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第1章
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マクァラトル王国首都ディロヴェレーに位置する王城。王族が住まい、国の未来が左右されるものから、恩讐入り乱れる醜い蹴落とし合いまで含む様々な会議が執り行われている。
貴族たちは朝早くから王城に出向き、今日も常と同じように会議をする。議題はその都度変わりはするが、議会の進行はさほどスムーズとは言い難い。
派閥争いは絶えず、水面下では足の引っ張り合いで忙しい彼らは、議題によらずその舌で相手をいかに蹴落とすかが重要であるかのように発言をするのだ。
時として、その応酬は収集がつかなくなりそうなところまで発展するのだが、会議室の最奥へと座る人物がひとたび指でテーブルを小突けば、しんと静まり返るのだ。混沌と化すその場を単に制しているのではなく、彼らはその人物の怒りを畏れているのだ。
あらゆる言葉で飾り付け、婉曲して相手を陥れる言葉をも呑み込み、彼の一挙手一投足に注目して紡がれる一言を待つ。
だが、そんな貴族たちの緊張に強ばる面持ちとは異なり、ジル・アルクスは平時と変わらない薄らとした微笑みのまま。テーブルを小突いた指を離し、そのまま顔の前に手を上げてから人差し指と親指で輪っかを作る。そして出来た輪っかを覗くように片目を瞑った。
まるで単眼鏡を覗く仕草に、貴族たちの頭は混乱していても気軽に聞けるような相手ではない。
貴族が主体の貴族院会議では、王が参加することはない。だからこの場において最も高貴な身であるクルムノクス大公が場を取り仕切り、彼は建国当時から議長を務めていた。
とはいえ、彼の会議に対する議長としての在り方はぞんざいなもので、彼は貴族たちの権力争いに口出しをすることはない。自由な発言を許すと言う彼の言葉は正しく、まるで会議にもならない有り様になったところで、彼は諌めることもまとめることはしない。
ただ、彼が騒々しいと感じた時にようやくこのように、テーブルを指で弾いて場を仕切り直させるだけなのだ。
王がその席にいたのなら、貴族たちはこうも萎縮したりせずにいただろう。今や王は貴族たちの顔色をうかがうばかりで、実質的に国の実権を握っているのは貴族と言っても過言ではない域にまでさしかかろうとしている。
しかし、今も昔も貴族院会議の議長を務めているのはクルムノクス大公であり、王よりも扱いが難しい人物だ。いっそのこと彼を王と仰いだ方が良いのだろうが、大公であるジル自身がそれを良しとしないのだからどうすることも出来なかった。
「手綱が緩いせいもあるだろうけれど、あまり勝手をされるのも気分が良くないものだね」
ジルは指で作った輪っかを覗きながら、独り言のように呟いた。
貴族たちに冷や汗が流れ、その真意を汲み取れる者はいないのかと視線を合わせる。しかし、誰もが首を振るばかりで、結局のところただ何も返せずに頭を下げるしかない。
なにか、怒りに触れるようなことをしでかしてしまったのだろうか。
彼らの胸中には一様にしてそうあり、恐る恐る見上げた大公は相変わらず輪っかを覗いている。
なにを見ているのか、それすらも聞けないが、ただ彼が何かしらに対して不快感を覚えていることだけは彼らにも理解出来た。
「うん? あぁ、悪かったね。そんな死を待つような顔をしないで欲しい。きみたちのことを言ったわけではないから、安心していつものようにさえずっていて構わない」
手を下ろしたジルは貴族たちが顔を下げ、揃ってジルの機嫌を損ねまいと押し黙っていたことに気付いた。
彼は貴族たちに対してその言葉を落としていたのではないし、正真正銘独り言だったのだが、貴族たちは未だに顔を上げなかった。
「そうだったね、きみたちの言葉を遮ったのは僕だった。続けても構わないよ、続けてごらん。さて、なんの話をしていたのかな?」
ジルはパンッと軽く手を叩き、仕切り直すように促した。
