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第六章 弔いの業火
第六章(07)
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浮いたルチフの身体は、鍋の中へと傾く。中に入っている液体に、顔が近づく。
「やめて! やめて……!」
ベアタが震えながら叫んだ。
けれどもルチフは焦らなかった。手に握ったままの剣をぶんと振り回す。
「うおっと……」
刃は兵士をかすることなく、宙を斬った。それでも兵士は怯み、ルチフはその一瞬に抵抗の蹴りを入れる。兵士は吹っ飛ぶように倒れ、ルチフも床に崩れるように座り込んだ。だがすぐさまルチフは立ち上がって、兵士に再び剣を突きつける。
兵士はそれでもなお、笑っていた。
「ああ、チクショウ……お前も『炉』の中に落ちれば、みんなと仲良く石になれたのになぁ?」
――この男は狂っているのかもしれない。嫌悪を通り越して、ルチフは気持ち悪さを覚えていた。一体、何の妄想にとりつかれているのだろうか。
「人間があんな石ころになるわけないだろ……」
呆れてしまって、全身の力が抜けそうになった。
――あの石は、血よりも血の色をしているけれども。
……そう思ったとたん、ルチフは口を固く結んだ。
――このエンパーロでは、村では考えられなかったものを、たくさん見てきた。
背筋を、何か気持ちの悪いものが撫でていった。
「……人間が、石になるはずなんてないんだ」
剣の切っ先が、震えた。
……いくらエンパーロ王国でも、そんなことは不可能だ。
――けれども、もし本当だとしたら。この国のいたるところで使われているこの石は。
「それがなるんだよ……『炉』に入れて服もまるごと全部溶かして……」
この兵士が指さした『炉』と言われるらしい鍋のようなものは、確かに大人一人が入れる大きさだ。
「何言ってるんだお前……」
それでもルチフは否定し続ける。だが声は震え始めていた。
……人が石になるなんて、ありえない。
助けを求めるように、ベアタを見れば。
――ベアタは血の気の失せた顔で泣いていた。握り合わせた手は、力んで白くなっていた。
「……嘘だろ?」
全てを物語るようなベアタの表情を前にしても、ルチフは信じられなかった。
……人間が石になるなんて、絶対にありえないことなのだ。
ましてや、チャーロやケイ、オンレフ村の住人が、なんて。
――それは、あってはいけないことなのだ。
「嘘だと言ってくれ……なあ……そうだろ?」
ルチフはいくつもの赤い石が入った瓶を指さす。
「あれが……村のみんなだって? 人間が、あんな小さな石になるって……?」
その問いに、ベアタは何も返さなかった。ただ泣きながら耐えていた。それが答えだった。
「――ベアタ様はリルチェ様が石になるところを見たもんなぁ!」
あざ笑うかのような兵士の声が響く。
「逆らおうとしたらどうなるか……『炉』に入れられて『薪の石』になるまで、国王様に見せてもらって、できあがった石ももらったもんなぁ?」
その言葉にルチフが思い出したのは、ベアタのペンダントだった。大切にして、他人に触られるのも嫌がった、赤い石のペンダント――。
兵士は今度はルチフへと、からかうように話し始める。
「その白い帽子のガキ……お喋りでうるさかったからよく憶えてるぜ? そいつは……『炉』に入れる前からうるさかったし『炉』に入れてからもうるさくてな」
それは愉快な話であるように。
「『炉』に入れる前には、溶けやすいように両手首を切って血を流しておかないといけない……だからまず切ったらぴいぴい騒ぎやがってな。ほんと、耳が痛いくらいにな! それで『炉』にいれたら今度は溺れるだの、全身が痛いだの……」
「……やめろ」
聞きたくなかった。そんなおぞましい話。
「蓋をして稼働させたらさらに騒ぎやがった……考えられるか? 蓋をしてるのに、めちゃくちゃうるさいんだ。相当な声で叫んでるんだぜ? 痛いだの、助けてだの……それもほかの奴らより長い時間さ!」
「……やめろ」
「驚いたのは足だったか手だったか溶けてもげたって叫んでたことだ、普通そんな状態になるまで叫び続ける奴はいないからなぁ……!」
「やめろ――!」
高笑いする兵士に、ルチフは剣を突き刺した。白く光る切っ先は、兵士の脇腹に食い込む。
兵士が苦痛の声を上げた。その制服が血に染まる。それでも兵士は、笑っていたのだ。
「おい! お前、やってみるか? 俺をその『炉』の中に入れて、稼働させてみな! どうやって人が石になるかわかるし……あのガキがどれだけうるさく叫んでたか、まねしてやるよ!」
「黙れ――!」
兵士の脇腹から剣を抜くと、赤い滴が滴った。痛いほどに握った剣を、今度は兵士の首へ向かって滑らせる――。
けれども兵士は、笑ったまま、転がるようにして切っ先から逃れた。ルチフの剣は、宙を裂くだけ。怒りのあまりに勢いを殺せず、その大きな隙の間に兵士は立ち上がる。そして情けない声を上げて背を見せ、逃げていく。
