琥珀に眠る記憶

餡玉(あんたま)

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第2章 記憶

6、突き動かされるままに

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 がちゃん!! と勢い良く開いたドアの向こうには、舜平と健介が立っていた。健介は真っ赤な顔で舜平に寄りかかり、ようやく立っているような状態だ。

「たまき~ただいまぁ~!」
 健介の気の抜けた声と、むっとするほどの酒の匂いに、珠生は全身の力が抜けてしまい、へなへなとその場にへたりこんでしまった。

「珠生くん、どうしたん?」
 舜平の姿を見て、珠生は大きく息を吐きだした。舜平も健介には劣るが微かに赤い顔をしていたものの、そんな珠生を見て、とろんとしかけていた目が正気を取り戻す。
 気遣わしげに珠生を見つめた後、へべれけの健介に声を掛けながら革靴を脱がせようと頑張っている。

「先生、ほら、着きましたよ! 部屋で寝ましょうね、部屋で!」
「もういいよ~ここでいいよ~。おつかれぇ」
「駄目ですよ! ほら、ここですか? この部屋ですよね?」
 舜平は玄関からほど近い部屋を覗きこむ。ドアが開け放してあるその部屋の中は、うず高く積まれた本で埋め尽くされていて、いかにも健介らしい部屋である。舜平はずるずると健介を引きずってベッドに転がすと、汗を拭ってため息をつく。

「はい、おやすみなさい!」
「はいはい~」
 バタン、と健介の書斎の扉を閉めると、舜平は大急ぎで珠生の脇に膝をついた。

「珠生くん、どないしたん。また顔色悪いで」
「あ……いや。父が、すいません。お世話になって……」
「いやいや、いいねん。家知ってんの俺だけやったから、代表してタクシーで送ってきただけやねん」
「そ、そうですか……」
 珠生は壁に手をついて、ふらりと立ち上がるとキッチンへと向かう。
「お水、飲みますか?」
「ああ。ありがとう」
「二人して、お酒臭いですよ」
「あ、すまん……」
 舜平がソファに座ると、珠生がグラスに水を注いで渡してくれる。舜平は酔いを覚ますべく、ぐいとそれを一気に飲み干した。
 そして、テレビが賑やかに点いているのを見て、舜平は少し笑った。

「珠生くんは、こういうお笑い番組なんかも見るんか?」
「いいえ……」
 尚も青い顔をしている珠生を、舜平は心配そうに覗きこむ。
「なぁ、なんかあったんやろ、話してみ」
「……はい」

 珠生は、ぽつりぽつりと、今朝見た夢の話、学校に斎木彰が現れたこと、そして入学式中のことを話した。
 舜平の表情がみるみる引き締まる。特に、斎木彰が学校にいるという部分には、特に警戒の色を濃くしていた。

「それで、さっきテレビのニュースで、竜巻の映像がでたんですけど……どう見ても、それ……」
「ん?」
「竜巻なんかじゃないんだ。あれ、紫色の靄みたいなのが、体育館を襲ってた。その中……ひ、人の顔がいっぱい見えて、怖くて……」
 自らの手を握りしめながら震える珠生の身体を、舜平は無意識の内に思わず抱き寄せていた。

「俺、分からないです。いったい何が起こってるのか、分からないし……。昨日の夢だって、あんなに生々しくて、怪我なんかしてないのに、さっきまで身体に血が流れてたみたいに感じて……」
 珠生は指の色が白く変わるほどに強く舜平のパーカーを握りしめながら、涙を流してそう訴えた。 
 舜平は、自分の肩に顔を埋める珠生の小さな頭を撫で、華奢な肩をぎゅっと抱き寄せる。

「俺も夢を見た。千珠って名で呼ばれてる、銀髪の少年が出てきた」
 パッと珠生が顔を上げて舜平を見上げた。驚きか動揺か、珠生の大きな目は、涙で潤んで揺れている。
 舜平は、自分が見た夢の内容を話して伝えた。珠生はじっと舜平から目を逸らすことなく、その話を聞いている。

「似ててん。すごく。珠生くんとその、千珠っていう白い鬼の子……」
「そんな……」
 じゃああの彰という男の話は、本当のことなのだろうか。桜の下で見たあの銀髪の少年の姿と、千珠という名が偶然に一致する確率など、限りなくゼロに近いだろう。

