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「……ねえ、旦那様。今、私の足の指一本一本に、花の香りがするオイルを塗り込んでいるけれど。これ、何かの呪術の儀式か何かしら?」
私は、暖炉の前でアルベルトの膝に足を預けながら、呆れ果てて問いかけた。
外は吹雪。この断崖絶壁の別荘に辿り着ける人間は、もう世界に一人もいない。
「儀式? 違うよ。君が明日の朝、絨毯を踏んだ時に、その足跡からバラの香りが立ち上るように仕込んでいるだけだよ。……素敵だろう? 君が歩く場所すべてが、僕の愛で満たされるんだ」
アルベルトは、一分の隙もない真剣な表情で、私の指先をマッサージしている。
その手つきは、公爵家の当主というよりも、偏執的な芸術家のそれだった。
「……素敵を通り越して、ホラーだわ。バラの香りがする足跡なんて、追跡が容易すぎて逃亡者には向かないじゃない」
「逃がすつもりなんて、爪の先ほどもないと言っただろう。……いいかい、エルゼ。君の細胞一つ一つに、僕の刻印を押し続けている最中なんだ。君が自分の体を見つめるたびに、僕を思い出さずにはいられないようにね」
彼は私の足首を掴み、その細さを確かめるように指を回した。
「……ねえ、アルベルト。改めて言うけれど。あなた、本当に狂っているわ」
私の言葉に、アルベルトの手が止まった。
彼はゆっくりと顔を上げ、炎に照らされたその端正な顔を、三日月のような形で歪ませた。
「狂っている? ……ああ、そうかもしれないね。いや、間違いなく狂っている。……でも、それは君のせいだよ、エルゼ」
「あら、また責任転嫁? 悪役令嬢の私でも、そんな強引な論法は使わないわよ」
「論法じゃない、真実だ。……君があの日、僕を噛んだから。君があの日、僕を無視して他の男と笑ったから。君が僕を裏切って、絶望という名の劇薬を僕の心臓に注ぎ込んだからだ」
アルベルトは私の膝に顔を埋め、深く息を吐き出した。
「君がまともな妻でいてくれたら、僕はまともな夫でいられたかもしれない。……でも君は、僕の中の獣を目覚めさせてしまった。君という猛毒を、僕は一生かけて分解し続けなきゃいけないんだ。狂わずにいられるはずがないだろう?」
「……。じゃあ、私があなたを治してあげれば、まともに戻るのかしら?」
私が冗談めかして彼の頭を撫でると、アルベルトは私の掌を掴み、その中央に深い、痛みを伴うほどの口づけを落とした。
「治す? 冗談はやめてくれ。僕は今の、この狂おしいほどに君しか見えない視界を気に入っているんだ。……君が僕を狂わせたんだから、責任を取って、一生僕の狂気に付き合ってもらうよ」
「……責任、責任って。私、一体何年分の責任を背負わされているのかしらね」
私は溜息をつき、彼をソファに引き上げた。
アルベルトは私の腰を抱き寄せ、耳元で熱く囁いた。
「永遠だよ。……ねえ、エルゼ。不倫をしていた頃の君より、今の君の方がずっと、綺麗だよ。……僕の狂気に染まって、その瞳から外の世界への興味が消えていくのを見るのが、何よりの快感だ」
「……最悪だわ。あなた、本当に……私の人生で一番の『悪い男』ね」
「光栄だ。君の専属の魔王として、死ぬまで君を甘やかして、そして縛り続けてあげよう」
私たちは、外界から切り離された小さな部屋で、互いの狂気を確かめ合うように唇を重ねた。
不倫から始まった私たちの歪な関係は、もう「愛」なんていう生ぬるい言葉では言い表せない。
それは、共倒れになるまで終わらない、甘美な地獄のダンスだった。
「……ねえ、旦那様。足のオイル、塗りすぎよ。滑って転びそうだわ」
「転ぶ前に、僕が抱きしめるから問題ないよ」
「……答えになっていないわよ、この変態」
