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馬車に揺られること数時間、視界に飛び込んできたのは、月光に照らされ銀色に輝く巨大な城だった。
ヴァランタン公国が誇る「氷晶城」。
切り立った崖の上に立つその姿は、美しくも人を寄せ付けない厳格さに満ちている。
「……綺麗な城。でも、少し寒そうですわね」
隣に座るリュシアン様を見上げると、彼は少しだけ困ったように眉を下げた。
「私の魔力が強すぎるせいか、城全体が冷えやすいのだ。客人を迎えるには、いささか不向きな場所かもしれないな」
「いいえ、とても幻想的ですわ。私のいた公爵邸とは、空気の澄み方が違います」
城の正門を潜ると、整列した使用人たちが私たちを迎えた。
誰もがリュシアン様を深く敬愛しているのが、その一礼だけで伝わってくる。
冷徹公爵と呼ばれてはいるけれど、きっと彼は公平で慈悲深い主君なのだ。
「リュシアン様、お帰りなさいませ。……そちらの女性は?」
初老の執事が、不思議そうに私を見つめる。
無理もない。
夜中に主人が行き倒れの女性を連れ帰ってきたのだから。
「エルシア・フォン・アステリア嬢だ。訳あって国を離れた。今日から私の賓客としてここに滞在する」
「アステリア公爵家の……。承知いたしました。すぐに客室の準備を」
「待ってください、リュシアン様。私はただの客として居座るつもりはありませんわ」
私は彼の外套の袖を、少しだけ強く引いた。
何もせずに守られるだけでは、あの国にいた頃と変わらない。
私は私の価値を、この場所で証明したいのだ。
「お父様にも言ったはずです。私は『家政魔導師』として、この城に貢献いたします」
「家政魔導師? 聞き慣れない言葉だな。君ほどの魔導の使い手が、家事の手伝いをするというのか?」
リュシアン様が、不思議そうに首を傾げる。
この世界では、高い魔力を持つ者は軍事や政治に駆り出されるのが常識だ。
けれど、生活を豊かにするための魔法こそ、私の得意分野なのだ。
「見ていてくださいませ。……『大気の調律(アトモス・チューン)』」
私は指先を鳴らし、城のホール全体に魔力を広げた。
ただ温めるのではない。
リュシアン様の冷気と喧嘩しないよう、魔力の粒子を細かく分解し、心地よい春の陽だまりのような暖かさを定着させていく。
「……っ、これは。城の冷気が、嘘のように和らいでいく……」
執事が驚きに目を見開いた。
角に溜まっていた埃も、私の魔力に弾かれて消滅し、空気そのものが磨かれたように輝き出す。
「さらに、これだけではありませんわ。キッチンの火力調整、衣類の自動洗浄、そして腐敗防止の結界。私の魔導式を組み込めば、この城の維持費は三割削減できます」
私は少し胸を張って言い切った。
王太子妃教育の中で培った、効率化と管理の知識。
それを魔法と組み合わせたのが、私の編み出した独自の術式だ。
「……驚いたな。君は、私が思っていた以上に宝物のような女性のようだ」
リュシアン様が、感嘆したように溜息を吐いた。
そして、彼は再び私の手を取り、今度は手の甲ではなく、指先に優しく触れる。
「よかろう、エルシア。君を正式にヴァランタン城の『専属家政魔導師』として迎えよう。……ただし、無理はさせない。これは主としての命令だ」
「ふふ、承知いたしました。ご期待に沿えるよう、明日から腕を振るわせていただきますわ」
案内された客室は、王城の私の部屋よりもずっと広く、清潔だった。
ベッドに身を沈めると、リュシアン様の魔力の残り香のような、冷ややかで清々しい香りが鼻を掠める。
(捨てられた先が、こんなに温かい場所だなんて……)
窓の外には、遠く故郷の国の方向が見える。
今頃あちらでは、私の魔導式が消えたことで、お湯が出ないとか、結界が薄くなったとかで騒いでいる頃かしら。
「……もう、私の知ったことではありませんわね」
私は小さく呟いて、目を閉じた。
明日からは、新しい人生が始まる。
リュシアン様の隣で、私にしかできない仕事を見つけるために。
一方その頃、アステリア公爵邸では――。
「おい! なぜキッチンの魔導コンロが動かんのだ! 朝食はまだか!」
「申し訳ございません、公爵様! 何をやっても火がつかず、魔法師団を呼びましたが『解析不能な術式でロックされている』と……!」
「な、なんだと……!? エルシアの奴、本当に細工をしていったというのか!」
