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Ⅷ
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午後の庭園で、誰かを待っていた。誰も来ないはずなのに、誰かを待っていた。待つべき人なんて、最初から存在しないはずなのに。手には『フィーリア物語』というのを抱えていて、少女はそれが大好きだった。文字なんてほとんど読めないはずなのに、なぜかその内容をよく知っていた。
夕方になっても少女は待っていた。まるで大切な人をなくしたかのように、心にはぽっかりと穴が開いていた。時折いないはずの誰かとの会話がよみがえって、少女の心をかき乱し、風のように離れていく。
「待っても、会いたい人には二度と会えませんよ。」
そっと振り返ると知らない顔の女がいた。
「新入りのメイドさん?」
たずねると、女はうなずく。
「マリアと申します。田舎から出てきた者ですが、どうぞお見知りおきを。」
「そうなんだ。」
少女はどうでもよさそうに言った。
「ところでお嬢様、お嬢様が探しているお方とは、この人ではないでしょうか。」
「わたし別に、誰も探してな―。」
金髪の青年がメイドによって引きずられているのを見て、せりふを詰まらせた。知らない人だと思うには、あまりにも目に焼きついた顔をしている。
頭がずきずきと痛む。記憶の断片が吹き荒れる。
―――。
「ねえ、りゅてる?」
「聞かせてよ、りゅてる?」
「やったね、りゅてる!」
「りゅてる、あそぼ!」
リュテルリュテルリュテルリュテルリュテルリュテルリュテルリュテル―。
そう、彼の名前はリュテル。自分の名前は無くても、彼の名前はリュテル。
何度その名前を呼んだだろうか。
少女は青年の身体に抱きついた。明らかにもうだめだった。
だって彼は、あまりにも軽く、淡く、抜け殻だった。
「失礼ですが、お嬢様。その人を殺したのはあなたですよ。いや、もう一人のあなたと呼ぶべきでしょうか。」
新入りのメイドの口元が醜く歪んで見える。
「そ、そんなわけな―。」
「いえ、本当です。私は外部の人間ですから。」
「城外の人間ってこと!?」
「合っているというべきか、間違っているというべきか。あなたは城の外にも同じような世界が広がっているとお思いですか? それは間違っている。城の外には何も無いのです。」
「何も…、ない?」
「はい。おそらくその真実に昨日あなたはたどり着いてしまったのでしょう。だからその質問をした記憶の部分だけ削除されている。おそらく彼もその質問に関与していて、もみ消しのために犠牲になった。まあ、そんなところでしょう。」
「じゃあ、城のそとが何もないって言うのに、あなたは外部の人間…。意味がわからないわ。」
少女は困惑した。
「この城は外部から隔離された、もう一人のあなたの精神世界のようなもの。ほら、自分の想像の中だったら、好き勝手できるでしょう? 罪を犯したもう一人のあなたは、精神世界の時間をものすごく引き延ばして、たりなくなったら過去の日を再利用し、永遠の楽園に逃亡しました。」
ふと思った。
「何で楽園を作る必要があったの?」
新入りのメイドは黄昏の空へ面を向けた。
「それは―…彼女も、幸せになりたいと願っていたのですよ。孤独で味方なんか一人もいなくて、怖かった。だから、逃げる先ぐらいでは幸せを味わいたい。けれど、精神世界では強く、リアルな想像が求められたのです。長年不幸が身に染みついた彼女は、自分が永遠の幸せを手にする様子が全く想像できませんでした。だから、彼女が自分の代わりに作った存在が―。」
「わたし。」
少女は唇をかみしめた。もう一人の自分はどんな人間だったんだろう、これほどの精神世界を作り出し、実際に逃げ込むまでの精度に達した、天才。
「そうです。彼女は無垢で愛らしく、汚れなき少女を連想しました。自分だけが世界の管理者になり、汚れ仕事をすべて請け負ったのです。彼女は幸せの世界を眺めながら、あなたに起こる楽しい毎日を自分のことのように感じていました。」
「自分のことのように…。」
「はい。ですがもう潮時です。私はこの世界を終わらせるために来たのですから。ずいぶんと遅くなりましたが、本当の名前は山崎茉莉といいます。私は現実世界で「警察」という組織に所属していて、彼女を逮捕するためにここを突きとめました。しかし、そのためにはあなたの協力が必要なのです。」
「え…。」
いくらもう一人の自分だとか何だって言ったって、神ほどの権限も持たない自分に一体何ができるというのだろう。新入りのメイドもとい、山崎は続ける。
「天才の彼女といえど、見落としていることがあります。先ほども申し上げたように、彼女は自分の作り上げた精神世界であるからこそ、神のような行いができています。だったら、もう一人の自分という存在であるあなたにも、同じようなことができるのではないですか?」
山崎の言葉をのみこむのに、かなりの時間を要した。先ほどから突拍子もない話ばかりで、頭がパンクしそうだ。何かがおかしいとは思っていたものの、ここまでスケールの大きいことだったとは。
「実際あなたは知りたいと強く願ったからこそ、彼から真実を聞き出すことができたのでしょう。強く、強くこの世界が終わることを願う。ただそれだけです。難しい呪文も術式もいりません。彼女は世界に干渉するためにシステムを使い、想像を強化していましたが、いまはそんな細かい操作は必要ありません。ただ、よくお考えになって行動なさってください。私たちは協力を無理強いしません。この世界を終わらせるということは―あなたも含めた大切な仲間も消滅する、ということですから。」
