ケンカするほどなんとやら

餡玉(あんたま)

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6、何をしにきたんだ……!?

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 パリーン! と皿の割れる音がキッチン中に響いた。

「し、失礼しました……!!」

 テーブルの片付けを終え、洗い場に皿を置く手前で、盛大に割ってしまった。俺は大慌てで屈み込み、鋭く尖った破片を拾っていく。

 今日の仕事は散々だ。オーダーは聞き間違えるし、皿は割るし、ドリンクはこぼすしで、とにかくひどい。注意散漫な俺を見兼ねたらしい店長が、ちょいちょいと俺を手招きして、厨房の奥に引っ張り込んだ。

「ねぇ、大丈夫? 疲れてるのかな」
「い、いいえ……すんません。ちょっと、ぼうっとしちゃって……」
「まぁ……無理言っていっぱい入ってもらってるからなぁ……。今日はもう上がっていいよ?」
「いやでも、そろそろ混む時間じゃないですか。今日はラストまでだし……」
「うーん、でもなぁ」

 店長は二十九歳の超美人。男勝りのキビキビサバサバした性格をしてて、小柄なんだけど貫禄がすごい。従業員を大事にしてくれるタイプの店長だが、腕組みをして見上げられると、30センチ近く身長差があるにも関わらず、ついついこっちが縮こまりたくなってしまう。

「……分かった。10分休憩したらホール出て。けどま、今日は大雨だからいつもよりはお客さん少ないだろうし、あと二時間で上がっていいよ」
「はい。……すみません」
「明日明後日は休みだったよね? しっかり休んどいてね、来週は元気に働いてもらうから」
「はいっす」

と、俺がぺこりと頭を下げると、店長は眉を下げて肩をすくめ、ポンと俺の腕を叩いて店の方へ戻っていった。


 ——はぁ………………なんであんなこと言っちゃったかな……。


 そう、俺が中注力を欠いている理由はただ一つ。
 佐波にひどいことを言ってしまったから……だ。

 俺は激しく後悔した。振り返って佐波の顔を見ることさえできなかった。

 昼間はカラッと晴れていた空も、今は窓を激しく打つ土砂降りだ。まるで、俺の心を写しているかのように。天気の重苦しさもあってか、身体までずっしりと湿っぽい。

 こんなにも佐波のことが好きなのに、どうしてかうまくいかない。
 二人きりの時はまだいいけど、俺たちを取り巻く状況の違いを目の当たりにしてしまうと、ものすごく不安になる。

 大企業の御曹司で、モデルで、超のつく美人の佐波。そんなあいつを、周りが放っておくわけがない。俺の知らないところで、モデルだのカメラマンだのという華やかなそうな人種の男たちが、群がるように佐波に迫っているのかと想像するだけで、不甲斐なさと嫉妬で、心がぐちゃぐちゃにかき乱されてしまう。


 ——くそっ……あんなこと言いたくなかったのに……。


「あああああ~~~~~も~~~~~~」

と、俺が髪の毛をぐっしゃぐしゃにかき乱していると、店の方から『きゃぁ~』という興奮の滲む抑えた歓声が聞こえてきた。何かトラブルだろうか。俺は慌てて居住まいを正し、いそいそとホールに戻る。

 すると、入り口のすぐそばで、気だるげに雨粒を払う一人の男がいる。そろそろ薄暗くなろうかという時間だが、その男は小さな顔にセルフレームの眼鏡をかけ、淡色のチェスターコートに黒スキニー履きこなし、足元はシンプルなスニーカー。さほど目立つ服装ではないのに、スタイルが抜群に整っているため、やたらめったらきらびやかなオーラが溢れ出ている男だ。


 ——…………ていうか、こいつは……。


「……佐波、何やってんだよ」


 案内された窓際の席に悠然と腰を下ろした佐波が、すっと目線を持ち上げ俺を見た。見慣れない伊達眼鏡をかけているから、佐波の表情をはっきりと読み取ることはできない。だが、その綺麗な奥の瞳に、一瞬ぴりりと緊張が走ったように見えた。

 すると佐波は軽く咳払いをして長い脚を組み、どことなく挑みかかるような口調でこう言った。

「バイト、何時まで?」
「え…………え?」
「せやから、バイト何時までなん」
「えっ……と。七時までだけど」
「あと二時間か……。ここで待ってるわ」
「はっ……は? なんで!?」
「そういうわけやから、俺、お客さんやで。ちゃんと接客してや」
「……お、おう……」

 佐波はコーヒーとバニラシフォンケーキをオーダーし、周りからの熱視線などどこ吹く風といった様子でスマホをいじりつつ、窓の外を眺めたりと寛ぎ始めた。本物の佐波が店内にいることで俺の集中力はさらに削がれまくっているけれど、恋人の手前、無様なところは見せたくない。俺は普段通りにこやかに接客し、ミスをしないよう慎重に動き回った。