私たちは笑い、そして再び、終わりのない闇の中へと沈んでいった。
私は、暖炉の前でアルベルトの膝に足を預けながら、呆れ果てて問いかけた。
外は吹雪。この断崖絶壁の別荘に辿り着ける人間は、もう世界に一人もいない。
「儀式? 違うよ。君が明日の朝、絨毯を踏んだ時に、その足跡からバラの香りが立ち上るように仕込んでいるだけだよ。……素敵だろう? 君が歩く場所すべてが、僕の愛で満たされるんだ」
アルベルトは、一分の隙もない真剣な表情で、私の指先をマッサージしている。
その手つきは、公爵家の当主というよりも、偏執的な芸術家のそれだった。
「……素敵を通り越して、ホラーだわ。バラの香りがする足跡なんて、追跡が容易すぎて逃亡者には向かないじゃない」
「逃がすつもりなんて、爪の先ほどもないと言っただろう。……いいかい、エルゼ。君の細胞一つ一つに、僕の刻印を押し続けている最中なんだ。君が自分の体を見つめるたびに、僕を思い出さずにはいられないようにね」
彼は私の足首を掴み、その細さを確かめるように指を回した。
「……ねえ、アルベルト。改めて言うけれど。あなた、本当に狂っているわ」
私の言葉に、アルベルトの手が止まった。
彼はゆっくりと顔を上げ、炎に照らされたその端正な顔を、三日月のような形で歪ませた。
「狂っている? ……ああ、そうかもしれないね。いや、間違いなく狂っている。……でも、それは君のせいだよ、エルゼ」
「あら、また責任転嫁? 悪役令嬢の私でも、そんな強引な論法は使わないわよ」
「論法じゃない、真実だ。……君があの日、僕を噛んだから。君があの日、僕を無視して他の男と笑ったから。君が僕を裏切って、絶望という名の劇薬を僕の心臓に注ぎ込んだからだ」
アルベルトは私の膝に顔を埋め、深く息を吐き出した。
「君がまともな妻でいてくれたら、僕はまともな夫でいられたかもしれない。……でも君は、僕の中の獣を目覚めさせてしまった。君という猛毒を、僕は一生かけて分解し続けなきゃいけないんだ。狂わずにいられるはずがないだろう?」
「……。じゃあ、私があなたを治してあげれば、まともに戻るのかしら?」
私が冗談めかして彼の頭を撫でると、アルベルトは私の掌を掴み、その中央に深い、痛みを伴うほどの口づけを落とした。
「治す? 冗談はやめてくれ。僕は今の、この狂おしいほどに君しか見えない視界を気に入っているんだ。……君が僕を狂わせたんだから、責任を取って、一生僕の狂気に付き合ってもらうよ」
「……責任、責任って。私、一体何年分の責任を背負わされているのかしらね」
私は溜息をつき、彼をソファに引き上げた。
アルベルトは私の腰を抱き寄せ、耳元で熱く囁いた。
「永遠だよ。……ねえ、エルゼ。不倫をしていた頃の君より、今の君の方がずっと、綺麗だよ。……僕の狂気に染まって、その瞳から外の世界への興味が消えていくのを見るのが、何よりの快感だ」
「……最悪だわ。あなた、本当に……私の人生で一番の『悪い男』ね」
「光栄だ。君の専属の魔王として、死ぬまで君を甘やかして、そして縛り続けてあげよう」
私たちは、外界から切り離された小さな部屋で、互いの狂気を確かめ合うように唇を重ねた。
不倫から始まった私たちの歪な関係は、もう「愛」なんていう生ぬるい言葉では言い表せない。
それは、共倒れになるまで終わらない、甘美な地獄のダンスだった。
「……ねえ、旦那様。足のオイル、塗りすぎよ。滑って転びそうだわ」
「転ぶ前に、僕が抱きしめるから問題ないよ」
「……答えになっていないわよ、この変態」
私たちは笑い、そして再び、終わりのない闇の中へと沈んでいった。
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