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しおりを挟むデュクセル殿下からの呼び出しは、驚くほど突然のものだった。
「少し、お茶でもどうかな」
皇宮の侍従が殿下からの手紙を持ってきた時、私は一瞬だけ言葉に詰まった。
断る理由はない。けれど、行けば何かが動く気がして――その予感が、胸の奥で小さく波立った。
通されたのは、いつも通っていた皇后の私庭ではなく、離宮に近い小さなサロンだった。
大きな窓からは庭園が見え、陽の光が柔らかく差し込んでいる。
「来てくれてありがとう、シャロン嬢」
先に待っていたデュクセル殿下は、席を立って迎えてくれた。
形式張りすぎない、その態度に、少しだけ肩の力が抜ける。
「こちらこそ、お招きいただきありがとうございます」
向かい合って腰を下ろすと、侍女が静かに紅茶を注いだ。
花の香りが、ふわりと立ち上る。
一口含んで、ようやく気づく。
これは、私の好みだ。
(……調べた、というより、気に留めていたのね)
そう思っただけで、少し居心地が悪くなった。
「緊張している?」
デュクセル殿下は、くすりと笑う。
少し癖のある栗色の髪の毛が、ふわりと揺れた。デュクセルの髪色は皇后譲りのもの。そして宝石のような金色の瞳は、皇帝譲りだった。まるで、この国の皇室の象徴のような皇子様。
「いいえ……少し、驚いているだけです」
「僕たち、年は近いのに、2人きりで話す機会はあまり無かったよね」
殿下はカップを置き、窓の外へ視線を向ける。
「最近、色んなところで君の名前をよく聞くよ」
来た、と心の中で思う。
否定も肯定も出来ず、私はただ頷いた。
「……社交界は、噂話が好きですから」
「噂は、いつも事実より早く走るからね」
静かな声だった。
「でも、全部が嘘というわけでもない」
殿下は、こちらをまっすぐに見る。
その視線に、値踏みの色はない。ただ、確かめるような真剣さがあった。
「正直に言うね。皇后は、君を気に入っている」
分かっていた。
それでも、胸の奥がわずかに冷える。
「それは、君が優秀で、好ましくて――そして、公爵家の娘だからだ」
言葉を選びながら、殿下は続ける。
「そして、君が兄上から距離を置いたことも、皇后からしたら都合が良かった」
指先が、無意識にカップの縁をなぞる。
まるで、気持ちの行き場を探すように。
「……それは、私の未熟さです」
「違う」
即座に、否定された。
「君が、自分で考えて選んだ結果だろう」
その言い方に、少しだけ救われる。
「シャロン嬢」
殿下は、少しだけ姿勢を正した。
「もし、君が望むなら――僕たちの婚約の話は、進むだろう」
やはり、そこに行き着くのだ。
「でも」
殿下は、真っ直ぐに私を見た。
「君は、どう思っている?」
問いは、静かだった。
逃げ場のない、問いだった。私の気持ちを確かめるように、金色の瞳が私を見据える。
「私は……」
言葉を探しながら、胸に浮かぶのは、剣を振る背中だった。ただ黙々と前を見ていた、あの人。今は結ばれないとわかっていても、簡単に忘れられるものでも無い。
「……最近、失恋したんです。だから今は、考えられません」
ようやく、それだけを口にする。
デュクセル殿下は、少しだけ目を細めた。
「正直だね」
そして、微笑む。
「安心した」
「……え?」
「君が、何も考えずに流される人じゃないと分かったから」
殿下は、紅茶を一口飲んだ。
「僕は、君を可愛いと思っているよ」
あまりにも率直で、思わず息を詰めた。
「でも、それ以上に――君を、皇宮の駒にはしたくない」
胸の奥が、静かに揺れる。
「母上は、きっと急がない。でも、止まりもしない」
それが、忠告だと分かった。
「だから、君が選ぶ時間は、思っているほど長くないかもしれない」
私は、視線を伏せる。
「……殿下は、どうなさるのですか」
「僕?」
彼は少し困ったように笑った。
「君に選んでもらえるように、頑張ってみようかな?」
口調は軽く、私に重荷を負わせないよう、気を遣ってくれているのが伝わる。
「でも、選ばれなければ――それも受け入れる」
その覚悟が、逆に痛かった。
「兄上のことも、無理に忘れなくていい」
その一言で、胸が締めつけられる。
「君の人生は、君のものだから」
私に言ってくれている言葉のはずなのに、何故かその言葉は、殿下が自信に言い聞かせているようにも思えた。
サロンに、静かな沈黙が落ちる。
窓の外で、鳥が羽ばたいた。
私は、自分の手を見つめる。
(守られている)
兄に。
両親に。
殿下に。
自分の身には余るくらい。
「……ありがとうございます」
精一杯の言葉だった。
デュクセル殿下は、穏やかに笑う。
サロンを出る時、背中に感じたのは圧力ではなく、静かな猶予だった。
(私は、選ばなければならない)
私が、生きるための未来を、
私の意志で。
選ばせてもらえる。その重さを、ようやく、はっきりと自覚しながら。
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