うわさの行方

下沢翠花(しもざわすいか)

文字の大きさ
20 / 74

20



せて薄汚れたあさのシャツ、うつせに倒れた背中は斜めに大きくられている。

り切れたウールのズボン、靴底くつぞこに巻いた布はいかにも夜盗といった風だが、その布だけが衣類とは違って新しく、結び目がほどけている。

男はひどく痩せていて、顔色は青白く目元は栄養不足か薬物の影響か、くまができている。


「お前がこの男を斬ったのか?」

ニールスに問いかけに、兵卒へいそつは姿勢をただした。

「はい、手向てむかって来たので斬りました。」

兵卒の手はかすかに震え、青ざめた顔をしている。

「戦場経験はないのか?」

「い、いえ、さきのマーケン国との大戦に参加しておりました。」

「暑いのか? ずいぶん汗をかいてるな。」

冷え切った夜半やはん過ぎの空気の中で、兵卒のひたいには玉のような汗が浮かんでいる。


「なぜ後ろから切った?」

ニールスはまた兵卒に聞いた。

「逃げようとしたので…」

兵卒の汗が、地面に落ちた。

「捕まえようとは思わなかったのか?」

「さ、先に逃げている、ぞくを追いかけることに、夢中で…」

「伯爵様!」

兵卒を問い詰めるニールスに、補給倉庫の責任者である少尉しょういって入る。

我々われわれの調査をおうたがいですか?」

少尉はこぶしを握り締め、くやしさに顔をゆがめた。

「そうりきむな、リューデル少尉。疑っているわけではない、せっかくここまで出向でむいたんだ、少しは働かせてくれ。」

リューデルはわずかに表情を緩めたが、納得はいかないような様子でいる。

「残りの夜盗は必ず我々が挙げてみせます!」

リューデルの言葉に、後ろに控えていた彼の部下達も力強くうなずいた。

「期待している、リューデル少尉。」

ニールスは目の前の、気位きぐらいの高い年上の下級将校の面子めんつをとりあえず優先することにした。





リューデルが部下をって、鼻息荒く夜盗捜索に出かけると、ニールスは管理棟にある執務室にカールをともなった。

「カール、どう思った?」

執務室の硬い椅子に座りながら、ニールスが言った。

あやしい点があり過ぎるくらいありましたね。少尉の様子も、どうにも…」

「少しお前の方でも、調べてみてくれ。リューデルに気づかれんようにな。」

リューデルは気位ばかり高くて、実務にうとい。だが部下からのしんは厚く、そこが厄介だった。

カールは、承知したという風にニールスに頷いて、執務室を後にした。







 エルムンド領の東の端を流れる川沿いの、小さな村の神父から嘆願書が届いた。

様子のおかしな者がこのところ多く出ている、どうも薬に溺れているようだ。

そんな内容だった。

人が変わったように言動が粗暴そぼうになり食事も摂らず、眠らなくなり、やがて衰弱すいじゃくして死亡する。

おかしくなったうちの一人が軍の支給品の薬瓶くすりびんを持っていた事がわかり、嘆願書がニールスにまで届くことになり、軍の補給拠点ほきゅうきょてん一斉いっせい監査が行われた。





不正を嫌うニールスの軍にあって、備品、補給品に手を出すのは、御法度ごはっと

カールはニールスが派遣した兵士の報告書に舌打したうちした。

『東の補給倉庫周辺の村で、麻薬成分のある薬品が横流よこながしされている。』


兵卒のほとんどが平民で、生活が楽な者はいない。

兵士になれば本人だけならめることはないし、わずかながら俸給ほうきゅうも出る。

それでも中には家族に病人を抱えていたり、借財しゃくざいを抱える者も少なからずいる。

カールは家族に使うためだったり、小遣い稼ぎ程度なら薬の流用りゅうようを見逃した。



 薬を売りさばいていた兵士は、村の外から薬を買いに来た常習者を夜盗に仕立て、始末してあった。


「どういうことだ軍曹!俺が横流しを見逃してるのは、困窮こんきゅうしている兵卒だけだ。ヤランお前は十分俸給を受け取っているだろう、横流しの量も限度を超えている!」

カールは、目の前の男のえりぐりをつかみ上げたが、なぐるのをこらえ、地面にたたき付けた。

「お前が欲をかいたおかげで大変なことになっているんだぞ!それになんだ、あの夜盗は。あんな浮浪者まがいの痩せぎすの夜盗なんてどこにいるんだ!リューデルの阿呆あほじゃなかったらごまかせなかったぞ!」

