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「ニールス様が、春になったら王都へ連れて行って下さるって。」
「ええ、そのようですね。」
嬉しそうなセシリアに、ビョルンが含みのある言い方をする。
「聞こえてましたから。っていうか、そこにいましたから我々も。」
自室からいつも通り執務室へ向かっていたセシリア一行とばったり出くわしたニールスが、その場でセシリアを呼び止めた。
「春、戦勝式典が王都で行われる。準備していて欲しい。」
周りにいた人間がその場を離れる間もなく、朝の挨拶さえなく、本題を切り出した。
「連れて行って下さるの?」
驚いてセシリアが聞き返すと、ニールスはいつもの顰めっ面を維持したまま、ぼそりと言った。
「そのつもりだ。」
「本当に?───約束ですよ?」
セシリアは数ヶ月ぶりに、心からの笑顔を見せた。
ニールスは一瞬目を見開いて驚いたような顔をしてから、思い出したように顰めっ面に戻った。
「ああ。」
絞り出すようにそう言うと、足早にその場を去って行った。
一緒にいたエウラリアは
「妻であり、王妃の姪でもあらせられるセシリア様を、戦勝式典にお連れするのは、当たり前のこと、あの者の一存で決められるはずもありません。何を戯けたことを。」
とひたすら、ぶつぶつと呟き続けた。
オラフはセシリアに聞こえない声で、
「立ち話とは、何事か。少しの時間も用立てる気はないということか。」
と怒り心頭だった。
ビョルンはニールスの後ろ姿に小さく舌打ちをした。
「でも、イニゴは初めて聞くでしょう?」
誰かに、同じ温度で喜んでもらいたくて、セシリアは執務室でイニゴに詰め寄った。
「まさかとは思いますが、戦勝記念式典のことを、今聞いたのですか?」
「イニゴ知ってたの?」
セシリアの問いにイニゴはこくりと頷いた。
「みんなで私の楽しい気持ちを叩き壊すのね…」
言葉とは裏腹に、セシリアはまだどこか浮かれた様子でいる。
「今日はこのまま、嬉しい気持ちでいたいわ。」
セシリアは心の底からそう願って囁いた。最近はそれが難しいことが多い。
「じゃあ、外に出かけましょう。」
「午後からは、病院へ行く予定でしょ?」
ビョルンの提案にセシリアは素直に答えた。
「そうじゃなくて、少しぐらい羽を伸ばしましょう。」
「君は勝手に、外で羽を伸ばしてくればいい。」
ビョルンに今度はイニゴが、書類から目を上げもせずに言い捨てる。
「十三歳の少女の労働力を、搾取しすぎじゃないですか?」
「搾取とは何だ!」
いつも通りのイニゴとビョルンの掛け合いが始まったと、部屋の隅にいる事務官たちがニヤリと笑って、またすぐ書類仕事に集中する。
「イニゴは、私の思い付きをその都度、どうにかして形にしてくれているだけよ。ビョルンは、私が全部一人でやっているように言うけど、私は特別何もしていないのよ、分かってるでしょ?」
「セシリア様なくしては、何一つ成し得たことなどございませんよ。」
イニゴはペンを置いて、セシリアを真っ直ぐに見た。
「ほとんど、イニゴ達がやってくれたじゃない。」
「セシリア様───」
「感謝してるの、本当に、みんなにも。」
イニゴの言葉を遮ってセシリアがつぶやくように言うと、部屋の空気が澱んだ気がして、セシリアはあまり用のない本を取りに、オラフと共に部屋を出ていった。
「イニゴさんのせいですよ。」
ビョルンはペンを持ったまま、止まったように動かないイニゴにいつにも増して喧嘩腰だ。
「何を教えてもすぐに覚えるし理解するからって、難しいことばっかり教えて。そんで、仕事ばっかりさせて。セシリア様は楽しいことなんて、何も知らないじゃないですか。」
「セシリア様は───」
イニゴは言いかけて、口を閉じた。
「とにかく、仕事の量を減らすべきですよ。」
ビョルンはまだ納得がいかない様子だったが、とりあえずそれで口を閉じた。
「いつまでも、ここにいるとは限りませんしね。」
エウラリアは、確信しているように言った。
午後からの病院訪問の頃には、午前中とは打って変わって曇天が広がっていた。
それでもセシリアは、春になれば久しぶりの王都だと、弾んだ気持ちはまだ萎んではいなかった。
馬車の窓からは、不機嫌そうな顔で騎乗し追従するビョルンが見える。
ビョルンは時々、セシリアを歯痒く思うようで「外へ行こう」「仕事を休め」とうるさくなる。
ビョルンはセシリアをとてつもなく優秀で、大人も舌を巻くほどの才覚を持ち、領地を次々に改革している才媛のように言うことがある。
オラフやエウラリア、マルタもそうだ。イニゴでさえも。
ただ、セシリアはその過剰な評価をほとんど信じていない。
十歳の頃から、イニゴはセシリアの教師だった。何もかも、今セシリアが「仕事」として手がけていることは、すべてイニゴがセシリアに説明し、教え、導いた。
廃れかけたエルムンドの織物を、工房を立ち上げ、エルムンドの特産品になりつつあるほど、成功さることが出来たのは、イニゴがいたからだ。
セシリアが王妃への贈り物を探していたときに、偶然、農家の軒先で機織りをしていたのを見かけ、試しに絹糸で織ってもらったことがきっかけだった。
工房を作り、戦争未亡人を雇い入れたらどうか?───そう言ったセシリアの言葉を形にしたのはやっぱりイニゴだったし。
貴族への販売も、帝国向けの輸出品にしようと言ったのもセシリアだが、イニゴがいなければ何一つ形になった物はないだろう。
セシリアは自分への評価はそれほど間違っているとも思っていない。
認められなければ、セシリアに存在意義はない。
ずっとそう思っているし、最近はその思いは確信になりつつある。
何か一つ新しいことが始まるたびに、褒められたり称えられたりすると、他人の靴で踊っているようで、落ち着かない。
まだ、二年しか経っていない石造りの病院の建物が、曇天の下で黒っぽく見えた。
セシリアはいつも通り、負傷兵達を見舞う。
比較的軽症な者や、回復に向かっている兵士達が大勢寝台を並べている、いわゆる大部屋から。
「お加減はいかがですか?」
若い兵士に声をかけると、胸を押さえて苦しみ出した。
「ぐっ!」
顔を寝台に突っ伏して、苦しそうだ。
「人を呼んできます!」
医師を探しに行こうとするセシリアの手を、兵士がつかんだ。
「セシリア様が口づけてくださったら、たちどころに治ります。」
今しがた苦しんでいた兵士が寝台から上げた顔はニヤニヤと笑っていた。
「なんて人達!」
セシリアは、年上の兵士を、まるで幼子にするように叱りつけた。
「セシリア様、お慈悲を~」
「女神様、我々に希望を~」
周りの兵士たちも、ふざけて口々にセシリアを揶揄った。
あまりにもくだらなくて、セシリアは兵士達と一緒になって笑った。
もう、いつものお決まりのようなやり取りなのだ。
「いい加減にしないと、オラフさんに斬られるぞ。」
セシリアの後ろから、医師のラースが現れて、兵士達を嗜めた。
その後ろでは、オラフが兵士たちに睨みを利かせている。
初めは、兵士を本気で斬りつけそうになっていたオラフも、今は鬼の形相で睨むにとどまっている。
大部屋の向こうの扉から、大柄の兵士達が数人入って来るのが見え、一番長身の濃い茶色の髪の男がセシリアをチラリと見た。
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