4 / 23
簡単な終わり
しおりを挟む
マネージャーからの電話を機に、僕はようやく正常さを取り戻す。
気持ちは滅入っていても、仕事上はしっかりとした人間でなくてはならない、という本能が目覚める。
「会議の時間だけど、大丈夫ですか?寝坊ですか?こんな事初めてだから…」
遅刻をしたことのない僕を、マネージャーは心配していた。
「大丈夫です。迷惑かけてすみません、今から行きます」
「気をつけて来てくださいね」
そこまで重要な会議ではないにしても、マネージャーは優しすぎた。
もうすでに11時半だ。
30分の遅刻。
そのタイミングで恋人からメッセージが届く。
付き合って3年になる舞台女優として活動している恋人。
”今日夕方からスケジュール入らないまま変更ない?私も稽古ないから、久々に映画観たいな”
僕は恋人にすぐ返事をせずに、家を出る準備をした。
ひどく緊張していた。
これから重要な発言を控えていたから。
眠れずに考えたこれからの事。
何事もすぐ行動に移せない僕が、たった一晩で決断した事。
音楽への決別と恋人への別れ。
あのバンドメンバーの恥ずかしそうに笑う顔が、僕の心を占めた。
ジャンプする二人と、それを見ている二人の、性格の差が目に見える写真が残像として僕の中に存在し続けた。
そのバンドが解散したという事実も僕を苦しめた。
周りの人達に迷惑をかけるのが一番嫌で、僕は一晩中様々な想像をしたけれど、音楽も恋人も想像の何倍も簡単に終わりを迎えた。
呆気ない終わり。
音楽から逃げる。
自分の曲に似た曲がすでに存在していた、それが眠れないほど恐ろしい事で、怖くて辞めたい。
真実を言う訳にもいかず、僕はそれらしい理由を作り、嘘をついた。
マネージャーやスタッフ、事務所の社長や沢山の人と約一週間話し合い、半年後の引退が決まる。
確かに僕は深刻だったかもしれない。
それでも本当に想像以上に、簡単な終わりだった。
終わりが安易に認められた。
もう僕は、僕が思うほどに、求められていなかったのだ。
ただ、今の僕にとってはそれが好都合だった。
恋人とは、音楽と違い、一週間なんて掛からず、たった一日で別れた。
僕の要求をあっさりと受け入れた恋人。
「今までありがとう」
と静かめに言われ、むしろ僕が後ろ髪を引かれるような思いだった。
なぜ付き合う事になったかと聞かれれば、恋人といれば楽しいと思ったから、未来が明るくなると思ったから。
恋人との食事は幸せだったし、恋人と観る映画も悪くなかった。
繋いだ手だって愛おしかった。
別れる理由。
その答えは、挙げれば切りがないかもしれないし、別に無理して挙げるほどでもない。
僕はとにかく、何かを終わらせなければならない、切羽詰まった不安にかられていた。
半年後、残っていた仕事を終え、僕は引退した。
音楽から離れた。
小さな傷が一気に大きな傷へと変貌したような、そんな気分だった。
予期せぬ出来事が起こってしまった。
突然の夢の終わりみたいな、現実。
でも、困難を乗り越える力を持っていない僕。
逃げるしかなかった。
自分を天才だとでも思っていたのだろうか。
芸術的な夜があれば、僕は特別で、誰かと似た曲を作るわけがないと気を緩めてしまっていたのか。
それとも、その事実が世に出るのを恐れているのか。
またはそれらは、挙げれば切りがないかもしれない、元恋人と別れた理由みたいに、音楽から逃げたいいくつもの理由の一つに過ぎないかもしれない。
ずっと逃げたかった。
それなりのきっかけがあれば、いつだって。
だから、逃げた。
きっと僕は常に、引き際を求めていた。
他人の視線を気にしないフリをするのに疲れていた。
僕のせいで、それも僕の曲のせいで誰かが傷つくのをいつも恐れていたのだ。
都会にいる意味はもうない。
ただシンプルに、心を少しでも落ち着かせたい。
僕が向かったのは、好きな小説に出てくる町で、それは単純な発想だ。
小説という芸術に魅せられていた僕が、その物語の中に入り、現実逃避できると思った。
その小説を好きな事は誰にも言っていない。
恋人にも、もちろんインタビューでも。
一番好きな小説。
僕だけの秘密。
僕には一人でいる深い青の夜と同様に、秘密にしておきたいほどの大切なものがいくつかあるのだ。
大切だから、言わない。
言わない事が僕の心の安定を保っていた。
気持ちは滅入っていても、仕事上はしっかりとした人間でなくてはならない、という本能が目覚める。
「会議の時間だけど、大丈夫ですか?寝坊ですか?こんな事初めてだから…」
遅刻をしたことのない僕を、マネージャーは心配していた。
「大丈夫です。迷惑かけてすみません、今から行きます」
「気をつけて来てくださいね」
そこまで重要な会議ではないにしても、マネージャーは優しすぎた。
もうすでに11時半だ。
30分の遅刻。
そのタイミングで恋人からメッセージが届く。
付き合って3年になる舞台女優として活動している恋人。
”今日夕方からスケジュール入らないまま変更ない?私も稽古ないから、久々に映画観たいな”
僕は恋人にすぐ返事をせずに、家を出る準備をした。
ひどく緊張していた。
これから重要な発言を控えていたから。
眠れずに考えたこれからの事。
何事もすぐ行動に移せない僕が、たった一晩で決断した事。
音楽への決別と恋人への別れ。
あのバンドメンバーの恥ずかしそうに笑う顔が、僕の心を占めた。
ジャンプする二人と、それを見ている二人の、性格の差が目に見える写真が残像として僕の中に存在し続けた。
そのバンドが解散したという事実も僕を苦しめた。
周りの人達に迷惑をかけるのが一番嫌で、僕は一晩中様々な想像をしたけれど、音楽も恋人も想像の何倍も簡単に終わりを迎えた。
呆気ない終わり。
音楽から逃げる。
自分の曲に似た曲がすでに存在していた、それが眠れないほど恐ろしい事で、怖くて辞めたい。
