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第一話
しおりを挟む私は勇者、死闘の勇者。
これは勇者の物語、一人の少女が送った戦いの物語。
勇者は構える、抗うべき運命へと構える。
死闘の果て、何を得る……
これは勇者の物語、一人の少女が抗った運命の物語。
「王よ、今なんと仰られたのですか……」
二代目勇者、フィラ・リベイルは己が王に問いた。その表情は呆気に取られ、唇が微かに震えている。
「だからお主らは用済みだ、この国を去れ」
そう告げた王はこちらを見る、軽蔑の込められた目、私は…理解が追いつかなかった。
「ですから!、どうしてなのです!、いきなり追放など……」
「此度の戦争、先代勇者……つまりはお前の父が参加していれば容易に勝てた戦いであった。それを愚かにも行方を眩ませよってからに……」
私の父は勇者、魔族殺し専門部隊"勇ましく死に向かう者"初代団長ハロルド・リベイルが突如として行方不明となった。魔王城に行ったきり魔王を討ち倒した話を最後に彼の居場所を知る者は誰一人としていない。
私は代理、父の代わりに急遽として団長の席に座すことになった身だ。しかしどうだ、王は私のみならず一族全員を王国から追放すると告げてきたのである。私は、困惑していた。
「り…理由を!、納得が行く理由を……!」
「あの愚か者の娘に話す事などない」
父への批判、気づくと私は忠義を誓った王に抗議していた。
「父は愚か者ではありません!、この国の英雄!、魔王を討ち倒した勇者です!」
「その英雄は今どこだ?、あいつさえ居れば魔王亡き魔族の国など取るに足らんというのに」
王国は今、魔族の国"魔王国"との全面戦争中。父は敵国の王たる魔王を討ち倒した英雄、今は行方が分からずとも父ならば必ず帰国を果たす事だろう。しかし、王の反応は芳しくなかった。今まで王国は戦略を駆使して魔族を倒してきた、だが少し前より魔王が率いる魔王国が戦略を組み込んで我らを苦しめてきた。魔王の一手は全てこちらにとっては致命的だった、常に王国軍の動向が読まれ、後手に回らされ、こちら側が一方的に被害を被ってきた。それは正確無比にして疾風迅雷、まるで未来を読んだが如く魔王の戦略はどれも素晴らしい程に王国の戦略を凌駕してきた。
しかし、勇者が魔王を討ち倒して以降、魔王国は指揮系統を失った。これを好機とした王国が魔王国に戦争を仕掛けた、だが腐っても相手は魔族……生まれながらに魔法の才覚を持ち、人類を遥かに凌駕する肉体を誇る彼らが種族を倒し尽くす事は難しく、要であった勇者の不在が状況を更に悪化させた。
今の王国は疲弊している、加えて魔族に対抗する為に王国軍が用いた"不死の呪い"による死者が後を絶たない。戦況は芳しくない、王は焦っているのだろう。だから、責任を勇者含めたリベイル家に押し付けたのだと容易に想像できた。
二代目勇者フィラ・リベイルの人生はこれまで数奇に満ちていた。2歳の頃に暗殺騒動が発生、幸いにも一命を取り留める。4歳の頃に12歳上の異母兄に命を狙われ、自らの手で兄を殺害。7歳の頃、魔族に母親を殺される。8歳の頃、魔族に襲われ死闘の末に殴殺する。11歳の頃に病魔に侵され左腕の感覚を消失、肺に重大な後遺症が残る。13歳の今、一族の要であった勇者を失った事で権力争いに巻き込まれる、その際に二代目勇者に就任する。
「出て行け、愚かな一族よ」
王からの言葉、私は苦虫を噛んだ。
「仰せのままに……我が王よ」
私は、愚か者に背を向ける。きっと父ならば、このような状況を許さないだろう。きっと…必ず……絶対に………
