うわさの行方

下沢翠花(しもざわすいか)

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 教会の前の広場に祝宴の席がもうけられていた。

広場の周りをふち取るように露店ろてんが並び、人々の喜びに満ちた声に時々、子供たちの甲高い笑い声が混じる。


 広場の教会側の高台こうだい席にニールスと並んで座ったセシリアは、目の前にいくつも並んだ長卓に座った人達を一通ひととおり目で追って、見知った顔を探した。

何度も会ったことがある、橋の設計者、工事の責任者、劇場建設の出資者達も何人かいる。


セシリアは目の前の銀器ぎんきにアーモンドのあめがけがと一緒に盛られた干しいちじくを手に取って、おかしなひげの男を思い出した。

ロレンツォが運んできたものだろう、そう思い口に入れようとした時、広場中にぎ慣れない香辛料の香りが充満した。

皆がキョロキョロと辺りを見渡す。

広場の端で香辛料の香りを漂わせて、羊肉と野菜が詰まった三角形のパイを揚げている派手な布を巻いた男とすぐに目が合った。

ロレンツォが大きく手を振った。

セシリアは胸の辺りで小さく手を振り返した。



「知り合いか?」

乾杯を終えた後、ひっきりなしに関係者と話していたニールスはセシリアが手を振る先を見た。

出入でいりの商人です───いつも珍しいものを持って来てくれるのです。」

最近ではあまり笑わなくなったセシリアが話しながら微笑むのを、ニールスは複雑な気持ちで見つめた。

「他の料理の味が、この匂いに台無しにされそうだな。」

ニールスの皮肉にセシリアが小さく声をあげて笑った。

「本当に、その通りですね。」

おかしそうに笑いながらセシリアが言うと青白かった頬に少ししゅが差して、淡い金色の髪が一筋、その頬にかかった。

ニールスは頬にかかった髪を指で優しく払いのけた。



「伯爵様、やっとご挨拶ができますわ。」

ニールスの背後から声が聞こえた。


「伯爵様ったら人気者で、なかなかお一人にならないから…」

「今の俺が一人に見えるのか?」

レーナが体をくねらせて頬を赤らめているのを、振りかえったニールスはめた目でながめた。

「挨拶はもう十分だ。」

ニールスがセシリアに向き直ろうとするのを、レーナはニールスの腕に触れて阻止した。




 セシリアからはニールスの大きな体にはばまれて良く見えないが、司教の姪がニールスの腕に触れたのは見えた。
朝から感じていた鈍い頭痛が少しひどくなった気がして、干しいちじくを口に入れて種の食感に集中してまぎらわせた。




「私これ好きなんですのよ。」

レーナはニールスの前にある、銀器のアーモンドを指で摘んで唇に挟み、ニールスを見ながら指で押しこむように口にふくんだ。

「子孫繁栄の縁起物ですもの。───お可哀想な伯爵様。私なら、すぐにその期待に応えられますわよ。」

レーナが、かがみ込むようにニールスに近付いて耳元で話す。

「司教のご令姪れいてつは、てっきり神に仕える道を選ぶと思っていたが。」

ニールスは立ち上がることはせず、レーナと話す。

「私は強い男に仕えたいんですの。」

ニールスがレーナに振り向くと、耳元に唇を寄せていたレーナの鼻とニールスの鼻がつきそうになった。

「あなたには、象牙色のそのドレスより、黒の方が似合いそうだ。」

ニールスは鼻を突き合わせたまま、微動だにしない。

「まあ、嬉しい。伯爵様が見立ててくださるの?」

レーナが口元を歪めて、ニールスの肩越しにセシリアを覗き込んだ。

「その嘘くさいドレスが、神話に出てくる死を呼ぶ白い鳥のようだと思っていたが────」

ニールスはレーナの耳元に口をよせた。

洞窟どうくつ巣食すくう不気味な蝙蝠こうもりの方がしっくりくる。」

勝ちほこっていたレーナの顔が、みるみる歪んだ。

「何と仰ったの?」

レーナの手が震えながらニールスのワインのグラスに伸びた。

「なるほど、あなたには修道院より娼館の方がずっと似合いそうだと思っ─────」


 水音に集まった周囲の人の視線の先には、頭からワインを浴びたニールスと、グラスを手にしたレーナがいた。


「伯爵様!」

セシリアは慌ててハンカチを出し、ニールスのあごからしたたるワインに当てがった。


ニールスは振り返り、セシリアを確かめるように見る。

「大丈夫だったか、セシリア。」

ニールスはセシリアにワインの汚れがないことを確認して、安心したように息をいた。


セシリアが覗き込むように見るとニールスの後ろで、レーナが教会関係者に引きずられるように、連れて行かれるのが見えた。

「馬鹿にするんじゃないわよ!」「離しなさいよ!」「何だって言うのよ!」

ドレスと同じ象牙色のつば広帽が脱げ、付いていた花飾りが無残に散らばっている。

赤い髪を振り乱すレーナは、先ほどまでの楚々そそとした雰囲気はどこにもない。



「ハンカチも汚してしまったな。」

ニールスがセシリアの指先を見た。

セシリアの手袋の指先には泥のあとが、かすかに残っている。

まだニールスの髪から滴っているワインを、セシリアはハンカチで押さえるようにしてぬぐった。

ニールスはその手をハンカチごと握る。

「セシリア─────」


「いやぁ、申し訳ない、伯爵。」

レーナと同じように背後から不躾に声をかけられて、ニールスは何とか舌打ちをこらえて振り返った。

汗だくの司教がニールスを見て、薄ら笑いを浮かべている。

「ご令姪はずいぶん型破りな御仁ごじんのようですね。」

ニールスの言葉に反応するように司教冠しきょうかんから次々に流れる汗は、司教の祭服にみを作ってゆく。

「少し酔っていたようで、誠に申し訳なかった。」

「酔って…か。ふっ、確かに何かに酔っているようではあったが─────」

司教の汗が、滝のように流れている。

「構いませんよ、司教。軍務のために旅装のままだった。ちょうど湯浴みをしたいと思っていた。」

ニールスは司教の肩に手を乗せて、耳元に顔を寄せた。

「この軍服に染み込んだワインはいつか何かのかてになる──そうでしょう?司教。」


ニールスはセシリアに向き直ると「手を洗ってくる」そう言って、教会の中に入っていった。

司教もセシリアに一通り詫びると、教会の中へ消えていった。




 セシリアからは何がどうなっていたか見えなかったし、声も周りの喧騒けんそうにかき消されて聞こえなかった。

赤いワインが滴るニールスを思い出して、セシリアは何となく広場の人混みの中に派手な赤い帽子を探した。

どんなに目をらしても赤い帽子は見当たらない。



セシリアは卓上に残った料理に手をつけようと、ナイフとフォークを手に取った。

赤かぶの酢漬け、皿に添えられた紫キャベツの蒸し煮、あぶり焼きの肉にかかった赤すぐりのソース。

派手な帽子のリボンからのぞく、アンネのあの憎悪に満ちた目を思いだし、立ち上がった。


じっとしていられず、セシリアは教会にニールスの様子を見に行くことにした。

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