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夕暮れの石畳の小道をゆっくりと馬車が進む。
また雪がちらつき始めていて、あたりは暗くなり始めていた。
屋敷を見上げる位置まで来ると、馬車が道なりに大きく曲がり、セシリアの体も大きく窓際に傾いだ。
車窓に石造りの軍の本部の建物が見えた。
薄暗がりに同化しそうな暗い色の建物が、幼い頃読んだ絵本の、魔物の巣窟のように見えて、セシリアの背筋に怖気が走った。
あれから修道院の談話室では、誰が“みすぼらしい“と言ったかを、セシリアから聞き出そうとする、クララから質問攻めにあった。
ビョルンやマルタ、トマまでも、誰が言ったかを察している様子に、最後は自分だけ除け者だ、とクララが怒り出し、大騒ぎになった。
「伯爵様は痩せた人がお好きじゃないの、それだけよ。」
クララの耳元で囁く。
「まったく男ってやつは、大きさとか形とか、くだらないことにばっかりこだわって!」
クララは大声で吐き捨てた。
「お前本当にセシリア様と同じ歳か?」
ビョルンはクララを驚愕の眼差しで見た。
「そういう話じゃなかったのよ…ただ、ここに───」
セシリアは自分の眉間を指差した。
「こうして皺を作って『痩せすぎだ』って、おっしゃっただけよ。」
眉間をギュッと寄せて、眉間に皺を作って話すセシリアを見ると、クララだけでなく皆から悔しそうにため息が漏れた。
「そんなおっかない顔されてたんじゃ、美味しいものも美味しく無くなるってもんですよ。」
クララはまたカゴの中の菓子を摘んだ。
「お前はほどほどにしないと、太るぞ。」
クララがビョルンを睨みつけた。
「ほらね。男って必ず女の見てくれのことばっかり口にするんですよ。綺麗だとか不細工だとか、大きいとか小さいとか、好みの色だとかそうじゃないとか。」
クララの指摘に、ビョルンが居心地悪そうに肩をすくめた。
その様子がおかしかったのか、トマが思わず吹き出して、それにムッとしたビョルンがトマの頭を抱え込んで頭に拳骨をごりごりと押し付けた。
「いいことを教えてあげます───」
クララがセシリアの耳に唇を寄せた。
馬車が少し小高くなった屋敷に向かって登って行く。
セシリアの体が背もたれにそっと押されるようになった。
車窓からはもう軍の建物は見えなくなり、屋敷の脇を流れる小川に雪雲が作る薄暗さが反射して、黒い水が流れる川のように見える。
『満月が映る水に浸した七竃の葉を、枕の下に敷いておくと、胸とお尻が大きくなるんですって。』
クララの言葉が蘇って、セシリアは笑い出した。
「クララのおまじないですか?」
マルタも思い出したようで、向かいの席で笑いだす。
クララの声は大きくて、周りにいた全員に聞こえていた。
「そ、それは、ヒュドラに伝わる“婚姻の祈り“だよ、クララ。」
トマが頬を少し赤くして言うと、皆一斉に吹き出してその声は談話室に響いた。
「婚姻の祈り?」
トマはクララに頷いた。
「王宮でも、王妃様が月桂樹の葉を水に浮かべて何かを占ってたわ。」
「帝国ではヒュドラの教えは、まじないみたいに捉えられてますからね。」
ビョルンは帝国の事情にも明るいらしく、セシリアに微笑んで答えた。
「月桂樹の葉を水に浮かべるのは、たぶん五穀豊穣の祈りだと思います。少しやり方は違いますけど───」
トマは懐かしそうな表情を浮かべていた。
診察室の扉を開けると、ラースと差し向かいで酒を飲んでいる男がうっすらと赤くなった顔で振り返った。
「よう、ニールス。どうしたこんな時間に?」
「アルヴェ、お前こそ何をしている?」
ラースが無言で空いた丸椅子を指差したので、ニールスはおとなしくその椅子に座った。
「兵士の見舞いのついでだよ。」
アルヴェは眉間に皺を寄せて、ニールスの真似をした。
「もう、仕事は終わったんだろ?飲めよ。」
ラースは不揃いのカップに酒を注いだ。
「こうして三人で飲むのも久しぶりだな。」
アルヴェが上機嫌で言う。
酒に強く、滅多なことでは酔わないアルヴェの、首元までうっすらと赤くなった様子に、ニールスは注がれた酒をじっと見てから一口含んだ。
「変わった味だな。」
香辛料が利いた少し甘みのある琥珀色の酒を飲み込んで、ニールスが顔をしかめた。
「ロレンツォさんから貰ったんだ、香りが面白いだろ?」
おかしな布を頭に巻いた男が頭に浮かび、ニールスの鼻に竣工式の日に嗅いだあの強烈な香辛料の香りが蘇ったような気がした。
「好かんな…」
「お堅いんだよ、お前は。そんな顔、奥方様にも見せたんじゃないだろうな?」
アルヴェはやはり、ずいぶん酒が進んでいるようで、いつにも増して口数が多い。
ニールスはカップの中のおかしな匂いのする酒を一気に煽った。
口当たりも好みでないが、喉を焼くような感覚にニールスは一層、顔をしかめた。
「何かあったのか?」
ラースもカップの酒を、ほんの少し口に含んだ。
「セシリアのことで聞きたいことがあってな───」
ニールスの言葉に、ラースが医師の顔に戻った。
「熱病の時、栄養失調だと言ってただろ?」
ラースは黙ってうなずいた。
「侍女の話では、熱病が完治してからも、あまり食がすすまないと。」
「侍女の話って───ご本人に聞けよ。」
アルヴェが口を挟む。
「痩せすぎだと思うんだ、セシリアは。」
「そうだな、最近お会いするたびに、お痩せになってるな。」
「心配なら、こんな所で野郎と酒なんか飲んでないで、帰って奥方様と一緒に飯を食え。」
アルヴェは正論をぶちまけて、また酒を煽った。
「お前、あの下品な阿保女はどうする気だ?本当に愛人にでもする気か?」
アルヴェの、普段は兵士とは思えない物腰のやわらかい貴族らしい所作が、異国の酒に消されてしまった。
「女?誰のことだ?」
アルヴェの言う意味が分からず、ニールスはラースを見て助けを求めた。
会話を遮るように、小さく扉を叩く音がした。
「先生、いますか?」
扉の向こうから、男の声がくぐもって聞こえてくる。
三人が一斉に警戒し体を動かすのとほぼ同時に、扉が軋みながら開いた。
消し炭色のマントに包まれた大きなものを抱えたビョルンが三人を見て、ほんの一瞬「まずった」とでも言うように、左の眉をわずかに上げた。
「人か?」
アルヴェが立ち上がった。
不思議なことに、赤くなっていた顔も首も元の色に戻り素面に見える。
「まあ、ちょうど良かったかもしれないですね───」
マントに包んだものを抱えたまま、ビョルンはズカズカと診察室に入り込み、診察台の上にどさりと荷を下ろした。
マントの中から、「うぐっ」と低い声が聞こえた。
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