その問いは有無を言わせぬ命令であり、貴族たちはゆっくりと顔を上げていく。それぞれの顔色は血気盛んに議論をしていた先程と打って変わり、青ざめたような色をしていたがジルにとってそんなことは気にする価値もない。
言葉を言い淀む貴族たちに猶予はないと、彼は何回かテーブルを指で小突けば一人の貴族が細くも声を上げた。
「王女様の生誕祭についてでございます」
ふーん、とジルは大した興味を抱いていない返事をする。
「生誕祭までひと月を切っておりますが、王女様のパートナーがまだ決まっておりません。慣例では婚約者がパートナーとなっておりましたが、王女様はご婚約されておらず、誰をパートナーとするかで議論しておりました」
貴族たちはジルの表情を見るが、彼は眺めるように一瞥しただけで視線を逸らす。
彼の前にいると自身があまりにも矮小な存在であると否応なしに自覚し、そしていつでもそれを踏み潰せる彼の強大さに閉口して時が過ぎるのを待つしかない。ただ、彼の興味が自身に向かぬようにと祈りながら。
ジルはコツンと指先を鳴らした。
「お、王女様はかねてより、クルムノクス大公閣下に想いを寄せていらっしゃいます。大公閣下以外との婚約はされないと申しておりまして、パートナーも大公閣下ではないと生誕祭にも参席をされないと自室に閉じ篭っていらっしゃいます」
そもそも王女が婚約者をもたないのは、ジルに心底惚れ込んでおり、彼以外との結婚をしたくないという我儘からくるものだった。貴族たちの間では周知の事実であり、王女自身も大公に想いを寄せていると公言している。
だが、その想いを寄せられている本人のジルは、王女自体に興味が無いため相手にもしていないのだった。
彼女の親である国王は、何度も大公だけはやめてくれと懇願している。政治的な意味合いも含まれるのだが、何よりもジルはただの人間ごときに相手が務まるとは思えない。
自身の大事にしている王女が道端の石ころのように扱われる様は容易に想像でき、親である王からしたらそんな悲惨な未来は容認出来なかった。
ほとんど怪物のような得体の知れない大公に、王も迂闊な発言は出来ずに表向きとしては王女のことを優しく宥めるだけに留まっているが、それでも裏では王女に泣き縋るように何度も止めている。
貴族たちは王女が大公に懸想していると本人に言うわけにはいかず、だからこそ何とか王女に納得して貰いつつも自身らの派閥の利益となる相手を決めるために議論していたのだ。
だが、ジルの指先がテーブルを鳴らしたことにより、恐怖心から真実を語ってしまう。
他の貴族たちは真実を語った者になんてことをしてくれたのかと内心では恨みつつも、誰も口を開かなかったら恐らく自身がそれを口にしていたであろうことを思えば、誰も非難など出来ようはずもなかった。
「僕にたかだか人間の赤子の世話をしろと?」
その一言が一瞬で貴族たちの息を止めた。
柔和なその雰囲気とは一変し、ジルの顔に張り付く微笑みは消えていた。刺すような威圧感とともに、新芽のような瞳が煌めくとビシリと何かの音が室内に響く。
中央のテーブルは貴族たちが全員腰掛けられるように、その長さは特注製のものである。そこに亀裂が真っ直ぐに入り、貴族たちの背に流れる冷や汗は最早滝のように流れていた。
彼は長命種であり、未だ20にもならない王女であれば確かに赤子であろう。下手をすればここにいる貴族たちも彼にとっては赤子であり、等しく相手にする価値などないと言われてもおかしくはない。
喉を締め付けるかのような息苦しさは比喩ではなく、見えない力によって貴族たちは首を締められている。
死を突き付けられている彼らは、誰からともなく謝罪の言葉を辛うじて吐き出した。
「赤子風情が、二度と世迷言を口に出来ぬように、いっそのこと喉を潰してしまえば良いのかな?」
ジルは深く椅子に腰掛けると、いつもの微笑みで首を傾げた。
首を絞めていた見えない力は途端に失われ、空気を何度も吸い込んで肺がようやく十分な酸素を取り込んだ頃、ようやく貴族たちはジルの顔を見ることが出来る。
