異聞白鬼譚

餡玉(あんたま)

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第二章 青葉にて

十五、槐の苛立ち

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 早足に薄暗い道を進む槐の背を、舜海は追った。
 神祇官の証である深緑色の衣は、夜闇に紛れて見えにくい。
 舜海は速度を上げて槐に駆け寄ると、回りこんで槐の前に立ちはだかった。

「……舜海さま」
 槐は、驚いたような落胆したような声を出して、舜海を見上げた。舜海は少し笑う。
「千珠じゃなくて悪かったな。あいつは俺が止めてきた」
「……そうですか」
「珍しいやん、お前らが喧嘩するなんて、初めてちゃうか」
「けんか……?」
 槐ははたと立ち止まり、舜海を見上げて不思議そうな顔をする。

「ああ、兄弟喧嘩や。お前、千珠をあいつに取られて悔しかったんやろ?」
「そんな……、そんな子どもじみた感情で動いたわけでは……」
 夜暗の中でも、槐が戸惑って少し顔を赤らめたのが分かった。
「まぁええやん。たまには兄ちゃんに甘えたかってんな」
「……」
 槐は何も言わず、じっと前を見据えて歩いていた。眉の上で、前髪が揺れている。
 千珠の涼しげな横顔と違い、槐は負けん気の強そうな目鼻立ちに育っていることに気づく。顔立ちが似ていても、育つ環境が違えば、顔かたちも違ってくるものだ。

「あの者は、誰です?」
「さぁな」
「半妖と言っていましたが、何者ですか」
「知らん」
「舜海さまは、一体何のために私を追いかけてきたのですか!」
 何も教えてくれない舜海に苛立った槐は、声を荒げて舜海に食って掛かった。
「何を苛々してんねん。そんなに気になるんか、あのがきが」
「だって……。彼を見た時、体中がぞくっとしたんだ。あんな幼い表情をしているくせに、目が合った時、殺されるような気がしてぞっとした」
「……」
 舜海は何も言わなかった。十年前、夜顔に襲われた時の記憶が、ここまで身体に染み付いているとは思わず驚いたのだ。

「それなのに、兄上はあいつを庇い、僕には心を揺らすなと言う! 今夜だって、あいつと一緒に過ごすと……!」
 子どもじみた物言いをしていると気付いたのか、槐ははっとして咳払いをした。
「……すみません」
「ええよ、言いたいことは全部吐いてしまえ。俺の前でかっこつける必要ないしな」
 舜海がそう言うと、槐はため息混じりに苦笑した。そして、つぶやく。

「……。僕は、兄上が好きです。尊敬しているし、とても優しくしてもらってる。……もっともっと、小さい頃から一緒にいたかった」
「そうか」
「でも……これは誰にも言えないでしょう? 父上も、僕も失脚するくらいの大きな秘密だ。神祇官が、鬼と通じて子を成すなんて……人に知れたら……」
「そうやな」
「でも……そんなことは関係ない、僕は兄上も父上も、尊敬しています。二人とも、とても強くて……誰もが認める程に、二人は強い……」
「……」
 槐の声が、すこしずつ小さくなる。

「でも僕は……小さい頃は学問が嫌いだったから、周りから遅れを取っていたし、剣術も呑み込みが遅くて芽が出なかった……。それでも、長官の息子だからって周りには遠慮されて……悔しかった」
 槐が拳を握り締めるのが分かった。歯を食いしばって、じっと暗い道を見据えて歩きながら槐は続けた。

「だから、死に物狂いで頑張りました。でも、不意に兄上の名声が聞こえてくるんです。北の大妖怪の雷燕を封じたり、都の十六夜結界術を成すのに力を貸したり……。僕は誇らしいと思ってた。でも、その度心のどこかで自分は駄目だって……自分は兄上と比べてなんと弱いのかと、卑屈になるんです」
「……槐」
「分かってます。兄上は白珞族の生き残りだ。比べるほうがどうかしてます。光政様にもそう言われたことがありますから」
「そっか」
「兄上のようになりたかった」
 槐はぽつり、とそう呟いた。山道を抜け、二人は城下町へと出ていた。

 すでに人々は夕餉の時刻で、外を歩いているものは少ない。ゆっくりとした足取りで、町を抜けるまでは槐は何も言わなかった。
 城の敷地内に入り、城門が見えてくる。
 槐はそびえ立つ三津国城を見上げた。

