ある日、始まった物語

どこか儚げな美少女

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転換の章

第45話

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 私は、深い吐息を吐いた。


 私は管理者、今代の管理塔、そして最後の管理人


 最初はゆっくりと鼻先から周囲の大気を取り込み、そして徐々に早めると喉元を通り過ぎていく冷たい夜風、それらを両肺に溜め込むように吸い切ると、私は瞳を瞑ってそれを思いっきり、しかしながら静かに淡々と全てを吐き切るのだ。


 ___スゥゥ………、ハァァァ…………。


 閉じた瞳を、おもむろに開けてみた。


 ___パチクリ


 瞳に反射する月明かりの刺激に思わず私は目を細める、その瞳の奥にある私の網膜が敏感に反応して明暗順応が起こる。これは目における重要な機能調節作用の一つ、その副作用とも呼ぶべき一般的に知られた生理現象の例だ。
 私の瞳の奥、その網膜が明るい月明かりに照らされて一時的に感光性が低下し、私の瞳の裏側に微かな痛みを走らせる。これは眼球を覆っている外眼筋が反射的に虹彩と水晶体を動かして無理にピントを合わせようとした結果でもある。

 詰まる所、人々を構成する細胞、その緻密で複雑を極めた人間の反射的な行動や反応が必ずしも本人に良い結果をもたらすとは限らない。その事を如実に証明する非常に分かりやすい例にして生物の奥深さを物語る不思議な事象の一端でもあるのだ。


 そして、私は落ち着きを取り戻し、冷静にして緩慢とした目付きで視界の先、その中央に佇んでいる存在へと語りかけた。


 「たしか歩行者と……、そう貴女は自らの"役割"を述べましたね」


 発した声が相手に届くまでのコンマ数秒の間でさえ、私は歩行者から目を離す事なく呟いた。その視線は冷たいながらも熱く歩行者を見つめる、穴が空くほど見つめるという例えが日本語において存在するが、もしも私の視線が矢を番えた弓であったのならば、今この瞬間までどれ程の矢が彼女自身の肉体を射抜き、そして内臓をどれ程の範囲まで射殺すことが出来ただろうか?


 ふと気づかぬ間に私の脳裏に浮かんだ疑問、ほんの一瞬だけ歩行者から意識が逸れてしまった。そんな、ほんの一度の瞬きにも満たない刹那、そして私の視界から歩行者の姿が消えた事に気づくまでに更に倍の刹那が過ぎ去っていく。


 ___歩行者が…、消えタ……!


 「なんじゃ?、まるで狐にでも摘まれたような顔をしおってからに?」


 歩行者の声、視覚ではなく私は聴覚で相手の居場所を知覚する。反射的に向いた真横、しかし奴は"そこ"には居なかった。


 「ほれ、こっちじゃよ」


 視界の端から伸びた片腕が私の肩に回された。そして奴の体重、その一心を私は自身の首と背骨に加わった瞬間に踏み縛るように耐えてみせた。思わず見ていたのは地面、咄嗟の事に下を向いてしまっていたのだ。


 そして、再び真横を見てみると歩行者が笑いながら私の首に片腕を掛け、その体重を微かに預けてくる奴の姿がそこにはあったのだ。


 「なるほど、それが貴女の"権能"の一端ですか……」


 私は、落ち着き払った声でそう呟いてみせた。しかし、その本心は表面上だけの鉄仮面とは異なり苦笑いを浮かべていた。歩行者の顔を見つめつつ、単純な速さ比べで彼女に挑む行為はどんなに愚かで無意味である事かを嫌でも今まさに私は実感させられたところなのだ。


 歩行者、その奴の権能は超高速移動というよりも一種のテレポート、又は移動に関する過程の省略に非常に近似した現象だと理解する事ができた。


 肩に腕を回した方の歩行者の指が、私の片頬に伸びて触れてくる。


 「くっ……」


 今すぐにでも奴の手を退けてしまいたい、という思いが感情の前線上を先行するが、残念ながら今は下手な行動が取れない状況、そんな状況下で私は奴のされるがままに彼女の指先の感触を受け入れていく。

 そして、その指先がおもむろに柔肌に覆われた頬の表面をゆっくりと登り詰め、最終的に私の耳、その耳輪から対珠にかけてを弄るように彼女の指先が滑り撫でていく。


 ___ビクッ…!


 普段、そんな場所を誰か他人に触れさせるどころか己自身ですら触れる事のない耳の付け根から三角窩の溝深くまで執拗に触られてしまい、私の体はその事に対して過敏なまでに反射的に驚いてしまったのだ。

 少しムッとした表情、私は彼女の手首を払い除けるように掴むと強引に肩から彼女の腕を引き剥がす。


 「他人の耳をこれでもかと何度も執拗に触るのは失礼極まりない行為ですよ…!」


 その言葉に歩行者は笑って誤魔化す。そして、掴まれた自身の腕を易々と愛から引っ張り出すと、ほんの僅かな距離を空けて愛本人を見つめてみせた。


 「特段、今の行為に悪気はないのじゃ。ただお主の反応が初心で見ていて面白くての、ちょっとばかし加虐心をくすぐられたのじゃ」


 そう呟いて歩行者は、愛の真っ赤に火照った耳元を見つめてニヤニヤと笑みを浮かべてみせた。


 ___バッ…!


 その歩行者の態度に思わず愛は自身の両手で両方の耳を覆い隠すようにして歩行者の視線から己の耳を保護する、それは無意識にして筆舌に尽くしがたい羞恥の表れでもある。

 自身の耳に触れて隠す愛の両手指、その先っぽを明らかな熱量を帯びた己の耳が温めている感触。それを自覚すると同時に次の瞬間、愛の両頬が実りが良いリンゴのように真っ赤に染まった。


 ___カァ……!


 もはや両方の掌だけでは覆い隠せない面積にまで拡大した羞恥心、愛はオロオロと動揺した視線で歩行者の視線を見返していた。


 「こ、これは違くて…! なんて言うか、そう!、これは少し今日は風邪っぽくて顔が熱くなってるだけだから!」


 愛の泳いだ視線、もはや自身が何を話しているかも分からない状態で己の小さな尊厳を守り抜こうとしていたのである。


 「ふふっ、今回の管理者は少しばかりお転婆じゃの」


 そう言って歩行者は微笑んだ、完全に愛への対応は孫とお婆ちゃんのそれである。


 「だがしかし、ここからは少し真面目に話すとするのじゃ」


 歩行者の声、それと同時に突如として周囲に吹いていた夜風がピッタリと止んだ。静かな沈黙、歩行者は愛を見つめていた。


 ___ゴクリ…


 愛の脳裏を緊張が走り、そして固唾を無意識のうちに呑んでいた。その様子に反して歩行者は落ち着き払った態度で愛へと近づき、その手首を捻り上げるように強く掴んでこう呟いた。


 「管理者、あとお主はどれだけ戦える……否、お主はあと残りどれだけの時間を生きられるのじゃ?」


 歩行者の声、その瞳が真っ直ぐに愛を見つめていた。


 「…………!」


 愛の頬、そこから流れるは一縷の汗である。












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