金の靴 銀の髪留

渡邉 幻月

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Episode1.赤ばら

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 水と森の豊かな国、その国境近くの村には赤ばらという名の少女が暮らしていました。
 薔薇のように美しい赤い髪から赤ばらと名付けられた少女は、その名のように見目麗しく成長していました。けれど、赤ばらの本当の母親は、彼女が七歳の年に病で亡くなっていました。形見に木で作った髪留と木靴を赤ばらに遺して。その後、喪が明けるかどうかという頃、赤ばらの父親は再婚しました。黒ばらという、奇麗な黒髪の娘がいる女性が再婚の相手です。
 はじめは黒ばらと仲良く過ごしていましたが、前妻の娘を愛せなかった継母が赤ばらに辛く当たるようになると、黒ばらも自身の母親を真似て赤ばらをいじめるようになりました。
 自分の生まれ育った家だというのに、いつの間にか居場所がなくなり、屋根裏部屋に押し込められまるで召使のように扱われる毎日で、肝心の父親は意気地がないのか優柔不断なのか、新しい妻に注意することもありませんでした。

 美しかった赤髪もぱさぱさに、手はあかぎれでぼろぼろに、召使よりもみすぼらしい姿になって久しい赤ばらでしたがそれでも健気に家族のために雑用をこなしていました。それもこれも、本当の母親の最期の言葉が胸の奥深くで赤ばらの心を支えていたからです。
『自分が嫌だと思うことは、してはいけないよ。いつか出会う、大切な人のためにも。』
優しく頭を撫でながら、そう言ってほほ笑む姿が赤ばらが覚えている母親の姿でした。母親の笑顔は赤ばらにほんの少し勇気を与えてくれましたが、それでもやっぱり日々の生活は辛いものでした。何より、父親が赤ばらから目を背けることがとても悲しく、寂しいことでした。けれど、行く当てもない赤ばらには、そんな父親でも頼りにするしかなかったのです。
 そう、どんなに悲しいことがあっても。
 それが最初にあったのは、十三歳の頃でしょうか。実の母親の形見である木靴と木の髪留を赤ばらはずっと大事にしていました。どちらも母親が手ずから作ったそうで、素人の手による武骨な見た目の出来で、赤ばら以外には価値もないような代物でした。そんな見た目だけれども、本当の母親が遺してくれたものはもうその二つしか無いこともあり、赤ばらはとても大事にしていました。
 それを知った上で、黒ばらはその木靴と髪留を赤ばらが眠っている間に隠してしまったのです。目が覚めて木靴と髪留が無くなっていることに気付いた赤ばらは半狂乱になりながら探して回りました。その時は納屋に隠されていただけでしたので、ほどなく見つかりました。その後、赤ばらのその半狂乱の姿が面白かったのか、気に入らなかったのか隙を見つけては黒ばらはそれらを隠したり、近くの森の中に捨ててきたりするようになりました。
そうしてついに、黒ばらは赤ばらの目の前で木靴と髪留を暖炉の火の中に投げ込んだのです。
「あら、木で出来ているだけあって、よく燃えるわね?」
暖炉から木靴と髪留を取り出そうとする赤ばらを抑え込んで、楽しそうに笑います。
 ただ、炎に包まれ燃えていく様を見続けることしかできない赤ばらの両目からは止め処なく涙が流れ落ちていました。
 真夜中、火の消えた暖炉から灰を取り出した赤ばらは、それを庭の隅に埋めて最後のお別れをしました。それが十五歳の頃の出来事です。この頃にはもう、この家に居続ける意味について考え始めるようになっていました。ただ、どこに行けばいいのか、どうやって生きていけばいいのかまでは、赤ばらには思い付かず、空しい日々を送るだけでしたが。

 もう少しで十六歳になる、というある日のことでした。何故か胸騒ぎのような、落ち着かなさに目が覚めた赤ばらは水でも飲もうかと、こっそり屋根裏部屋から降りました。いつもなら家族全員が眠りについているはずの真夜中のことでしたが、井馬に続く扉から光が漏れているのが目についたのでそっと近寄ってみることにします。
 人の話し声が聞こえてきたので、赤ばらは一層、足音も気配も消そうと気を配りながら居間の様子を窺がってみました。

「今さら何を躊躇する必要があるのよ。」
継母の声です。
「アンタだって、あの陰気な顔を見たくないって言っていたじゃない。」
その継母の言葉に、話題は自分のことなのだと赤ばらは察知します。やっぱり父親は自分のことを嫌っていたんだ、と、赤ばらは少し悲しくなりました。
「それは、まあ、そうなんだが…」
「じゃあ、いいじゃない。今度来る奴隷商人に売り払っちまえばいいのよ。最近稼ぎも悪くなってきてるんだからさあ。」
「それは…」
父親と継母の話し合いはまだまだ続くようでしたが、赤ばらはそこまで話を聞くと屋根裏部屋に戻りました。

「売られる? 奴隷商人に? 私が?」
屋根裏部屋に戻って、赤ばらは呟きました。今も奴隷と似たような扱いですが、それが全くの他人にされるのでは話が違ってきます。さすがにもう、我慢は出来ないと赤ばらは思いました。
「確か、次に商人たちが来るのは…」
赤ばらは指折り数えます。
「三日後だ。」
そう呟いた赤ばらの瞳はいつになく強い光が宿っていました。
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