異聞白鬼譚

餡玉(あんたま)

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第四章 戦いの意味

二、湯殿にて

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 何となく、二人で湯浴みをすることになった槐と夜顔は、できるだけ距離をとって湯に浸かっていた。

 夜顔はあいも変わらずびくびくとしているし、槐はいい加減そんな夜顔を威嚇することにも疲れてきてしまっていたため、ひとつ息を吐いてから努めて優しく話しかける。

「夜顔殿は、本当にお強いのですね」
「え……いいえ……」
「そんなに怯えないでください。私はもう、あなたを苛めたりしませんから」
「……本当ですか」
「いじめていたつもりもないんですがね」
「……すみません」
「まぁ、兄上と仲良しでいらっしゃることについては、少しやきもちをやきましたが」
「やきもち?」
「私は都住まいです。そして私は立場上、兄上との関係を表沙汰にはできませんから、一緒に暮らすことができなかった。でも本当はもっと、一緒にいたかったのですよ」
「……」
「なのにあなたは兄上と何やらとても親しげで、羨ましかったのです。お許し下さい」
「いえ、そんな……。僕……家族がいないから、そういうのよく分からなくて……ごめんなさい」
「家族がいない? 父に剣術を教えてもらったと言っていたのは?」
「本当の父ではありませんから……」
「そうですか……」

 夜顔は湯から出ると、湯桶に湯を汲んで頭から湯をかぶった。夜顔の引き締まった形の良い背中を見ながら、槐は自分の我儘を悔いていた。
 父もいれば母もいて、兄もいるという満たされた環境を当たり前と思っていた。そんな世界の狭さが恥ずかしかった。

「君は、どうしてそんなに幼いのです」
「……僕、言葉を覚えるのが遅かったんです。ずっと……人のいないところで育ったらしくって……」
「え……」
「育ての父が、僕に名前をくれて、ここまで育ててくれたんです。千珠さまとは、名前をもらってすぐの頃に、知り合ったそうです」
「そう、なんだ」
「僕、もっと勉強して、強くなって、人の役に立ちたいんです。……そうじゃないと、生きてちゃいけない気がするんです……」
「そんな、大げさな」
「いいえ。……多分、僕は悪い人間だから」
「そんなことないだろ。今日だって、盗賊を殺すなって、白蘭の手を汚すなってとめてたじゃないか」
「……多分、自分にそう言いたかっただけだ。……多分」
「え?」
 ぼそぼそと小さな声でそう呟く夜顔の声が聞き取れず、槐は湯から身を乗り出した。夜顔は振り返って取り繕うように笑ってみせる。

「なんでもありません……」
「こうして知り合ったのも何かの縁です。今後、何か助けがいりようなときは僕も力を貸しますから、知らせをください」
「……ありがとうございます」
「夜顔殿は、多分私よりもずっと強い……ずっと、ずっと」
「そんなことないです」
「いいえ、わかります。今日の君の奔り方……兄上とそっくりだった。あと、あの身のこなしもそうだ」


 ——只の人間である私に、勝ち目なんかないんだ……。


 槐は、その一言を言いかけて、口をつぐんだ。はじめから負けを認めてしまうような発言を、夜顔の前でしたくはない。
 
 しかし、それは純然たる力の差であり、妖気や霊気を読む能力に長けた槐には火を見るより明らかなことであった。

「その力を人のために使うというのなら……僕は大いに賛成です。また戦にでも使うというのであれば、全力で止めますがね」
「そんなこと……するわけがない!」
「……ならいいんだ」
 慌てたように槐を振り返った夜顔の表情があまりにも必死で、槐はそれ以上は何も言えなかった。

 何となく居心地が悪くなり、槐は先にざばりと湯から出て脱衣所ヘと去ってゆく。

  +
 
 こざっぱりとして離れに戻ると、石蕗と佐為が待っていた。舜海もそこにいた。
「槐、お手柄だね」
と、佐為。槐は首を振って疲れたようにその場に座り込むと、「完敗です」と呟いた。
「何に?」
と、舜海。
「……夜顔殿は、強い」
「なに、もう勝負でもしてきたの?」
と、佐為が目を丸くする。
「いいえ……」

 槐は、森の木々を蹴り、まるで宙を舞うかのように疾走る夜顔の背中を思い出していた。その姿は千珠の背中と重なるものがあった。

 いつか、東本願寺で千珠に命を救われた時のことを思い出す。

 涼やかな風とともに現れた兄の背中。あれほどまでに心強く、頼もしく見える背中に出会ったことがなかった。そんな背中に、あの夜顔の姿が重なって見えたのだ。

 何も言わない槐を見て、佐為と舜海は目を見合わせる。

「とにかく、珠緒が無事でよかったですよ」
と、槐は微笑んでみせた。
「私の甥なんですから」
「本当だね、槐はおじさんか」
 槐は、先ほどの千珠と珠緒、宇月の姿と、柊親子のことを三人に話して伝えた。
「あんなふうに、僕も家族を作れたらいいなと思いました。この度の祝言、まだ少し迷っていましたが、きっちりと決心がつきました」
 晴れやかにそんなことを言う槐の横顔を見つめながら、石蕗は辛そうに目をそらした。佐為はそんな石蕗の表情に気づき、ふっと眉を下げる。

「それはよかった」
 辛そうな石蕗、そして複雑な表情の舜海。
 佐為はその場のあまりの複雑な図式に混乱しつつとりあえず笑顔を浮かべる。

 そして、人間的に一歩成長しようとしている槐に微笑みかけ、その肩を力強く叩いた。
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