そう言い、わずかに同情するかのような視線をすべらせて、それからくるりと方向転換をして立ち去っていった。
夕方になっても少女は待っていた。まるで大切な人をなくしたかのように、心にはぽっかりと穴が開いていた。時折いないはずの誰かとの会話がよみがえって、少女の心をかき乱し、風のように離れていく。
「待っても、会いたい人には二度と会えませんよ。」
そっと振り返ると知らない顔の女がいた。
「新入りのメイドさん?」
たずねると、女はうなずく。
「マリアと申します。田舎から出てきた者ですが、どうぞお見知りおきを。」
「そうなんだ。」
少女はどうでもよさそうに言った。
「ところでお嬢様、お嬢様が探しているお方とは、この人ではないでしょうか。」
「わたし別に、誰も探してな―。」
金髪の青年がメイドによって引きずられているのを見て、せりふを詰まらせた。知らない人だと思うには、あまりにも目に焼きついた顔をしている。
頭がずきずきと痛む。記憶の断片が吹き荒れる。
―――。
「ねえ、りゅてる?」
「聞かせてよ、りゅてる?」
「やったね、りゅてる!」
「りゅてる、あそぼ!」
リュテルリュテルリュテルリュテルリュテルリュテルリュテルリュテル―。
そう、彼の名前はリュテル。自分の名前は無くても、彼の名前はリュテル。
何度その名前を呼んだだろうか。
少女は青年の身体に抱きついた。明らかにもうだめだった。
だって彼は、あまりにも軽く、淡く、抜け殻だった。
「失礼ですが、お嬢様。その人を殺したのはあなたですよ。いや、もう一人のあなたと呼ぶべきでしょうか。」
新入りのメイドの口元が醜く歪んで見える。
「そ、そんなわけな―。」
「いえ、本当です。私は外部の人間ですから。」
「城外の人間ってこと!?」
「合っているというべきか、間違っているというべきか。あなたは城の外にも同じような世界が広がっているとお思いですか? それは間違っている。城の外には何も無いのです。」
「何も…、ない?」
「はい。おそらくその真実に昨日あなたはたどり着いてしまったのでしょう。だからその質問をした記憶の部分だけ削除されている。おそらく彼もその質問に関与していて、もみ消しのために犠牲になった。まあ、そんなところでしょう。」
「じゃあ、城のそとが何もないって言うのに、あなたは外部の人間…。意味がわからないわ。」
少女は困惑した。
「この城は外部から隔離された、もう一人のあなたの精神世界のようなもの。ほら、自分の想像の中だったら、好き勝手できるでしょう? 罪を犯したもう一人のあなたは、精神世界の時間をものすごく引き延ばして、たりなくなったら過去の日を再利用し、永遠の楽園に逃亡しました。」
ふと思った。
「何で楽園を作る必要があったの?」
新入りのメイドは黄昏の空へ面を向けた。
「それは―…彼女も、幸せになりたいと願っていたのですよ。孤独で味方なんか一人もいなくて、怖かった。だから、逃げる先ぐらいでは幸せを味わいたい。けれど、精神世界では強く、リアルな想像が求められたのです。長年不幸が身に染みついた彼女は、自分が永遠の幸せを手にする様子が全く想像できませんでした。だから、彼女が自分の代わりに作った存在が―。」
「わたし。」
少女は唇をかみしめた。もう一人の自分はどんな人間だったんだろう、これほどの精神世界を作り出し、実際に逃げ込むまでの精度に達した、天才。
「そうです。彼女は無垢で愛らしく、汚れなき少女を連想しました。自分だけが世界の管理者になり、汚れ仕事をすべて請け負ったのです。彼女は幸せの世界を眺めながら、あなたに起こる楽しい毎日を自分のことのように感じていました。」
「自分のことのように…。」
「はい。ですがもう潮時です。私はこの世界を終わらせるために来たのですから。ずいぶんと遅くなりましたが、本当の名前は山崎茉莉といいます。私は現実世界で「警察」という組織に所属していて、彼女を逮捕するためにここを突きとめました。しかし、そのためにはあなたの協力が必要なのです。」
「え…。」
いくらもう一人の自分だとか何だって言ったって、神ほどの権限も持たない自分に一体何ができるというのだろう。新入りのメイドもとい、山崎は続ける。
「天才の彼女といえど、見落としていることがあります。先ほども申し上げたように、彼女は自分の作り上げた精神世界であるからこそ、神のような行いができています。だったら、もう一人の自分という存在であるあなたにも、同じようなことができるのではないですか?」
山崎の言葉をのみこむのに、かなりの時間を要した。先ほどから突拍子もない話ばかりで、頭がパンクしそうだ。何かがおかしいとは思っていたものの、ここまでスケールの大きいことだったとは。
「実際あなたは知りたいと強く願ったからこそ、彼から真実を聞き出すことができたのでしょう。強く、強くこの世界が終わることを願う。ただそれだけです。難しい呪文も術式もいりません。彼女は世界に干渉するためにシステムを使い、想像を強化していましたが、いまはそんな細かい操作は必要ありません。ただ、よくお考えになって行動なさってください。私たちは協力を無理強いしません。この世界を終わらせるということは―あなたも含めた大切な仲間も消滅する、ということですから。」
そう言い、わずかに同情するかのような視線をすべらせて、それからくるりと方向転換をして立ち去っていった。
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