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「寒いですか?」
「大丈夫、ちょっと頭痛がするだけよ。」
心配そうなオラフに、振り返って微笑んで答えた。
教会の中庭の回廊は、どんなに天気が良くてもいつも少し暗くて寒い。
柱から伸びるいくつものアーチが、廊下に入江の波のような模様を描きだしているのが不気味で、セシリアはこの回廊が好きではなかった。
回廊の東の端の廊下の奥に簡素な客室が並んでいる。
おそらくニールスはそこだろうと当たりをつけてセシリアは案内を断って護衛の二人と歩いていた。
オラフが先に何かに気付いて、セシリアの前に出た。
ビョルンもすぐに足を止めるが、剣に手をかけていないのに気がついてセシリアは狼藉者の類ではないと思った。
後ろにいるビョルンの目線の先を追って、回廊の奥の暗がりに目を凝らした。
誰かがいるとわかる前に、甲高い声が途切れ途切れに聞こえてきた。
「ニールス───」「──会いたくて──」
それに応えるように低い声が回廊に響く。
「人目がある───」「今日はもう帰るんだ──」
声の方をまっすぐに見据えると、ニールスの背中が見えた。
レーナかと思ったが、ニールスの向かいに立つ人の帽子は、象牙色ではない。
赤い帽子が上を向きアンネの顔がはっきり見えて、次の瞬間には、背伸びした彼女がニールスの襟元に触れるのが分かった。
「行きましょう。」
小声でセシリアが言うと、二人の護衛は黙って頷いた。
教会の入り口まで戻ったところで、セシリアを呼び止める声が聞こえた。
「セシリア様!」
そばかすの少女が息を切らして駆け寄ってきた。
「クララ、今日はお休みはいただけなかったの?」
クララは何日も前から、橋の竣工式を楽しみにしていて、広場に並ぶ出店で何か美味しいものを食べるのだと、ため込んだ小銭を熱心に数えていた。
「司教様の姪って人の世話係にされちゃって、まったくついてません。」
クララは口を尖らせた。
「あの人、伯爵様をワイン漬けにしたんでしょ?絶対何かやらかすとは思ってましたけど、ものすごいことをしますね。」
クララはよほど腹に据えかねていたのか、レーナへの不満をぶちまけた。
「水が冷たい」「食事が粗末すぎる」「寝台が硬い」
レーナは滞在先の修道院でもわがまま放題で、思いつく限りの不平を並べていた。
割を食ったのは世話係のクララで、不満のはけ口にされていたうえに、楽しみにしていた竣工式のお休みも返上となった。
「あの人、本当は司教様の姪じゃなくて娘なんじゃないかって、修道女様が噂してたんですよ。」
急に小声になって、クララが言った。
「滅多なことを言うと、大変よ。」
セシリアは、周りに聞こえなかったか心配になって、キョロキョロと見回した。
「大丈夫ですよ、司教様はレーナ様を連れて、もうお帰りになるそうですから。」
「素早いな…」
セシリアの後ろで、ビョルンがつぶやいた。
「長居すると、ろくなことしないからでしょう。おかげで私はあの人から解放されてせいせいしたし、今から自由に出店を見てきていいって、お許しをもらえました。」
クララがあんまり嬉しそうに笑うので、セシリアもつられて笑った。
「セシリア様、一緒に出店を回るなんて、無理ですよね?」
「そうね、宴席をぬけるのはまずいでしょうね───代わりに楽しんできて。」
セシリアが答えると、クララはがっかりして肩を落とした。
「そうだ、ロレンツォという異国の商人がパイ包みの店を出してたわ、行ってみて。」
そう言って、セシリアはクララの手に銀貨を握らせた。
「トマにもお土産を買って行ってあげてね。」
ロレンツォのようないかにも“異国の人“が受け入れられる一方で、やはりトマはこのような宗教色の濃い催しには参加できない。
クララは納得したようにうなずいて、広場へ向けて駆け出した。
教会の客室に案内されたニールスは、桶に奉公人が水を張ると、頭ごと突っ込むようにしてワインを洗い流した。
桶の水はワインと、ニールスの髪についた砂で、あっという間に濁った。
ちょうど、従者が屋敷から着替えを持ってきていたので着替えるとすっきりして、いくらか気持ちも落ち着いた。
セシリアをくすぐるようにして空に舞い上がる真紅のリボン。
野菊の花束に微笑む横顔。
異国の商人の話に、思わず漏れた控えめな笑い声。
次々に脳裏に蘇ってくる。
(まだ、間に合うだろうか。)
ニールスは簡単に水気を拭き取った髪をかき上げ、鏡に映る顔に声を出さずに問いかけた。
高台席に座るセシリアを、脂下がった顔で見る男たちを思い出して、ニールスは教会の外の広場へ急いだ。
中庭沿いの回廊へ出ようとしたところに、場違いな赤いドレスが見えた。
宴会場となった教会前の広場はもちろん、教会の中も隣接する修道院も警備は万全で、関係者以外は簡単に出入りできないはずだった。
ニールスは警戒して足を止めた。
「ニールス、やっと会えた!ずっと忙しそうにしてて、なかなか会えないから、寂しかったわ。」
大きなリボンのついた真っ赤な帽子から、アンネの声が聞こえた。
「アンネ、ここで何をしている?」
「会いたくて、来ちゃったの。」
帽子のつばが大きすぎてニールスからはアンネの表情は見えない。
「どうやって入った?ここには関係者以外は入れないはずだ。」
「私だって無関係じゃないでしょ?」
「人目があるんだ。こんなところを見られたら、カールの評判にも傷がつく、少しは考えてやれ。」
「そっけないのね、わざわざこんなところまで来たのに…」
それが問題なんだ。言いかけて、ニールスは口を噤んだ。
言い合っている暇はない、ニールスは一刻も早くセシリアのもとへ行きたかった。
「今日はもう帰るんだ、いいな。」
ニールスが広場に向かおうとした時、アンネが顔を上げ突然ニールスの襟元に触れた。
「ゴミがついてるわ──」
アンネがしなだれかかり、立ち上る香水の匂いがニールスの鼻を刺激した。
ニールスはアンネを引き剥がすと何も言わず、彼女を避けるように別の廊下から祝宴の席へと向かった。
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