ケンカするほどなんとやら

餡玉(あんたま)

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5、最悪なセリフ

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 それから数日後経ったけど、俺はなかなか佐波と二人きりになれないでいた。
 俺たちは学部も同じでサークルも一緒だし、大学内で一緒に過ごすことは多いけど、周りにはいつも誰か他の友達がいたりする。だから、堂々とイチャイチャするわけにもいかないのだが……。


 ——こないだの佐波めっちゃくちゃ可愛かった。……あぁ……もう、早くもっとイチャイチャしてぇ……! あわよくばエッチしたいエロいことして可愛くなる佐波がもっと見たい…………あぁくそ……誰だよこんなにバイト詰めたやつ……くそっ……俺だよ…………。


「なあなあ、これ佐波っち? 佐波っちじゃね?」
「ん?」

 ある日、講義と講義のスキマ時間に中庭で悶々していると、隣で雑誌を読んでいた藤間 謙英けんえいが、俺の脇腹を突いてきた。

 俺は大学のそばのカフェでアルバイトをしているのだが、この一ヶ月で主婦バイトの二人が引越しだ出産だといって相次いで辞めてしまい、俺は店に出ずっぱり。明るくておしゃれなカフェはファッション誌で紹介されるほどの有名店で、ものすごく客が多い。大繁盛しているのは喜ばしいことだし、働きごこちは良いんだけど、忙しいと人間心の余裕が失われていくもので……。

 特にしんどいのはカップル客だ。ついつい、『いちゃいちゃしてねーでさっさと注文しろー』と、笑顔の裏で思ってしまうこともしばしばで…………いかんいかん、こんなことを思っていては顔に出てしまう、と戒めつつ、俺は努めて爽やかに接客に勤しんでいた。


 ——俺だって、佐波とこういう店でいちゃいちゃラブラブパンケーキとか食ってみてーわ。


 まぁ、俺に余裕がないのはとどのつまり、らぶらぶカップルが羨ましいってこと。別にパンケーキなんて興味はないけど、ただ、誰の目も憚ることなくくっつきあって笑い合い、同じものを食べてニコニコしているカップルが羨ましいのだけなんだ。


「……なぁ、なぁ、大和ってばー」
「あ……あー、ごめん、ぼーっとしてた」

 と、俺はようやく我に返り、くりんとした目で俺を見ている藤間を見た。藤間は信州の山奥にあるデカい寺の息子で、佐波に負けず劣らず金持ちのボンボンだ。寺の息子とは思えないほど煩悩にまみれたやつだけど、明るくてすごくいい男だ。こいつも一人暮らしをしているのだが、家には鈍い銀色にきらめく業務用冷蔵庫が据えてあり、実家から届く大量の食料が詰め込んである。藤間自身も料理をするのが大好きだからと、しばしば家に招いてくれるのでありがたい。

「なぁ、これ。佐波っちだろ? すげーかっこいいな」
「あー……ほんとだ」
「これどうなってんのかな。おっぱい絶対当たってるよね。撮影中勃っちゃったりしねーのかな」
「さー、しらね~。佐波に聞けよ」

 見せられたのは、雑誌の一ページだ。佐波が裸の美人を抱きしめながら、挑発的な目つきでこちらをじっと見つめている写真だった。綺麗に尖った女の指先には、深い青色をした細い瓶がある。これは最近、若い女性向けに発売された『Licinaルキナ』というシリーズの化粧品で、佐波はそのイメージモデルなのだ。

 ちょっと乱れた髪、鋭くありながらも、男を誘うような独特な眼差し。多少の加工は施されているのかもしれないが、すべらかな白い肌は女のそれよりも綺麗だと俺は思った。

 佐波の父親が経営する化粧品会社は『黒花堂本舗株式会社』といって、京都の中心部に本社がある。
 なんでも、江戸時代から脈々と受け継がれてきた店なのだという。はじめは化粧品の原料を作る小さな工房だったらしいが、そこから徐々に発展し、今では香料や化粧品、医薬品をはじめとする精密化学品を二本柱として大きな発展を遂げたのだとか。

 いずれは佐波も、この大企業の代表となるのだろうか——そういう未来を考え始めると、何だか妙に塞いだ気持ちになってしまう。

 俺の親父はサラリーマンだし、家柄なんて立派なものは持ち合わせていない。しかも、男同士だ。
 そんな俺たちが、一体どんな未来を手にできるというのだろう。


 食い入るように誌面を見つめていると、ふっと雑誌に影が差す。
 見上げると、そこには本物の佐波がいた。


 黒いブルゾンの中に、白いTシャツを着て、あちこちダメージ加工の入った細身のジーパンを履き、足元は白いレザースニーカー。気合の入った格好をしているわけでもないのに、佐波がそこにいるだけで、風景がまるごと華やいで見える。萌え上がるイチョウの葉と青い空をバックに描かれた、精密なタッチの絵画のように。

「え、何? 俺の顔、なんかついてる?」
「あ……佐波。これ、お前だろ。綺麗に撮れてんじゃん」
「あーこれね。せやろ、俺も気に入ってんねん」

 俺が素直に褒めてやれば、佐波も素直に嬉しそうな顔をする。モデルの仕事にプライドを持っているのだろう、撮影時の話をする佐波の表情はいきいきとして、何だかとても頼もしかった。

