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卒業

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 大学卒業が近づいていた。
僕は学んだ事が活かせるのかもよく分からない企業への就職が決まった。
 文学部の卒業後の進路はどんなものだろうと、相変わらず君の事は考えてしまう。
もうこれは習慣だから、直すのはなかなか難しい。
でも以前のように、”いつか”を夢見る事はなかった。
就職もそうだし、色々な事に現実的にはなったようだ。

 そして今更、僕がなんで君を避けたのか、どうしてあんな態度をとったのか勘付かれた気がしてならなかった。

 僕はそんな発想を忘れる為にも、葉山さんに手紙を書いた。
卒業式の日付に時間、僕の近況。
 僕だけが覚えている約束で、葉山さんはもうすっかり忘れているかもしれない。
そもそも手紙だって届かずに戻ってくるかもしれないし、僕の馬鹿正直な手紙を見て、呆れられるかもしれない。

 ただ幸い、手紙が戻ってくる事はなかった。
僕は、初めて僕を好きだと言ってくれた葉山さんに会いたかった。
久しぶりに会えば、葉山さんを好きになるかもしれない。
ほっぺを突かれれば、顔を赤くし、照れる感情が恋に変わるかもしれない。

 好きと言われたかった。
そんな気分だった。
僕もその気持ちに応えてみたくなった。


 そんな期待を抱き卒業式当日になったけれど、僕は腹痛で出席する事ができなくなってしまう。
式の間にトイレを我慢できるほどの腹痛ではなかった。
家のトイレの中、今頃卒業式が行われ、そこに明るい髪色の葉山さんがいると思うだけで、気持ちが焦った。
痛みの波、押し寄せては返す痛み。
返す痛みの時には、葉山さんの事を思った。
押し寄せる痛みの時がもちろん一番辛い。
その時には、君の事を思っていた。
そうでもしないと、痛みに耐えられそうになかった。
 返す痛みの隙に、トイレを出て、僕は痛み止めを飲んだ。
ソファに座り、少しウトウトし、決心した。
スーツに着替え、急いで家を出る。
式には間に合わない。
でも、葉山さんに会いに行こう。
この日に僕は期待していたんだ。
君への片想いをやめ、新たな気持ちで葉山さんに会いたいと思っていた。
君を本当の本当に忘れるチャンスは今日しかない。

 僕は走った。
さっきまであんなに苦しんでいたのに、何をしてるんだと自分を嘲笑いながら。
ダサいとも分かっている。
でも、僕を好きだと言ってくれた人に会いたい。

 大学の近くまで来ると、すでに駅に向かって歩いている学生もいた。
振袖を着ている人もいる。
僕はさらにスピードを上げ、校内に入った。
葉山さんを探す。
もし葉山さんがいれば、僕はすぐに見つけ出す自信があった。
でも、人混みをいくら探しても見つからない。
もしかして・・・
 僕は葉山さんと出会った講義室に向かった。
自分でも自分がよく分かっていない。
どうして緊張しているのかも、会って何を伝えるのかも。

 静かにドアを開けると、予想通り葉山さんがそこにいた。

「葉山さん?」

僕の声に振り返った葉山さんは、大きな笑顔を見せた。

「舞人!」

変わらぬ明るい髪色に、少しほっそりとした顔。
声から伝わる元気さも、変わっていなかった。
その声を聞いたのは少しの期間だけだったのに、物凄く懐かしい。
葉山さんは駆け寄ってきて、僕を抱きしめた。
それは恋する人に対するものではなく、ただ久しぶりに会う人に対しての親しみや懐かしさを込めた抱擁だというのは、僕にでも分かった。
だから僕も葉山さんの肩あたりに手を回し、

「お久しぶりです」

と言った。
鼻に少しツンとくる香水の匂いがした。
葉山さんはあっという間に身体を離すと、僕の顔を見つめる。

「面白いくらい、変わってないね」

「葉山さんは綺麗になりましたけど、変わってないです」

「そんな事言えるようになったのなら、舞人は変わっちゃったのかな」

 大学にやって来て、久しぶりに会った時君は、僕が大人っぽくなったと言っていた。
年上の葉山さんからすると、僕に変化なんてないのかもしれない。

「それより、式、出てなかったよね?」

「すみません。お腹が痛くて、さっき来ました」

「大丈夫なの?」

「はい。痛み止め飲みました」

「もしかして、私に会いに来てくれたとか?」

冗談めかして言う葉山さんに、僕は真剣な顔で

「はい。目的はそれだけでした」

と答える。

「冗談で聞いたのに。やっぱり舞人は変わったね」

葉山さんは一歩僕から離れると、机に置いていた花束を手にした。

「卒業おめでとう」

「ありがとうございます」

「呼んでくれて、ありがとね。本当に嬉しかった」

「こちらこそ、来てくれてありがとうございます。この日を楽しみにしてました」

「なんで?」

「なんでって、それは」

葉山さんに会いたかったから。
僕を好きだと言ってくれた人に会いたかったから。
その代わりに君を本当に忘れたかったから。
言えない片想いを終わらせたかったから。

「葉山さんに会いたかったから」

「え?」

今更はズルいのだろうか。
彼氏だっているかもしれない。

「私の知ってる舞人はこんなんじゃなかったのに。調子が狂っちゃうな」

「変わりますよ。お酒も飲めるようになったし」

「私今、彼氏いるけど。会いたかったっていうのは、どういう意味での?」

「あー、えっと」

「これだから男は。いや、女も同じか。人恋しくなったらズルくなる。好きっていう感情を上手に大きくして、好きじゃない親切な人を好きだと思い込んで。そのうち大きくした気持ちは、簡単に萎む。分かる?」