真夜中、一族を率いた無数の馬車が森林を駆けていく。向かうは帝国、この速度ならば5日もあれば到着するだろう。10年ほど前に王国から離反した分家が帝国にいると聞く、せめて我々に友好的である事を祈るとしよう。
「はぁ……」
揺れる車内に腰を下ろす、額を押さえて溜息を吐いた。しかし、視線が移り変わりその手は幼い妹の頭を撫でた。疲れているのか妹は眠っていた、状況を振り返るとそれもそうか……と私は一人で納得し、深い欠伸をこぼす。
最近は貴族とのゴタゴタに巻き込まれていたせいで眠れていなかった、なんだったか……たしか、やれ戦争だ、戦え!、もしくは金の話に金の話に金金金と自らの地位と権力の話しか出来ない者達の集まりだったな。はは……さすがに疲れが溜まっているな、少し眠るか……私はそう思い、重い瞼を閉じたのであった。
夢を見ていた、幼い頃の自分を見ていた。私は無邪気な様相で父の足元へ駆け寄る、私は元気よく父に手を伸ばす。大きな父の手に抱かれて周囲を見渡す、ここは………村か…?、人の気配はない、それに……
辺りには死体が散乱し、それらは餓死者…あるいは伝染病による死者だろうか……見渡す限りでは外傷は見当たらない、きっと争った末に死んだのではないのだろう。しかし……その顔の一つ一つが苦しみに歪み、地に伏していた。苦痛に歪み、そんな見開かれた無数の瞳が私を凝視している……そんな錯覚に私は陥っていた。
私は恐怖に身を縮こませた。
ふと、父の方を向いてみる。
「…………お父さま?」
父の表情は暗い、普段は決して見せない顔だ。どうも村の様子に悲壮的な面持ちである。何かを懐かしむような、悔やむような…そんな感じ……
手を引かれる、父に連れられて私は村の奥へ奥へと進んでいく、周囲の死体から放たれる悪臭に思わず鼻を押さえていた。父と逸れないように私は駆け足気味に追いかけた、ここに一人で取り残されてしまう事が怖かったのだ。
とある家の前まで来た、父の手がスルリ…と離れていく。目の前の屋敷は古びてはいるが立派な建造物であった事が分かる。しかし、もう誰も住んではいないのだろう、きっと……
錆びついた取手、父は玄関の引き手に触れる。しかし、決心が付かないのか扉を開こうとはしなかった。私はそんな父に対して不思議がった。そして代わりに、父の苦しげな声が聞こえてきた。
「すまない…、すまない……マリア」
誰か知らぬ人物への謝罪。
何故、父がその名を口にしていたのか私には分からない。一体、誰なのだろうか……?、そして父は扉から手を放す、結局……開くことはなかった。私は父が呟いた名を思い返す、誰かは分からない……でも、何かが引っ掛かる………
___グラッ
不意に肩を誰かに掴まれる、私は驚きながらも抗いがたき力に連れ去られていく。咄嗟に父の方へ手を伸ばす、しかしその手は……届かない…
「お父さま…!?、お父さま…!」
中途半端に覚醒した意識、それとは裏腹にはっきりとした大声が聞こえてくる。
「お嬢様ッ!、お嬢様!」
肩を大きくゆすられる、肩が強くゆすられる。両目を開く、ぼやけた視界に反して耳元では痛いほどに従者の語りかける声が聞こえてくるのだ。
なんだ、騒がしい………私はそう不機嫌な眼差しで己の従者を見つめる。
「外に騎馬と思わしき影がっ!!、追手です!、それもダーヘル騎士団長が率いる騎馬隊だと思われます!」
ボゥ…としている重たい頭を傾け、小窓から外を見る、森に立ち込める薄霧の中で蠢く暗影が一つ…二つ……
瞬間、私の頭は跳ね起きた。
……チッ!、私は舌打ちを鳴らす。そう来たか、王国はどこまで私達を愚弄する気だ……!