彼はなんの感情も抱かないまま、平然と王女の喉を潰そうかと提案しているのだ。あまりにも異質なその雰囲気に、最早誰も言葉を上げられない。
ジルはやはり薄らとした微笑みを浮かべたまま、頬杖をついて怯える貴族たちの顔を見て言った。
「冗談に決まってるだろう?」
貴族たちは朝早くから王城に出向き、今日も常と同じように会議をする。議題はその都度変わりはするが、議会の進行はさほどスムーズとは言い難い。
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あらゆる言葉で飾り付け、婉曲して相手を陥れる言葉をも呑み込み、彼の一挙手一投足に注目して紡がれる一言を待つ。
だが、そんな貴族たちの緊張に強ばる面持ちとは異なり、ジル・アルクスは平時と変わらない薄らとした微笑みのまま。テーブルを小突いた指を離し、そのまま顔の前に手を上げてから人差し指と親指で輪っかを作る。そして出来た輪っかを覗くように片目を瞑った。
まるで単眼鏡を覗く仕草に、貴族たちの頭は混乱していても気軽に聞けるような相手ではない。
貴族が主体の貴族院会議では、王が参加することはない。だからこの場において最も高貴な身であるクルムノクス大公が場を取り仕切り、彼は建国当時から議長を務めていた。
とはいえ、彼の会議に対する議長としての在り方はぞんざいなもので、彼は貴族たちの権力争いに口出しをすることはない。自由な発言を許すと言う彼の言葉は正しく、まるで会議にもならない有り様になったところで、彼は諌めることもまとめることはしない。
ただ、彼が騒々しいと感じた時にようやくこのように、テーブルを指で弾いて場を仕切り直させるだけなのだ。
王がその席にいたのなら、貴族たちはこうも萎縮したりせずにいただろう。今や王は貴族たちの顔色をうかがうばかりで、実質的に国の実権を握っているのは貴族と言っても過言ではない域にまでさしかかろうとしている。
しかし、今も昔も貴族院会議の議長を務めているのはクルムノクス大公であり、王よりも扱いが難しい人物だ。いっそのこと彼を王と仰いだ方が良いのだろうが、大公であるジル自身がそれを良しとしないのだからどうすることも出来なかった。
「手綱が緩いせいもあるだろうけれど、あまり勝手をされるのも気分が良くないものだね」
ジルは指で作った輪っかを覗きながら、独り言のように呟いた。
貴族たちに冷や汗が流れ、その真意を汲み取れる者はいないのかと視線を合わせる。しかし、誰もが首を振るばかりで、結局のところただ何も返せずに頭を下げるしかない。
なにか、怒りに触れるようなことをしでかしてしまったのだろうか。
彼らの胸中には一様にしてそうあり、恐る恐る見上げた大公は相変わらず輪っかを覗いている。
なにを見ているのか、それすらも聞けないが、ただ彼が何かしらに対して不快感を覚えていることだけは彼らにも理解出来た。
「うん? あぁ、悪かったね。そんな死を待つような顔をしないで欲しい。きみたちのことを言ったわけではないから、安心していつものようにさえずっていて構わない」
手を下ろしたジルは貴族たちが顔を下げ、揃ってジルの機嫌を損ねまいと押し黙っていたことに気付いた。
彼は貴族たちに対してその言葉を落としていたのではないし、正真正銘独り言だったのだが、貴族たちは未だに顔を上げなかった。
「そうだったね、きみたちの言葉を遮ったのは僕だった。続けても構わないよ、続けてごらん。さて、なんの話をしていたのかな?」
ジルはパンッと軽く手を叩き、仕切り直すように促した。
その問いは有無を言わせぬ命令であり、貴族たちはゆっくりと顔を上げていく。それぞれの顔色は血気盛んに議論をしていた先程と打って変わり、青ざめたような色をしていたがジルにとってそんなことは気にする価値もない。
言葉を言い淀む貴族たちに猶予はないと、彼は何回かテーブルを指で小突けば一人の貴族が細くも声を上げた。
「王女様の生誕祭についてでございます」
ふーん、とジルは大した興味を抱いていない返事をする。