「はい。ごめんなさい」

「私も経験したことあるから分かるの。好きな人より、好きって言ってくれた人の元に行ってみようかなって。私は、私を好きって言ってくれる人が好きなんだって、思い込んで」

「でも、本当に嬉しかったんです。好きだと言ってもらえて」

「喜んでもらえたなら、良かったけど。でも、駄目だよ。舞人が本当は私を好きじゃないのはお見通しだから」

「はい・・・」

葉山さんはあの頃と同じように、僕との会話をリードし、明るい雰囲気を保ち続けてくれた。
 
「舞人が切ない雰囲気を醸し出してたの」

「えっ?」

「舞人を変えたいとか、そんなんじゃないけど。可哀想とか、そんなのでもなくて。どうしてあんなに、切なく生きてたの?」

あの頃僕は、片想いの真っ最中だった。
君は陽介さんと付き合っていた。
君が好きな人は陽介さんだった。
だけど、周囲にバレるほど僕は、君に夢中だったつもりはない。

「片想いをしていました。僕はそんなに分かりやすく、切なそうにしてましたか?」

「私には分かりやすかった。青春の一環の切なさじゃなくて、一生を掛けるほどの切なさだったよ。じゃあもしかしたら、舞人が片想いをしてなかったら私は、舞人を好きになってなかったかもしれないね」

「あ、それ分かる気がします」

僕がそう言うと、葉山さんは嬉しそうな顔をした。

「共感してくれたの初めてじゃない?なんか変な感じ」

「そうですか?」

「うん。私の好きになった舞人じゃない」

返すべき言葉が見つからず、少しだけ沈黙が訪れた。
君との沈黙とは違う。
葉山さんは、耐えられなさそうに僕の次の言葉を待っている。
危なかった。
僕は危うく、僕を好きになってくれた人を傷つけるところだった。
片想いから逃れる為に、目の前にいる、明るく、美しい女性を。
いや、既に葉山さんは傷ついているかもしれない。
そういった僕の魂胆に気付いているのだから。

「今の彼氏がね、私を好きになってくれた人なの」

葉山さんは、沈黙に耐えられずに言った。

「大学を中退しても舞人を忘れられなかった。会えないと、会える日を夢見て、期待が大きくなって。でも、通勤ラッシュの時間帯に人混みの中にいると、一気に現実を突きつけられて。あーあ、運命みたいに再会できるはずないよなって。それなのに、夜になったらまた、舞人に会いたくなって。だから、時間じゃないんだって思った。舞人と過ごしたのはほんの少しの時間なのに、本気で恋した。そして、その分、本気で諦めようと努力した。そんな時に、私を好きになってくれた人。私はその人に縋ってしまった」

力強い目つきだった。
自分の決心が揺らがないようにしているみたいだった。

「ダメだよ舞人。私みたいになったら。舞人が私に縋ろうとしてくれたのは嬉しかった」

「すみません」

謝ることしか出来ない自分がみっともない。

「なんで舞人のこと好きになったんだろう」

 葉山さんは場を和ませる為に言ったんだと思う。
僕を茶化すような顔で笑った。
でも、そこに本音も含まれているんだろう。
僕にもその気持ちが分かった。

 僕はどうして、君に恋したんだろう。
過去を語り合う僕らの関係は完璧だったはずなのに。
現実から逃れ、過去に行ったり、誰かが書いた物語の中に行ってみたり、僕らの時間は完璧だった。
NO NAMEな関係は素晴らしかった。
親友になってしまったのは、僕の恋心の芽生えのせいなのか、それとも君が陽介さんを好きになり過ぎたからなのか。
 それとも。
単に、現実逃避に終わりが来ただけなのか。
現実が僕らを行くべき場所へ追いやっただけなのか。


 
  別れ際に葉山さんは言った。

「今日、会えて本当に良かった。なんで良かったかって聞かれたらうまく答えられないけど。でも、良かった。呼んでくれて本当にありがとう」

今まで見た中で一番清々しい表情だった。
僕は葉山さんへの気まずさがありつつも、

「本当に色々とありがとうございました」

と深く、謝罪に似たお礼をした。

「今度は、偶然会えたら。もし偶然会えたなら、お互い笑顔で、幸せだと良いね」

「はい」

そして本当の最後に、葉山さんは僕に小さな箱を渡した。

「グレードアップしたよ。チョコレート。卒業おめでとう」

そう言って、講義室から出て行った。
花束とチョコレートの箱を見ながら、あの日僕を好きだと言ってくれた葉山さんを思い出していた。
そして、あの頃の葉山さんと、さっきまで目の前にいた葉山さんにそっと呟く。

「僕を好きになってくれてありがとう」
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