怒りの籠った瞳で外を見ていると、それに反して冷静な口調で言葉が飛び出る。
「そお、王国は魔族と戦争中だというのにダーヘルの奴は暇そうでいいわね」
皮肉まじりに私はそう呟いた。
ハァ…嫌になる、本当に嫌になる…。
そして、目一杯に溜息を吐き切ると重い腰を上げて座席から立ち上がる。その際に未だに眠そうに目を擦っている妹の身を従者に託す、そして私は外と繋がる扉に手をかけた。
不意に背後から従者の声が聞こえてくる。
「お嬢様!、どうするおつもりで!」
___ガンッ
馬車の扉を開け放ち、私はこう告げる。
「私が迎え撃つ、貴方たちは全速力でこの森を駆け抜けなさい。」
敵は直ぐそこまで迫ってきていた、私が奴らを撹乱させる事でどうにか森を抜けるまでの時間は稼げるだろう。
しかし、従者の反応は芳しくなかった。
「いくら貴女様でも危険です!、おそらく敵はダーヘルの騎馬隊!、王国でも指折りの精鋭部隊である事は貴女様が一番理解してらっしゃるはずです!?」
そんな言葉を無視して私は剣を鞘から引き抜く、車内に吹き荒れた夜風が勇者の髪を大きく揺らす。
「私は王国の魔族殺し専門部隊"勇ましく死に向かう者"の団長よ、それは敵が一番理解してるわ」
私は一度だけ妹の方へと振り返る。不安そうな表情、幼き瞳が私を見つめていた。ふふっ、と私は笑ってみせる。リリィ…、必ずや守ってみせよう、この幼き天使を我が身を賭してでも守り抜く。
そう私は誓った、そして霧の立ち込める森へと身を乗り出す。
___バッ…!
馬車から飛び出した、己の従者の制止を振り切って迫り来る地面に我が身を翻して着地する。最初に聞こえたのは無数の馬のいななき、闇夜に轟くは統制の取れた騎馬の駆け足である。
力無き左腕が宙に揺れる、勇者の目線上に迫るは一騎の騎兵。私の首を討取りに来たか……勇者は呆れた表情を見せる。雄叫びを挙げた騎兵が剣を高らかに振り上げて迫り来る。
だが私は勇者、貴様らと同じく王国精鋭に並べられる"死闘の勇者"フィラ・リベイルである。
迫り来る剣撃に合わせて勇者は剣を振り上げる、その一閃は美しくも殺意を秘めている。
___ギィン…ッ!
血飛沫が真っ白な月夜を染める、しかしその血は決して私のものではない。騎兵を一閃、切り裂いたと同時に乗り手を失った騎馬へと即座に飛び移った。頬に跳ねた血を乱暴に袖で拭い、四方から迫り来る敵影に剣を構える。
"動かぬ筈の左腕"で手綱を握る、右手に握られた剣に力が籠る。
暗がりに月夜を浴びて、騎馬に跨り森を駆け抜ける。
「さすがは精鋭の騎兵部隊、良い馬に乗ってるわね」
私は感心していた、軍馬用に交配された馬はやはり通常の騎馬とは一味も二味も違っていた。
手綱を握った左腕にさらに力が入る、私は病魔に侵され11歳で左腕の感覚を失った、しかし確かな感覚と共に左腕が馬の手綱を握りしめていた。左腕が動く、自然に動くのだ。しかし、それは私の加護が影響している。
"死闘の加護"、戦闘時に肉体・精神の損傷に関わらず戦い続けられる権能、まさに戦闘に特化した加護である。代わりに所持者は生涯を争いに身を投じなければならないのだ。そう、真の意味で争いに身を投じては戦い続けなければならないのである。そして戦い、死闘を繰り広げていく運命なのだ。
この加護のせいで私は幾度も争いに巻き込まれては命の瀬戸際を彷徨い、腹立たしくも加護のおかげで何度も生き残る事ができた。
これは呪いだ、争いを呼ぶ呪いなのだ。
私は、この力が嫌いだ。
加護の効能が私を戦い続けさせる為に肉体を…、そして精神を戦闘仕様へと作り変えていく。左腕に力が宿る、不思議と敵が……死が迫るほどに強く脈拍を打つのだ。
だから、なんとなく敵の存在が分かった。
あそこか………、なんとなく敵の居場所が私には分かる。左腕が敵に近づく度に強く脈動する。だから、なんとなく私は理解する事ができた。
馬を駆けさせる、真夜中の森林は視界が悪い。しかし、そんな事は私には関係ない。
「ギャァァ___!?」
「なんだッ!?」
「敵襲!!」
月明かりに白銀の刃が騎馬兵の一団を襲う、統率を欠いた兵に恐れる事などない……!、私は剣を振るう、敵からの一振りを紙一重で回避する。
あたかも暗闇で敵を知覚できているが如く剣を振るう。
私は、加護の影響でどのような状況でも戦える。それが暗闇だろうが、毒矢の雨を浴びようが私は戦い続けられる……いや、闘争を止める事を加護が決して許さないのだ。私は……迫り来る敵を切り伏せ、叩き潰し、自らに群がる火の粉を振り払う。勇者として……私は………
___ザシュ…ッ!
敵の顔面に剣を突き刺した、体勢が揺らぎ私の方に傾いてくる。冷静に私はそれを蹴り飛ばす、剣を失ったが別方向から迫る敵を殴り伏せて剣を奪った。
ハァ…、ハァ…ハァ、さすがに敵が多い…….
