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第三章 過去と今
六、白蘭の戦い
しおりを挟む夜顔は、はっと顔を上げた。
泣きつかれて膝を抱え、俯いていた夜顔をそっとしておこうと、少し離れた場所で荷物を整理していた水国が、それに驚いたように反応する。
「どうした?」
「……珠緒。泣いてる」
「え?」
「血の匂い……血の匂いがする」
「なんじゃと? そんなものは……」
夜顔は立ち上がると、ぱっと障子を開いて外へ飛び出した。ざぁざぁと激しく降る雨の中、夜顔は鼻をひくつかせて辺りを見回した。
——する……血の匂い。聞こえる、珠緒の泣き声だ。
「どうした? 夜顔」
縁側で雨をしのぎながら碁を打っていた舜海と佐為、そしてそのそばに控えている槐が怪訝な表情で、雨に打たれながら立っている夜顔を見た。
「濡れるやろ、そんなとこにおったら」
「……血の匂いです。珠緒の泣き声も」
「え?」
佐為がすぐに印を結び、この付近一帯に気を走らせる。舜海も立ち上がって草履をつっかけ、夜顔の側に立つ。
佐為が目を開き、険しい声で言った。
「馬……柊さんの子どもたちと珠緒が、馬で逃げてる……血は……忍の誰かのものだ」
「何やと」
「僕……行きます!!」
夜顔は駈け出した。槐も立ち上がると、夜顔の後を追って走りだした。
「舜海、城へ伝令を。僕も行く」
「分かった」
各々が散っていく。
雨はひどくなるばかりだ。
✿
手綱を握りしめ、膝でしっかりと馬の胴にしがみつきながら、白蘭は走った。自分の腕の中にいる妹と珠緒を守るために、必死で馬を駆る。
盗賊に蹴られた腹が痛む。鐙にはつま先しか届かず、身体を支えるために膝を締めているが、筋肉が限界なのか悲鳴を上げている。
泣いている珠緒と、必死で珠緒を抱えている白露を庇うように背中から抱え込み、白蘭は涙をこらえて走り続けた。
もうここがどこなのか、分からない。けぶるような雨に怯えた馬の為すがままに走り続けたからだ。山は深くなるばかり、地面も泥濘んでおぼつかない。不安で仕方がない。
朝飛はどうなった? 怪我をしてたら、どうしたらいい。自分が我儘を言ったせいで、こんなことになってしまったのだ。
噛み締めた唇から、つと血が流れる。
——愚かだ。僕は愚かだったんだ。
——どうしたらいい……。父上、母上、千珠さま……僕は、どうしたらいいんですか……?
「おう、ようやく見つけたぞ!」
木立の隙間から突然現れた男二人に、馬が驚いて前足を跳ね上げる。その拍子に、子どもたち三人は馬から転げ落ちてしまった。
泥水を跳ねて逃げていく馬の姿が消えて行く。白蘭は目を見開いて、絶望的な状況に呆然とした。
「……道に迷ったんだろ? やれやれ、こんな子どもたちを残して死んじまうとは、あの男も可哀想だねぇ」
「死んだ……? 朝飛様が……!?」
「あぁ、今頃頭にとどめ刺されてお陀仏だ」
と、意地の悪い笑みを浮かべ、盗賊が背中で白露と珠緒を庇う白蘭の前にしゃがみ込んだ。笑ったその口には、ほとんど歯がない。
「そんな……嘘や……!!」
「嘘じゃねぇよ。さて、お前らはきれいにして売り飛ばしてやるから、安心しな」
「きゃぁ!」
もう一人のひょろりとした男に腕を掴まれた白露が悲鳴を上げる。白蘭は刀を抜き、その男の手を振り払った。
「触るな!!」
「威勢はいいな、餓鬼。ほう、女童の方も、なかなか可愛らしい顔をしているねぇ。このちびっこいのと一緒に売り飛ばしゃ、かなりの金になる」
「その前に、ちょっと遊んでやってもいいかもな」
歯のない男が、ニヤリと笑った。白蘭はぞっとして、妹と珠緒の前に両腕を広げ、きっと男を睨みつけた。
「そんなことはさせへんぞ!! 絶対に!!」
「吠えろ吠えろ。お前みたいな餓鬼に、何ができる」
「触るな!!」
尚も白露と珠緒に伸びてくる腕に、白蘭は忍刀を両手で握りしめて斬りつけた。
血が迸り、男が腕を押さえて怯む。飛び散った血が、珠緒の頬に付着し、珠緒は不思議そうにその赤い液体を指に掬って見つめていた。
「おいおい、何切られてんだよ」
と、のっぽの男が歯のない男を馬鹿にしたように笑った。歯のない男は、憎々しげに白蘭を見下ろして腰から太刀を抜く。
「邪魔だな、お前も。一人くらい殺っちまってもいいよな」
「ああ、こんな上玉二人連れてくんだ、一人くらいいいだろ」
「兄様……」
「白露、離れるなよ。珠緒をしっかり抱いておくんや」
「はい……」
白蘭は立ち上がり、ずぶ濡れになって重たい頭巾を脱ぎ捨てた。長い前髪が、ぱらりと白蘭の額に落ちる。
「……殺してやる」
「はは、餓鬼がいっちょまえに」
と、盗賊二人はげらげらと笑い、太刀をすっと白蘭の顔の前に近づけた。
「妹にも珠緒にも、絶対触れさせへん!! お前らはここで殺す!!」
白蘭が吠えた。
そして次の瞬間、彼の刃が歯のない男の太ももに突き立つ。俊敏な白蘭の動きについていけず、盗賊たちは一瞬、何が起こったのか理解できなかった。
「うわ、ああああ!」
「この餓鬼!」
のっぽの太刀を受け止めた拍子に、白蘭は背後にそびえていた大樹に背中を強か打ち付けた。
大木と盗賊の刃に挟まれて、白蘭はぎらぎらと殺意のこもった目でのっぽの男を睨みつける。男の目が、一瞬たじろいだ。
「殺してやる! ……殺す!! 殺す……!!!」
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