「なー佐波っちさー。モデルさんのおっぱい見たんだろ? 勃ったりしねーの?」
と、藤間がまだそんなことを気にしている。すると佐波は、さらりとこんなことを言った

「別に勃たへんけど……形良かったよ。さすがにモデルって感じやった」
「えええっ!!?? 見たの!? 見たってこと!? すげぇぇえ!!」
「見たっていうか……まぁ、全部は見えへんで。乳首だけ隠すシールとかあんねん。それでもまぁ、分かるよな、形とかは」
「すっげぇぇ!! これ、ここ、めっちゃ当たってんじゃんお前のおっぱいとモデルさんのおっぱい!! どうなのこれどんな感じなの!?」
「んー、まぁ、ええ感じやったよ? この人、胸そんなデカなかったけど、なんかこう、全体的にらかいやん、女の子って。ふわっとして気持ちええよな」

 俄然興奮し始めた藤間を相手に、佐波は当時のことを思い出すように空を見上げて、うーんと唸った。俺はただただ藤間のテンションに呆れつつも、女のおっぱいについて語る佐波の姿を、物珍しく見上げていたわけなんだが……。


 ——ふーーーーーん…………佐波って、女のおっぱいとか全然興味なさそうな顔してるくせに、このモデルさんのおっぱいのでかさとか、ちゃっかり確認しちゃってんだ。しかもふわっとして気持ちよかったんだ。へーーーーー。


 何となく、何となくだが、面白くない気持ちになった。俺が憮然としつつ缶コーヒーを飲み干す横で、藤間は色めきだって前のめりだ。

「ふぁぁぁ、いいなぁ~~~~!! 仕事で裸の美人と抱き合えるなんて最高じゃん!! まー佐波っちは女の子なんて抱き慣れてんだろうけどさ~」
「いや別に、そんなことないけど……」

 さらっと謙遜しつつ、佐波はちらりと俺の方を見た。じーっと佐波を見上げていた俺と目が合うと、ぽ、と佐波の頬がピンク色に染まる。

「そういやさ、佐波っちって彼女いねーの?」
と、矢継ぎ早に藤間から質問され、佐波はパチパチと目を瞬いた。そしてチラチラと俺を気にしつつ、「彼女は……いいひんけど」とつぶやく。

「へぇ以外~。なんかこういう業界ってさ~、色々そういうの派手そうじゃん? ホモっぽい人とかもいっぱいいんだろ? 佐波っち美人じゃん、告られたりしねーの?」
「まぁ、たまにあるけど」
「あるの!!??」

 さらっと出てきたそのセリフに仰天して、俺は思わずふたりの会話に割り込んだ。佐波はかすかに『まずった』という顔をして、青々とした空を見上げている。

「マジかよお前。聞いたことねーよそんな話」
「いや……だって、別に言うほどのことちゃうやん。そいつとどうこうなるもんでもないねんから」
「いやそうかもしれねーけど! え、いつ? いつそんなことがあったわけ!?」
「いつって…………ていうか、何で大和にそんなこと言わなあかんねん。お前関係ないやろ」
「関係ないって……は!? んだよそれ!!」

 冷たい声で突き放され、カッチーンときてしまった。俺はすっと立ち上がると、15センチ上からジロリと佐波を見下ろした。佐波は一瞬ひるんだような顔をしたが、こんなことでしおらしくなるタマではない。すぐに眉間にしわを寄せてギロリとメンチを切り始めた。

「んあ? 何やねん」
「だから、なんなんだよさっきの言い方。関係ねーことはねーだろうが」
「この仕事と大和は関係ないやん。それに、俺が誰かに告られたところで、お前に何の影響があんねん」
「いや、それは…………!!」


 ——影響大ありだろ馬鹿野郎!!! だ、だって!! 今の口ぶりじゃ、佐波のやつ、よそで男に迫られてるってことじゃん!!?? 俺というものがあるくせに、俺にはこんなにツンケンするくせに、他の男どもには愛想ふりまいてるんじゃねーだろうな!!??


 と、言いたかったけど、すぐ横には藤間がいる。
 ぽかんとした顔で俺たちを見比べつつ、「大和って、佐波っちのお父さんみてーだな」と呑気なことを言っている藤間の前で、これ以上痴話喧嘩ができるわけもなく、俺は山のように募った質問と激しいイライラとを何とか飲み込み、ぎゅっと唇を噛み締める。

 佐波は佐波で、若干気まずげな顔をしている。そういう顔でじっと見つめられるとグッとくるものがあるのだが、一度トゲついてしまった俺の気持ちは、そう簡単には収まってくれない。俺は次の講義に行くべく荷物をひっつかみ、佐波の横をすり抜けようとして、一瞬、足を止めた。


 そして俺は、最悪なセリフを口にしてしまった。


「別に、俺じゃなくてもいいんじゃねーの?」
「……え」


 佐波が、かすかに目を見開いて俺を見上げる。
 自分の卑屈さと、狭量さに腹が立つ。でも、今は言葉を押し殺せなかった。


「そんなに出会いがあるならさ、俺より、もっとお前に合ってる男、いっぱいいんだろ」
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