 俯く珠生を、舜平はまた抱き寄せる。賑やかなテレビの笑い声がひどく場違いなものに聞こえ、より一層二人の周りから現実感を奪っていく。

「もういっぺん、会うてみよか。その副会長とやらに。そうしたら、もっと、色んなことがはっきりするんちゃうかな……」
「……そうですね」
 珠生はそう呟いてから、はっとしたように舜平から身を離した。舜平もぎょっとして、ささっと珠生の肩から手を離す。

「ご、ごめん」
「あ、いいえ……」
 今更ながらに、舜平は自分の心臓が高鳴っていることに気づく。実際に目の前に珠生がいることが、信じられなかった。たったの一晩会わなかっただけだというのに、久方ぶりに再会出来たような、奇妙な高揚感があるのだ。

 それにしても、軽く酔っているからといって、抱きしめるなんてどうかしてる。酒の勢いってのは、すごいもんやな、はははは……と舜平は一人小声でブツブツ呟きながら、すっと立ち上がった。

「ほな、俺、行くわ」
「えっ?」
 心細げな珠生の目つきの愛らしさに、舜平は目眩がするほど衝撃を受けた。酔って顔が赤かったことを、救いに思う。
「……この後、友達んちで飲む約束しとってさ。先生送ったら、合流するって言ってて……」
「あ、そうか……」
 珠生は頷いて、見送るつもりなのか、ソファから立ち上がった。
「もう父さん帰ってるから、舜平さんがいなくても、大丈夫です。平気です」
「ん……でも、もうちょっと、おろうかな」
 舜平は、再びすとんとソファに腰を下ろし、照れくさいのを誤魔化すようにぎこちなく笑って見せる。

「もうちょっと、酔い覚ましてから行くわ」
「あ、はい……! コーヒー、飲みますか?」
「うん、ありがとう」
 安心したように微笑む珠生を見て、舜平はぎゅっと胸を押さえた。


——あかん、可愛い。酔ってるせいかな、信じられへんくらい可愛く見えんねんけど! おい、俺!! この子は男や! しっかりせぇ!! 教授の息子やぞ!!

 舜平は膝に肘をつき、思わず両手で頭を抱えた。

「頭痛いんですか?」
 ガラス張りのセンターテーブルに、コトンとマグカップが置かれた。コーヒーのいい香りが、舜平の頭をすっきりさせる。
「あ、いや……。大丈夫」
「そうですか」
 珠生はソファには座らず、その下のラグマットに腰を下ろして、テレビのチャンネルを変えた。洋画の吹き替え版が放映されているチャンネルで、珠生はリモコンを操作する指を止めた。

 派手なアクションで有名な、ハリウッドの映画だった。ちょうどクライマックスなのか、どかんどかんと爆薬が派手に火柱を立てている。

「珠生くんは、映画好きなんか?」
「ええ、結構好きです。遠い世界な感じがして、落ち着くから」
「そっか。珠生くんは……」
「あの、別に……君付けじゃなくていいですよ。舜平さんは年上だし……」
「え? ああ。そうか? ……う、うん。分かった」
「あ、父さんの前では、君付けでもいいです」
「せやな」
 舜平はどきどきしながら、ごほんと咳払いをした。

「た、珠生……」
「はい」
「た、珠生は……って何聞こうとしてたんか忘れてしもうたわ」
 そんなしどろもどろの舜平に、珠生は思わず吹き出した。

 弾けるようなはじめての笑顔に、舜平は目を奪われる。文字通り花が咲くような、鮮やかで美しい笑顔だった。

「そんな……照れなくってもいいのに。ははっ、舜平さん、面白いね」
「や、やかましい!」
「あはははは、なんか、笑ってたら、色んな事、何となく大丈夫って思えますね」
 涙を拭いながら、珠生は笑顔を舜平に向ける。

