異聞白鬼譚

餡玉(あんたま)

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第二章 呪詛、そしてふたりの葛藤

四、呪詛の声

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 その夜更け、千珠は山間の見廻りのために、暗闇の中を駆けていた。

 柊の嫁取りという、心がぬくぬくとするような話を聞いたあとだったため、千珠の心持ちは軽い。

 きっと柊は、あの女を大切にするのだろう。普段は冷静に自分たちを見守る柊の静かな目が、今日ばかりは感情のこもった熱い眼差しをあの女に注いでいた。

 ふと、宇月の顔が浮かぶ。
 大切な女。生涯をかけて、守りたいと思う女。

 しかし千珠には、自分が柊のように妻を娶り、いずれは子を成していくことなどは想像も出来なかった。自分は半妖だ。その血を後世につないでいくことは、果たして許されることなのだろうかと、思い悩んでいたのだ。


 戦であったとはいえ、あれだけの殺戮を犯した自分が……。


 そのことを思い出すたび、千珠の心はずんと重みを増す。先ほどまでのほっこりとした暖かい気持ちはどこへやら、冷たく苦しい罪悪感が心を占める。千珠は森の中で、ふと立ち止まった。

 木々の枝を蹴って疾走る千珠は、今も太い木の枝の上にいる。自然の中で、こうして森の一部のようにしていると、自分の住処はやはりこちらなのではないかと思うこともあった。力無き無害な妖たちの気配が、ふわふわと千珠の顔のそばに漂っているのを感じ取り、千珠は小さく微笑む。

 人の世で生きることを決めたものの、やはり常に人間の群れる場所にいると疲れてしまう。
 だからこうした見廻りは、千珠にとっては良い息抜きでもあった。森の清浄な空気を吸っていると、胸がすいてくるのだ。


 千珠は仰のいて深呼吸をした。
 暗がりは、千珠にとっては親しいものだ。月明かりすら入ってこない深い森の中は、とても落ち着く。


 しかし、ふと、その中に禍々しい匂いを嗅ぎとった。
 戦の時の記憶を引き摺り出す、身に覚えのある痛み……。


「う……うぅ……っ!!」


 頭蓋を貫くような痛みに、千珠は思わず膝をついてうずくまった。
 どくん、どくん……と心の臓が危険を察して早鐘を打ち始める。


 聞こえる。
 呪詛の声が聞こえる。
 自分を殺そうとする、呪いが。


「あぁ……!! あぁああ!! くそ……!」
 足元がふらついて、千珠は樹木の上からどさりと落ち葉の重なった地面の上に落ちた。まるで猫のように身体を丸め、なんとか受け身を取って着地するが、あまりの頭痛にまたその場に崩れ落ちる。

 英嶺山の僧兵は、全て千珠自ら滅ぼしたはずだ。戦の終焉の折、相手方に与した英嶺山の僧兵たちは全て処刑されたと聞いている。なのに。

「な……んで……! くそっ……! っつ……」
 千珠はなんとか身体に力を込めて立ち上がると、樹木にすがりつくようにして歩いた。一歩、一歩と、なんとか歩を進めていく。

 油断した。今日は一人でいいからと、相棒の竜胆を置いてきたのが間違いだった。この国境付近の森の中で、しかもこんなに夜遅く、悪意を持たずにこんな所を通りかかる者などいるのだろうか。


 ——危険すぎる。


 千珠の中に、にわかに焦る気持ちが湧いてくる。


 このままでは、殺される。
 光政の命すら、奪われてしまう。 


「はぁ……っ! はぁっ……! はぁ……っ!」
 だらだらと脂汗が流れ、呼吸がどんどん乱れていく。千珠は目眩に耐えながら、何とか一歩一歩を踏みしめる。


 目が霞む、何も感じられない……。このままでは、本当に……。


 その時、馬の嘶く声が聞こえた。
 それと同時にぴたりと呪詛の声が止み、千珠の身体から一気に力が抜けた。


「……もし、どうかされたのですか」
 まだ年若い男の声。強く清々しい霊気の気配に、千珠は膝をついたままのろのろと頭を上げる。

 馬を降りて駆け寄ってくるその気配からは、まるで禍々しいものは感じられない。それに、見たことのある黒装束を身にまとっている。

「……大丈夫ですか!? どうしたのです?」
 安堵から、その場にばったりと伏せてしまった千珠に駆け寄ってきた青年は、慌てて千珠の身体を抱き起こした。

秀永しゅうえいさん! こっちに!!」
 青年は、連れらしい男の名前を必死で叫んでいる。抱き寄せられた青年の衣からは、佐為と同じ香の香りがふわりと漂った。
「なんやなんや、行き倒れか?」
 もう一頭、馬が近づいてくる気配がした。千珠が重たい瞼を何とか開いて相手の顔を見上げる。

「これは……千珠さまやないか! 一体どうされたというのです!?」

 馬を降りて駆け寄ってきたもう一人の男は、能登で顔を合わせたことのある陰陽師、立浪たつなみ秀永であった。そしてその背後には、もう一人見慣れない少年が一人、馬を引いて立っている。

 秀永は慌てて千珠の身体を調べ、外傷がないことを確認すると、すぐに青年の馬に乗せるように指示を出した。

「あまり動かさずに手当したいが……」
「佐為さまに使い魔を送ります」
と、少年の静かな声がする。
「よし、そうしてくれ」
 きびきびとしたやり取りを耳にしながら、千珠はついに目を閉じた。


 気持ちが悪い。吐きそうだ。


 一族を滅ぼしたこの呪いを……一体、誰が再び操っているというのだ。


 千珠は青年に抱きかかえられ、意識を失った。
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