100 / 339
第三幕 ー厄なる訪問者ー
三十、離れるな
しおりを挟む
千珠がふと目を覚ますと、辺りは既に真っ暗だった。大分長く眠っていたらしく、すっかり夜も更けている。
千珠は喉の乾きを覚えて、ゆっくりと起き上がる。
ぼうっとした頭を覚ますためにも、冷たい水を頭から浴びたかった。
立ち上がって人気のない城の中を歩いていると、轟々と降っていた雨がやんでいることに気付く。
虫の声が響き、暗がりの中、屋根から水が滴る音も聞こえてくるような、静かな夜だ。
千珠は冷たい木の床を音もなく進み、井戸で水を汲んで飲む。更に千珠は衣を全て脱ぎ去ると、頭から冷水を浴びた。
意識が一気に冴え渡り、どこか淀んでいた自分の心持ちが凛としてゆくのが分かる。
深く息を吐くと、細胞のひとつひとつが、息を吹き返す様な気がした。
ふと、爪の間に血がこびりついているのを見つけ、どきりとする。そうして両手を見下ろしたときに、引き千切れたはずの数珠が手首に巻き付いている事に気づく。
紅い珊瑚と共に、見慣れぬ水晶が織り交ぜてある。以前宇月が千珠に見せたものだ。
「あいつ……」
きっと宇月は、道場から珊瑚の欠片を拾い集め、糸を通して再び数珠を作ってくれたのだ。
千珠はもう一度水を浴びると、獣のように頭を振って、長い銀髪から水を振り払う。手についた血も洗い清める。
舜海の顔が、見たいと思った。
きちんと礼と侘びを言いたかった。
千珠は衣をまた羽織ると、帯を締めて舜海の部屋に向かう。
✿
舜海は、眠っていた。
顔の腫れは少し引いており、目元の湿布はもう取り外されていたが、着物の襟口から覗く胸元に巻かれた白い晒は痛々しい。
千珠は枕元に座り込むと、暗がりの中で舜海の寝顔を見つめる。
「無茶をさせたな……」
千珠がそう呟くと、舜海はゆっくりと目を開いた。そして、微笑む。
「何や、接吻でもしてくれるんかと思ってたら、見てるだけか」
「起きてたのか」
千珠が驚いていると、舜海は顔をしかめつつ、ゆっくりと身体を起こす。そして、枕元の行灯に火を灯した。
「俺もずっと寝てたからな、いい加減眠れへんくなってきてたとこや」
「舜海、すまなかったな、無理させて……」
「何言ってんねん。お前が謝るなんて気色悪いわ」
「……ふん」
舜海はいつものように明るい。千珠は、それに少し心が救われる想いがした。
「それに、お前は何も気にせんでええからな。今回のことは、全面的に兼胤が悪い」
「そう……だな」
ふと、兼胤にされたことが身体に蘇り、ぞっとする。千珠は思わず右手で自分の身体を庇うような格好をした。
「何かされたんか、あいつに」
舜海は険しい表情になってそう尋ねた。
「ちょっと体中舐め回されただけだ」
「……十分あかんわ」
舜海は手を伸ばして、千珠の頬を撫でた。千珠が目を上げると、舜海の気遣わしげな目線とぶつかる。
兼胤に触れられたときはあんなにも怖気がたったのに、舜海に触れられるのはとても心地良く、落ち着く。千珠は眼を閉じて、その手に自分の手を添えた。
「……あたたかい」
「何やお前、びしょびしょやないか」
「ちょっと水を浴びてきたから」
「そんな格好でいたら、風邪ひくぞ」
舜海は自分の羽織りを脱ぐと、千珠の背中に引っ掛けた。温もりの残る衣が千珠の冷えた身体を包み込み、ついでに心まで緩めてゆく。
「舜海……宇月が言っていた。俺がお前を求めるのは、お前が、俺の気を高めることができるからなんだそうだ」
千珠は、宇月の話を舜海に聞かせた。舜海は、真剣な表情で、何も言葉を挟まず聞いている。
「だから、俺たちの関係は、自然なことなんだそうだ」
「へぇ……」
「だから……俺から離れようなんて、思うな」
「え?」
千珠は、迷子の子どものような不安げな表情で、舜海を見つめた。舜海はどきりとして、千珠を見る。
「お前は俺にとって、必要なんだ。だから俺の前から居なくなろうなんてこと、考えるな。お前はいつでも、俺のそばで馬鹿なこと言ってりゃいいんだ」
最後の方は、泣き声に近かった。みるみる、千珠の目が潤み、大粒の涙が頬を滑り落ちる。舜海はそんな千珠から目が離せなかった。
「千珠……」
「だから、離れるなんてこと、言うな。どこにも行くな」
小さな子どものように、涙を流しながらそう訴える千珠を、舜海は思わず抱きしめていた。千珠はしゃくり上げて、舜海にしがみついて泣いている。
