6 / 74
6
婚姻式を終えてすぐの頃、短い夏の、ニワトコの花が満開の頃、痩せ細り汚れた浮浪児を、街へ出掛けていたセシリアが連れて帰ってきた。
まるで、野良犬でも連れ帰るように。
「馬車の前に倒れ込んで、もう少しで轢いてしまうところだったのです。」
周りの大人達の不快感をあらわにした様子など、気にもならないようで、セシリアは屋敷の者達に指示を出し、汚れた少年を綺麗に洗い、食べ物と着る物を与えた。
身綺麗になった少年を、皆はほっとしたように見ていたが、その細い首にかかった物が、今度は別の嫌悪感と忌避感を呼び込んだ。
皆が自分のネックレスを見ていることに気付いた少年は、俯いて大きすぎる借り物の服の中に急いでそれを隠した。
『ヒュドラ教』
ヴァルスト王国では、未だ差別の対象とされる異端の宗教。
セシリアがそのことを知らないのか、幼いさから来る純粋さゆえの哀れみなのか区別はつかなかった。
少年はそのまま屋敷に置かれて、ニールスが出征するまでのわずかな間に、下男のような仕事もするようになっていた。
出征の間際に、少年と話したときのことをニールスは思い出した。
「僕も伯爵様のように、強い男になれますか?」
眩しいほどまっすぐな瞳でこちらを見ていた。
「お前には守りたい者がいるか?」
少年は静かに頷いた。
「では、なれる。これよりお前が大きくなったら、軍の訓練所で剣の稽古が出来るように手配してやる。」
そばにあった丸スグリの木を指差して言うと、少年は何かを決意したようにその木をじっと見ていた。
セシリアを追って行った少年の背丈は約束のスグリの木より遥かに大きくなっていた。
ニールスが指示しておいた通り、訓練生として稽古をつけてもらっているようで、次の適性試験では必ず合格すると目されている。
セシリアをまっすぐに追う泥だらけの背中はなぜか実際よりずいぶん大きく見えた。
訓練所でのことがあって三日ほどした頃、セシリアはニールスから晩餐を共に、と誘われた。
セシリアは薄紅色の絹のドレスを身につけ、髪は全て綺麗に結い上げた。
晩餐室にはすでにニールスが着席していて、セシリアに気付くと立ち上がって来てセシリアを席に座らせた。
二人で食事をするには広すぎる晩餐室の長卓に、端と端に向かい合って座った。
この晩餐室には、二十人ほどが一度に座れる胡桃の長卓があって、セシリアは不思議な木目のその長卓が好きだった。
ニールスが留守の間は、その長卓を使うことはなかったけれど、時々晩餐室を覗いては、鏡のように磨かれた長卓に自分を映したり、ニールスとの最後の夕食を思い出していた。
でも、今セシリアとニールスが座っているのは、あの胡桃の長卓の半分ほどの大きさの別の食卓だった。
(胡桃の長卓はどこへやったのかしら?)
セシリアはお気に入りの長卓の行方が気になった。
(この食卓はなんの木かしら?)
