異聞白鬼譚

餡玉(あんたま)

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第四章 千珠、策を練る

八、柊との語らい

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 翌日の早朝のこと。
 雅な庭を眺めながら、舜海と柊は二人で朝風呂に浸かっていた。千珠は寝起きが悪いことと、大勢の前で肌を晒すのは嫌だということで、まだ離れで眠っている。

 土御門邸には大勢の陰陽師が住まっているため、西の角に拵えられた大きな露天の檜風呂は、なかなかの素晴らしさである。洗い場はただの石畳を敷いただけの造りで多少手狭だが、湯船は大人が五六人はゆったり入れるだけの広さがある。
 風呂好きの柊は喜んで、四肢を伸ばして寛いでいた。

「さぁて、これからどうするかな」

 湯けむりの向こうで、柊が言った。

「どうするって?」
「俺は千珠さまの想いの通りに従って動くだけや。お前は、そうもいかへんかもしれんけどな」
「……そんなこと、ないわ」

 舜海は苛立ったようにそう言い、肩下ほどまで伸びた洗ったばかりの髪を、適当に一つにまとめる。

「けど、業平殿の言うことだって、正しいと思ってまう」 

 舜海は少し表情を曇らせて、柊から目を逸らした。
 柊の言う通り、また千珠にもばれていたように、業平から千珠が無茶をせぬようにと言われているのは事実である。

 昨晩、千珠が舜海を遠く感じると言ったのは、おそらくこの迷いが伝わっていたせいだろう。

 業平とて、無理に夜顔を殺したくはないのかもしれない。しかし都の平安のためには、千珠の力を借りてでもそうしたいと思っているのは理解できる心情だ。

 夜顔は帝にとって、都にとって、ひいてはこの国にとっての脅威。猿之助もろとも、ひっ捕らえて殺してしまうのが正しい措置だ。業平の考えは当たり前のように正しいし、考えるまでもなく全ての人間がそう望むに決まっている。

 しかし千珠は、夜顔を殺したくない。何か救う手立てがないか、必死で考えているのだ。  
 
「おい、舜海。お前は今後都と青葉、どちらに尽くすつもりやねん」
「はぁ? そんなん、青葉に決まってるやろ」
「それなら千珠さまのために、無い頭を振り絞ってとことん一緒に考えてやるのが、お前じゃなかったんか? そんな正論にあっさり従って、千珠さまの気持ちをないがしろにするような男やったんか? お前は」

 珍しく真剣な表情で、柊はそんなことを言った。目線では空を見つめたまま、周りには聞こえぬよう低い声で。

「そんなんちゃうかったやろ、お前は」
「柊……」
「ここで二年過ごすうちに、随分と常識人になったもんやな」

 柊はちらりと冷たく、舜海を見た。

「……お前がそんなことを言うとは驚きやな」
と、舜海は呟く。
「お前がおらん間、俺は千珠さまをしっかり見てきたつもりや。大概の仕事は一緒にやった。祖父さんに頼んで、修行もつけてもろた。……千珠さまは少しずつ、変わらはった」
「……」

 涼やかな横顔でそんなことを語る柊の声を、揺らめく水面を見詰めながら聞く。

「忍衆ともうまくやってはる。槐っていう弟も現れて……もっと周りのために力を使いたいからと、よう働いてくれる。ほんまにまっすぐ、成長したと思う」
「……そうか」
「今回の一件は色んなことが絡まっていて難しいが、あの人の想いは理解できる。だからこそ、俺は千珠さまの選択に従う」

 舜海はため息をつき、ざばりと湯を顔にかける。

「お前に言われるまでもないことや。俺は千珠のために動く。決まってるやろ」
「そうか。まぁ今のお前の立場も分からんではないがな。……しかし、昔のように猪突猛進なところが見られへんかったから、一言言わせてもらった」
「すまんな。お前は説教なんて柄じゃないのに」
「いや……この二年、千珠さまにはよく説教を垂れていたからな。忍衆に入ってもらったからには、頭として色々と。おかげで周りからは老けただの父親みたいだの……千珠さまにもうるさがられるし……」

 柊はどんよりとした空気を漂わせながら、ぶつぶつと呟く。

「苦労したんやな、柊……」
「特に女がらみで、一時期千珠さまは荒れてはったからな。自分から何かしに行くわけじゃないが、あの容姿で人当たりも良うなったもんやから、城に出入りする女たちがわらわらと……」
「ほう、羨ましいやつめ」
「この俺が女がらみであんなまともな説教するなんて、と自分で感心したもんや。そのせいか、俺は最近まったくもてへん。完全なる保護者や保護者」
「ははぁ……あんなに調子乗ってたお前がなぁ。そろそろ身を固めたほうがええんちゃうか」
「せやなぁ……」
「宇月とか、どうなんや? そういやあいつ、元気にしてんのか」
「元気やで。しかしまぁ、俺と宇月はちゃうやろ。あいつは賢いし、よう働くええ女やと思うけど。……それにな、千珠さまが宇月のこと、気にし始めてんねん」
「えっ」

 舜海は少なからずどきりとして、柊を見た。
 柊は厳島での一件についての話を、淀みなく語って聞かせる。

「……そんなことが、あったんや」 
「宇月はそこらへんの女とは違うからな。千珠さまに知恵を与えて、力を知るように導いたり、一緒に前線に出たり。それに千珠さまの色香にもまるで動じないうぶな部分も新鮮だろう」
「そうか……」
「ちょうど一年ほど前からかな。まぁ千珠さまもどうしてええか分からへんみたいで、まだ何の進展もないねんけど」
「そっか。宇月とは、思わへんかったな……」 

 舜海は、風呂の縁に頭を乗せて空を見上げた。夜明けの清々しい青の中に、宇月の丸い顔が思い出される。

「あいつなら……確かに千珠も安心して一緒におれそうやな」
「お前には、面白い話ではなかったか」
「いや……。俺らの関係も、いつまでもというわけにはいかへんから」
「なんや、そんなことを考えながらやってたんか」
「当たり前やろ。俺は、あいつが望む人生を歩めるように、手を貸していただけや」

 舜海は、仰のいたまま目を閉じた。


 浮かんでくるのは、千珠の姿ばかり。
 再会した日のこと、昨日の晩のこと、そして二年前のあの夜のこと。


 あの日、己の寂しさ洗い流すために流していた涙を。
 今千珠は、他の誰かのために流している。
 

 槐、宇月。
 千珠に、守りたいと願うものが増えてゆく。


 ――俺の役目はそろそろ終わりなんかもしれんな……。

 
 あいつが望む生き方を、邪魔したくない。変わらずずっと、見守るだけ。


 それでいい。あの笑顔を守れるのなら――……。

 
「そんなにも、大事か。自分の気持ちを殺してでも、あの人の幸せを願うほど」
「……まぁ、な」
「そうか」
「そう思ってはいても……やっぱり離しがたい。あいつを抱くたびに、俺は自分の気持が分からへんくなる。このままずっと、俺だけを求めて欲しいとも思うし、あいつに喰われて血肉の一部になってもいいと思ったりもする。でも頭のどこかは醒めていて、これで最後、いつかは終わるものと割り切っていたりもする」
「……俺にはよう分からん話やな」
「せやんな。……何でこうなったんやろなぁ」

 舜海の呟きは、白くなった吐息とともに、湯気に霞む空の中へと消えてゆく。

 二人は徐々に昇りゆく太陽を、無言のまま眺めていた。
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