異聞白鬼譚

餡玉(あんたま)

文字の大きさ
223 / 339
第二章 出奔

三、ひとり

しおりを挟む

 千珠は一人、走っていた。
 独りきりでこんなに長い時間走り続けるのは、久しぶりだ。いつもは誰かが一緒にいて、馬で行くだの集団行動をしろだのと口喧しく説教をされ、いつもいつも煩わしいと思っていた。

 しかし、一人になると分かる。
 あの煩わしさが、自分にとっての居場所だったのだと。

 仲間たちから離れて、一人で能登へ向かう。
 自分は一体、何をどうしようというのかも分からないままに。

 雷燕。
 北で最強の、妖。
 会ってみたいと思わされるのは、この身の中に眠る夜顔が父を求めるせいなのか。それとも、雷燕が千珠を呼んでいるせいなのか。
 会ってどうするなどとも決めぬまま、ひとりになって夜の森を奔るのだ。

 鬼の血が、引き寄せられるようだった。
 どんな姿かも、どこに居るのかもわからないのに、後先考えずに行くのだ。

 山々の木々の枝の上を駆けながら、千珠は少し自嘲気味に笑う。


 ――どうかしている。


 あいつら、怒っているだろうな……。宇月は、気にしてるかな。昼間あんなことを言ってしまったから。
 俺は宇月が傍で笑って見ていてくれるだけで幸せなのに、あんなことを口走るなんて。

 でもきっと、心の片隅で思っていたことなのだろう。でないと、あんなことを口にするわけがない……。


 文句を言う千珠を嗜める柊や、そんな二人を見て笑っている宇月。いつも調子に乗って馬鹿をする竜胆、静かにこまごまとしたことをしてくれる山吹。

 そして、舜海。
 普段の舜海は、何かにつけ千珠に文句を言ったり、ふざけたり、怒ったり。何だかんだといつも笑ってそばにいた。舜海がいると、その場がとても楽しくなった。

 二人のとき、口には出さなくとも舜海の気持ちを肌で、眼で、身体で感じていた。彼のはっきりとした強い目は、いつだって自分を大切に思う気持ちで溢れていた。

 
 ――愛してる。


 嬉しかった。本当に、嬉しかった。
 普段はおちゃらけて本音を見せない舜海の心のうちを、ようやく言葉にして伝えてくれたこと。
 胸を突き上げるような切なさと幸福感に酔いながら抱かれた、あの素晴らしい時間。思い出すだけで、身体中が熱く火照って疼き出す。

 愛を囁かれながら最奥を突かれ、一番いい所を擦り上げられ、頭が真っ白になるまで舜海に抱かれて。泣くほど良くて、声が枯れるほどに喘いで、広い背中に爪痕を残した。
 

 ——守られる安堵感をくれた、力強く背中を押してくれた、一人じゃないと言って涙を拭ってくれた。そんなあいつを、愛おしく思わぬはずがない。

 
 舜海を手放せぬまま、宇月への気持ちにも駆り立てられる。こんなに欲深いことがあっていいはずがない。


 ――それならばもう、一人になってしまえばいい。


 自分を抱き締める強い腕と、熱い目線が蘇り、千珠は心臓をぐっと掴まれるような気持ちになった。
 強烈な快楽と、強烈な感情の昂ぶり。日溜まりに居るような幸福感をくれる宇月とは、全く違う存在……。

 久し振りに舜海と交わって、かなり気が高まっている。身体が軽い。なのに、心はこんなにも遠い。人の世で生きてきたことが、もう大昔のことのように感じられる。

 千珠は目を閉じて、夜の空気を思い切り吸い込んだ。冴え冴えとした糸月の下、自分もこの大地と一体となって溶けて行ってしまいそうな、雄大な夜。


 ――気持ちが、落ち着く……。


 ひとりになって、もっと孤独を感じるかと思っていたのに。今千珠を満たすのは解放感だ。
 人間との感情のやり取りを排したこの身に染み入るのは、果てのない自由。


 ――これでいい。これでいいんだ。



 ふと、千珠は目を開いて立ち止まった。
 がさがさ、と飛び乗った枝が乾いた音を立てて揺れる。

 匂いがする。
 人間ではないものの匂い。そもそも、こんな山奥に人間などいない。

 一人、だな。
 かなり高い妖力を持った妖。そして、女物の香のような匂い……。

 千珠はざざっと、巨木の枝から地上へと降り立った。
 とん、と軽く着地すると、月の光も届かぬ森の中を見回した。しばらく歩を進めると、樹々が途切れて開けた場所に出た。地面を削りながら流れる川と、ごつごつとした巨岩が転がっている。

 一際大きな岩の上に誰かが座っているのが見えた。
 千珠は身構えて、その影を見上げる。


「……おや。この匂い、何だろうねぇ……」
しおりを挟む
感想 15

あなたにおすすめの小説

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

チョコのように蕩ける露出狂と5歳児

ミクリ21
BL
露出狂と5歳児の話。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

塾の先生を舐めてはいけません(性的な意味で)

ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
個別指導塾で講師のアルバイトを始めたが、妙にスキンシップ多めで懐いてくる生徒がいた。 そしてやがてその生徒の行為はエスカレートし、ついに一線を超えてくる――。

【bl】砕かれた誇り

perari
BL
アルファの幼馴染と淫らに絡んだあと、彼は医者を呼んで、私の印を消させた。 「来月結婚するんだ。君に誤解はさせたくない。」 「あいつは嫉妬深い。泣かせるわけにはいかない。」 「君ももう年頃の残り物のオメガだろ? 俺の印をつけたまま、他のアルファとお見合いするなんてありえない。」 彼は冷たく、けれどどこか薄情な笑みを浮かべながら、一枚の小切手を私に投げ渡す。 「長い間、俺に従ってきたんだから、君を傷つけたりはしない。」 「結婚の日には招待状を送る。必ず来て、席につけよ。」 --- いくつかのコメントを拝見し、大変申し訳なく思っております。 私は現在日本語を勉強しており、この文章はAI作品ではありませんが、 一部に翻訳ソフトを使用しています。 もし読んでくださる中で日本語のおかしな点をご指摘いただけましたら、 本当にありがたく思います。

後宮の男妃

紅林
BL
碧凌帝国には年老いた名君がいた。 もう間もなくその命尽きると噂される宮殿で皇帝の寵愛を一身に受けていると噂される男妃のお話。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

処理中です...