うわさの行方

下沢翠花(しもざわすいか)

文字の大きさ
18 / 74

18


晩餐ばんさんをご一緒に…」

執事しつじのヘニングがニールスからの言伝をセシリアに伝えると、彼女は表情をくもらせた。

しかしすぐに笑顔をたたえて「わかりました」と答えた。


 昨日、頭痛を感じたセシリアは修道院を早めに引き上げ屋敷に戻るとそのまま朝まで眠ってしまった。

そのすぐ後、早く戻ったニールスは、セシリアを晩餐に誘いに部屋へ向かったが、もうすでにぐっすりと眠り込んでいると言われあきらめた。


その代わりに、とニールスは翌日の晩餐を共に、つまり今夜の晩餐の約束を言伝ことづてていた。

セシリアの気持ちはしずんだ。


これまでも何度か「晩餐の約束」をしたが、まともに実行されたことはなかった。


ニールスは晩餐に遅刻してくるか、時間通りに席に着いているときには必ずと言っていいほど軍からの呼び出しがあり、ニールスはそれに必ず応じた。


初めはセシリアも、こんなに忙しいのに無理をしてまで時間を作ってくれている。と嬉しい気持ちもあったが、じきにその気持ちはすりっていった。

離れた向かいの席に座るニールスはむっつりとだまり込み、黙々もくもくと食材を胃に流し込んでゆくだけで、セシリアを見ようともしない。

セシリアが話しかけても「ああ」「そうか」それだけだったし、以前の続きと劇場建設の話を持ち出せば「少し考えさせてくれ」そう言ったきり、また黙り込んだ。


セシリアにとってニールスと摂る食事は苦痛なものになっていった。











 屋敷の執務室ではイニゴがいつものように書類にもれていた。

「セシリア様、おはようございます。」

書類から顔を上げてイニゴがセシリアに微笑んだ。

「今日からまた、工房にも行ってみるわ。」

「そうですか、あの片腕かたうでの兵士の細君さいくんのことは?」

イニゴはアグネタの一件をずっと気にかけていた。

「わからないわ、伯爵様とお会いできていないもの…今夜、晩餐にお誘い頂いたから、なんとか聞いてみるわ。」

「無視。でいいのでは?銅貨の一枚も支払っていない人が、えらそうなんですよ。」

イニゴは遠慮なくニールスをけなした。

「劇場建設の話だって、あの人が帰ってきてから少しも進まない、軍のことばかり考えて領主としての自覚が足りないんです。そもそも貴族としての─────」

ニールスの話になると長いので、セシリアは執務室を出て工房へ向かった。










 織物工房に久しぶりに顔を出し、染色工せんしょくこうとの打ち合わせを終えて、セシリアは早めに屋敷に戻った。

家族の食事といえど、晩餐となればそれなりのよそおいが必要になる。

今日も遅刻か、それとも中座ちゅうざか。セシリアは少し意地悪くニールスの行動を予測してみた。


どちらにしても、今日はニールスに確認したいことがいくつかある。

たとえ食事中に相応しくない話題でも、たとえニールスに「考えさせて」と言われても、今日ばかりはそれなりの答えが欲しい。


ニールスにとっては子供の遊びに見えるのかもしれないが、工房の仕事で生計せいけいしているものも少なからずいる。

劇場の建設もセシリアの巨額の持参金からだけではなく、出資者もいるのだ「後で」「今度」では済まされない。

工事に関わる技師達も、王妃を通して帝国からきてもらう算段さんだんはついている。






 意気込んで屋敷に戻ると、イニゴが執務室からやってきて、驚きの知らせを伝えた。

「劇場建設の許可が下りたの?」

「そのようです、ただし、劇場の規模きぼを縮小する方向で再考さいこうせよと。」

「縮小?でもその話は────」

劇場建設案が形になり始め、出資者も集まり始めた頃、エルムンドのような田舎いなかに規模が大きな劇場など不釣ふつり合い。失敗するに決まっている。そう言う意見もあった。