槍が頬を掠める、即座に掴んで騎馬から敵を強引に振り落とす。そのまま顔から落ちていく男の表情は恐怖に染まり、私と一瞬だけ目が合った。
___ガシャン…!
私は思わず目を背けた、鎧を身に纏った兵士が地面に叩きつけられて肉体がひしゃげたかと思うと血を吐きながら跳ねた。
何度も見た、これで何度……私は人を殺したのだろうか……。
思わず身がすくむ、だが敵の強襲は止まらない。私は剣を振りかざして切り伏せる、敵を殺しては返り血にこの身が震える。しかし、私は剣を振るう手を止めない、その手が止まる事は決してなかった。
私は勇者、守るべき者がいる。この先を行く馬車を我が命を賭してでも守り切らなければならない、だから私は肉体が血に染まろうが力強く剣を振り落とす。
___ズパッ…!!
剣を振り払い、血を切り払う。そして私は剣を月夜に掲げてこう叫ぶ。
「私はここだ!、勇者はここにいるぞ!」
月下に響くは少女の声、血に染まった身を粉に振るい、返り血を浴びた髪を夜風に靡かせた勇者が敵へと迫り来る。
切った
刺した
突き落とした
馬の足を切りつけて敵を振り落とした
「アアァアァァァーーーーッッツ!!!」
___ズパッ!
首を刎ねた、その瞬間に私は馬上で咳き込んだ。敵の数は多く、あまりにも肉体に負担がかかった為である。
「ケホ…ケホ……ケホ、肺が……苦しい…」
胸元を押さえた、苦しい……まだ…戦いは終わっていないのに……
……ッ!?
視界の端に敵影を見た、咄嗟に強襲を防いだが敵の一撃は想像以上に重く、幼き少女には応えるものであった。
「くっ…!」
___ギンッ!
どうにか防いだ、しかし厄介である。こいつは……!
「ダーヘル…」
そう私は大柄な騎馬兵に対して呟いた、すると相手の方から話しかけてくる。
「ガハハ、よお勇者!、いや…今は反逆者だったか!」
「何の話をして……」
疑問を口にしようとした直後、剣先が迫る…!
___ギィンッ!
再び互いの剣が交わる、火花が飛び散り……勇者は思わず身を揺らす。
「お前ら一族は王に反旗を翻した事になってんだ、もう終わりなんだよ!」
「下衆が……ッ!」
醜い顔が兜の隙間から覗いている、私は思わず睨みつけた。王国はどこまで愚かなのか……、私は苦虫を噛み潰した。
「ガハハ!、さらばだ勇者!」
「くっ…!」
火花が散る___
重い剣撃、防いでも骨身に染みる一撃。さすがは王国屈指の精鋭を率いる男、やはり馬上では私の方が不利である。
___しかし、私は笑った。
「ダーヘル、私が貴様らに言った事を覚えているか?」
「ガハハ!、何を言ってんだ!」
勇者は腹に力を込める、正直バカげている。私は荒い息遣いでこう叫んだ。
「勇者とはッ!、勇ましく死地に飛び込む大馬鹿者のことだァッッ!!」
私は自身が騎乗していた騎馬から飛び出した、ダーヘルに向けて飛び出したのだ。
本当に馬鹿げている。だがな、ダーヘル……だからこそ私は勇者なのだッ!