カールは叩きつけられ地面に両手をついたまま、青い顔で震えているヤランを見て大きく息をいた。

「もういい、俺に後の捜査を任された───リューデルは貴族出身を鼻にかけるだけの使えないやつだ。適当に踊らせて責任をとってもらうさ。」

カールは伏したままのヤランを立たせて、上着の土を払ってやった。

「もう失敗は許されない、しっかりやれ。」

ヤランは涙を上着の袖で拭いながら、カールに頷いた。










 ニールスは疲労感に目を閉じ、小さな執務室の椅子の背に体を預けた。

『今週中には軍の方も落ち着く、来週は時間をとってゆっくり話そう。』

セシリアに言った言葉は、結局嘘になった。



『さようですか、お気をつけて。』

ニールスが、急に補給庫に向かうことになったことをびると、セシリアは不思議そうに、それでいて心から納得したようにそう言った。


とくに期待もしていない。

それとも、今さら何を?

ということか。



『当然だ』頭の中の自分が自分を笑っている。

帰還してからの自分のおこないを振り返るまでもなく、思い当たることしかない。

馬車寄せでのセシリアがまぶたの裏によみがえる。

青白い頬、震える唇、涙にゆがむ水色の瞳。

ニールスの指先が震えた。

すずのカップに蒸留酒じょうりゅうしゅを少し注ぎ、あおるように飲む。

焼け付くような喉の感覚に、ニールスは、くっと息を吐きながら顔を顰めた。





 ニールスは短い眠りの中で、夢を見た。

少女が白い寝間着ねまきすそを泥で汚しながら、ぬかるみの中をどうにか歩いている。

ブーツかと思った足元は、よく見れば裸足でひざ近くまで泥に染まっている。

「セシリア。」

名を呼ぶとびくりと肩を揺らし、ゆっくりと振り返った。

「ニールス様…」

消え入りそうな声で教えられた通りに名を呼ぶ。

しかられると思ったのか、眉尻まゆじりを下げ、水色の瞳が不安そうに揺れていた。

ニールスは黙って、彼女を抱き上げた。






 ニールスはその日の昼間、動物が好きだというセシリアを厩舎きゅうしゃに連れて行った。

馬を見てしばらくはしゃいでいたセシリアが、一頭だけ別の厩舎に入れられている馬を見て尋ねた。

「なぜ、あの子は一人なの?」

「もうじき赤ん坊を産むんですよ。だからしばらくはこうして別にしておくんです。」

馬丁ばていの言葉に、セシリアの目が輝いた。

「赤ちゃんが産まれるの?見たいわ!」

はしゃぐセシリアを見て、馬丁の顔が曇った。

「何か、あるのか?」

ニールスが馬丁に尋ねると、小声で答えた。

「どうも、数が多いようなんですよ。」

「双子か?」

ニールスも渋い顔になった。

馬の双子は大変珍しい。
たいていの場合、仔馬のどちらかあるいは両方が死産か、生まれて間もなく命を落とす。
母馬ははうまの命も失われてしまうこともある。

「二頭も生まれるの?」

セシリアは耳が良いようで二人の声を拾って、ますます声をはずませた。


馬の出産は夜遅い時間であることを理由に、馬丁と侍女に反対されてセシリアは出産のいを渋々あきらめた、はずだった。






「仔馬を見たいんだろう?」

泥だらけの自分を抱えるニールスを、不思議そうに見るセシリアに微笑んだ。

セシリアは満面の笑みを浮かべ、ニールスの首にしがみついた。



厩舎に着くとセシリアは馬のお産をまんじりともせず見ていた。

やはり、一頭は死んで生まれてきた。

を開けず生まれたもう一頭は小柄ながら、しっかりとした足で、一時間もしないうちに立ち上がった。

馬丁が手桶ておけに母馬の乳をしぼり出した。

それを待っていたかのように、母馬は子馬が立ち上がるより少し早く、命を終えた。

双子の出産に耐えられなかったのだ。


ニールスは、ハッとしてセシリアを見た。

彼女は母親を失っている。

彼女自身が生まれた時に。


セシリアは少し微笑んで「可愛い子…」小さな声でささやいた。

あなたにおすすめの小説

恋人に夢中な婚約者に一泡吹かせてやりたかっただけ

恋愛
伯爵令嬢ラフレーズ=ベリーシュは、王国の王太子ヒンメルの婚約者。 王家の忠臣と名高い父を持ち、更に隣国の姫を母に持つが故に結ばれた完全なる政略結婚。 長年の片思い相手であり、婚約者であるヒンメルの隣には常に恋人の公爵令嬢がいる。 婚約者には愛を示さず、恋人に夢中な彼にいつか捨てられるくらいなら、こちらも恋人を作って一泡吹かせてやろうと友達の羊の精霊メリー君の妙案を受けて実行することに。 ラフレーズが恋人役を頼んだのは、人外の魔術師・魔王公爵と名高い王国最強の男――クイーン=ホーエンハイム。 濡れた色香を放つクイーンからの、本気か嘘かも分からない行動に涙目になっていると恋人に夢中だった王太子が……。 ※小説家になろう・カクヨム様にも公開しています

