に片肘をついて、穏やかな表情で千珠を見ていた。それは、妹を思う兄の顔であった。
「そうだな。うーん、そんなふうに見たことはなかったから……」
「何でもよいぞ」
「……お前に似てるよな、顔」
「そうか?」
「ああ、意思の強い目をしているし、美しい顔だと思う。人間の女にしては武術にも長けているし、褐色の肌もきれいだと思う」
「はは、あれだけ外を飛び回っていては日焼けもするな。他にもあるか? 留衣のこと」
「そうだな……よく喋るし、よく怒るしよく笑って、飽きない女だ」
「そうだろう、自由な奴だからな。女らしい言葉も喋れぬから、あれじゃおちおち外には出せない」
光政は笑みを浮かべたまま、眉を下げて困った顔をした。
千珠はふとした違和感に、自分の手元に目を落とした。
鉤爪が消え、ただそこには白く細い指があるだけとなっている。ふと空を見上げると、月が南の空高く昇り切っていた。
光政は目を細めて、黒髪の千珠を見つめる。白い肌と赤い唇が引き立ち、薄暗がりの中でもぼんやりと光輝くように見える。
普段よりもずっと幼く見えるその姿を恥じらうかのように、千珠は目を伏せて小さく俯いた。そんなしおらしい態度がまた可愛らしく見え、光政の口元が綻んだ。
「舜とは……いつも城から出ているのか?」
「ああ、城の中じゃ、誰に見られているか分からないから」
「誰に聞かれているかも分からぬものな」
「まぁな。あいつは朝までしつこいから」
さらりとそんなことを言う千珠に、光政は思わず吹き出し、軽く声を立てて笑った。
「確かに、しつこそうだな、あいつは」
千珠も、目を伏せて微笑む。舜海のくしゃみが聞こえてきそうだった。
「お前は、女を抱くのは好きか?」
「そうだな……拒む理由もないし。でもそれほど好きではない」
「ははは、すっかり色男だな。まぁ、無理もなかろう」
「でも子を成すつもりはないから、そこは気を付けている」
「何故だ?」
「何が生まれるか分からないからな」
「そうか」
光政は顎に手を当てると、ちょっと考えるような顔をしてから、こう言った。
「お前、留衣を嫁にとは思わないか?」
千珠は、ぱちぱちと何度も瞬きをして、しばらく無言で光政を見ていた。
「留衣と子を成してみてはどうかと思うのだが」
「……嫁、だと?」
「そうだ」
光政はにこにこしながらそう言った。
「お前正気か? 大切な妹を、こんな人外の者に嫁がせていいと思ってるのか」
「俺はお前だからこそ、妹をやってもいいと思っている」
光政は真面目な顔になると、文机から身体を離して千珠にまっすぐ向き直った。
「お前は良い男だ。国を思う気持ちがあり、下の者からも慕われている。妖であるということは、俺にとっては大した問題ではない。ただ、留衣を護って生きてくれるかということだけが、俺の知りたいところだ」
「……」
「正直、そこらへんの大名に大事な妹をくれてやるという気にはならないのだ。お前ならば、俺は嬉しく思うがな」
「いや、でも……留衣の気持ちだってあるだろう」
「それは問題ないだろう、留衣はお前のことを好いている」
「えっ?」
千珠は心底驚いたような顔をした。その表情に、光政はまた笑う。
「何だ、気づいていなかったのか?」
「そう言えば、俺と離れたくないって言われたことがあったっけ」
「そらみろ。お前さえその気があるなら、この国で世帯を持って……いや、難しいことはいい。あいつと一緒に生きて、俺に何かあったときは、お前にあいつを守っていて欲しいのだ」
「光政……」
光政は千珠に近寄ると、その手を握った。暖かくて力強い手だった。
「今回、こんな事件もあった。これからだって、何が起こるか分からない。いつまでも妹をほったらかしにはできないのでな。俺には子もいるしな。留衣のことは、さっさと安心したいのさ」
「……」
千珠は俯いて、光政の大きな手を見下ろす。
「まあ、考えておいてくれ。すぐに祝言だなんだと言うつもりはない。留衣にも何も言っていないからな」
「……分かった」
「本当か? すまんな、急にこんな話をして」
「いや……俺も、留衣が他の国に行ってしまうっていうのは、少しつまらないなと思っていたから」
「そうかそうか」
光政は嬉しそうな笑顔を浮かべて、もう一度千珠の手を強く握った。千珠は顔をしかめると、「痛い」と言う。
「おお、今日は人間だったものな。すまぬ」
光政は手を離すと、千珠の顔をじっと見つめた。
「今夜は色々と話しがしたくてな。お前を抱こうなんて思ってないから安心しろ」
「……それを聞いて安心した」
「ははは、やはりな。昨日はすまなかったな」
光政は立ち上がると、酒を持ってきた。千珠には茶の湯が用意されている。
「酒は飲めるようになっていないのだろう?」
「ああ、俺には向かないらしい」
「そうか、残念だな」
光政は千珠に酌をしてもらいながら、美味そうに酒を飲む。