「馬鹿のくせに、小難しいこと考えるな。抱きたい時に俺を抱けばいいんだ」
「ああ、そうやな……不安にさせたな。すまんかった」
千珠の泣き声が舜海の胸に直接響いてくる。そして、千珠の孤独への不安も。
それを感じながら、舜海もまた安堵していた。千珠を失わなくていい、千珠も自分を求めているのだと。
いつか、お互いを必要としなくなる日が来るまで、ずっとこの細い背中を護っていようと思った。
この美しい獣を。
「変なこと言って、悪かった」
千珠の頭を撫でながら、舜海は何度もそう言った。そうしていると、千珠の呼吸が少しずつ落ち着き、真っ赤に泣き腫らした目が舜海を見上げる。
——か、可愛い……。
舜海は、沸き上がってくる欲望をどうにか堪えた。今はそういう場面ではない、と理性を働かせながら。
「ほんまやで。お前はほっとくと、何をしでかすか分からへんからな」
「……」
千珠の目元を親指で拭ってやると、安心させるように笑顔を見せた。
「だからそんな目で見るな、我慢できへんくなるやろ。場所が場所やし……」
「あ、そうか」
千珠ははっとして、舜海から身体を離す。取り乱したことを、少し恥じているような表情である。
それを見て舜海は無意識に呟く。
「……お前、ほんまに可愛いな」
千珠はぴくりと顔を強張らせ、何か不気味なものを見るような眼差しを舜海に向けて、言った。
「薄気味悪いことを言うな」
そんな反応を見て、舜海は吹き出す。
そして、もう一度千珠を抱き寄せた。
千珠は喉の乾きを覚えて、ゆっくりと起き上がる。
ぼうっとした頭を覚ますためにも、冷たい水を頭から浴びたかった。
立ち上がって人気のない城の中を歩いていると、轟々と降っていた雨がやんでいることに気付く。
虫の声が響き、暗がりの中、屋根から水が滴る音も聞こえてくるような、静かな夜だ。
千珠は冷たい木の床を音もなく進み、井戸で水を汲んで飲む。更に千珠は衣を全て脱ぎ去ると、頭から冷水を浴びた。
意識が一気に冴え渡り、どこか淀んでいた自分の心持ちが凛としてゆくのが分かる。
深く息を吐くと、細胞のひとつひとつが、息を吹き返す様な気がした。
ふと、爪の間に血がこびりついているのを見つけ、どきりとする。そうして両手を見下ろしたときに、引き千切れたはずの数珠が手首に巻き付いている事に気づく。
紅い珊瑚と共に、見慣れぬ水晶が織り交ぜてある。以前宇月が千珠に見せたものだ。
「あいつ……」
きっと宇月は、道場から珊瑚の欠片を拾い集め、糸を通して再び数珠を作ってくれたのだ。
千珠はもう一度水を浴びると、獣のように頭を振って、長い銀髪から水を振り払う。手についた血も洗い清める。
舜海の顔が、見たいと思った。
きちんと礼と侘びを言いたかった。
千珠は衣をまた羽織ると、帯を締めて舜海の部屋に向かう。
✿
舜海は、眠っていた。
顔の腫れは少し引いており、目元の湿布はもう取り外されていたが、着物の襟口から覗く胸元に巻かれた白い晒は痛々しい。
千珠は枕元に座り込むと、暗がりの中で舜海の寝顔を見つめる。
「無茶をさせたな……」
千珠がそう呟くと、舜海はゆっくりと目を開いた。そして、微笑む。
「何や、接吻でもしてくれるんかと思ってたら、見てるだけか」
「起きてたのか」
千珠が驚いていると、舜海は顔をしかめつつ、ゆっくりと身体を起こす。そして、枕元の行灯に火を灯した。
「俺もずっと寝てたからな、いい加減眠れへんくなってきてたとこや」
「舜海、すまなかったな、無理させて……」
「何言ってんねん。お前が謝るなんて気色悪いわ」
「……ふん」
舜海はいつものように明るい。千珠は、それに少し心が救われる想いがした。
「それに、お前は何も気にせんでええからな。今回のことは、全面的に兼胤が悪い」
「そう……だな」
ふと、兼胤にされたことが身体に蘇り、ぞっとする。千珠は思わず右手で自分の身体を庇うような格好をした。
「何かされたんか、あいつに」
舜海は険しい表情になってそう尋ねた。
「ちょっと体中舐め回されただけだ」
「……十分あかんわ」
舜海は手を伸ばして、千珠の頬を撫でた。千珠が目を上げると、舜海の気遣わしげな目線とぶつかる。
兼胤に触れられたときはあんなにも怖気がたったのに、舜海に触れられるのはとても心地良く、落ち着く。千珠は眼を閉じて、その手に自分の手を添えた。
「……あたたかい」
「何やお前、びしょびしょやないか」