失敗を恐れる出資者達は、こぞって縮小をとなえた。

それをセシリアとイニゴが時間をかけて説得し、やっと収まったと言うのに。

「皆さん納得してくださったのに、どうして?────それになぜ急に劇場建設の許可が下りたの?私は伯爵様とお話もしていないのに。」

「出資者の一人が、伯爵に直談判じかだんぱんしたようです。」

「縮小を?」

「いえ、縮小の話は伯爵から提示ていじされたと。」

「伯爵様が────」

セシリアはため息が出るのをめることが出来なかった。










 群青色ぐんじょういろのビロードの、優しい光沢をじっとながめる。

セシリアは長卓ちょうたくはしに座り、蝋燭ろうそくの光とゆるやかなひだが作り出す不思議な模様もように見入っていた。

『とてもよく似合ってる』遠い記憶の中から、少年の声がした。




 やはりニールスは遅刻のようで、長卓の向かいは空席のままだ。


「お飲み物だけでも、何か────」

もうすでに散々さんざん待っているセシリアに執事が声をかけてきた。

「ねえ。ずっと気になっていたのだけど、あの長卓はどこへやったの?」

「前のものは、仕舞しまってございます。」

「どうして変えちゃったの?私、あれ好きだったのに…」

セシリアの声が小さかったのか、執事は答えなかった。

胡桃くるみの木の模様が、とても綺麗だったのよ────この長卓は何の木?」

ならの木かと、おそらく。」

セシリアは何も答えず、ビロードのドレスを指ででた。




 ニールスの帰還が待ち遠しかった。

セシリアにはニールスとの出征前の一月ひとつきほどの短い時間が、かけがえのないものになっていた。

ニールスが戻ったら、話したいことがたくさんあった。

エルムンドの五月の風が気持ちいいこと、木苺がたくさん実をつける場所を見つけたこと、読んだ本の感想も、背が伸びたことも、とても会いたかったことも。

ニールスに聞いてみたいこともたくさんあった。


その頃のセシリアは想像もしていなかった。

まさかニールスと話すことに、息苦しさを覚えるなんて。

まさか、ニールスがいないことに安心するなんて。




「セシリア様、伯爵様からご連絡がありまして、急務きゅうむにつき晩餐はまたいずれと。」

執事がげに来たのは、もう予定通りであったなら晩餐を終える時分じぶんになってからのことだった。

「やっぱりね───悪いのだけど、スープだけ部屋に運んでくれる?」

セシリアはさっさと部屋に戻り眠ることにした。

椅子から立ち上がると、ずっと座っていたせいか眩暈めまいがした。

ビロードのドレスが、セシリアの動きに合わせて生地にを描いた。





 幼い頃、同じ群青色のビロードのドレスを着た。

セシリアはビロードの手触りが好きで、エウラリアにせがんで何度もそのドレスにそでを通した。

『いつかセシにドレスを贈るよ。それと同じ群青色のビロードのドレスを。』

金の髪の少年は、そう言って笑った。



 
セシリアが着ているドレスは、商人からセシリアが生地を買い付けたもので、少年との約束のドレスではない。

手のひらでドレスをなぞるように触れると、少年の声が聞こえる気がした。

あなたにおすすめの小説

恋人に夢中な婚約者に一泡吹かせてやりたかっただけ

恋愛
伯爵令嬢ラフレーズ=ベリーシュは、王国の王太子ヒンメルの婚約者。 王家の忠臣と名高い父を持ち、更に隣国の姫を母に持つが故に結ばれた完全なる政略結婚。 長年の片思い相手であり、婚約者であるヒンメルの隣には常に恋人の公爵令嬢がいる。 婚約者には愛を示さず、恋人に夢中な彼にいつか捨てられるくらいなら、こちらも恋人を作って一泡吹かせてやろうと友達の羊の精霊メリー君の妙案を受けて実行することに。 ラフレーズが恋人役を頼んだのは、人外の魔術師・魔王公爵と名高い王国最強の男――クイーン=ホーエンハイム。 濡れた色香を放つクイーンからの、本気か嘘かも分からない行動に涙目になっていると恋人に夢中だった王太子が……。 ※小説家になろう・カクヨム様にも公開しています

