公女様、前世に用はないですか?

みあはら

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17.

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 夜の訓練場は、昼とはまるで別の顔をしている。

 石畳は冷え、灯された魔導灯の光は淡く、影を長く引き延ばす。
 剣を振るたび、空気が切り裂かれ、微かな金属音が残響となって消えていった。

 一振り。
 二振り。

 動きは正確だ。
 だが、意識だけが、ここにない。

(――また、同じだ)

 夢の中で、俺はいつも遅れる。
 手を伸ばした時には、すでに遅く――
 シャロンは、冷たい石の上に横たわっている。

 剣を止め、息を整えた、その背後。

「夜風が冷たいよ、兄上」

 軽やかな声。

 振り返ると、デュクセルが回廊の柱にもたれて立っていた。
 月光を受けた栗毛が、やけに目に付く。

「こんな時間にどうした」

「母上に捕まる前に、少し散歩」

 冗談めかして言いながら、視線は訓練場を見渡している。
 ……観察する目だ。

「相変わらずだね。兄上は」

「何がだ」

「剣を振ってる時だけ、少し安心した顔をするところ」

 自覚はなかった。だが、確かに剣を扱っている時は、余計なものを切り捨てることが出来る気がする。

「最近、社交界で噂が増えてる」

 弟は、何でもない世間話のように切り出した。

「シャロン・モーフェット嬢のこと」

 胸の奥が、静かに軋む。

「……どんな噂だ」

「兄上と距離を置いた、とか。次は誰の側に立つのか、とか。……兄上が商家の娘と懇意にしている、とか」

 月明かりの下で、デュクセルは肩をすくめた。

「そして当然、僕の名前も出てくる」

 予想通りだった。

「母上は、必ず動くよ。いや、もう動いているのかも」

 その一言は、軽くなかった。

「今はまだ急いでないみたいだけどね。でも、あの人が“何もしない”はずがない」

 剣の柄を、無意識に握り直す。

「……それで、お前はどう考えている」

 デュクセルは少しだけ考え、率直に答えた。

「可愛いと思うよ」

 拍子抜けするほど、素直な声だった。

「礼儀正しくて、控えめで。
 でも、目がちゃんと前を向いてる」

 胸の奥に、ちくりと痛みが走る。

「一緒にいると、落ち着くし、……兄上が惹かれる理由も、分かる」

 風が吹き、魔導灯の炎が揺れた。

「じゃあ、婚約の話も――」

「“話”としては、頷くしかないさ。僕は母上の操り人形なんだから」

 即答だった。

「でも」

 デュクセルは、表情を引き締める。

「母上のやり方は気に入らない」

 彼は、空を見上げた。

「シャロンが兄上から離れたのをいいことに、公爵家ごと僕の側に引き寄せる。それは政治としては正しい。……でも、人の心を置き去りにしてる」

(……気づいているのか)

「僕は、兄上と敵対する気はないよ」

 デュクセルは、こちらを見る。

「シャロンのことも、政治のことも。でもね」

 皇帝譲りの金色の瞳でじっと俺を捉え、一歩、こちらへ踏み出す。

「兄上が彼女を選ばないなら、もちろん僕がそばに置きたい」

 胸に、重く落ちる言葉。

「シャロン嬢は、決して弱くない。とても聡明な女の子だ」

 訓練場に、しばし沈黙が落ちた。

「兄上」

 デュクセルは、柔らかく言った。

「僕は、彼女の気持ちを尊重したい」

 それは宣言だった。

「母上の思惑通りに動く気はない。でも、もし彼女が僕を選ぶなら、正面から受け止める」

 そして、少しだけ困ったように笑う。

「……選ばれなかったら、その時は諦めるよ」

 それが、俺には出来なかった。

(未来を知っているから)

 失う結末を、見てしまったから。

「兄上は、どうするの?」

 問いかけられ、言葉に詰まる。

 守りたい。
 失いたくない。

 だが――

(選択を奪うことだけは、したくない)

「……まだ、分からない」

 正直な答えだった。
 デュクセルは、それ以上追及しなかった。

「まあ、まだ時間は残ってる」

 踵を返し、回廊へ向かう。

「でも、何もしなければ、母上が全部決めちゃうよ」

 立ち止まり、振り返る。

「それだけは、覚えておいて」

 夜の闇に、彼の背中が溶けていく。
 一人残された訓練場で、剣を下ろし、空を仰ぐ。

(シャロン)

 もし彼女が、誰かを選ぶなら。
 俺は、その選択を、見届けなければならない。
 それが、皇太子としてではなく――
 一人の人間としての、責任だ。
 夜風が、静かに吹き抜けた。
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