琥珀に眠る記憶

餡玉(あんたま)

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第7章 戦の前

2、葉山と彰

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 藤原のホテルの部屋に、彰は葉山と二人でいる。渋々、葉山の治療を受けているのだ。

 この部屋はスイートルームだ。隣のベッドルームで藤原は寝ている。さすがにここ一週間の激務は辛かったようで、今夜に備えて眠るらしい。

 ソファやデスクの置いてある部屋で、彰は影龍に斬られた首の傷を、葉山に癒してもらっているのである。
 それは藤原からの命令であるが、彰は葉山から治療を受けることを初めは拒んでいた。命令だからと無理矢理に彰をソファに座らせると、葉山は隣に座って彰のストールを剥ぎ取り、マイペースに治療を始めたのだった。

 葉山の気はあたたかく、思いの外心地よかった。彰はうとうとしながら、ソファに肘をついている。
 眠りかけている彰の横顔を見ながら、葉山はちょっと笑った。いつも藤原の取り合いをしている二人だが、黙って眠そうにしている彰はただの高校生に見えて可愛かった。
 目と口を開けば、彼は当然のことながら自分以上の力と知識を持つ術者なのだ。本来、口答えなどしていい立場ではない。

 一気に眠りに堕ちたのか、がくっと彰の頭が手から落ちる。肘をついて眠っていたが、身体がそれに耐えられなくなったようだ。

「彰くん、膝枕してあげようか。そっちのほうが私も楽だし」
「……よしてくださいよ。そんなの……」
 眠たそうに目をこすりながら、彰はじろりと葉山を見たが、いつもの迫力はまるでない。
「そんなのとはなによ。あのね、女性の膝枕がどんなに貴重な体験か、あなたはまだ知らないでしょうけどね、なかなかしてもらえるもんでもないんだからね」
「……そうですか? 僕はして欲しいって言えばしてくれそうな女の子をいっぱい知ってますけど」
「な、生意気な……。もう、いいからほら、寝なさい!」
 減らず口の彰を引っ張って、無理矢理自分の膝に頭を置かせる。よろりと勢いに負けて寝転んだ彰の頭が、パンツスーツの葉山の膝に乗った。

 暴れるかとおもいきや、彰は大人しく膝に乗っていた。長い脚を肘掛けの方に移動させて、完全に横になる。

「……意外と素直ね」
「……意外と気持ちいい」
 彰はそう言って目を閉じた。葉山は肩をすくめて、彰の首に再び手をかざした。

 こうして間近で見ると、彰も瑞々しく綺麗な肌をしている。肌理は細かく艶やかで、すっぴんの自分よりも美しい。若いんだから当然か……と、葉山は彰の横顔をしげしげと見つめた。
 長い睫毛、尖った鼻、薄い唇の横顔はじっと見ていて飽きない。黙っていれば可愛いのになぁ、と思う。

 サラリとした長い前髪が流れて顔にかかるのを、指で耳に引っ掛けてやると、彰は微かに目を開いた。

「……寝てていいわよ」
「……葉山さんて、いくつだっけ?」
「は? 女性に年齢を聞くもんじゃないわよ」
「二十七だったよね」
「知ってるなら聞かないで」
「僕は今十七だから、十も違うのかぁ……」
「喧嘩売ってんの?」
「いやさ、僕は前世ではずっと独り身だったことを後悔してるんだ。千珠や柊さんには可愛い子どもが生まれてさ……ちょっと羨ましかったなぁ」
「……前世の話ね」
「うん……。僕はあの時、この血を後世に残したくなかったんだよなぁ……自分は汚れてるって、思っていたし……」
 眠たげにそんな話をし始めた彰を、葉山は驚いて見下ろした。
「そんなことないでしょ。今のあなたは、普通の高校生なんだから」
「うん、そうだね……。今世では頑張って家族を作りたいなぁ……」
「そうね、頑張って」
「でもさ、僕、人を好きになるって感覚が分からないんだよ……それでも大丈夫かなぁ」
「うーん……まぁ、世の中にはいろんな人がいるから。彰くんはかっこいいし頭もいいし、きっと将来良い人が見つかるわ」
「そうかなぁ……。ねぇ、葉山さんは何で結婚しないの?」
 デリケートな問いである。どう答えようかと迷いつつ、葉山は彰を見下ろした。彰は目を閉じ、気持ちよさそうな顔で葉山の治療を受けているが……。
「微妙なお年ごろの女に、ずいぶんストレートな聞き方するのね」
「ああ、三十才がボーダーラインとかなんとか……そういうのあるんだっけ?」
「あのね、私は忙しいから恋愛してる暇なんてないの。今だって、クタクタで眠いのに、男子高校生の怪我の治療をしているのよ? こんな多忙な私が、男を作る余裕があると思う?」
「……多忙を理由に出会いがないのを嘆くのは、働く女の逃げ道だよね」
 むかっ腹を立てた葉山は、ぺしっと彰の額を叩いた。彰は迷惑そうに葉山を見上げるが、そこにあるのが憤怒の形相だと気付くと、すいと目を逸らす。