冷たい水しか出ない浴室で、父の怒号が虚しく響き渡っていた。
ヴァランタン公国が誇る「氷晶城」。
切り立った崖の上に立つその姿は、美しくも人を寄せ付けない厳格さに満ちている。
「……綺麗な城。でも、少し寒そうですわね」
隣に座るリュシアン様を見上げると、彼は少しだけ困ったように眉を下げた。
「私の魔力が強すぎるせいか、城全体が冷えやすいのだ。客人を迎えるには、いささか不向きな場所かもしれないな」
「いいえ、とても幻想的ですわ。私のいた公爵邸とは、空気の澄み方が違います」
城の正門を潜ると、整列した使用人たちが私たちを迎えた。
誰もがリュシアン様を深く敬愛しているのが、その一礼だけで伝わってくる。
冷徹公爵と呼ばれてはいるけれど、きっと彼は公平で慈悲深い主君なのだ。
「リュシアン様、お帰りなさいませ。……そちらの女性は?」
初老の執事が、不思議そうに私を見つめる。
無理もない。
夜中に主人が行き倒れの女性を連れ帰ってきたのだから。
「エルシア・フォン・アステリア嬢だ。訳あって国を離れた。今日から私の賓客としてここに滞在する」
「アステリア公爵家の……。承知いたしました。すぐに客室の準備を」
「待ってください、リュシアン様。私はただの客として居座るつもりはありませんわ」
私は彼の外套の袖を、少しだけ強く引いた。
何もせずに守られるだけでは、あの国にいた頃と変わらない。
私は私の価値を、この場所で証明したいのだ。
「お父様にも言ったはずです。私は『家政魔導師』として、この城に貢献いたします」
「家政魔導師? 聞き慣れない言葉だな。君ほどの魔導の使い手が、家事の手伝いをするというのか?」
リュシアン様が、不思議そうに首を傾げる。
この世界では、高い魔力を持つ者は軍事や政治に駆り出されるのが常識だ。
けれど、生活を豊かにするための魔法こそ、私の得意分野なのだ。
「見ていてくださいませ。……『大気の調律(アトモス・チューン)』」
私は指先を鳴らし、城のホール全体に魔力を広げた。
ただ温めるのではない。
リュシアン様の冷気と喧嘩しないよう、魔力の粒子を細かく分解し、心地よい春の陽だまりのような暖かさを定着させていく。
「……っ、これは。城の冷気が、嘘のように和らいでいく……」
執事が驚きに目を見開いた。
角に溜まっていた埃も、私の魔力に弾かれて消滅し、空気そのものが磨かれたように輝き出す。
「さらに、これだけではありませんわ。キッチンの火力調整、衣類の自動洗浄、そして腐敗防止の結界。私の魔導式を組み込めば、この城の維持費は三割削減できます」
私は少し胸を張って言い切った。
王太子妃教育の中で培った、効率化と管理の知識。
それを魔法と組み合わせたのが、私の編み出した独自の術式だ。
「……驚いたな。君は、私が思っていた以上に宝物のような女性のようだ」
リュシアン様が、感嘆したように溜息を吐いた。
そして、彼は再び私の手を取り、今度は手の甲ではなく、指先に優しく触れる。
「よかろう、エルシア。君を正式にヴァランタン城の『専属家政魔導師』として迎えよう。……ただし、無理はさせない。これは主としての命令だ」
「ふふ、承知いたしました。ご期待に沿えるよう、明日から腕を振るわせていただきますわ」
案内された客室は、王城の私の部屋よりもずっと広く、清潔だった。
ベッドに身を沈めると、リュシアン様の魔力の残り香のような、冷ややかで清々しい香りが鼻を掠める。
(捨てられた先が、こんなに温かい場所だなんて……)
窓の外には、遠く故郷の国の方向が見える。
今頃あちらでは、私の魔導式が消えたことで、お湯が出ないとか、結界が薄くなったとかで騒いでいる頃かしら。
「……もう、私の知ったことではありませんわね」
私は小さく呟いて、目を閉じた。
明日からは、新しい人生が始まる。
リュシアン様の隣で、私にしかできない仕事を見つけるために。
一方その頃、アステリア公爵邸では――。
「おい! なぜキッチンの魔導コンロが動かんのだ! 朝食はまだか!」
「申し訳ございません、公爵様! 何をやっても火がつかず、魔法師団を呼びましたが『解析不能な術式でロックされている』と……!」
「な、なんだと……!? エルシアの奴、本当に細工をしていったというのか!」
冷たい水しか出ない浴室で、父の怒号が虚しく響き渡っていた。
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