異聞白鬼譚

餡玉(あんたま)

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第一章 都へと呼ばわれ

一、千珠の成長

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 千珠は、目を閉じていた。

 轟々と音を立て、はるか頭上から大量の水を吐き出す滝壺のすぐそばで、千珠は衣を飛沫で濡らしながら座禅を組んでいる。
 その隣には、同じ姿勢で座している、初老の男が一人。

 千珠は目を閉じ、軽く俯いた状態で膝の上に手を置き、静かな呼吸を繰り返す。
 肌に降りかかる水の雫、春へと移ろう空気の匂い、きらきらと瞼の向こうできらめく木漏れ日、胸を満たす、清浄な空気を感じる。
 そして腹の中で、妖気が青い炎のように燃えているのを感じる。

 千珠がすっと目を開くと、目の前に置いてあった陶器の徳利が弾けるように割れた。細かな破片が、千珠とその男の膝小僧に降りかかる。

 男はため息をつくと、座禅を解いてその器の欠片を指ですくう。

「もう少し、繊細に扱えへんのか」

 その男は柊の祖父であり、先々代忍頭を務めた柘榴ざくろという男だった。
 この二年間、千珠はこの柘榴によって自らの妖気を操作するすべを学んできたのである。柘榴は只人ながらに、気道を読む能力に長けた男なのだ。

 身の丈は千珠と変わらないが、石のように引き締まった筋肉、日に焼けてかさかさに乾いた肌にはいかにも年季が感じられる。
 深く刻まれた眉間の皺と、柊の涼やかな目を数段鋭くしたような目つきからは、熟達された忍の威厳があった。

 千珠はじっとその破片を見下ろすと、深く息を吐いて足を伸ばした。
「静かに真っ二つなんて、無理だろ。あぁ……肩が凝る……」

 千珠は首を回して、こきこきと音を立てた。柘榴はやれやれと首を振り、千珠の目の前に仁王立ちする。

「お前には想像力ってもんが足りひん。もっと頭の中でしっかりと、妖気を刃のように研ぎ澄ませ」
「やってるってば」
「いいや、散漫や。もう一回やれ」
「……」

 千珠は肩をすくめ、立ち上がった。

「ちょっと休憩してからな!」

 そう言うなり、千珠はひょいひょいと岩肌を身軽に登っていってしまった。
「猿かお前は! まったく、若いもんは辛抱ってもんを知らん!!」
と、柘榴が下からどやしつけるのもお構いなしだ。

 どぼんと音がして、滝壺の水が揺れる。その渦の中から、千珠が水をかいて勢い良く顔を出した。
 銀色の髪を振り水中から伸び上がると、飛び散る雫に陽の光が反射して、きらきらと輝いた。

「寒がりのくせに、またそんな遊びをしおって!」

 まるで言うことを聞かない千珠に、柘榴は目を三角に吊り上げて怒鳴った。

「いいだろ別に。これ、すっきりするんだ」

 ざばっと水から上がってきた千珠は、ぶるりと頭を振って獣のように水を払う。
 その水を浴びせられた柘榴は渋い顔を見せ、またまた怒鳴った。

「犬かお前は! もっとわしを敬わんか!」
「敬ってますって」

 千珠は惜しげも無く半裸になり、衣を絞りながらそう言い、振り返って明るい笑顔を見せる。

「今なら、なんか出来そうな気がする」
「まったく……」

 上半身裸のまま、再び座禅を組んだ千珠を眺めながら、柘榴は口をへの字にしてため息を吐いた。
 


 ❀



 柘榴が初めて千珠を見たのは、大戦の始まる少し前だった。
 その頃の千珠はまだ幼く、小柄で痩せっぽち。無表情を装っているふうだったがいつもぴりぴりと周りを警戒し、どこか不安げでもあった。
 力の強さの割に、なんと不安定な心持ちかと、危うく思ったものだった。

 柘榴は終戦を見届けた後に隠居し、妻と共に山寺で経を読んだり、文を書いたりして静かに暮らしていた。

 そんなある日、孫である柊がふらりとやって来て、千珠のことを鍛えてやってほしいと頼まれた。

 千珠は確かに、ずば抜けた力を持っている。
 妖力が増しているぶん、揺らぎやすい千珠の精神を放置することはできないと感じた。何故なら、それがゆくゆくは国の脅威にもなりうるからだ。

 柘榴は引き受けた。全身全霊を懸けて守ってきた青葉の国のために。


 数年ぶりに見た千珠は、戦の頃よりもずっと落ち着いていた。
 柘榴を見て、「柊とそっくりだな」と楽しそうに笑えるまでに、千珠は平静な心というものを手にしたように見えた。

 しかし、千珠の心持ちには波がある。満月が近づくにつれて、その気は不安定になり、力の操作も不安定になってゆく。

 精神的な支えであったという舜海と離れたことの影響は殊の外大きく、その時期の千珠はとても扱いにくい子どものようだった。
 柘榴は甘えを許さず厳しく接していたため、千珠はいつもぶつぶつ文句を言っていたが、結局はいつも柘榴の言いつけを守って修行に励んだ。

 その成果か、千珠の精神面は少しずつ厚みを増してきた。
 少しずつ、身も心も少年から青年へと。

 柘榴は嬉しかった。久々に自ら育てたこの美しい鬼の子が、まっすぐに成長していることが。
 わが子を早くに亡くした柘榴にとって、自分のもとで孫や弟子たちが育ち、巣立っていくことは何よりの幸せだった。


 ❀


 ぴしっ、と鋭い音。柘榴ははっと我に返る。

 振り返ると、千珠が二つに割れた徳利を手に得意げに笑った。

「どうだ。できただろ」
「……ふん、これくらい当然や」

 柘榴は千珠に歩み寄ると、徳利を受け取り、割れた断面を指でなぞる。
 陶器をこんなにも鋭く切断できるものがあるのかというくらい、その断面は滑らかだった。柘榴は予想以上の出来栄えに、目を見開く。
 そして無言で、千珠の頭をがしがしと乱暴に撫でた。

「痛い痛い!」
「なかなかやるやん。この切れ味、忘れんなよ」
「おう」

 千珠はすいと立ち上がって伸びをした。落ち着いた妖気、いい表情をしている。

「千珠、昼飯食っていくか? ばぁさんが喜ぶ」
「ああ、そうだな。行く、腹が減ったし」

 千珠は衣を身に着け髪を結い上げてしまうと、柘榴と連れ立って山寺へと駆け出す。
 心地よい日差しが差し込む木立の中を、二人は身軽に走っていった。

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