すぐさまルチフは兵士を追おうとしたが、兵士は逃げる先にいたベアタを突き飛ばした。響く悲鳴。冷たい床の上に、彼女は倒れ込む。
兵士は部屋から出ていく。しかしルチフはもう、兵士を追えなかった。
「ベアタ……!」
ベアタに駆け寄り、その身体を起こす。ベアタは泣き続けていた。
そして彼女が見上げたのは、あの赤い石――『薪の石』で満ちた、大きな瓶。
「……あれが、村のみんななわけが、ない」
ルチフは、繰り返す。
「そうだろ……? だって……俺は、俺はカイナから、そんな話聞いてないぞ……?」
……カイナは言っていた。皆で大きな群れになるのだ、と。
そう、カイナからは一言も、赤い石の正体について、聞いていないのだ。
国や人類のために、強引にもよその村から人を連れ去るように集めていた、カイナからは。
――まさか。
「―――――間に合わなかった……」
ベアタはそれだけを呟いた。瓶の中の『薪の石』は、健気にもきらきらと輝いている。
ルチフは唇を震わせたものの、固く閉ざした。
どうしてもっとはやく『薪の石』について教えてくれなかったのか、なんて、言えなかった。
……こんなおぞましいこと。口にするのも、いとわれる。
その上ベアタは――誰か大切な人を、石にされていたのだ。それも、目の前で。
――言えるわけがない。
「……ごめんなさい」
弱々しく震えた、か細い声。
「ごめんなさい……ルチフ……」
ルチフは何も言葉を返せなかった。そっと立ち上がる。
頬を伝う涙を、拭わないまま。
「みんな……」
ルチフは大きな瓶へと、手を伸ばす。瓶は重かったものの、これがオンレフ村全員の重さだとは、信じられなかった――あまりにも軽く、冷たかった。
「チャーロ! ケイさん! みんな……!」
……この国は、こうして人々を犠牲にして、成り立っていたのだ。
多くが集まり、協力するなんて――それは犠牲の上に立つ者の言葉だった。
瓶を抱きしめ、嗚咽を漏らしながらルチフは泣き続けた。迷子になり疲れ果てた子供のようにその場に座り込む。
……全員、石になってしまった。もう喋らない。温かくもない。
死んでいるのと、同じだった。
だが死者であることと違うことは、どれが誰だかわからない上に、
「――石になったら、魂を受け継げられないじゃないか……!」
……それが肉ではないことだった。血も、流れていない。
オンレフ村の多くの人間が望んだ。もし自分が死んだなら、残された者達に魂を受け継いでもらいたい、と。そうして共に生きていきたい、と。力になりたい、と。
――全ては、叶わなくなってしまった。
「やめて! やめて……!」
ベアタが震えながら叫んだ。
けれどもルチフは焦らなかった。手に握ったままの剣をぶんと振り回す。
「うおっと……」
刃は兵士をかすることなく、宙を斬った。それでも兵士は怯み、ルチフはその一瞬に抵抗の蹴りを入れる。兵士は吹っ飛ぶように倒れ、ルチフも床に崩れるように座り込んだ。だがすぐさまルチフは立ち上がって、兵士に再び剣を突きつける。
兵士はそれでもなお、笑っていた。
「ああ、チクショウ……お前も『炉』の中に落ちれば、みんなと仲良く石になれたのになぁ?」
――この男は狂っているのかもしれない。嫌悪を通り越して、ルチフは気持ち悪さを覚えていた。一体、何の妄想にとりつかれているのだろうか。
「人間があんな石ころになるわけないだろ……」
呆れてしまって、全身の力が抜けそうになった。
――あの石は、血よりも血の色をしているけれども。
……そう思ったとたん、ルチフは口を固く結んだ。
――このエンパーロでは、村では考えられなかったものを、たくさん見てきた。
背筋を、何か気持ちの悪いものが撫でていった。
「……人間が、石になるはずなんてないんだ」
剣の切っ先が、震えた。
……いくらエンパーロ王国でも、そんなことは不可能だ。
――けれども、もし本当だとしたら。この国のいたるところで使われているこの石は。
「それがなるんだよ……『炉』に入れて服もまるごと全部溶かして……」
この兵士が指さした『炉』と言われるらしい鍋のようなものは、確かに大人一人が入れる大きさだ。
「何言ってるんだお前……」
それでもルチフは否定し続ける。だが声は震え始めていた。
……人が石になるなんて、ありえない。
助けを求めるように、ベアタを見れば。
――ベアタは血の気の失せた顔で泣いていた。握り合わせた手は、力んで白くなっていた。
「……嘘だろ?」
全てを物語るようなベアタの表情を前にしても、ルチフは信じられなかった。
……人間が石になるなんて、絶対にありえないことなのだ。
ましてや、チャーロやケイ、オンレフ村の住人が、なんて。
――それは、あってはいけないことなのだ。
「嘘だと言ってくれ……なあ……そうだろ?」
ルチフはいくつもの赤い石が入った瓶を指さす。
「あれが……村のみんなだって? 人間が、あんな小さな石になるって……?」