「ごめんなさい、言い過ぎました」
「ふんっ、お子様には分からないのよ。これくらいの女の微妙な気持ちなんか」
「まぁ、僕は男だしね」
「ほんっと可愛く無いわね……あのね、こういう時代になってもね、女には色々あんの」
「はぁ……」
「先に結婚した友人たちにもよくイヤミを言われるわけよ。彩音は大変ね、忙しくて。国家公務員だもんね、すごいわね、カッコいいね、とか言いながら私を見下してんの。あー腹立つ」
「……僕に言われても困るんだけど」
「黙って聞いてなさいよ。どうせ寝てるだけで暇でしょ。私は今まで愚痴る暇もなかったんだから」
「……はい」
「大体、旦那や子どもがいることのどこが偉いっていうのよ。普通の人生送ってるだけなのに、なんであっちが上から目線なの?」
「……要は羨ましいんだね」
「うるさい。……分かってんのよそれくらい。でも私は、この仕事をきっちりこなしたいの。せっかく受け継いだこの血を、無駄にしたくないのよ。こんな大事なときに生まれ合わせたっていうのに、黙ってこの国の危機を見逃せっていうの? そんなこと出来るわけないじゃない。……ちょっと、何よ」

 葉山の言葉を聞いて、彰はむくりと起き上がった。そして、真剣な目付きでじっと葉山を見つめてくる。

「まだ途中でしょ、寝なさい」
「葉山さんは、この血を誇りに思うんだね」
「当たり前でしょ。この国を守れるのよ、今使わないでいつ使うのよ」
「……そうだよ。その通りだ」
 彰は嬉しそうに目を輝かせた。そんな反応に、葉山はきょとんとする。

「え?」
「葉山さん、子どもが欲しいの?」
「はぁ? そりゃまぁ、欲しいかな」
「じゃあ、僕の子どもを産んでよ」
 涼しげな笑みを浮かべてそんなことを言う彰を、葉山は呆気にとられて見つめていた。いったい何を言っているのか、理解できない。

 眉間にしわを寄せて目を瞬かせ、何も言わない葉山を見て、彰は首を傾げた。

「何? すごく理にかなってると思うんだけど」
「あなた、何を言ってるの?」
「僕は今世で子どもを残したいと思っている。葉山さんは、三十までに子どもがほしい。ちょうどいいじゃないか」
「ちょ、ちょうどいいって……そんな事務的なもんじゃないでしょ!! こういうことは!」
 真っ赤になって怒りだした葉山を、彰はきょとんとして見つめている。

「まずは気持ちってもんが大切でしょうが。好きな人と家庭を築きたいとか、この人の子どもを産みたいとか!」
「僕の子どもじゃだめなの? きっと強くて賢い子が生まれるよ」
「あんたはまだ高校生でしょうが!」
「法律上は、十八歳になれば結婚できるだろ」
「そりゃ……そうだけど……。あなたは好きでもない女と一生暮らせるっていうの?」
「さぁ? でも共通の目標があれば、生活は共に出来ると思うよ。ほら、子育てとかさ」
 葉山は逐一言葉を返してくる彰を、理解不能だといわんばかりの目つきで見つめた。対する彰は、余裕綽々の笑みを浮かべている。

「……あのね、大人をからかうんじゃないの。大体、私の気持ちってもんもあるでしょうが」
「葉山さんは僕が嫌いなの?」
「き、嫌いじゃないけど……そんな風にあなたを見たことないもの。考えられない」
「僕が若いから?」
「それもあるけど……。私は、自分があなたを好きになるとは思えないわ」
「やってみなきゃ分かんないだろ」
 彰は葉山ににじり寄って、顔を近づけた。思わず身を引くが、ソファの背もたれに阻まれてあまり後退できない。

「ちょ、ちょっと待ちなさい! 何考えてるのよ!」
「何って……キスしてみようかなって」
「一方的に何を言ってるの!! こういうことはね、お互いの意思ってもんが大事なの!!」
「……まぁ、たしかに、そうだね」
 葉山のもっともな言い分に、彰は諦めたように身を引いた。そして、じっと葉山を見つめている。

「……それにしても、葉山さん、おもしろいな」
「は? 何がよ」
 獣が獲物に狙いを定めるかのような目付きで、彰はにやりと笑った。自信たっぷりの彰の表情に、葉山はぐっと身構える。

「決めた。僕は、あなたに子どもを産んでもらう」
「あんたねぇ……突っ走るのもいい加減にしなさいよ」
「突っ走ってないよ。ちゃんと時間をかけて葉山さんを口説いていくつもりだよ」
「く、口説く?」
 いつものように隙のない笑みで、彰はにっこりと笑う。そんな彰を見て、葉山は少しだけどきりとした。

「僕がそのへんにいる普通の高校生じゃないの、知ってるでしょ?」
「そりゃあ……当たり前じゃない」
「僕は狙った獲物は逃さないからね」
「獲物とは何よ。そういう口のきき方から直していかないと無理ね。私、偉そうな男は嫌いなの」 
 葉山は彰の視線に絡め取られないようにするため、あえてツンとした口調でそう言った。そして、ぽんぽんと自分の膝を叩く。

「ほら、寝なさい。彰くんには明日頑張ってもらわないといけないんだから、さっさと治療を終わらせましょう」
「分かってるよ。もうこんなミスはしないさ」
 彰はまたごろりと葉山の膝の上に頭を乗せて、下から葉山を見上げた。

「横向いて。傷が見えないわ」
「はいはい……ねぇ、葉山さん」
「何よ。早くして」
「結婚しようね」
 ストレートすぎるプロポーズである。相手はまだ高校生で、本気かどうかも分からないのに、葉山の胸は思わずどきりと高鳴った。
 やや赤面して彰を見下ろすと、彰は唇に笑みを湛えたまま、ちらりと葉山を見てから横を向く。

「……百年早いわよ、まだガキのくせに」
「そうだけどさ……」
 彰は眠たげに呟いて目を閉じ、大人しくなった。
 その横顔はやはり可愛くて、腹立たしいような、ときめくような、ぼんやりとした形のない感情を持て余しながら、葉山は根気強く治療を続けた。

 京都の夜が更けていく。
 
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