真実を言う訳にもいかず、僕はそれらしい理由を作り、嘘をついた。
マネージャーやスタッフ、事務所の社長や沢山の人と約一週間話し合い、半年後の引退が決まる。
確かに僕は深刻だったかもしれない。
それでも本当に想像以上に、簡単な終わりだった。
終わりが安易に認められた。
もう僕は、僕が思うほどに、求められていなかったのだ。
ただ、今の僕にとってはそれが好都合だった。
恋人とは、音楽と違い、一週間なんて掛からず、たった一日で別れた。
僕の要求をあっさりと受け入れた恋人。
「今までありがとう」
と静かめに言われ、むしろ僕が後ろ髪を引かれるような思いだった。
なぜ付き合う事になったかと聞かれれば、恋人といれば楽しいと思ったから、未来が明るくなると思ったから。
恋人との食事は幸せだったし、恋人と観る映画も悪くなかった。
繋いだ手だって愛おしかった。
別れる理由。
その答えは、挙げれば切りがないかもしれないし、別に無理して挙げるほどでもない。
僕はとにかく、何かを終わらせなければならない、切羽詰まった不安にかられていた。
半年後、残っていた仕事を終え、僕は引退した。
音楽から離れた。
小さな傷が一気に大きな傷へと変貌したような、そんな気分だった。
予期せぬ出来事が起こってしまった。
突然の夢の終わりみたいな、現実。
でも、困難を乗り越える力を持っていない僕。
逃げるしかなかった。
自分を天才だとでも思っていたのだろうか。
芸術的な夜があれば、僕は特別で、誰かと似た曲を作るわけがないと気を緩めてしまっていたのか。
それとも、その事実が世に出るのを恐れているのか。
またはそれらは、挙げれば切りがないかもしれない、元恋人と別れた理由みたいに、音楽から逃げたいいくつもの理由の一つに過ぎないかもしれない。
ずっと逃げたかった。
それなりのきっかけがあれば、いつだって。
だから、逃げた。
きっと僕は常に、引き際を求めていた。
他人の視線を気にしないフリをするのに疲れていた。
僕のせいで、それも僕の曲のせいで誰かが傷つくのをいつも恐れていたのだ。
都会にいる意味はもうない。
ただシンプルに、心を少しでも落ち着かせたい。
僕が向かったのは、好きな小説に出てくる町で、それは単純な発想だ。
小説という芸術に魅せられていた僕が、その物語の中に入り、現実逃避できると思った。
その小説を好きな事は誰にも言っていない。
恋人にも、もちろんインタビューでも。
一番好きな小説。
僕だけの秘密。
僕には一人でいる深い青の夜と同様に、秘密にしておきたいほどの大切なものがいくつかあるのだ。
大切だから、言わない。
言わない事が僕の心の安定を保っていた。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。
沼野 花
恋愛
私は、夫にも子供にも選ばれなかった。
その事実だけを抱え、離縁を突きつけ、家を出た。
そこで待っていたのは、最悪の出来事――
けれど同時に、人生の扉がひらく瞬間でもあった。
夫は愛人と共に好きに生きればいい。
今さら「本当に愛していたのは君だ」と言われても、裏切ったあなたを許すことはできない。
でも、子供たちの心だけは、必ず取り戻す。
妻にも母にもなれなかった伯爵夫人イネス。
過去を悔いながらも、愛を手に入れることを決めた彼女が辿り着いた先には――
病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜
来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。
望んでいたわけじゃない。
けれど、逃げられなかった。
生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。
親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。
無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。
それでも――彼だけは違った。
優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。
形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。
これは束縛? それとも、本当の愛?
穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
10年引きこもりの私が外に出たら、御曹司の妻になりました
専業プウタ
恋愛
25歳の桜田未来は中学生から10年以上引きこもりだったが、2人暮らしの母親の死により外に出なくてはならなくなる。城ヶ崎冬馬は女遊びの激しい大手アパレルブランドの副社長。彼をストーカーから身を張って助けた事で未来は一時的に記憶喪失に陥る。冬馬はちょっとした興味から、未来は自分の恋人だったと偽る。冬馬は未来の純粋さと直向きさに惹かれていき、嘘が明らかになる日を恐れながらも未来の為に自分を変えていく。そして、未来は恐れもなくし、愛する人の胸に飛び込み夢を叶える扉を自ら開くのだった。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
妻が通う邸の中に
月山 歩
恋愛
最近妻の様子がおかしい。昼間一人で出掛けているようだ。二人に子供はできなかったけれども、妻と愛し合っていると思っている。僕は妻を誰にも奪われたくない。だから僕は、妻の向かう先を調べることににした。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる