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琥珀に眠る記憶ー新章ー 第二幕
二十九、死臭
しおりを挟むホバリングするヘリの一機から、数人の男が屋上へ降下してきた。
黒い軍服のような着衣に身を包んだ男たちだ。一見するところ、警察機関の特殊部隊を彷彿とさせるようないでたちである。なりゆきを見守るしかない薫のもとに、二人の男が駆け寄ってきた。
「大丈夫か、二人とも!」
「えっ!? あ、はい!! 大丈夫です!!」
「すぐに上へ!!」
耳を擘くローター音で、誰の声とも分からない。黒いグローブに包まれた男の手によってテキパキと安全器具が装着され、薫は深春とともにヘリの上へと引っ張り上げられていた。
狭い機内に押し込められると、ぐいと中へと引き寄せられる。その男が、ゴーグルを上げた。皆と揃いの黒いウェアに身に包んだ藤原修一が、引き締まった表情で薫を見据えている。
「ふ、藤原さん……!?」
「待たせたね。よく戦ってくれた」
「あ、あの! 下には、あの男が……!!」
「あれは偽物だ。駒形が自分で作り上げたダミーだ」
「えっ……!? でも」
俄かには信じがたく、薫はヘリの縁から思わず下を覗き込んでいた。サーチライトに照らされたビルの屋上で、数人の男たちが動き回っている。ついさっきまで駒形が立っていた場所に、黒い水たまりのようなものができているのが見えた。
——ついさっき、会話をしたのに。本物の人間みたいに、見えたのに……!?
「それがあの男の能力なんだ。あのダミーさえ送り込んでしまえば、どこででも傀儡術を発動できる」
藤原は厳しい口調でそう言うと、パイロットに声をかけてさらに機体を上昇させた。そして藤原は、自ら開け放たれたヘリの扉のすぐそばに膝をつき、いくつかの複雑な印を結んでいる。一体何をするのかと身を乗り出そうとする薫の腕を、深春がぐいと摑んだ。そして、ヘリの爆音に負けじと「じっとしてろ」と耳元で叫ぶ。
藤原はこう言った。
「この辺り一帯で、さっきと同じ妖が暴れ、人を襲っている。各所で対応していては間に合わない。空から傀儡どもを一掃する!」
「そんなことが、できるんですか……!?」
「ああ、急ごう。ここにいたのが駒形のダミーであったということは、やつの本体は間違いなく比叡山だ」
「比叡山!? じゃあ、まさか、天之尾羽張を……!!」
「だが、向こうにはこちら以上に戦力が揃っている。やすやすと奪われることはないだろうが、我々もこのままヘリで京都へ戻るぞ」
藤原の霊力が爆発的に高まっていく。淡い青緑色の光を湛えた藤原の背中を、薫は固唾を飲んでじっと見つめていた。
「陰陽術秘技・殲魂葬奏!! 急急如律令!!!」
視界を潰すほどの眩い光が、街全体を塗りつぶす。
+
ちょうどその頃、比叡山では天之尾羽張破壊の術式が開始していた。
珠生は陣の外に立ち、じっと成り行きを見守っている。円陣の中心には、術を込められた鎖で雁字搦めにされた天之尾羽張が安置されている。そして、刀のすぐそばには高遠が座し、彼を取り巻くように平安装束に身を包んだ陰陽師たちが円を描いて胡座をかき、声高に詠唱を続けている。
皆が術に集中できるよう、外から彼らを守るのが珠生の仕事だ。京都にいる陰陽師はほぼ全員が陣の中にいるのだ。責任は重大である。
——なのに、なんだろう……胸騒ぎが止まらない。
これは、天之尾羽張が喪われることへの名残惜しさかもしれない——力を欲する妖の本能を押しとどめながら、珠生は拳を握りしめ、陣を一望できる杉の木の枝の上に佇んでいた。
だが、山全体が、どこかおかしいのだ。地中からふつふつと湧き上がる、不穏な気配を感じる。珠生は気を張り巡らし、あたりを注意深く窺っていた。
陰陽師たちの力が高まってゆく。それは間違うことなく天之尾羽張の刀身一点に集中している。異常な熱量を宿した妖刀は、数千度の炎で焼かれているかのように赤い光を宿しはじめ、ギギギギ……と悲鳴を上げている。まるで、断末魔のような。
——ああ……壊れる。魔境で打たれた古の妖刀が……。
中心に座していた高遠が、傍に置いていた太刀に手を伸ばす。弱り、脆くなった天之尾羽張に止めを刺すためだ。
黒装束の裾をすっと捌き、立ち上がった高遠が、控えめな装飾の施された太刀を抜く。いよいよ最期の時かと珠生が固唾を飲んだその瞬間。
——この臭い……!!
死臭にも似た、嗅ぎ覚えのある臭い。それが珠生の鼻腔を刺激する。
刹那、身体を動かそうと思う前に、珠生は宝刀を抜き枝を蹴っていた。
退魔用の結界を宝刀で破り、珠生は陣の中心目掛けて身を翻した。視線の先には、天之尾羽張と高遠の姿がある。
高遠の胸を突いてその場から退け、宝刀で天之尾羽張を弾く。その一瞬後、轟音とともに、地中深くから地面が爆ぜた。
「っ……!!」
着地する間も無く、立ち込める土煙の向こうから鋭く飛びかかってくるものがある。とっさに身を躱して避けた珠生の鼻先をかすめていったものは、鋭い棘に覆われた黒い蔓草だ。
——地中からの攻撃なら、動きを察知されにくい……!