その問いに、ベアタは何も返さなかった。ただ泣きながら耐えていた。それが答えだった。
「――ベアタ様はリルチェ様が石になるところを見たもんなぁ!」
あざ笑うかのような兵士の声が響く。
「逆らおうとしたらどうなるか……『炉』に入れられて『薪の石』になるまで、国王様に見せてもらって、できあがった石ももらったもんなぁ?」
その言葉にルチフが思い出したのは、ベアタのペンダントだった。大切にして、他人に触られるのも嫌がった、赤い石のペンダント――。
兵士は今度はルチフへと、からかうように話し始める。
「その白い帽子のガキ……お喋りでうるさかったからよく憶えてるぜ? そいつは……『炉』に入れる前からうるさかったし『炉』に入れてからもうるさくてな」
それは愉快な話であるように。
「『炉』に入れる前には、溶けやすいように両手首を切って血を流しておかないといけない……だからまず切ったらぴいぴい騒ぎやがってな。ほんと、耳が痛いくらいにな! それで『炉』にいれたら今度は溺れるだの、全身が痛いだの……」
「……やめろ」
聞きたくなかった。そんなおぞましい話。
「蓋をして稼働させたらさらに騒ぎやがった……考えられるか? 蓋をしてるのに、めちゃくちゃうるさいんだ。相当な声で叫んでるんだぜ? 痛いだの、助けてだの……それもほかの奴らより長い時間さ!」
「……やめろ」
「驚いたのは足だったか手だったか溶けてもげたって叫んでたことだ、普通そんな状態になるまで叫び続ける奴はいないからなぁ……!」
「やめろ――!」
高笑いする兵士に、ルチフは剣を突き刺した。白く光る切っ先は、兵士の脇腹に食い込む。
兵士が苦痛の声を上げた。その制服が血に染まる。それでも兵士は、笑っていたのだ。
「おい! お前、やってみるか? 俺をその『炉』の中に入れて、稼働させてみな! どうやって人が石になるかわかるし……あのガキがどれだけうるさく叫んでたか、まねしてやるよ!」
「黙れ――!」
兵士の脇腹から剣を抜くと、赤い滴が滴った。痛いほどに握った剣を、今度は兵士の首へ向かって滑らせる――。
けれども兵士は、笑ったまま、転がるようにして切っ先から逃れた。ルチフの剣は、宙を裂くだけ。怒りのあまりに勢いを殺せず、その大きな隙の間に兵士は立ち上がる。そして情けない声を上げて背を見せ、逃げていく。
すぐさまルチフは兵士を追おうとしたが、兵士は逃げる先にいたベアタを突き飛ばした。響く悲鳴。冷たい床の上に、彼女は倒れ込む。
兵士は部屋から出ていく。しかしルチフはもう、兵士を追えなかった。
「ベアタ……!」
ベアタに駆け寄り、その身体を起こす。ベアタは泣き続けていた。
そして彼女が見上げたのは、あの赤い石――『薪の石』で満ちた、大きな瓶。
「……あれが、村のみんななわけが、ない」
ルチフは、繰り返す。
「そうだろ……? だって……俺は、俺はカイナから、そんな話聞いてないぞ……?」
……カイナは言っていた。皆で大きな群れになるのだ、と。
そう、カイナからは一言も、赤い石の正体について、聞いていないのだ。
国や人類のために、強引にもよその村から人を連れ去るように集めていた、カイナからは。
――まさか。
「―――――間に合わなかった……」
ベアタはそれだけを呟いた。瓶の中の『薪の石』は、健気にもきらきらと輝いている。
ルチフは唇を震わせたものの、固く閉ざした。
どうしてもっとはやく『薪の石』について教えてくれなかったのか、なんて、言えなかった。
……こんなおぞましいこと。口にするのも、いとわれる。
その上ベアタは――誰か大切な人を、石にされていたのだ。それも、目の前で。
――言えるわけがない。
「……ごめんなさい」
弱々しく震えた、か細い声。
「ごめんなさい……ルチフ……」
ルチフは何も言葉を返せなかった。そっと立ち上がる。
頬を伝う涙を、拭わないまま。
「みんな……」
ルチフは大きな瓶へと、手を伸ばす。瓶は重かったものの、これがオンレフ村全員の重さだとは、信じられなかった――あまりにも軽く、冷たかった。
「チャーロ! ケイさん! みんな……!」
……この国は、こうして人々を犠牲にして、成り立っていたのだ。
多くが集まり、協力するなんて――それは犠牲の上に立つ者の言葉だった。
瓶を抱きしめ、嗚咽を漏らしながらルチフは泣き続けた。迷子になり疲れ果てた子供のようにその場に座り込む。
……全員、石になってしまった。もう喋らない。温かくもない。
死んでいるのと、同じだった。
だが死者であることと違うことは、どれが誰だかわからない上に、
「――石になったら、魂を受け継げられないじゃないか……!」
……それが肉ではないことだった。血も、流れていない。
オンレフ村の多くの人間が望んだ。もし自分が死んだなら、残された者達に魂を受け継いでもらいたい、と。そうして共に生きていきたい、と。力になりたい、と。
――全ては、叶わなくなってしまった。
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