始まりはよくある婚約破棄のように

喜楽直人
恋愛
「ミリア・ファネス公爵令嬢! 婚約者として10年も長きに渡り傍にいたが、もう我慢ならない! 父上に何度も相談した。母上からも考え直せと言われた。しかし、僕はもう決めたんだ。ミリア、キミとの婚約は今日で終わりだ!」 学園の卒業パーティで、第二王子がその婚約者の名前を呼んで叫び、周囲は固唾を呑んでその成り行きを見守った。 ポンコツ王子から一方的な溺愛を受ける真面目令嬢が涙目になりながらも立ち向い、けれども少しずつ絆されていくお話。 第一章「婚約者編」 第二章「お見合い編(過去)」 第三章「結婚編」 第四章「出産・育児編」 第五章「ミリアの知らないオレファンの過去編」連載開始

【完結】「心に決めた人がいる」と旦那様は言った

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
「俺にはずっと心に決めた人がいる。俺が貴方を愛することはない。貴女はその人を迎え入れることさえ許してくれればそれで良いのです。」 そう言われて愛のない結婚をしたスーザン。 彼女にはかつて愛した人との思い出があった・・・ 産業革命後のイギリスをモデルにした架空の国が舞台です。貴族制度など独自の設定があります。 ---- 初めて書いた小説で初めての投稿で沢山の方に読んでいただき驚いています。 終わり方が納得できない!という方が多かったのでエピローグを追加します。 お読みいただきありがとうございます。

私は彼に選ばれなかった令嬢。なら、自分の思う通りに生きますわ

みゅー
恋愛
私の名前はアレクサンドラ・デュカス。 婚約者の座は得たのに、愛されたのは別の令嬢。社交界の噂に翻弄され、命の危険にさらされ絶望の淵で私は前世の記憶を思い出した。 これは、誰かに決められた物語。ならば私は、自分の手で運命を変える。 愛も権力も裏切りも、すべて巻き込み、私は私の道を生きてみせる。 毎日20時30分に投稿

【完結】あなたに嫌われている

なか
恋愛
子爵令嬢だった私に反対を押し切って 結婚しようと言ってくれた日も 一緒に過ごした日も私は忘れない 辛かった日々も………きっと……… あなたと過ごした2年間の四季をめぐりながら エド、会いに行くね 待っていて

【完結】あなたは、知らなくていいのです

楽歩
恋愛
無知は不幸なのか、全てを知っていたら幸せなのか  セレナ・ホフマン伯爵令嬢は3人いた王太子の婚約者候補の一人だった。しかし王太子が選んだのは、ミレーナ・アヴリル伯爵令嬢。婚約者候補ではなくなったセレナは、王太子の従弟である公爵令息の婚約者になる。誰にも関心を持たないこの令息はある日階段から落ち… え?転生者?私を非難している者たちに『ざまぁ』をする?この目がキラキラの人はいったい… でも、婚約者様。ふふ、少し『ざまぁ』とやらが、甘いのではなくて?きっと私の方が上手ですわ。 知らないからー幸せか、不幸かーそれは、セレナ・ホフマン伯爵令嬢のみぞ知る ※誤字脱字、勉強不足、名前間違いなどなど、どうか温かい目でm(_ _"m)

心の傷は癒えるもの?ええ。簡単に。

しゃーりん
恋愛
侯爵令嬢セラヴィは婚約者のトレッドから婚約を解消してほしいと言われた。 理由は他の女性を好きになってしまったから。 10年も婚約してきたのに、セラヴィよりもその女性を選ぶという。 意志の固いトレッドを見て、婚約解消を認めた。 ちょうど長期休暇に入ったことで学園でトレッドと顔を合わせずに済み、休暇明けまでに失恋の傷を癒しておくべきだと考えた友人ミンディーナが領地に誘ってくれた。 セラヴィと同じく婚約を解消した経験があるミンディーナの兄ライガーに話を聞いてもらっているうちに段々と心の傷は癒えていったというお話です。

私の婚約者は誰?

しゃーりん
恋愛
伯爵令嬢ライラは、2歳年上の伯爵令息ケントと婚約していた。 ところが、ケントが失踪(駆け落ち)してしまう。 その情報を聞き、ライラは意識を失ってしまった。 翌日ライラが目覚めるとケントのことはすっかり忘れており、自分の婚約者がケントの父、伯爵だと思っていた。 婚約者との結婚に向けて突き進むライラと、勘違いを正したい両親&伯爵のお話です。