宝刀を手に身構えながら、珠生は小さく舌打ちをした。駒形が天之尾羽張を狙う可能性については考えが及んでいたものの、まさか、数多くの陰陽師が集う儀式の最中に襲撃してくるとは。
陰陽師らの騒然とする声が響く中、珠生はじっと砂煙の中を見据えていた。
ざわ、ざわと、頭上で樹々が騒いでいる。月の明るい夜だが、風が強く、分厚い雲が夜空を行き交う。世界が明暗を繰り返すたびに、土煙の中で蠢く何かのシルエットが、徐々にはっきりとした形を成してゆく。
収まりゆく土煙の中から、落ち着いた若者の声が聞こえてきた。
「やれやれ……こんな貴重なものを壊してしまおうだなんて、正気ですか?」
雲が切れ、煌々とした月の光が差し込んだ。
黒々とした蔓草を全身に纏わせた駒形司の姿が、月明かりに浮かび上がる。
生き物のように蠢く蔓草は、まるで禍々しい獣のようだ。だが、儚げな容姿をした駒形と、鋭い棘に覆われた禍々しい異形の対比は、いっそ幻想的でもあった。色素の薄い駒形の肌と髪の毛は月光に透け、樹々の作り出す濃い闇の中、まばゆく浮かび上がっているように見える。
だが、危機感がビリビリと珠生の肌を刺す。以前と同じだ。大した霊力を感じないというのに、駒形の周囲に揺らめく気配は異様で、先が読めない。それがひどく不気味なのだ。
駒形が身じろぎをすると、するすると蔓草がほどけてゆく。ざり、と比叡山の地を踏み締めた駒形の姿は、いつぞややり合ったときよりも成人に近づいているように見えた。
真っ白な髪の毛を風に靡かせ、色のない瞳で珠生を見据える駒形が、うっすらと不気味な笑みを浮かべた。
「お久しぶりですね、千珠様」
「駒形……」
「ふふ……術式の最中に失礼しました。なんとしても天之尾羽張を頂きたくて、やって来てしまいましたよ」
そう言って、駒形は意味ありげな視線を珠生の背後へやった。
珠生の背後には、攻方の陰陽師らが並び立っている。攻撃態勢を前にしても、駒形は笑みを浮かべたままだった。
「この裏切りモンがァ!! よう敵陣のど真ん中にのこのこやって来れたもんじゃなあ!!」
忌々しげに声を荒げているのは、墨田敦だ。すでに印を結んでおり、すぐにでも駒形を捕縛せんと身構えている。その隣にいる舜平は、激昂している敦を利き手で制した。舜平の目にも油断はない。
「敵? 裏切り者? 何を言うんですか。僕は、あなた方の味方です。将来争いのタネになりかねない『祓い人』という危険因子を、わざわざ狩って差し上げているんですよ?」
「はぁ……!? 何を言っとるんじゃ、貴様は……っ」
「そのためには、もっと強い力が必要なんです。分かりませんか?」
ちらりと流し目を遣る駒形に馬鹿にされたと感じたのか、敦の表情がより一層険しくなる。駒形の台詞に神経を尖らせ始めているのは、敦だけではなさそうだ。不穏な気の流れが陰陽師の中に生まれ始めているのを、珠生は感じた。
——挑発に乗るわけにはいかない、このままでは駒形の思うつぼだ。
珠生は宝刀を握り直し、その切っ先を駒形の方へまっすぐに向けた。すると駒形は、ゆっくりと瞬きをして、改めて珠生を見つめる。
「君になら分かるでしょう、千珠様。この刀剣がいかに価値あるものかということが」
「……ああ、分かる。人境にあるには、禍々し過ぎる代物だ。だからこそ、破壊するんだ」
「ふふっ、納得はしていないっていう顔ですね。それはそうでしょう。君の中にある妖の血は、この剣を欲している。だがこれを手にとってしまえば君は、人としての自我を保てなくなるかもしれませんね」
「……」
駒形はさも楽しげにそんなことを言うと、珠生によって陣の外へとはじき出されてしまった天之尾羽張の方を見た。そこではすでに、結界班の者たちが即座に新たな結界を張り、フルパワーで瘴気を押さえ込んでいる最中だ。
すると駒形はやおらそちらに向かって腕を伸ばした。それに呼応し、目にも留まらぬ速度で蔓草が伸びてゆく。狙っているのは、結界班の陰陽師らの背中だ。だが、その攻撃は、珠生によって防がれてしまう。
しかし駒形は反撃に動じる様子もなく、珠生に向けて攻撃を続けた。すぐに第二波、三波と襲いかかってくる蔓草を薙ぎ払いながら、珠生は駒形に向かって地を蹴った。
が、珠生はその場でぴたりと静止する。
同時に、複数の陰陽師たちの詠唱が声高に響いた。
「黒城牢!! 急急如律令!!」
「氷牢結晶!! 急急如律令!!」
「白波雷光! 急急如律令!!」
敦、五條、舜平の声が重なる。
舜平によって放たれたいかづちの矢が容赦なく駒形に突き刺さり、ざざざざざさ……!! と術の衝撃波が比叡山の樹々を揺るがせた。
珠生は爆風を避け、ひらりと空に跳び上がる。そして、紺野や佐久間ら結界班の面々を背中に庇った。
駒形は、この程度の攻撃で倒れる相手ではない。
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