「佐為さまの今朝の術、見事でしたね……」
「ああ、せやな」
「あの方も、陰陽師として素晴らしい力の持ち主ですね」
「そうやな。性格はねじ曲がってるけどな」
 舜海の言葉に、槐は少し笑った。
「でもあの方は、あの力を誇りとは思っていないようで……戸惑いました」
「佐為も、若いころ色々苦労したんやろう。力がありすぎるってのも、周りから浮いて辛いもんやろうからな」
「そっか……」
 槐は気持ちが収まってきたのか、小さくため息をついた。

「こんな子どもじみた心持ちの私が、嫁などもらって大丈夫ですかね……」
「そんな心配もしてたんか?」
「はい。……父は、身を固めればもっとしっかりすると言いますが。駄目ですね、兄上に会うとどうしても、子どもの頃のように遊んで欲しくなってしまって」
「ははは、そうか、そうやったんやな」
 舜海は笑って、槐の頭を乱暴に撫でた。槐はむっとした顔で、舜海を見上げる。

「お、その顔。昔のお前らしい顔やな。入省して、えらい落ち着いたとは思ったけど、お前はお前やな」
「当然です。もう二十なんですよ」
「年齢は関係ないやろ。ええやん、お前はいつでも千珠が大好きで、一番に褒めて欲しくて、一緒に遊びたい……そんな弟でおったらええやん。千珠の前で、かっこつける必要なんか無い」
「……でも」
「兄弟って、そんなもんなんちゃう? 俺には家族がいいひんから、よく分からへんけどな」
 舜海はそう言って、笑顔を見せた。
「弟が居るって分かった時の千珠の顔……そら嬉しそうやったで。陀羅尼事件の時やから、もう十年以上前やけどな、よう覚えてるわ」
「……本当ですか?」
「ああ。こっちが寂しくなるくらい、嬉しそうやったなぁ」
「寂しく?」
「いや……なんでもない。とにかく、千珠はお前のこと、可愛い弟やって言ってた。お前は誰かに張り合わんでも、素直にあいつに甘えとったらええねん」 
 槐はうつむいた。 

 千珠が自分を弟だと知ったのは、そんなにも昔だったのだ。
 それを、嬉しく思ってくれていた……。
 槐は微笑んで、舜海を見上げた。

「ありがとうございます。舜海さま」
「ん? 何が?」
「少し、楽になりましたので」
「そうか。そら良かったな」
「舜海さまは、兄上のことをよく分かっておいでなのですね」
「え? まぁ、長い付き合いや。あいつがここに来た時からやからな」
「そう、ですよね……。羨ましいです」
「お前からすりゃ、そうかもな。しかしなぁ、千珠は我儘やし高慢ちきやし集団行動は出来ひんし、そのくせ心配性で、さらに自分が美しいということをよく分かっててそれを悪用することもしばしばやけど……」
 舜海は、千珠が聞いていたら半殺しにされそうなことをぽんぽんと並べた。槐は目を丸くして、黙って聞いている。

「それでもまぁ、不器用やけど本心は優しくてな、周りの人間を大切にしてる。阿呆みたいに涙もろいとこもあるけど……ええやつやな。俺も好きやで、千珠のことは」 
「そっかぁ。舜海様から見ると、兄上はそういう方なんですね……」
「柊や宇月から見てもこんなもんやろな。特に柊は、千珠が忍衆に入ってからは散々手を焼いとったからなぁ。お前が思うほどええもんでもないで」
「あはは、そうなんだ」
舜海の言い方に、槐は吹き出して笑った。

「もっと早く、話してやったら良かったな。お前には」
「うん……でもそんな機会もなかったですからね」
 槐はふと、また淋しげな顔をした。舜海は槐の背を押して、城の中へと促した。広い庭を抜けながら歩いていると、離れの明かりが見え始める。

「お前は兄弟や。血の繋がりがある。切れることのない絆やろ」
「はい」
「何も不安がることなんか、ないんちゃうか?」
「……そうですね」
 槐は微笑んだ。舜海も、少し安心したように笑った。
「城まで送っていただいてしまいましたね、すみません」
「ええよ。馬を借りて俺は帰る」
「ありがとうございます。おやすみなさい」
「ああ」
 離れの前で、ぺこりと一礼する槐に手を上げると、舜海は踵を返して去っていった。

 槐はそのまましばらく、頭を下げていた。
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