 気がつくと、舜平はラグマットに膝をついて、珠生を正面から抱きしめていた。
 珠生の手から、空っぽのマグカップが滑り落ちて、ラグマットの上をころりと転がる。

「……しゅ、舜平さん?」
「……ちょっとでいい。このままで、いさせてくれ」
「えっ」
「頼む」
 舜平の真剣な声に、珠生は身じろぎするのをやめた。舜平は大切なものを抱きかかえるように、丁寧に珠生の背に手を添える。華奢な珠生の身体は、すっぽりと舜平に包み込まれた。

 突然のことに珠生は驚いていたが、不思議とそこに抵抗は感じなかった。舜平の腕は優しくて暖かく、そして、ひどく懐かしい。

 おずおずと手を伸ばして舜平の背に手を触れてみると、筋肉質な舜平の引き締まった背筋がぴくりと揺れる。すると舜平は身体を少し離し、真っ直ぐな目で珠生の瞳を見つめてきた。

 珠生ははっとした。互いの瞳の奥に、激しく揺さぶられる感情を、同時に感じ取ったという確信があった。

 重なりあうふたつの唇。
 その動きには迷いもためらいもなかった。
 そして珠生も、すんなりとそれを受け入れている自分に驚いていた。

「ん……」
 何度も何度も、優しく珠生の唇をついばむ舜平の唇は、とろけるように心地よかった。ぼんやりと輪郭を失いゆく意識の中、珠生はそこに、黒い着物の肩口を見た気がした。

 まっすぐに自分を見つめる熱い瞳。その瞳に何よりも、身体を熱くさせられたことを思い出す。

 力の抜けていく珠生の身体をマットの上に横たえ、舜平はその上に覆いかぶさると、さらに深く唇を重ね合わせる。お互いの唾液で濡れた唇から、濡れた水音が微かに響き始めた。

 珠生は手を伸ばすと、舜平の頬に手を添えた。舌を絡ませ、何かを探りだすように、二人の身体は徐々に徐々に、近寄ってゆく。

「あっ……んっ……」
 たまらず珠生が声を漏らした。舜平は取り憑かれたように、珠生の唇を求めながら、シャツの裾から手を挿し込む。
 滑らかで暖かい素肌に触れ、何かが頭の中で弾けた。舜平は珠生の首筋に喰らいつくように唇を這わせながらシャツをたくし上げ、もっともっとと、その肌を求めた。
 珠生の白い肌が、明かりの下でつやりと艶めかしく光りを孕んでいる。

「はぁっ……あ……や、やめてください……駄目、駄目だ……!」

 突然意識を取り戻したように、ぐいと珠生の手が舜平の身体を押し返した。舜平ははっとして、あられもない珠生の姿を見下ろす。

 顔を真赤にして、白く艶やかな肌を晒す珠生は、何とも言えず色っぽかった。それこそ、梨香子など比ではないくらいに。  

「あっ……俺……。ごめん……!!」
 舜平は慌てて身を引くと、呆然としながら自分の両手を見下ろした。珠生がささっと着衣を直す様子が目の端に映る。
「ごめん、ごめんな……! 俺……」
「……」
 珠生は何も言わず、困惑の表情を浮かべて舜平を見上げていた。舜平も、訳がわからないという顔をしていた。
「いいえ……俺も、なんか……」

 
——俺、舜平さんのことを欲しいと思った。胸が苦しくなるくらい懐かしくて、切なくて、もうこのまま、抱かれてしまいたいって……。


 呆然とする珠生のそばで、舜平は決然とした口調でこう言った。
「……もうあかん。あいつらから全部、話を聞かなあかん」
「え?」
「前世のせいで、俺らが振り回されてしまうんやとしたら、昔何があったんかを知っておかなあかんと思う。俺……こんな訳の分からんこと、もう耐えられへんわ」
「……俺もです」
「ほんま、変なことしてごめんな。俺……行くわ」
「あ。はい……」
「また……連絡するから」
「はい。分かりました……」
「ごめんな」
 舜平は何度も謝りながら、珠生に少しだけ笑みを見せると、踵を返して玄関から出て行った。バタン、とドアの閉まる音が響く。

 珠生は、舜平のキスで真っ白になった頭のまま、転がったマグカップを無意識に拾い上げた。

 映画のエンドロールが流れ、勇ましい音楽が耳に入ってくる。
 
 珠生はしばらくそのまま、一方的に情報を流し続けるテレビを眺めていた。
 
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