「ちょっと水を浴びてきたから」
「そんな格好でいたら、風邪ひくぞ」
舜海は自分の羽織りを脱ぐと、千珠の背中に引っ掛けた。温もりの残る衣が千珠の冷えた身体を包み込み、ついでに心まで緩めてゆく。
「舜海……宇月が言っていた。俺がお前を求めるのは、お前が、俺の気を高めることができるからなんだそうだ」
千珠は、宇月の話を舜海に聞かせた。舜海は、真剣な表情で、何も言葉を挟まず聞いている。
「だから、俺たちの関係は、自然なことなんだそうだ」
「へぇ……」
「だから……俺から離れようなんて、思うな」
「え?」
千珠は、迷子の子どものような不安げな表情で、舜海を見つめた。舜海はどきりとして、千珠を見る。
「お前は俺にとって、必要なんだ。だから俺の前から居なくなろうなんてこと、考えるな。お前はいつでも、俺のそばで馬鹿なこと言ってりゃいいんだ」
最後の方は、泣き声に近かった。みるみる、千珠の目が潤み、大粒の涙が頬を滑り落ちる。舜海はそんな千珠から目が離せなかった。
「千珠……」
「だから、離れるなんてこと、言うな。どこにも行くな」
小さな子どものように、涙を流しながらそう訴える千珠を、舜海は思わず抱きしめていた。千珠はしゃくり上げて、舜海にしがみついて泣いている。
「馬鹿のくせに、小難しいこと考えるな。抱きたい時に俺を抱けばいいんだ」
「ああ、そうやな……不安にさせたな。すまんかった」
千珠の泣き声が舜海の胸に直接響いてくる。そして、千珠の孤独への不安も。
それを感じながら、舜海もまた安堵していた。千珠を失わなくていい、千珠も自分を求めているのだと。
いつか、お互いを必要としなくなる日が来るまで、ずっとこの細い背中を護っていようと思った。
この美しい獣を。
「変なこと言って、悪かった」
千珠の頭を撫でながら、舜海は何度もそう言った。そうしていると、千珠の呼吸が少しずつ落ち着き、真っ赤に泣き腫らした目が舜海を見上げる。
——か、可愛い……。
舜海は、沸き上がってくる欲望をどうにか堪えた。今はそういう場面ではない、と理性を働かせながら。
「ほんまやで。お前はほっとくと、何をしでかすか分からへんからな」
「……」
千珠の目元を親指で拭ってやると、安心させるように笑顔を見せた。
「だからそんな目で見るな、我慢できへんくなるやろ。場所が場所やし……」
「あ、そうか」
千珠ははっとして、舜海から身体を離す。取り乱したことを、少し恥じているような表情である。
それを見て舜海は無意識に呟く。
「……お前、ほんまに可愛いな」
千珠はぴくりと顔を強張らせ、何か不気味なものを見るような眼差しを舜海に向けて、言った。
「薄気味悪いことを言うな」
そんな反応を見て、舜海は吹き出す。
そして、もう一度千珠を抱き寄せた。
12
あなたにおすすめの小説
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
塾の先生を舐めてはいけません(性的な意味で)
ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
個別指導塾で講師のアルバイトを始めたが、妙にスキンシップ多めで懐いてくる生徒がいた。
そしてやがてその生徒の行為はエスカレートし、ついに一線を超えてくる――。
【bl】砕かれた誇り
perari
BL
アルファの幼馴染と淫らに絡んだあと、彼は医者を呼んで、私の印を消させた。
「来月結婚するんだ。君に誤解はさせたくない。」
「あいつは嫉妬深い。泣かせるわけにはいかない。」
「君ももう年頃の残り物のオメガだろ? 俺の印をつけたまま、他のアルファとお見合いするなんてありえない。」
彼は冷たく、けれどどこか薄情な笑みを浮かべながら、一枚の小切手を私に投げ渡す。
「長い間、俺に従ってきたんだから、君を傷つけたりはしない。」
「結婚の日には招待状を送る。必ず来て、席につけよ。」
---
いくつかのコメントを拝見し、大変申し訳なく思っております。
私は現在日本語を勉強しており、この文章はAI作品ではありませんが、
一部に翻訳ソフトを使用しています。
もし読んでくださる中で日本語のおかしな点をご指摘いただけましたら、
本当にありがたく思います。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる