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ニールスがセシリアの部屋の前まで来ると、二人の護衛が軽く頭を下げた。
護衛に様子を聞こうかと思っていると、ちょうど部屋からセシリアの侍女が出てきた。
「セシリアの様子はどうだ?」
ニールスが尋ねると、エウラリアが眉根を寄せた。
「やっと熱は下がりました。」
まだ何か?そう言いたげな顔で見られて、ニールスは言葉に詰まった。
「明るいうちなら、お目覚めのこともありますのに───」
エウラリアの声にはっきりと棘を感じる。
「そうか、ではまた明るい時分に出直そう。」
ニールスは気まずさをごまかすように、セシリアの部屋を後にし執務室へと向かった。
エウラリアは、セシリアとニールスの婚姻時から、ニールスに厳しい。
殊に、帰還後は溝鼠でも見るような目を平気で向けてくる。
理由はニールスにももちろん分かっている。
あれからセシリアはどこか一点を見つめるようにして静かに座っていた。
祝宴の席がお開きになるまで曖昧に微笑んで頷くだけで、どこかに心を置いてきたような様子のセシリアは、橋の上にいた時よりも顔色が悪くなったように見えた。
何と話しかけても微笑んで頷くだけのセシリアを連れて屋敷に戻った後、彼女は高熱を出した。
ラースの見立てでは熱病。
加えて、過労と栄養失調。
ニールスは、セシリアを避けるために詰め込んでいた仕事に追われ、思うようにセシリアを見舞うことも出来なかった。
ニールスはとにかく仕事を終わらせるべく机に積み上げられた書類の一番上の物を手に取った。
熱の苦しさから解放されてからも体のだるさはなかなか抜けず、セシリアは寝台にもたれかかって、弱々しく息を吐き出した。
体を拭いた布を乗せた盆を使用人が下げて行くと、エウラリアが吸い飲みを手に取った。
「もう、グラスから飲めるわ。」
セシリアが言うと、エウラリアは水の入ったグラスをセシリアに渡した。
「工房の方はどうなってるか分かる?」
水をひと口飲んで、セシリアが囁くように言った。
「セシリア様のご指示通りに、整っているはずです。後で、イニゴさんに聞いてきます。」
マルタは忙しなく手を動かして、セシリアの寝台の敷布の皺を直した。
「伯爵様はお忙しいのでしょうね…」
マルタには聞こえなかったようで、返事をせずにセシリアの背中に枕をもう一つ挟んだ。
じきにニールスは誕生日を迎える。
戦場との手紙のやり取りでお互いの誕生日を祝い合った。
ニールスの手紙の終わりに『戻ったら互いに祝おう』そう書いてあり、セシリアは来年は、今年は、と楽しみにしていた。
「きっとお忘れね…」
掠れるような声はかすかに届いたようで、エウラリアがセシリアを見た。
セシリアは微笑んで、なんでもないと首を振った。
もうひと口水を飲んで、脇机にグラスを置くときに、窓の外を小白鳥が綺麗に並んで飛んで行くのが見えた。
「もう冬なのね」
セシリアは年寄りのようにつぶやいた。
初雪の頃にはセシリアは復調し、いつも通り工房や教会、修道院にと忙しく通い始めた。
修道院のクララを訪ねて、セシリアは出来るだけ他の修道女の目につかぬよう、周りを気にしながら廊下を進んだ。
修道女達の作業部屋からは、糸巻きが軽快に回る音に混じって、キーキーと軋む音が聞こえている。
作業部屋の前をこっそりと通り抜けると、談話室を掃除するクララが見えた。
扉を開けるとクララと、水の入った桶を足を引きずりながら運んでいたトマがふり返った。
「お土産を持ってきたわ。」
セシリアはカゴに入った揚げ菓子を掲げて見せた。
「お砂糖がかかってる…」
分厚い陶器のカップに温めた牛乳を注ぎながら、クララはカゴの中を覗き見て目を輝かせた。
「贅沢ですね。」
トマも嬉しそうに表情を緩めた。
ひし形の生地が、揚げられて変形した菓子を指で摘んで食べた。
小さな揚げ菓子を次々口に入れてゆくクララを、セシリアが一つ食べたきり手を止めて眺めていると、横からマルタがカゴを差し出してきた。
カゴを見るだけでセシリアの手は一向に伸びない。
「美味しいです、セシリア様。」
トマが落ち着いた優しい声で言った。
「セシリア様、もう一つ。」
マルタの懇願するような表情に押されるようにして、セシリアは一つ菓子を摘んだ。
「どうしても私を太らせたいのね。」
セシリアがつぶやくと、マルタと一緒にビョルンも頷いた。
「“汝の食を薬とせよ、汝の薬は食とせよ“と言います、セシリア様。」
「それはヒュドラの教え?」
セシリアはトマに小首を傾げた。
「いいえ、昔の医師の言葉です。」
「野に咲く花を慈しむように、己を慈しめ。」
トマは指についた砂糖を手拍子を打つようにして払いのけた。
「それもお医者様のお言葉?」
「いえ、これはヒュドラの教えです。」
「ヒュドラ神はとても優しい方なのね。」
「はい、大切なことを教えてくださいます。」
トマは上着の上から胸にかけたヒュドラの首飾りに触れた。
セシリアはしかたなく、揚げ菓子を口に入れた。
菓子のまわりについた砂糖が口の中に広がる。
以前は好きだった味が、今はとてつもなく甘すぎるような気がして、口に含んだ菓子が喉を通らない。
セシリアはカップの牛乳で口の中のものを流し込んだ。
「私はそんなにみすぼらしいかしら?」
思わずつぶやいた言葉が意外に大きくて、その場にいる者が皆一斉にセシリアを見た。
「誰がセシリア様をみすぼらしいなんて…」
いつも明るく、どちらかといえば淡々とした様子のクララが眦を釣り上げた。
「はっきり言われたわけじゃないのよ、そんな顔しないで。」
セシリアは自分の手の砂糖をさっと払うと、クララの口元の砂糖を真っ白なハンカチで拭ってやった。
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