天才画家と付き合っていたなんて、絶対言えない!

健野屋文乃(たけのやふみの)

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その言葉が幻想だとしても

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悲劇が降り注いだのは、とても寒い夜だった。

「どうしよう」

わたしは、あてもなく呟くしかなかった。

凍える公園で、涙が零れ落ちそうになるのを、雪空を見上げて防いだ。


『絵を』

と、ふと聞こえた様な気がした。

それは初雪の様に冷たく美しい声だった。


幻想かも知れないけど、初恋の人の声に似ていた。


わたしは、その言葉に甘えた。

わたしは、多額の借金を背負わされ、絵を売ってしまった。


生前は、何の芽を出なかった天才画家の絵だ。

わたしの初めての恋人が、わたしを描いてくれた絵だ。

わたしへの愛が、狂おしい程ジンジンと伝わってくる絵だった。


芸術家の死後、絵の価格は高騰した。

多額の借金をちょうど返済できる額だった。

心に僅かの罪悪感が残った。


「ごめんね」

オークション後、寒空に向かって呟いた。


『さよなら』

と、ふと聞こえた様な気がした。

その言葉が幻想だとしても、わたしの心を強く貫いた。

  

  

☆*・:。〇。:・*☆*・:。〇。:・*☆*・:。〇。:・*☆*・:。〇。:・*☆




「見て見て、これ穂香に似てない?」

と言って、見せられたのは、あの絵だ。

わたしへの愛が、苦しい程ジンジン伝わってくるあの絵。


そして、そう言ったのは、婚約中の彼だ。

「借金の担保だったんだけど、持ち主は夜逃げしちゃったみたいなんだ」


こちらも狂おしい程、わたしを愛してくれるタイプの彼だ。

狂おしさが暴走してしまうかも知れない。

純粋な男ゆえの暴走を。


だから言えない。


この絵のモデルがわたしで、初恋の相手が描いたなんて絶対言えない。

さらに今でも、わたしへの愛が、狂おしい程ジンジンと伝わってくる絵だなんて、絶対言えない。


「似てると言えば、似てるね。でもどこにでもいる顔でしょう」


このモデルがわたしだと知る人は、もうこの世ではわたしだけだ。

真実を伝えたら、きっとこの絵とはお別れになるかもしれない。


世界で一番好きな人が描いてくれた絵。

それを守るためには、真実を告げる訳には行かない。


わたしは彼が外出中に、キャンバスの裏を確認した。


『一緒にいてくれて、ありがとう』

と手書きで書かれていた。

芸術家独特の個性的な文字だ。

わたしは、心が締め付けられた。


わたしはキャンバスを額縁に戻した。

額縁に戻したとき、愛しい芸術家の想いも、わたしの心に仕舞われた気がした。


『一緒にいてくれて、ありがとう』

と、ふと聞こえた気がした。


その言葉が幻想だとしても、わたしの心は満たされた。

でも、それは決して他言しては行けない気持ちだった。



      

         完


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