「ダーヘルッッ!!」
「なっ!」
思いっきり拳を振りかぶる。
___バンッ!
顔面を殴りつける、そのままの勢いで幼き勇者がダーヘルもろとも馬から転げ落ちていく。地面に叩きつけられた巨体、兜が取れて男の素顔が現れた。勇者の小さき拳が鼻をへし折る、醜い顔がさらに歪む。
「ガハハ!、いい一撃だ!」
紙一重でダーヘルの剣撃を回避する。私は剣を強く握り直した、相手は腐っても騎士団長の地位に鎮座する男、舐めて挑んでは殺されてしまうだろう。
深く息を吸い込む、体勢を低くし勇者は走り出した。
___ダッ!
真っ向からの一撃…!、に見せかけたフェイント!、私の脈拍に比例して足捌きは加速する。敵の死角から撃ち出した剣撃。
___ギィン…!
チッ……、図体のわりに器用な男だ。
奇襲を受け流される……からの敵の強撃、私は背後へと飛び退く。土煙をまいた一撃、ダーヘルの追撃は止まらない。
___ダダダッ!
不恰好な足音を立てて剣が迫り来る。それを初撃は弾き返して、次撃はどうにか回避する。未だに止まらぬ素早い連撃、回避が間に合わな……
___ガギィン…ッ!
間一髪、全霊を奮って一撃を受け止める。私の肉体が……骨が軋みを挙げて震える。受けきれない…膝が笑ったように言う事を聞かない、だが……
腹に力を込める、その瞬間に私は絶叫していたのか微かに耳元が痛い。気合いを入れろ!、これはまさしく勇者の本懐を示す時!、屈せぬ者こそが勇者だ!、諦めない事こそが勇気だッ!、全てをこの一撃に込めるッ!
___ガギン…!
私は、ダーヘルの一撃を見事に弾き返した。そして、これから繰り出されるは誓いの一撃、貴様を倒すと私自らが誓った勇者の一撃である!
勇者の本懐、今こそ示そうッ!
___ズバンッ…!
直線上に撃ち出された一撃、敵の腹部に突き刺さると衝撃で鎧を貫いて内臓が爆ぜる。
「グ、ホッ…!?」
騎士鎧の腹部を穿った一撃、その一撃で刃先は折れて使い物には二度とならないだろう。だが、それで十分だ。
静かに折れた剣柄を抜き取り、敵を見据える。
ダーヘルは…、男は出血の止まらぬ腹を抱えて後退する。その表情は呆気に取られ、その足取りは覚束ない。地面に転がっていた自身の兜に足を掬われる、転んだ拍子に混乱しながら勇者へと叫んだ。
「ま、待て!、俺が悪かった!」
「何を今更……」
私は、一歩近づく……。
「お、おい勇者!、俺は魔族との戦争における最後の砦だ!、そんな俺を殺せば王国はどうなるか貴様も分かっ……!」
「あぁ、滅びるだろう……ダーヘル、貴様と同じく無様になッ!」
折れた刃がダーヘルの顔面に突き刺さる、それは深い……とても深くまで沈み込んだ一撃であった。血飛沫を表情なき眼で我が身に受ける、私は……勇者、ただ自身に降りかかる火の粉を振り払うために戦いに身を投じる者。
死闘の末、勇者は深く溜息をこぼす、それは深く静かな溜息である。鉄錆の嫌な臭いが鼻先を刺激し、舌先に酸味を感じさせる。何人かの呻く声が耳元に木霊している、これは幻聴だろうか……それとも、殺し損ねた残党のもがき苦しむ声であろうか……
「私には、分からない……」
そう…告げると勇者は歩き出した、疲労に苛まれた身体を引き摺るように歩き出す。壊れかけた歯車を背負って歩き出すのだ。
死闘の果て、何を求める……
分からない……、もう分からないんだよ…。ふらつく足取り、倒れる事など許されない。加護が倒れ伏す時間を与える事はない、気を失いそうになる度に肉体を締め付けるかのように力を与える。戦い抜く為の力、生き残る為の力を同意もなく授けてくるのだ。
「苦しい……」
生きている、いや…死んでいないだけだ。肉体は傷つき、精神は擦り切れて摩耗してしまった。そんな私を加護は許さない、自らの理想を押し付けては私を何度でも立ち上がらせる。
「ハァ、ハァ、ハァ、死闘の果てに……、何を見たか…」
勇者、彼女は幼き勇者、宿命を背負いし死闘の勇者は歩き出した。
朝日が彼女の目を染める、どのくらい歩いたか、どれ程の時間を経たのかは分からない。
彼女は立ち止まっていた、ちょうど森を抜けた先の事である。
引き攣った表情、目が見開かれた。
視線が泳ぐ、震えた唇が空気を噛むように何度も蠢く、首を横に振った……首を左右に振り続けた。冷たい風が彼女の背中を凍りつかせた。
壊れた馬車、それも酷い有り様であった。
この臭いは、誰かの血であろうか……
「だめ、違う……そん、な…訳ない、そんな事って……」
無意識に呟いた言葉、勇者は開いた口が塞がらないでいた。
「ア……ァあ、ァ」
瞳孔が開く、光を失った瞳が惨劇の繰り広げられた場所を凝視する。心臓の鼓動が早まり、呼吸は不規則に肺を締め付ける。胃から込み上げた何か、震えた右手がそんな口元を押さえる。
一歩、また一歩を踏み出す……
気づくと走り出していた、乾いた返り血がパキリと小さな音を鳴らして彼女の皮膚から剥がれ落ちる、頬から伝った大粒の涙が血と共に下へ下へと流れ落ちていく。
覚えてはいない___
私は、そのとき絶叫していたのか……覚えてなどいない、思い出したくもない…
「ア“ァ”ァ“ァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッッッ!!!!」
妹の"死体"を抱いて叫んだ、私は腹の奥底から叫んでいた。
嘘だ…!、嘘だ!ウソだ!うそだ!