真っ白な布が敷いてあって、この食卓の木目は見ることは出来ない。
「先日は、ご無礼をいたしました。」
セシリアは、ニールスが葡萄酒に口を付けるとすぐに、訓練所でのことを詫びた。
「いや、もういい。」
真向かいに座るセシリアに目を向けることなく、ニールスはつぶやくように言った。
それ以降、ニールスは口を開こうとはせず、ひたすら出てくる食事を咀嚼していた。
セシリアも、以前のようにあれこれとニールスに話しかけることはしなかった。
彼女はニールスの右隣をそっと見た。
「ここがセシリア、君の定位置だ。」
ニールスは出征の前に、まだ晩餐室と椅子の高さが合わないセシリアに微笑んで言った。
「俺の右隣は、妻である君の場所だ。覚えておいて。」
優しい声をセシリアは覚えている。
自分に座るべき場所が出来た。そのときの胸の暖かさもまだちゃんと覚えている。
「─────リア、セシリア?」
ニールスが話しかけてくるとは思わず、セシリアはすぐに反応できなかった。
セシリアは返事をする代わりに、水色の瞳でニールスを見て小首を傾げた。
ニールスは目を逸らすと、皿の鰊を忙しなく切り分けた。
「何か、話があったんじゃないのか?訓練所で…」
鰊から目を離さずにセシリアに問うた。
「劇場の建設についてです。そろそろ先に進めたくて。」
「劇場?」
ニールスはやっとセシリアを見た。
「以前、晩餐の時お話しましたわ。ニールス様がご不在の時から進めていたお話ですと。」
「劇場…今、エルムンドに必要か?」
セシリアの目に小さな失望を見つけて、ニールスは語気がやや強くなってしまった。
話を聞いていなかったことを、指摘された気になったのだ。
「そのことについても、きちんとお話を聞いていただきたかったのです。」
思いの外冷たい声で返ってきたことに、ニールスは驚いた。
トマだけではない、セシリアもまた、見た目だけではなく話し方も仕草もすっかり大人びていて、ニールスだけが追いつけない。
「今聞こう。」
「今、ですか?」
セシリアの顔が一瞬暗くなった。
「なぜ、劇場の建設を、と考えた?」
声は穏やかだが、部下にするのと同じに、ニールスは妻に相対した。
「エルムンドの街道は国によって整えられ、負傷兵を長期にわたり受け入れる病院は王妃様がご助力くださって、なんとか軌道に乗り始めました。後、エルムンドに必要なのは、優れた軍と並ぶ、何かだと。」
およそ十三歳の少女とは思えぬ、堂々とした主張に、ニールスはたじろいだ。
「それが、劇場だと?」
「裕福な者が集い、お金を使いたくなる物が良いと考えたからです。」
「大掛かりなものとなると、王国内の技師では、事足りぬのでは?」
「帝国から派遣してもらう手筈はつけてあります。」
戦場に届く手紙で、セシリアが様々なことを学び、周りの助けを借りて色々なことを成し遂げているのは知っていた。
(いや、知った気になっていただけだったのか?)
目の前の少女は、出会った頃とは別の、大人の貴婦人のようだった。
ニールスは途端に、落ち着かない気持ちになった。
執事がニールスの後ろに回ると、耳元で何かを告げた。
ニールスは執事に「すぐに行く」と小声で告げる。
「すまないが、火急の用が出来た。失礼する。」
こちらを見ずに席を立つニールスにセシリアは思わず呼び止めた。
「ニールス様。」
「劇場のことなら、また話そう。」
やはりセシリアを見ずに、ニールスは晩餐室を後にした。
ニールスの皿の上の鰊が、無惨に切り刻まれているのが見えて、セシリアは自分の皿のジャガイモをフォークで突き刺して、がぶりと噛み付くように口に入れた。
ジャガイモが喉に詰まりそうになって、彼女は慌てて葡萄酒を口に入れて飲み込んだ。
目に、ほんの少し涙がにじんだ。
(間違えたのね…訓練所に行った時のことを聞かれた時に『ただ、お会いしたくて。』そう言うべきだったのかしら?)
食欲はすっかりなくなっていたけれど、セシリアは最後のデザートまで一人で食べた。
あなたにおすすめの小説
恋人に夢中な婚約者に一泡吹かせてやりたかっただけ
棗
恋愛
伯爵令嬢ラフレーズ=ベリーシュは、王国の王太子ヒンメルの婚約者。
王家の忠臣と名高い父を持ち、更に隣国の姫を母に持つが故に結ばれた完全なる政略結婚。
長年の片思い相手であり、婚約者であるヒンメルの隣には常に恋人の公爵令嬢がいる。
婚約者には愛を示さず、恋人に夢中な彼にいつか捨てられるくらいなら、こちらも恋人を作って一泡吹かせてやろうと友達の羊の精霊メリー君の妙案を受けて実行することに。