始まりはよくある婚約破棄のように

喜楽直人
恋愛
「ミリア・ファネス公爵令嬢! 婚約者として10年も長きに渡り傍にいたが、もう我慢ならない! 父上に何度も相談した。母上からも考え直せと言われた。しかし、僕はもう決めたんだ。ミリア、キミとの婚約は今日で終わりだ!」 学園の卒業パーティで、第二王子がその婚約者の名前を呼んで叫び、周囲は固唾を呑んでその成り行きを見守った。 ポンコツ王子から一方的な溺愛を受ける真面目令嬢が涙目になりながらも立ち向い、けれども少しずつ絆されていくお話。 第一章「婚約者編」 第二章「お見合い編(過去)」 第三章「結婚編」 第四章「出産・育児編」 第五章「ミリアの知らないオレファンの過去編」連載開始

【完結】「心に決めた人がいる」と旦那様は言った

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
「俺にはずっと心に決めた人がいる。俺が貴方を愛することはない。貴女はその人を迎え入れることさえ許してくれればそれで良いのです。」 そう言われて愛のない結婚をしたスーザン。 彼女にはかつて愛した人との思い出があった・・・ 産業革命後のイギリスをモデルにした架空の国が舞台です。貴族制度など独自の設定があります。 ---- 初めて書いた小説で初めての投稿で沢山の方に読んでいただき驚いています。 終わり方が納得できない!という方が多かったのでエピローグを追加します。 お読みいただきありがとうございます。

私は彼に選ばれなかった令嬢。なら、自分の思う通りに生きますわ

みゅー
恋愛
私の名前はアレクサンドラ・デュカス。 婚約者の座は得たのに、愛されたのは別の令嬢。社交界の噂に翻弄され、命の危険にさらされ絶望の淵で私は前世の記憶を思い出した。 これは、誰かに決められた物語。ならば私は、自分の手で運命を変える。 愛も権力も裏切りも、すべて巻き込み、私は私の道を生きてみせる。 毎日20時30分に投稿

【完結】あなたに嫌われている

なか
恋愛
子爵令嬢だった私に反対を押し切って 結婚しようと言ってくれた日も 一緒に過ごした日も私は忘れない 辛かった日々も………きっと……… あなたと過ごした2年間の四季をめぐりながら エド、会いに行くね 待っていて

【完結】あなたは、知らなくていいのです

楽歩
恋愛
無知は不幸なのか、全てを知っていたら幸せなのか  セレナ・ホフマン伯爵令嬢は3人いた王太子の婚約者候補の一人だった。しかし王太子が選んだのは、ミレーナ・アヴリル伯爵令嬢。婚約者候補ではなくなったセレナは、王太子の従弟である公爵令息の婚約者になる。誰にも関心を持たないこの令息はある日階段から落ち… え?転生者?私を非難している者たちに『ざまぁ』をする?この目がキラキラの人はいったい… でも、婚約者様。ふふ、少し『ざまぁ』とやらが、甘いのではなくて?きっと私の方が上手ですわ。 知らないからー幸せか、不幸かーそれは、セレナ・ホフマン伯爵令嬢のみぞ知る ※誤字脱字、勉強不足、名前間違いなどなど、どうか温かい目でm(_ _"m)

心の傷は癒えるもの?ええ。簡単に。

しゃーりん
恋愛
侯爵令嬢セラヴィは婚約者のトレッドから婚約を解消してほしいと言われた。 理由は他の女性を好きになってしまったから。 10年も婚約してきたのに、セラヴィよりもその女性を選ぶという。 意志の固いトレッドを見て、婚約解消を認めた。 ちょうど長期休暇に入ったことで学園でトレッドと顔を合わせずに済み、休暇明けまでに失恋の傷を癒しておくべきだと考えた友人ミンディーナが領地に誘ってくれた。 セラヴィと同じく婚約を解消した経験があるミンディーナの兄ライガーに話を聞いてもらっているうちに段々と心の傷は癒えていったというお話です。

私の婚約者は誰?

しゃーりん
恋愛
伯爵令嬢ライラは、2歳年上の伯爵令息ケントと婚約していた。 ところが、ケントが失踪(駆け落ち)してしまう。 その情報を聞き、ライラは意識を失ってしまった。 翌日ライラが目覚めるとケントのことはすっかり忘れており、自分の婚約者がケントの父、伯爵だと思っていた。 婚約者との結婚に向けて突き進むライラと、勘違いを正したい両親&伯爵のお話です。