うわさの行方

下沢翠花(しもざわすいか)

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 古い石橋と並行するように並んだ、真新しい石造りの橋のたもとに、たくさんの人が押し寄せていた。

新しい橋にかけられた真紅しんくのリボンが、風に揺らされている。


司教しきょう様、遠いところをありがとうございます。ご加護をたまわれますこと、光栄に存じます。」

セシリアは祭服さいふくに身を包んだ、初老の司教に膝を軽く折った。

「伯爵夫人、素晴らしい見事な橋ですな。しゅの名のもとに祝福を。」

司教はセシリアにこたえるように軽く十字を切った後、セシリアの背後に探すような目線を向けた。



ニールスは補給倉庫の監査に行って、まだ戻ってはいなかった。

セシリアは出来るだけ気まずい気持ちを表に出さないように、ゆったりと司教に微笑んだ。


「伯爵様にお会いしたかったのに、まさかいらっしゃらないんですの?」

司教の隣で、象牙色ぞうげいろのドレスに薄絹うすぎぬのヴェールをかぶった女が、不躾ぶしつけに言った。

セシリアが司教に目を向けると、ごまかすように司教が咳払いをした。

「これは、私の姪でして、本日の祈祷きとうの手伝いに───レーナ、ご挨拶を。」

司教に言われて、女はチラリとセシリアに目をやって、ふん、と鼻で息をした。

「伯爵夫人が、こんなに幼い子供だなんて。大変ですことね、叔父様。」

司教は気まずそうにしながら、へらりと笑ってレーネを連れて「祈祷の準備を───」と言い訳めいたことを言って、セシリアのもとを離れた。



「とんでもない、どら猫が迷い込みましたね。」

急に背後から声がして、セシリアは飛び上がりそうになった。

振り向くと、奇妙きみょうな模様の派手な布を頭に巻いたロレンツォがひげを揺らして微笑んでいた。

「ロレンツォ!本当にあなたって、神出鬼没しんしゅつきぼつね。」

「おめに預かり光栄です、セシリア様───お顔の色が優れませんね、心配事のせいですか?」


ロレンツォは、エルムンドでは手に入りにくい物を届けたり、セシリアの工房で使う絹糸を帝国から買い付けたり、織り上がった絨毯じゅうたんの流通を一手に引き受けている、異国の商人。

そして、王妃とセシリアの連絡の仲介役をになう役目もある。


「司教が同席する場で遅刻とは、軍神ぐんしん様は豪胆ごうたんというか、不信心者ふしんじんものというか…」

ロレンツォが遠慮のない声量で言った。

「お越しでなければ、最後のびょうを打つのは私なのかしら?」

セシリアはロレンツォを見上げた。

「聞いたことがありませんね、夫人が金槌かなづちを持つなんて──王妃様も黙っていませんよ。」

ロレンツォではなく、後ろに控えていたイニゴが吐き捨てるように言った。

イニゴの後ろで、オラフもビョルンも、エウラリアさえ大きく頷いた。

「いいじゃないですか、セシリア様が鋲を打った方が縁起が良さそうですよ。あの方より───」

マルタが小さな声で、領主をそしる。

「この後の祝宴しゅくえんにも出てこなければ、あの方が動くでしょうね。」

ロレンツォの言葉に、イニゴはセシリアに似た淡い金の髪と水色の瞳の高貴こうきな女性を思い出した。

「そうですね、いっそもう動いて下さった方が─────」

イニゴとロレンツォがヒソヒソやっていると、後方からざわめきが広がった。


「伯爵様だ。」「軍神様だ!」

軍服のままのニールスが人混みのギリギリのところまで馬で乗り付け、セシリアのそばまで駆け寄って来た。




「セシリアすまなかった。」

息を切らしながらニールスが言うと、鉄灰色てつはいいろのマントから、砂埃すなぼこりが舞い上がった。

ニールスは慌ててマントを脱ぎ、近付いて来た従者に渡した。


「このような、なりですまない。」

セシリアの左に並んだニールスが、小声でもう一度詫びた。

「いいえ、間に合ってようございました。」

ニールスの濃い茶色の髪が、帰還の時と同じに白っぽくすすけていて、こめかみの辺りの髪に泥が小さくかたまりになってこびりついている。

セシリアは思わず手を伸ばし、泥の塊を指でつまむように取った。

一瞬、驚いたような顔をしたニールスは、セシリアを柔らかな微笑みで見下ろした。


「汚れてしまったな。」

ニールスはセシリアの絹の手袋のはまった細い手を両手で包むように持ち上げる。

象牙色の絹の手袋の指先に、乾いた泥が付いていた。

ニールスはその泥をでるようにゆっくりと払った。




 セシリアは何かを感じ、あたりに視線をめぐらせた。

人混みの向こうで、真っ赤なつば広の帽子の女がセシリアを見ていた。

赤いつば広帽に付けられた大きなリボンの隙間すきまから見えるその瞳には、はっきりと憎悪が浮かんでいて、セシリアの背筋せすじが寒くなった。

「アンネさん…」

セシリアの囁きは人々の歓声にかき消され、隣にいるニールスにも聞こえなかった。







 橋の中央に用意された祭壇さいだんで司教が祈祷を執り行い、ニールスが祝辞を述べると、観衆はき上がった。

橋の上は風が強く、深く被った釣鐘つりがね型の帽子の小さな花飾りを容赦ようしゃなく揺らして、セシリアは手で帽子を押さえた。

少し風がんだ気がして顔を上げると、ニールスが風上かざかみに立ってセシリアを見下ろしていた。

「顔色が良くない、寒いか?」

セシリアは小さく首を横に振った。


ニールスに支えられるように真紅のリボンの前まで行き、セシリアはゆっくりとはさみを入れた。

中央で切り離され、風にあおられたリボンが頬を撫でながらちゅうに舞い、セシリアはくすぐったそうに首をすくめて小さく笑った。

空に上がっていくリボンを合図に、群衆から歓喜の声がうずのように上がり橋を震わせたが、ニールスの耳にはその地鳴りのような歓声も届かなかった。

ニールスの耳の奥では、いつまでも小さな笑い声が響いていた。







 人々が麦の穂や乾燥花かんそうかを投げかける中を、セシリアはニールスに手を取られ進んで行く。

渡りめが済めば、この橋は人々の日常に染まってゆく。

橋を渡り切る寸前でやっと歩けるほどの幼児が、セシリアの前によたよたと近づいた。

女児の手には、麻紐あさひもくくった白い野菊の花が握られていた。

「この花を、私にくれるの?」

女児が腕を精いっぱい伸ばして野菊の花束を差し出したので、セシリアはしゃがみ込んで花束を受け取った。

「可愛らしい花束。どうもありがとう。」

セシリアが頬を撫でると、女児は声をあげて笑い、人混みに戻っていった。


「雑草ね、お似合いですわよ。」

すれ違いざまに、レーナがセシリアの耳元で囁いて、追い抜いて行った。

「雑草じゃないわ、山野草さんやそうよ。」

セシリアは思わずぼそりとつぶやいた。

「野菊か?綺麗だな。」

セシリアの後ろから手を伸ばしたニールスが、指で野菊の花弁はなびらにそっと触れた。

「はい、綺麗な花です。」

今度は、はっきりと言葉にしてセシリアは満足そうに笑った。

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