「生誕祭までひと月を切っておりますが、王女様のパートナーがまだ決まっておりません。慣例では婚約者がパートナーとなっておりましたが、王女様はご婚約されておらず、誰をパートナーとするかで議論しておりました」
貴族たちはジルの表情を見るが、彼は眺めるように一瞥しただけで視線を逸らす。
彼の前にいると自身があまりにも矮小な存在であると否応なしに自覚し、そしていつでもそれを踏み潰せる彼の強大さに閉口して時が過ぎるのを待つしかない。ただ、彼の興味が自身に向かぬようにと祈りながら。
ジルはコツンと指先を鳴らした。
「お、王女様はかねてより、クルムノクス大公閣下に想いを寄せていらっしゃいます。大公閣下以外との婚約はされないと申しておりまして、パートナーも大公閣下ではないと生誕祭にも参席をされないと自室に閉じ篭っていらっしゃいます」
そもそも王女が婚約者をもたないのは、ジルに心底惚れ込んでおり、彼以外との結婚をしたくないという我儘からくるものだった。貴族たちの間では周知の事実であり、王女自身も大公に想いを寄せていると公言している。
だが、その想いを寄せられている本人のジルは、王女自体に興味が無いため相手にもしていないのだった。
彼女の親である国王は、何度も大公だけはやめてくれと懇願している。政治的な意味合いも含まれるのだが、何よりもジルはただの人間ごときに相手が務まるとは思えない。
自身の大事にしている王女が道端の石ころのように扱われる様は容易に想像でき、親である王からしたらそんな悲惨な未来は容認出来なかった。
ほとんど怪物のような得体の知れない大公に、王も迂闊な発言は出来ずに表向きとしては王女のことを優しく宥めるだけに留まっているが、それでも裏では王女に泣き縋るように何度も止めている。
貴族たちは王女が大公に懸想していると本人に言うわけにはいかず、だからこそ何とか王女に納得して貰いつつも自身らの派閥の利益となる相手を決めるために議論していたのだ。
だが、ジルの指先がテーブルを鳴らしたことにより、恐怖心から真実を語ってしまう。
他の貴族たちは真実を語った者になんてことをしてくれたのかと内心では恨みつつも、誰も口を開かなかったら恐らく自身がそれを口にしていたであろうことを思えば、誰も非難など出来ようはずもなかった。
「僕にたかだか人間の赤子の世話をしろと?」
その一言が一瞬で貴族たちの息を止めた。
柔和なその雰囲気とは一変し、ジルの顔に張り付く微笑みは消えていた。刺すような威圧感とともに、新芽のような瞳が煌めくとビシリと何かの音が室内に響く。
中央のテーブルは貴族たちが全員腰掛けられるように、その長さは特注製のものである。そこに亀裂が真っ直ぐに入り、貴族たちの背に流れる冷や汗は最早滝のように流れていた。
彼は長命種であり、未だ20にもならない王女であれば確かに赤子であろう。下手をすればここにいる貴族たちも彼にとっては赤子であり、等しく相手にする価値などないと言われてもおかしくはない。
喉を締め付けるかのような息苦しさは比喩ではなく、見えない力によって貴族たちは首を締められている。
死を突き付けられている彼らは、誰からともなく謝罪の言葉を辛うじて吐き出した。
「赤子風情が、二度と世迷言を口に出来ぬように、いっそのこと喉を潰してしまえば良いのかな?」
ジルは深く椅子に腰掛けると、いつもの微笑みで首を傾げた。
首を絞めていた見えない力は途端に失われ、空気を何度も吸い込んで肺がようやく十分な酸素を取り込んだ頃、ようやく貴族たちはジルの顔を見ることが出来る。
彼はなんの感情も抱かないまま、平然と王女の喉を潰そうかと提案しているのだ。あまりにも異質なその雰囲気に、最早誰も言葉を上げられない。
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表紙の使用画像は、AdobeStockのものです。
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