 そしてバイトが終わり、俺は素早く着替えを済ませて店の外へ出た。

 いつしか雨は止んでいて、黒く濡れたアスファルトが、街灯の明かりを受けて白く光っている。きれいさっぱりと洗われた空気は澄み渡り、いつもより金木犀の香りを濃く感じた。

 通りの方へ出ると、道路脇に停められた黒いSUV に、佐波がもたれかかっているのが見えた。

 ぴっかぴかに磨かれたその車(もちろん高級車)は、佐波が入学祝いに両親からプレゼントされたものだ。主に撮影の現場に行くときに使っているらしいが、俺のバイト先に乗り付けるなんて、一体どういう風の吹き回しだろう。

 困惑しつつも、佐波の姿に見惚れてしまう。
 人や車が雑多に行き交う街の風景だが、佐波の周りだけは、まるでドラマのワンシーンを切り取ったかのようにきれいだった。雨上がりで滲んだ街の灯りをバックにして、上着のポケットに手を突っ込み、俯きがちに俺を待ってる。

 吸い寄せられるように、俺は佐波に駆け寄った。

「お待たせ。えーと、わざわざ……迎えに、来てくれたってこと?」
「……それだけちゃう。……ちょい、行くとこあんねん。付き合って」
「え? お、おう……もちろん、いいけど」
「ほな、乗って」


 佐波は伏せ目がちにそう言うと、するりと運転席に乗り込んだ。


 ——い、いったいどこへ連れて行く気だ……? はっ…………まさか、連れてかれた先で新しい男とか紹介されて、俺、そこで振られるんじゃ……。


 不安は募る一方だが、佐波は無言のまま、キラキラとネオンが瞬く夜の道を走っていく。暗い車内、音を絞って流されるカーラジオ、快調に流れてゆく風景を背景にステアリングを握る佐波の横顔……。不穏な予感しか感じないと言うのに、運転する佐波の横顔はうっとりするほどかっこよくて、こんなときだがドキドキした。


 ——今、謝れば……考え直してもらえんのか? ひどいこと言って、ごめんって。でも、この重い空気…………うう、口がひらけねぇ…………どうすりゃいいんだ……。


 と、気まずい空気に口を塞がれ黙り込んでいるうち、車はよくある住宅街の静かな道へと入っていた。ついさっきまで都会の喧騒の中を走っていたが、唐突に音と光がなくなって、整然と並ぶ家々の隙間へと。

 やがて現れた庭付きの一戸建て。玄関前に広々とスペースが取られた駐車場に、佐波は静かに車を入れた。

「……着いたで」
「あ……おう。てか、ここどこ?」
「いつも世話んなってる、スタジオ。だいたいここで撮影してんねん」
「へ、へぇ……そうなんだ」


 ——あああ……やっぱり、俺ここでフラれるんじゃね……? 佐波のやつ、どこぞのイケメンモデルにしなだれかかりながら、『これ、俺の新しい男やから』とかなんとか言って、俺をズバッと斬り殺すつもりだな……。


 見た目はただの一軒家、ドアを開けて入った先の廊下には、ごちゃごちゃと色んなものが置かれていた。廊下が広いため汚い印象ではないが、普通の家にはないようなもの……例えば、銀色のハンガーラックに掛けられたものすごい数の衣装であるとか、照明器具であるとか、マジックで謎の数字が書かれたダンボールとか、そういうものが積み重なって並んでいる。俺は、物珍しくあちこちを見回しながら佐波の後をついて行く。


 佐波は慣れた歩調ですたすたと廊下を進み、すりガラスの嵌ったドアを押し開けた。


「こんばんは。こんな時間にすみません」


 中は広々とした明るいオフィス。部屋の中心には、そら豆のような形をした大きなテーブルが据えてある。調度品のそれぞれがカラフルなのに、不思議と統一感のあるおしゃれな空間だ。

 すると、テーブルの一番奥に座っていた男が顔を上げ、佐波と俺を見て愛想のいい笑みを浮かべた。きれいにセットされた黒髪が艶やかな色男で、普通のサラリーマンは着ないであろうストライプ柄のスーツに身を包んでいる。それが嫌味なく似合ってしまうあたり、いかにも熟れた業界人といった風貌だ。

 一言で言うなら、めちゃくちゃかっこいい大人の男。いかにも、佐波の隣にいるのが似合いそうな男。スマートにエスコートをして、それに甘える佐波の姿がやすやすと想像できてしまいそうな……。


 ——やっぱ……そういうことなのか? 俺やっぱ、フラれるためにここ、呼ばれたの……?
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