ラフレーズが恋人役を頼んだのは、人外の魔術師・魔王公爵と名高い王国最強の男――クイーン=ホーエンハイム。
濡れた色香を放つクイーンからの、本気か嘘かも分からない行動に涙目になっていると恋人に夢中だった王太子が……。
※小説家になろう・カクヨム様にも公開しています
始まりはよくある婚約破棄のように
喜楽直人
恋愛
「ミリア・ファネス公爵令嬢! 婚約者として10年も長きに渡り傍にいたが、もう我慢ならない! 父上に何度も相談した。母上からも考え直せと言われた。しかし、僕はもう決めたんだ。ミリア、キミとの婚約は今日で終わりだ!」
学園の卒業パーティで、第二王子がその婚約者の名前を呼んで叫び、周囲は固唾を呑んでその成り行きを見守った。
ポンコツ王子から一方的な溺愛を受ける真面目令嬢が涙目になりながらも立ち向い、けれども少しずつ絆されていくお話。
第一章「婚約者編」
第二章「お見合い編(過去)」
第三章「結婚編」
第四章「出産・育児編」
第五章「ミリアの知らないオレファンの過去編」連載開始
【完結】「心に決めた人がいる」と旦那様は言った
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
「俺にはずっと心に決めた人がいる。俺が貴方を愛することはない。貴女はその人を迎え入れることさえ許してくれればそれで良いのです。」
そう言われて愛のない結婚をしたスーザン。
彼女にはかつて愛した人との思い出があった・・・
産業革命後のイギリスをモデルにした架空の国が舞台です。貴族制度など独自の設定があります。
----
初めて書いた小説で初めての投稿で沢山の方に読んでいただき驚いています。
終わり方が納得できない!という方が多かったのでエピローグを追加します。
お読みいただきありがとうございます。
私は彼に選ばれなかった令嬢。なら、自分の思う通りに生きますわ
みゅー
恋愛
私の名前はアレクサンドラ・デュカス。
婚約者の座は得たのに、愛されたのは別の令嬢。社交界の噂に翻弄され、命の危険にさらされ絶望の淵で私は前世の記憶を思い出した。
これは、誰かに決められた物語。ならば私は、自分の手で運命を変える。
愛も権力も裏切りも、すべて巻き込み、私は私の道を生きてみせる。
毎日20時30分に投稿
【完結】あなたに嫌われている
なか
恋愛
子爵令嬢だった私に反対を押し切って
結婚しようと言ってくれた日も
一緒に過ごした日も私は忘れない
辛かった日々も………きっと………
あなたと過ごした2年間の四季をめぐりながら
エド、会いに行くね
待っていて
【完結】あなたは、知らなくていいのです
楽歩
恋愛
無知は不幸なのか、全てを知っていたら幸せなのか
セレナ・ホフマン伯爵令嬢は3人いた王太子の婚約者候補の一人だった。しかし王太子が選んだのは、ミレーナ・アヴリル伯爵令嬢。婚約者候補ではなくなったセレナは、王太子の従弟である公爵令息の婚約者になる。誰にも関心を持たないこの令息はある日階段から落ち…
え?転生者?私を非難している者たちに『ざまぁ』をする?この目がキラキラの人はいったい…
でも、婚約者様。ふふ、少し『ざまぁ』とやらが、甘いのではなくて?きっと私の方が上手ですわ。
知らないからー幸せか、不幸かーそれは、セレナ・ホフマン伯爵令嬢のみぞ知る
※誤字脱字、勉強不足、名前間違いなどなど、どうか温かい目でm(_ _"m)
心の傷は癒えるもの?ええ。簡単に。
しゃーりん
恋愛
侯爵令嬢セラヴィは婚約者のトレッドから婚約を解消してほしいと言われた。
理由は他の女性を好きになってしまったから。
10年も婚約してきたのに、セラヴィよりもその女性を選ぶという。
意志の固いトレッドを見て、婚約解消を認めた。
ちょうど長期休暇に入ったことで学園でトレッドと顔を合わせずに済み、休暇明けまでに失恋の傷を癒しておくべきだと考えた友人ミンディーナが領地に誘ってくれた。
セラヴィと同じく婚約を解消した経験があるミンディーナの兄ライガーに話を聞いてもらっているうちに段々と心の傷は癒えていったというお話です。
私の婚約者は誰?
しゃーりん
恋愛
伯爵令嬢ライラは、2歳年上の伯爵令息ケントと婚約していた。
ところが、ケントが失踪(駆け落ち)してしまう。
その情報を聞き、ライラは意識を失ってしまった。
翌日ライラが目覚めるとケントのことはすっかり忘れており、自分の婚約者がケントの父、伯爵だと思っていた。
婚約者との結婚に向けて突き進むライラと、勘違いを正したい両親&伯爵のお話です。