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第五章 天を目指す楽園

第五章(09)

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 それにしても、ここは本当に銀髪の人間ばかりだ、とルチフは思う。もしかするとエンパーロというこの場所は、黒髪で緑の瞳のオンレフ村とは違って、銀髪で青い瞳の人間の国なのだろうか。

 と、正面から、冷たい風が流れてきた。外の空気。ルチフがそちらへ進むと、バルコニーがあった。追いつめられたバルコニーとは別のところだ。

 外にはやはり、あの巨大な建造物が見えた。人の手で作ったとは思えない、それ。不思議なことに、建物全体が明るく見えた。夜であるにもかかわらず、くっきりと形が見える。奇妙な光景だった――やはり信じられない。この国は一体どうなっているのだろう。

 そう、ルチフが塔を眺めている時だった。
 この巨大な建物の周囲にも、明かりが広がっているのが見えたのは。

「……村だ!」

 ルチフの漏らした声は、小さくも、驚きに満ちていた。
 この巨大な建物を囲むように、地上にも明かりが広がっていた。まるで光の絨毯だ。よく見ると、それは小さな家々の明かりだった。オンレフ村にあったような、小さな家の。それが群れのように無数にあり、そして――歩く人影も、見えた。

 ――まさかみんな、あそこに!

 大きな群れ、とカイナは言っていた。
 その通りで、地上に広がる村は、オンレフ村の何倍もあった。黒髪の人間が走っているのが見える。あれは子供だろうか。と、その子は銀髪の子供と一緒に駆けていく。

 ――一緒に暮らしてるんだ……。

 大人にも、黒髪と銀髪の人間がいた。何か話していたり、共に重い荷物を運んだり、皆、同じ人間同士、共に生活していた。

 ――皆同じ人間。同じ生き物。だから支え合って生きていかねばならない。

 ふと思い出したそれは、オンレフ村の教えの一つだった。

 ――一緒に、生きているんだ。

 欄干を掴み、より覗き込む。そこは一種の楽園のようだった。
 確かにここまで連れてくるのに、やり方は強引だった。身分差、というのも気に入らない。
 けれども、皆が支え合って生きている。皆が一つになって生きている。

 ……もしかして村人やケイは、これを見て、ここに住むことを決めたのではないだろうか。
 人が多く集まることの何がいいのか、いままでわからなかったが、やっと見えてきた。

 考えてみればこの巨大な建造物も、人の手ではあり得ないと思っていたが、こう人が集まっていれば知恵と力が集まって、可能になるのかもしれない。その結果、こうして実現しているのかもしれない。

 目を輝かせて、しばらくの間、ルチフは村を眺めていた。オンレフ村の人間を探す。しかし明るいものの、村は遠くてよく見えない。その上大きい、全ては見渡せない。果たしてここに、皆はいるのだろうか。

「……チャーロ、どこかにいるんだろ?」

 それでもルチフは、白い帽子を被った親友の名を口にする。長いこと、会っていないような気がした。名前を口にしてしまうと、話したくてたまらなくなった。

 だが見つけられなかった。やがて半ば諦めて、ルチフは天を仰いだ。夜でも相変わらず、空は重々しい雲に覆われていた。吐いた息は、白くなびく。

 ――それにしても、明るい。

 夜であるのにここまで明るいと、少し気が疲れてしまいそうだった。一体どうしてなのかと、ルチフは何気なく辺りを見回す。
 そこで妙な燭台にやっと気がついた。バルコニーにぽつんと立っていた灯り。小さいのに、このバルコニー全体を昼のように照らしている。
 近寄ってみると、薪や油で火がついているようではなかった。輝いているのは、ガラスでできているかのような半透明の球体だった。その中に、何かある――赤い光が、見えた。

「……赤い石」

 球体の中に、赤い石が見えた。血のように赤く、砕いて割ったかのような石。

 ベアタが大切にしていたペンダントと、同じ石だった。

 ルチフは思わずその球体に触れた。間違いなくベアタが大切にしていた石と同じものだ――。

「――その石こそ、この国を作るものだ」

 声がして、そちらを見れば、カイナがいた。
 瞬間、ルチフは反射的に身構えてしまった。それを見てカイナは苦笑いする。

「さっき召使いの一人から聞いたぞ、お前が……なんだか幼い子供のように逃げてしまったと」

 カイナはこちらへと歩いてきて、ルチフを見下ろす。

「……その石について、詳しくはまた今度に。けれどもその石のおかげで、この国があるのだ」

 この石のおかげで国がある――よくわからなくて、ルチフは首を傾げた。
 しかしそれよりも、いまはカイナに聞きたいことがあった。

「この、この下に、村が見えたんだ……」

 ルチフは欄干に掴まり、半ば乗り出すようにして、眼下に広がる巨大な村を指さす。

「みんなは、あそこにいるのか……? あの村は何なんだ……?」

 カイナは静かにルチフの隣まで来ると頷いた。共に村を見下ろす。

「皆で国を作っているんだ。彼らには……国を作るのを手伝ってもらっている。そのかわり、私達が衣食住を支える……彼らも国の民だからな」

 と、カイナは思い出したように顔を上げた。そして指さしたのは、そびえる塔の中でも、一番高く、大きい塔。

「ああ、そうだルチフ……ベアタ様はあの塔にいるんだ。あそこは、王族の塔……」

 その塔は、この巨大な建造物の中央に位置するようにあった。言われてルチフは、食い入るように見つめた。
 ベアタ。彼女はいま、何をしているのだろうか。聞きたいことが、たくさんあった。

「……ベアタ様は、国を捨てようとした。そのため、まだしばらくは外に出られないそうだ」

 カイナが説明する。だからルチフは、

「捨てようとした? ……何でベアタは国を出たんだ?」
「……父である国王様と、意見が合わなかったようでな」

 つまりベアタは、家出をしたのだ。
 しかし疑問は残る――命懸けの家出だ、普通、そんなことをするだろうか。

 じっとルチフが見つめていると、塔のバルコニーに、人影が見えた気がした。
 目を見張る。欄干を掴む手に、自然と力が入る。
 ――ベアタがこちらを見ているような気がした。
 ゆっくりと、ルチフは顔を歪ませた――急に胸が苦しくなったのだ。

「……みんなに会いたい」

 カイナを見上げる。
 血の繋がった家族にやっと会えた。それでも育った村の人や……守りたいと思った人に会いたいと願うのは、強欲なことなのだろうか。
 皆がこの国で暮らすことを選んでくれたのなら、皆とずっと一緒にいられる。
 ……けれどもいまは、会えないと言う。

 カイナは、まるで愛おしむかのような表情を浮かべていた。それを見ると、ルチフはまた胸に痛みを感じた――カイナに会えて嬉しかったのは確かなのだ。やっと家族に会えたのだ。

 だからこそ、どちらを大切に思うにしても、罪悪感があった。
 心はまだ戸惑っていた。

「……できる限りのことをしよう」

 やがてカイナは言った。

「家族の願いなのだから」

 その言葉に、少しだけルチフの表情は和らいだ。カイナはそれを見て、ルチフに微笑んだ。
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