「もし留衣と夫婦になったとしても、舜海との関係はやめられないか?」
「……どうだろうな」
千珠は目を伏せてちょっと考えた。
「あいつには、護衛だけを求めているわけじゃないから」
「ほう……」
「自分でもよく分からないのだ。何故あんなにもあいつの肉体を……あいつの気を欲するのか」
「そうか……まぁよい、留衣には気取られるなよ。あいつも忍だからな、いつ気付くか分からぬが。それはお前たちの問題だ」
「あぁ、そうだな」
光政はふと笑みを仕舞い込むと、ほんの少し、寂し気な声色で千珠に問いかける。
「俺では、駄目だったのか?」
光政は文机に向かって書物を読んでいたが、暗がりに白い影のように現れた千珠に驚く様子もなく、微笑む。
「よく来たな」
千珠は淡い灰色の着物に黒い袴を付け、長い髪をひとつに束ねている。その髪はまだ銀色のままで、行灯の明かりを吸って輝いていた。
千珠は光政の前にゆっくり歩み寄ると、少し離れて座り込む。光政はそんな千珠の姿を見ながら、一年前のことを思い出していた。
まだこの国に来たばかりの千珠。小さな身体で回りを警戒し、ぎらぎらと目を光らせていたあの頃のこと。
その頃と比べると、千珠はずいぶんとすっきりとした男になった。まだ顔立ちに幼さは残るものの、少し背が伸び形よく筋肉のついた身体になった。女たちが騒ぎ立てるのも無理はない。
「何を見ている」
千珠のそんないつもの台詞に、光政は吹き出した。
「ははは、いやな、初めてお前がここへ来たときのことを思い出していた」
千珠は目を瞬かせて光政を見た。
「ずいぶんとすっきりした男になったなぁと思ってな。お父上の血のせいか、雅やかな顔立ちになってきたな」
「まぁな」
千珠は素っ気なくそう言うと、月を見上げた。大きな満月が、空に高々と登っている。もうすぐ、千珠は人間の姿になる。
「話って何だ?」
千珠は外を見たままそう言った。余所余所しく、素っ気無い声だった。
「ああ、そうだったな。お前、留衣のことをどう思う?」
「え? どうって」
千珠は予想していなかった質問の内容に、面食らった顔をした。
「あれももう年頃だからな、そろそろ嫁ぎ先をと考えているのだ」
「ああ……」
「お前の目から見てどうだ、俺の妹は」
千珠は腕組みをすると、畳を見つめて考える。
「忍としては、そろそろ前線で動くのはやめたほうがいいだろうな。どうしても目立つし、以前のような切れがない。情報収集は上手いから、密偵にでも転身したらいいと思う」
「いやいやそうじゃない、女としてだ」
「えっ?」
光政は机に片肘をついて、穏やかな表情で千珠を見ていた。それは、妹を思う兄の顔であった。
「そうだな。うーん、そんなふうに見たことはなかったから……」
「何でもよいぞ」
「……お前に似てるよな、顔」
「そうか?」
「ああ、意思の強い目をしているし、美しい顔だと思う。人間の女にしては武術にも長けているし、褐色の肌もきれいだと思う」
「はは、あれだけ外を飛び回っていては日焼けもするな。他にもあるか? 留衣のこと」
「そうだな……よく喋るし、よく怒るしよく笑って、飽きない女だ」
「そうだろう、自由な奴だからな。女らしい言葉も喋れぬから、あれじゃおちおち外には出せない」
光政は笑みを浮かべたまま、眉を下げて困った顔をした。
千珠はふとした違和感に、自分の手元に目を落とした。
鉤爪が消え、ただそこには白く細い指があるだけとなっている。ふと空を見上げると、月が南の空高く昇り切っていた。
光政は目を細めて、黒髪の千珠を見つめる。白い肌と赤い唇が引き立ち、薄暗がりの中でもぼんやりと光輝くように見える。
普段よりもずっと幼く見えるその姿を恥じらうかのように、千珠は目を伏せて小さく俯いた。そんなしおらしい態度がまた可愛らしく見え、光政の口元が綻んだ。
「舜とは……いつも城から出ているのか?」
「ああ、城の中じゃ、誰に見られているか分からないから」
「誰に聞かれているかも分からぬものな」
「まぁな。あいつは朝までしつこいから」
さらりとそんなことを言う千珠に、光政は思わず吹き出し、軽く声を立てて笑った。
「確かに、しつこそうだな、あいつは」
千珠も、目を伏せて微笑む。舜海のくしゃみが聞こえてきそうだった。
「お前は、女を抱くのは好きか?」
「そうだな……拒む理由もないし。でもそれほど好きではない」
「ははは、すっかり色男だな。まぁ、無理もなかろう」
「でも子を成すつもりはないから、そこは気を付けている」
「何故だ?」
「何が生まれるか分からないからな」
「そうか」
光政は顎に手を当てると、ちょっと考えるような顔をしてから、こう言った。
「お前、留衣を嫁にとは思わないか?」
千珠は、ぱちぱちと何度も瞬きをして、しばらく無言で光政を見ていた。
「留衣と子を成してみてはどうかと思うのだが」
