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第六章 弔いの業火

第六章(10)

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「おや……頭がおかしいのは、事実だろう? お前は人喰いで、この国を燃やした! カイナの兄エンティオはこともあろうか召使いに惚れ、子を作った上に国を出て行った! カイナはその兄の狂気こそ告発したが、十五年経ったいま、お前に入れ込んでいる! どいつもこいつも、狂っているとしか思えんだろう!」

 ルチフが唖然としていると、ロザは言う。

 ――兄の狂気を、告発した。

 微笑むカイナの姿が脳裏をよぎってかき消える。

 ――カイナは、本当の両親は、ほかの人間に関係が知られてしまったから、罰を受ける前に国を出て行ったと、言っていた。
 ルチフはただ、青い目を見開き、ロザを見ていた。

「カイナも戻ってきたら始末しろ! やはりあいつも信じられん奴だ!」

 ロザは背後の兵士に怒鳴った。と、その時、まるで世界の全てが震えているかのような揺れが広間を襲った。獣の咆哮のような音が、外から襲うかのように響いてくる。窓の外を見れば、燃えさかる塔の影が、ゆっくりと崩れていくのが見えた。

「――ええい! 鎮火はまだか!」

 ロザが近くの兵士に唾を飛ばしながらまた怒鳴る。広間の端を見れば、火の手はそこまで迫ってきていた。

「……もう無理です! 国王様! この国は……終わりです!」

 広間へ走ってきた兵士の一人が、半泣きになりながら叫んでいた。

「ここも崩れます! 国王様、外に『雪車』を待たせています、早く――」

 そこでロザがかつかつとその兵士に歩み寄ったかと思えば、腰の剣を抜いて、その兵士の胸に突き刺した。剣は兵士の身体を貫通し、血にまみれ、その切っ先から血が垂れる。兵士は声を漏らし、剣を抜かれると目を見開いたままその場にくずおれ、もう動かなかった。
 ほかの兵士がどよめいた。だがロザには、何も見えていないらしかった。

「この国が終わるだと! そんなことを口にするなんて反逆者も同然だ!」

 そしてロザは剣を手にしたまま――今度はベアタへと向かって歩き始めた。

 ……ルチフは起き上がろうとしたものの、身体は痛く、重かった。
 ベアタの目の前まで来たロザは、娘が悪魔同然であるかのように睨みつけた。対してベアタも、毅然と睨み返す。顔は煤に汚れ、殴られた頬は赤くなってしまっていた。だが青い瞳だけは強い意思を宿して燃えていた。

 ――それはとても美しくて。けれども目前にある血塗られた剣が、宙を切り裂いて。

 鋭利な先が、ベアタの胸に音もなく沈み込む。そして背から芽が出るように生えてきた切っ先の輝きは、赤く染まっていて『薪の石』を彷彿させる。

 ベアタの背と胸に、深紅の花が咲いた。ロザが投げ捨てるかのように剣を抜けば、滴った血の滴が花弁のように舞い、ベアタの身体は打ち捨てられる。
 深紅の花が、その花弁を大きく広げ、ゆっくりと床にまで広がり始める。

「ベアタ――」

 その瞬間、虚しいほどに身体が軽くなって、ルチフはベアタへと駆け寄った。
 身体を抱き起せば、ベアタは微笑んでいた。その青い瞳にルチフを映して。

 声なく、彼女は名前を呼ぶ。そして、まるで幸福に包まれているかのように、血を吐きながらもルチフの身体に腕を回して。

「ずっと、いっしょ、に……おねが……い……」

 血の赤さを纏った唇が、か弱い言葉を紡ぐ。
 その赤い輝きは、命の輝き。魂の輝き。

 ――死んでも、共に生きていく。
 死にゆくベアタの唇に、ルチフは唇を重ねた。
 自分の血の味と、ベアタの血の味が、混ざる。身体の中に、入っていく。温もりが、身体の中に。ベアタの魂が、とけ込んでいく。一つになっていく。
 ベアタは憶えていたのだ。

 ――ありがとう、と。
 だらりと、回されていた腕が垂れた。

「ベアタ……?」

 ――身体はまだ、温かかったのだ。まだ生きている気がした。しかしその身体は、重く。

「この――クズが!」

 かつかつと寄ってきたロザが、ベアタを抱いていたルチフを蹴り倒した。するとベアタの身体はルチフのもとを離れ、ロザはその遺体をも激しく蹴り飛ばす。

 重くも広間の隅に飛ばされたベアタの身体は、赤い炎に包まれる。あの長い銀髪が煙のように揺れて、ドレスも黒くなり、生気を失っていた瞳は炎の色に染まった――。
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