メサイア

渡邉 幻月

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運命の日

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まさかの三度目の核が落ちる瞬間。
世界中が戦慄したあの時。
閃光が走った。
目を灼き尽くすと思われるほどのそれは、核の光ではなく。

その、強烈でありながら妙に柔らかな光によって、核は跡形もなく消え失せた。

喜びは束の間。
間を置くことなく世界中に響き渡る不吉な音楽。それが終末の音色だと、この時誰に知り得ただろうか。
胸に突き刺さる重厚な音楽が、雨のように空から降ってくる。神を讃える歌が、その音楽を伴奏に全ての人間の耳に、脳裏に、胸に響き渡った。魂が震える。歓喜なのか恐怖なのか分らぬ、強烈な何かに突き動かされて。

「天使が歌っているよ。」
誰かが歓喜の声をあげた。その誰かには、人類への福音に聞こえたのだろうか。
だが、その音楽の次には人々の絶望の悲鳴が響くと、誰に予測できただろう。

空一面に無数の天使がひしめき合う。ある者は楽器を掻き鳴らし、ある者は歌い続ける。
初めて見る天使は、地上の何よりも美しかった。
美しいが故に、残酷に笑うその姿は何よりも恐ろしい。恐ろしく、残酷な、冷たく美しい笑みを浮かべた一部の天使それは無造作に選んだ人間から生き肝を引き抜いた。
断末魔の悲鳴が、世界の各地で谺した。

そうして。ああ、そうして。

滴る血をすすり、喰らい尽くした。
「主は仰せになられた。もはや、お前たちに生き延びる理由は無い、と。」
リーダー格なのだろうか。天から地上の有様を見下ろしながら、一柱の天使が言った。

われらの進化の糧になるには、お前たちはケガレ過ぎた。
代わりは用意した。塵芥へ返るが良い。
だが、まあ喰ろうてやっても良い。進化は出来ずとも、腹は満たされる。
天使たちのざわめきが天に溢れ、あるものは天から見下ろしながらあるものは血に塗れながら天使たちは笑っていた。
 あれは本当に天使なのか。誰かの疑問は、恐怖と絶望のうちに消え去った。

ただ、胸を突く音楽だけが他人事のように鳴り響いていた。
まるで美しくも恐ろしい天上の音楽が、世界を地獄へと導いているようだった。

…それが、あの日起こった出来事。

僕たちは逃げた。
生き延びたのは、運が良かったからなのか悪かったからなのか。ただ、カミサマと天使たちに弄ばれているだけなのかもしれない。

だけど、人って案外タフにできてる。いつしかこんな状況にさえ順応し、そうして。血気盛んな奴らが、レジスタンスを立ち上げるまでになっていた。

…もちろん、相手は長らく神と崇めていた存在を筆頭にする集団だ。神に見捨てられたにもかかわらず、神の決めたこととこの事態を受け入れた連中もいた。
哀れにも、愚かにも、そんな彼らは無抵抗のまま生き胆を引き抜かれ、絶命した。
…彼らの魂は、どこへ行ったのだろう。

が。良くも悪くも無宗教の(と大多数の人々が認めてやまぬ)この国で、そんな事を言うような奴は僅かだった。
そうなれば。反旗を翻すのに、何の抵抗があるだろうか。自ら戦線に立たずとも、レジスタンスを多くの者が受け入れ支持した。

そうして出来上がったレジスタンスは自らを、
『メサイア』
と、称した。
人を救う救世主メサイア。そうでありながら神に抗うのだと、だからこそ抗うのだと、決意と皮肉を込めて。彼らはメサイアを声高らかに名乗った。

…まあ、そうは言っても、人が神に、天使に敵うはずもなく。
だいたいあっちは実体なんて無いようなもんだ。(なのに、よくもまあ、人の生き肝が喰えるもんだ)
こっちの反撃手段なんかゼロ。何もない。あるのは無力感と焦燥と、理不尽への怒りと、そんでもって今さら何があっても潰えぬことはない無謀さ。
 ただ、それだけ。
無駄死にだって、みんな心の底では分かってた。
でも、何もせずにはいられなかった。

ただ、おとなしく喰われるだけ、終末を待つだけだなんて耐えられない。まして、生肝を引き抜かれたらゴミのように打ち捨てられる最期なんて、受け入れられるものか。
それがレジスタンスに参加する連中の、共通のセリフだった。せめて、納得なんかしていないって意思表示だけでもしたいんだと。

そんな絶望しかない状況が、ある時急転した。
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