「ねぇ…リリィ……リリィ!、だめ……だめ………こんなのって」
___ポタ…ポタポタ
心臓を強く握りつぶされたかのような錯覚に陥る。涙が止まらない、いくら妹の頬に涙が垂れ落ちようと目を覚ます事など決してない。私は嗚咽し、固く目を閉じて泣き崩れた、何度も妹の顔に頬を擦りつけようと奇跡など起こりはしない。冷たい、とても冷たい妹の幼き身体を抱きしめ続けた。離すことなど出来はしない、力無き骸だけが勇者には残されていた。
自らの胸元に妹の顔を押し当てる、死して尚も鼻からは出血が見られ、頬骨は砕けている事が分かった。暴行を加えられたのか歯が欠けた箇所があり、充血した眼が制御を失い地面の方を向いている。
腐敗は既に進行しており、蛆が涌いていた。破られた衣服からは外傷が見受けられ、剣による切り傷や刺突痕というより何か強い力を加えたかのように打撲痕が目立っていた。骨折が見られ、特に手足の損傷は酷いものであった。
「逃げられない為、手足から折ったというのか……」
悪趣味である……いや、最低だ。反吐が出る、おそらく即死ではなかったのだろう。時間をかけて殺されたのだ、何度も逃げようと踠いたのか爪先は土汚れが付着した状態で剥がれていた。
それに___、
喉をぐちゃぐちゃに掻き切られていた、きっと騒がないように……口封じの為であろう。苦しかった事だろう、とても……苦しかった事だろう。
私は震えた、震えが止まらず身がすくむ。
妹の頬を撫でた、涙の乾いた形跡がある。いつまでも私が来る事を信じていた、何度も私の名前を叫んだ、最期まで私が助けに来ると希望を抱いていた。
それを私は裏切った!、助けられなかった……!
反吐が出る、そんな私自身に対して反吐が出る。
半狂乱に笑った、いっそ狂ってしまいたい程に見開かれた瞳から涙が溢れる。天を見上げて泣いた、地面を見下ろしてからも泣いた。地平線に向けて泣き叫んだ、亡骸を抱きしめながら泣いていた。
恐ろしい……
「人とは、こんなにも……このように愚かにも残虐になれる生き物なのか……!」
私は、そう呟いていた。そして___
「ふざけるなッ!!、ふざけるなっ!ふざケルナッ!フザケルナッッ!、愚か者が!、この役立たずがッ!……何が勇者だ…!、こんな事なら死んだらよかったんだ!、お前が生きてたから皆んな死んだんだ!、死ねよ!、サッサっと死ねよ嘘つきがッ!、ほら死ねよ!、早く死ねよ!」