「……嫁、だと?」
「そうだ」
光政はにこにこしながらそう言った。
「お前正気か? 大切な妹を、こんな人外の者に嫁がせていいと思ってるのか」
「俺はお前だからこそ、妹をやってもいいと思っている」
光政は真面目な顔になると、文机から身体を離して千珠にまっすぐ向き直った。
「お前は良い男だ。国を思う気持ちがあり、下の者からも慕われている。妖であるということは、俺にとっては大した問題ではない。ただ、留衣を護って生きてくれるかということだけが、俺の知りたいところだ」
「……」
「正直、そこらへんの大名に大事な妹をくれてやるという気にはならないのだ。お前ならば、俺は嬉しく思うがな」
「いや、でも……留衣の気持ちだってあるだろう」
「それは問題ないだろう、留衣はお前のことを好いている」
「えっ?」
千珠は心底驚いたような顔をした。その表情に、光政はまた笑う。
「何だ、気づいていなかったのか?」
「そう言えば、俺と離れたくないって言われたことがあったっけ」
「そらみろ。お前さえその気があるなら、この国で世帯を持って……いや、難しいことはいい。あいつと一緒に生きて、俺に何かあったときは、お前にあいつを守っていて欲しいのだ」
「光政……」
光政は千珠に近寄ると、その手を握った。暖かくて力強い手だった。
「今回、こんな事件もあった。これからだって、何が起こるか分からない。いつまでも妹をほったらかしにはできないのでな。俺には子もいるしな。留衣のことは、さっさと安心したいのさ」
「……」
千珠は俯いて、光政の大きな手を見下ろす。
「まあ、考えておいてくれ。すぐに祝言だなんだと言うつもりはない。留衣にも何も言っていないからな」
「……分かった」
「本当か? すまんな、急にこんな話をして」
「いや……俺も、留衣が他の国に行ってしまうっていうのは、少しつまらないなと思っていたから」
「そうかそうか」
光政は嬉しそうな笑顔を浮かべて、もう一度千珠の手を強く握った。千珠は顔をしかめると、「痛い」と言う。
「おお、今日は人間だったものな。すまぬ」
光政は手を離すと、千珠の顔をじっと見つめた。
「今夜は色々と話しがしたくてな。お前を抱こうなんて思ってないから安心しろ」
「……それを聞いて安心した」
「ははは、やはりな。昨日はすまなかったな」
光政は立ち上がると、酒を持ってきた。千珠には茶の湯が用意されている。
「酒は飲めるようになっていないのだろう?」
「ああ、俺には向かないらしい」
「そうか、残念だな」
光政は千珠に酌をしてもらいながら、美味そうに酒を飲む。
「もし留衣と夫婦になったとしても、舜海との関係はやめられないか?」
「……どうだろうな」
千珠は目を伏せてちょっと考えた。
「あいつには、護衛だけを求めているわけじゃないから」
「ほう……」
「自分でもよく分からないのだ。何故あんなにもあいつの肉体を……あいつの気を欲するのか」
「そうか……まぁよい、留衣には気取られるなよ。あいつも忍だからな、いつ気付くか分からぬが。それはお前たちの問題だ」
「あぁ、そうだな」
光政はふと笑みを仕舞い込むと、ほんの少し、寂し気な声色で千珠に問いかける。
「俺では、駄目だったのか?」
11
あなたにおすすめの小説
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
塾の先生を舐めてはいけません(性的な意味で)
ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
個別指導塾で講師のアルバイトを始めたが、妙にスキンシップ多めで懐いてくる生徒がいた。
そしてやがてその生徒の行為はエスカレートし、ついに一線を超えてくる――。
【bl】砕かれた誇り
perari
BL
アルファの幼馴染と淫らに絡んだあと、彼は医者を呼んで、私の印を消させた。
「来月結婚するんだ。君に誤解はさせたくない。」
「あいつは嫉妬深い。泣かせるわけにはいかない。」
「君ももう年頃の残り物のオメガだろ? 俺の印をつけたまま、他のアルファとお見合いするなんてありえない。」
彼は冷たく、けれどどこか薄情な笑みを浮かべながら、一枚の小切手を私に投げ渡す。
「長い間、俺に従ってきたんだから、君を傷つけたりはしない。」
「結婚の日には招待状を送る。必ず来て、席につけよ。」
---
いくつかのコメントを拝見し、大変申し訳なく思っております。
私は現在日本語を勉強しており、この文章はAI作品ではありませんが、
一部に翻訳ソフトを使用しています。
もし読んでくださる中で日本語のおかしな点をご指摘いただけましたら、
本当にありがたく思います。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる