うわさの行方

下沢翠花(しもざわすいか)

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 婚姻式を終えてすぐの頃、短い夏の、ニワトコの花が満開の頃、痩せ細り汚れた浮浪児ふろうじを、街へ出掛けていたセシリアが連れて帰ってきた。

まるで、野良犬でも連れ帰るように。


「馬車の前に倒れ込んで、もう少しでいてしまうところだったのです。」

まわりの大人達の不快感をあらわにした様子など、気にもならないようで、セシリアは屋敷の者達に指示を出し、汚れた少年を綺麗に洗い、食べ物と着る物を与えた。


身綺麗になった少年を、皆はほっとしたように見ていたが、その細い首にかかった物が、今度は別の嫌悪感と忌避感きひかんを呼び込んだ。


皆が自分のネックレスを見ていることに気付いた少年は、うつむいて大きすぎる借り物の服の中に急いでそれを隠した。

『ヒュドラ教』

ヴァルスト王国では、いまだ差別の対象とされる異端いたんの宗教。

セシリアがそのことを知らないのか、幼いさから来る純粋さゆえのあわれみなのか区別はつかなかった。



少年はそのまま屋敷に置かれて、ニールスが出征するまでのわずかな間に、下男げなんのような仕事もするようになっていた。



 出征の間際まぎわに、少年と話したときのことをニールスは思い出した。


「僕も伯爵様のように、強い男になれますか?」

まぶしいほどまっすぐな瞳でこちらを見ていた。

「お前には守りたい者がいるか?」

少年は静かに頷いた。

「では、なれる。これよりお前が大きくなったら、軍の訓練所で剣の稽古が出来るように手配してやる。」

そばにあった丸スグリの木を指差して言うと、少年は何かを決意したようにその木をじっと見ていた。


セシリアを追って行った少年の背丈は約束のスグリの木より遥かに大きくなっていた。

ニールスが指示しておいた通り、訓練生として稽古をつけてもらっているようで、次の適性試験では必ず合格するともくされている。


セシリアをまっすぐに追う泥だらけの背中はなぜか実際よりずいぶん大きく見えた。











 訓練所でのことがあって三日ほどした頃、セシリアはニールスから晩餐を共に、とさそわれた。


 セシリアは薄紅色うすべにいろの絹のドレスを身につけ、髪は全て綺麗にい上げた。


 
 晩餐室にはすでにニールスが着席していて、セシリアに気付くと立ち上がって来てセシリアを席に座らせた。

二人で食事をするには広すぎる晩餐室の長卓ちょうたくに、はしはしに向かい合って座った。


 この晩餐室には、二十人ほどが一度に座れる胡桃くるみの長卓があって、セシリアは不思議な木目もくめのその長卓が好きだった。

ニールスが留守の間は、その長卓を使うことはなかったけれど、時々晩餐室を覗いては、鏡のように磨かれた長卓に自分を映したり、ニールスとの最後の夕食を思い出していた。


でも、今セシリアとニールスが座っているのは、あの胡桃の長卓の半分ほどの大きさの別の食卓しょくたくだった。

(胡桃の長卓はどこへやったのかしら?)

セシリアはお気に入りの長卓の行方が気になった。

(この食卓はなんの木かしら?)

真っ白な布が敷いてあって、この食卓の木目は見ることは出来ない。



「先日は、ご無礼をいたしました。」

セシリアは、ニールスが葡萄酒に口を付けるとすぐに、訓練所でのことをびた。

「いや、もういい。」

真向かいに座るセシリアに目を向けることなく、ニールスはつぶやくように言った。



それ以降、ニールスは口を開こうとはせず、ひたすら出てくる食事を咀嚼そしゃくしていた。

セシリアも、以前のようにあれこれとニールスに話しかけることはしなかった。


彼女はニールスの右隣をそっと見た。





「ここがセシリア、君の定位置ていいちだ。」

ニールスは出征の前に、まだ晩餐室と椅子の高さが合わないセシリアに微笑んで言った。

「俺の右隣は、妻である君の場所だ。覚えておいて。」

優しい声をセシリアは覚えている。

自分に座るべき場所が出来た。そのときの胸の暖かさもまだちゃんと覚えている。





「─────リア、セシリア?」

ニールスが話しかけてくるとは思わず、セシリアはすぐに反応できなかった。

セシリアは返事をする代わりに、水色の瞳でニールスを見て小首をかしげた。

ニールスは目を逸らすと、皿のにしんを忙しなく切り分けた。


「何か、話があったんじゃないのか?訓練所で…」

鰊から目を離さずにセシリアに問うた。

「劇場の建設についてです。そろそろ先に進めたくて。」

「劇場?」

ニールスはやっとセシリアを見た。

「以前、晩餐の時お話しましたわ。ニールス様がご不在の時から進めていたお話ですと。」

「劇場…今、エルムンドに必要か?」

セシリアの目に小さな失望を見つけて、ニールスは語気ごきがやや強くなってしまった。

話を聞いていなかったことを、指摘された気になったのだ。


「そのことについても、きちんとお話を聞いていただきたかったのです。」


思いのほか冷たい声で返ってきたことに、ニールスは驚いた。


トマだけではない、セシリアもまた、見た目だけではなく話し方も仕草もすっかり大人びていて、ニールスだけが追いつけない。


「今聞こう。」

「今、ですか?」

セシリアの顔が一瞬暗くなった。


「なぜ、劇場の建設を、と考えた?」

声は穏やかだが、部下にするのと同じに、ニールスは妻に相対あいたいした。

「エルムンドの街道は国によって整えられ、負傷兵を長期にわたり受け入れる病院は王妃様がご助力くださって、なんとか軌道に乗り始めました。後、エルムンドに必要なのは、優れた軍と並ぶ、何かだと。」

およそ十三歳の少女とは思えぬ、堂々とした主張に、ニールスはたじろいだ。

「それが、劇場だと?」

「裕福な者がつどい、お金を使いたくなる物が良いと考えたからです。」

「大掛かりなものとなると、王国内の技師では、事足ことたりぬのでは?」

「帝国から派遣してもらう手筈てはずはつけてあります。」



戦場に届く手紙で、セシリアが様々なことを学び、周りの助けを借りて色々なことを成し遂げているのは知っていた。

(いや、知った気になっていただけだったのか?)

目の前の少女は、出会った頃とは別の、大人の貴婦人のようだった。

ニールスは途端に、落ち着かない気持ちになった。



執事がニールスの後ろに回ると、耳元で何かを告げた。

ニールスは執事に「すぐに行く」と小声で告げる。

「すまないが、火急の用が出来た。失礼する。」

こちらを見ずに席を立つニールスにセシリアは思わず呼び止めた。

「ニールス様。」

「劇場のことなら、また話そう。」

やはりセシリアを見ずに、ニールスは晩餐室を後にした。



ニールスの皿の上の鰊が、無惨に切り刻まれているのが見えて、セシリアは自分の皿のジャガイモをフォークで突き刺して、がぶりと噛み付くように口に入れた。

ジャガイモが喉に詰まりそうになって、彼女は慌てて葡萄酒を口に入れて飲み込んだ。

目に、ほんの少し涙がにじんだ。

(間違えたのね…訓練所に行った時のことを聞かれた時に『ただ、お会いしたくて。』そう言うべきだったのかしら?)

食欲はすっかりなくなっていたけれど、セシリアは最後のデザートまで一人で食べた。



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