誰に言っているのか、いや……これは自分だ。私自身に向けた言葉なのだ。何度も罵倒を口にした、幾度だろうと喉奥が千切れるまで叫んだ。
「ケホ……ケホ…ケホケホ…」
___ゴボ…ゴポッ!
思わず強く咳き込み、肺まで損傷を受けたのか勇者は吐血した。
苦しい___
不意に倒れた王国兵の姿が目に映る、反撃を喰らった際に死亡したのか倒れたまま動く気配はない。わたしは、身を引きずって兵士へと迫る。その兵士の握っていた剣を掴み、思いっきり腑に突き刺してやった。何度も刺した、幾度も突いた、いつまでもいつまでも返り血を浴びて突き刺した。
そのうち剣の方が限界を迎えると一突きの間にポキリ…と簡単に折れてしまった。体重をかけていた為、剣が折れた際に勢いよくバランスを崩して倒れ込む。その際に胸部を強く打ってしまった、肺が痛い。
途端に痛みが走り、食堂を通って何かが込み上げてくる。再び真っ赤な血を吐いた、地面に向けて吐瀉した液体の後味は最悪であった。肺が苦しい、意識がぐらつき視界が揺らめいていた。
そんな勇者は、息も絶え絶えにこうも呟いた。
___死闘の果てに、何を得た?
いや、何もない!、全てを失った!、ただそれだけが私に与えられた結果であった。
全ては虚しいな、何を守っていたかが分からない。私は何を守ろうとしていたのか……。
___ガンッ!
地面を強く叩いた、血が滲んだ拳を思い切り叩きつけた。とめどない感情が……叫びが勇者の腹底から飛び出した。
「私は……!、わたしは………ッ!」
己が憎い!、何も救えなかった自分自身が…!
私は、孤独に言葉を吐き続ける。私は独り……歯止めのきかぬ絶望を我が身に抱いていた。死闘の果て、これは死闘の果てに得た答えだ。身を焦がす怒りが、身を擦り潰す悲しみが勇者の心を乱暴に犯す。
視界が揺らぐ___、
「う、ぅえ……」
___ビシャ…!
思わず吐いた、吐瀉物と言えるものは胃の中には入っていなかった。代わりに粘っこい胃液と舌触りの悪い唾液が混ざり合って口元から溢れた。
死闘の果てに___、
勇者は絶望した。
曇天、それこそが空を暗く包み込んでいた。
雨が降る、それは土砂降りの大雨である。どれほどの時間が経過していたのだろう、勇者は地に伏していた、屍のように地に伏していたのである。雨水が彼女を流そうと幼き身を侵す。力を失った瞳が地平線を向いている、視界は定まってなどいない。
雷鳴が轟く、しかし聞こえない。
力無く開かれている口元に雨水が侵入する、舌先に仄かな土の味が広がる。
鼻先から洗い流された血の臭いを感じ取る。
砕けた心が、弱りきった鼓動となって地面に伝わる。
触覚を失った腕が亡骸を抱いている、石のように硬直しきった存在を抱きしめているのだ。
雨は、未だ止まない……
唇が微かに動いた、そこから読み取れた言葉は行く宛のない謝罪の一文、何度も消え入りそうな声で幾度となく謝罪の言葉を口にする。唇を噛み締める、痛みなどない、雨水に流される血の色は赤かった。白濁とした彼女の心情とは正反対の色味を帯びた液体が大地へと静かに消えゆく。
雨は、まだ止む気配はない……
「ごめんなさい、私がもっと早く……駆けつけていたら……。私が安易に敵を迎え撃たなければ……ごめんなさい、ごめんなさいリリィ、ごめんなさい……リリィ…りりぃ……」
ごめんなさい……
ごめんなさい…、ごめんなさい……
ごめん…なさい……
憎い……
ごめんなさい………。
憎い!憎い!憎い!憎………!
時間が経つごとに強く、大きく、彩りを増した新たな感情が勇者の心の奥底に芽生えていた。それは憎しみ、純然にして当然にして必然なる王国に対する憎悪である。勇者は憎む、己を憎む、王国を憎む、全てを憎む。
憎い!、殺す!殺す!憎い!殺す!憎い!憎い憎い殺すにくいコロスニクイコロスニクイ ニクイ コロス……!
いつか……いつの日か…、いつまでも殺して殺してコロしてコロシ続ケテッッ!、殺スッ!!、王国ヲ私ノ手デ滅ボスト誓ウ、神ヘト誓オウ、私ニ誓オウ、コノ身ノ果テニ死ガアロウトモ!、誓オウ……!、世界ヲ憎ムト誓オウッ!!
瞳に宿した憎悪を秘めて勇者は目を閉じた、死んでしまったかのように瞳を閉じたのだ。限界を迎えた心身を引き摺るように既にその意識は事切れていた。
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